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さかさまクロック  作者: 佐倉アヤキ
軍事都市シェイルディア
30/61

act.27 トレイズとロビ

 ロビは走っていた。

追っ手が来ていやしないかとはらはらしながら。人ごみにまぎれて、自分を追う、あの黒い神官服の端すら目に留まらぬくらいに、一目散に。


 やがて、ロビは立ち止まった。人気の少ないスラム街。ロビは背後に自分を探す声もないことを確認して、得意げに微笑んだ。

「へへっ」

 やっと逃げられた。自分に「王族」を強要する女官たちから。自分に取り入ろうとする神官たちから。そして…自分に見向きもしない家族からも。


 「いい子」の自分を演じていれば皆満足そうな顔をしていたけれど、ロビはもうずっと前から見抜いていた。本当に心から、自分を想ってくれる人なんていなかった。否、優しくしてくれるひとはいたけれど、そのひとの一番にはなれず、本当に寂しいときに限ってそのひとはロビの前に現れなかった。

 たった一人、一人だけ、おばさんばかりの女官の中でまだ十代半ばほどの少女の召使だけが、ある時ロビにこう言った。

「そんな"いい子"の仮面被ってて、自分のことしか考えてないような奴らにいい目見させて楽しいですか?」


全ての、張り詰めていた糸が、切れた気がした。


 そして今に至る。

 抜け穴はその女官に教えてもらった。利己欲のカタマリみたいな神殿の奴らを一度出し抜いてみたかったんだ、大丈夫私のことは気にしないで、あとのことはうまくやるさ。…そう言った彼女は、今まで会ったどんな人間とも違っていた。

 彼女は大丈夫だろうか…最初は後ろ髪引かれる思いであったが、一旦神殿を出てしまえば、あとはもうほんの少しの恐怖と怯えと、大きな好奇心しか残ってはいなかった。


 ロビはスラムを見回した。人はほとんどいない。薄汚れた壁にもたれかかる、皮と骨ばかりの、

生きているのか死んでいるのかも分からない、深く淀んだ目をした、希望の抜け殻だけが、いくつか小さな命を灯していた。彼らは見知らぬよそ者に嫌悪の視線を投げかけて、何人かはしゃがれた声で呟きあう。

「なんだ、ガキかよ…」

「失せろ」

「ヒトの肉って美味いと思うか?」

 ロビの背筋に冷たいものが走った。スラムがどんなところか、ロビは知らない。けれど、単なる興味や好奇心で足を踏み入れていい場所ではないことだけが、今の一瞬で理解できた。


 スラムの男が一人、立ち上がった。こちらをじっとりと見据えて、よたよた歩いてくる。ロビは一歩後ずさった。逃げなければ、逃げなければ。なのに足が震えて動かない。すると…

 とん。

「!?」

ロビの肩が、真後ろに立っていた誰かに当たった。息を呑む。肩を、その「誰か」につかまれて…

「目を合わせるな」

「ひっ…」

「ほら、行くぞ。つかまったら厄介だからな」

少年の声だった。ロビの前に出て、手首を握られた。赤錆のような色がちらほらと混じった、薄いブラウンの髪が目に入る。薄汚いスラムの人々の中で、彼のその髪は妙に綺麗だった。


 立ち上がった男が、舌打ちした。

「チッ…グランセルドのガキの連れかよ…」


 グランセルド?ロビは少年を見た。聞いたことがある。確か、世界中を旅して回る殺し屋の一族だとか…殺し屋?この少年が?



 「ここまでくれば大丈夫だろ」

人のいない空き地に出て、少年はロビを振り返った。金の瞳が太陽の光できらりときらめく。金の瞳はグランセルド一族の証だと聞いたことがある。ということは、間違いなく彼はかの有名な殺し屋の一人なのだ。

 ロビは挙動不審に辺りをきょろきょろしながらどうにか言った。

「え…えっと、ありがとう?」

「なんで疑問系なんだよ」

少年はにかりと笑った。

「お前だろ?大通りで騒いでた、家出した世界王子って。そんなナリでスラムを歩くようなガキは、

よっぽどの世間知らずしかいねえからな」

「!」

「そんな怯えるなって。神殿に引き渡したりはしねえよ。…それに、俺も今家出中だから」

「えっ?」

 そして少年は、ぼろぼろの塀に腰掛けた。ロビを見下ろして、手を差し伸べる。

「俺はトレイズ・グランセルド。でも、無印のトレイズで覚えてくれよ」

「……僕は、ロビ・S・ファナティライスト。でも、無印のロビで覚えてくれると嬉しいな」


 手を握り合って、二人の少年は笑みを漏らした。殺し屋と王子。相容れないはずの二人が、出逢った瞬間だった。



 「グランセルド一族って聞いたことある!世界最強の殺し屋の一族でしょ?」

マユキがまず目を輝かせた。マユキの好みは殺しも何も関係ないらしい。トレイズは苦笑した。

「昔の話さ。あのあと俺はロビと一緒に逃げて、殺し屋稼業からは足を洗ったんだ」

「でも、話を聞いてる限りだと、さっき会ったあいつからはあんまり想像できないな…なんかもっと、嫌な子供かと思った」

「例の、ロビを逃がしてくれた女官?そいつの性格をマネしてるんだってさ。いつだったか珍しく真面目な顔して言ってたよ。"思い出を美化してあの人に再会したときに幻滅したくないから。こうして、まわりに嫌なやつだ嫌なやつだって言われてれば、どんな性格だったかすぐに分かるでしょ?"ってさ」

「でも、逃げるにしたって、特にロビのほうは、相手はファナティライストでしょ?すぐに捕まっちゃうんじゃ…」

「ああ、あの時は大変だったなあ!逃げ込んだ先がエルフの森でさ、そこの長に見つかっちまったんだ。ファナティライストの近くのエルフの森では、他に比べて人間嫌いが際立ってるって、知ってるか?あの時は本当に死ぬと思ったよ」



 エルフの集落。

 しわくちゃの顔を嫌悪に歪ませて、エルフの長老は縮こまるトレイズとロビを見下ろした。

「人間がエルフの土地に踏み入るとは!」

「すみません、お、俺達、知らなくて」

「嘘をつけ!!我らの土地を侵しに来たのだろう!?」

全く持って埒が明かない。トレイズとロビは顔を見合わせた。見ると、皆一様にこちらを睨みつけてくるエルフ達。子供であろうと、容赦するつもりはないらしい。


 その時。

「おじいさま!」

「ナエ!」

一人の、エルフの女の子が、トレイズたちを守るように、長老の前に立ちはだかった。長い、ブラウンの髪。トレイズより頭1つ分小さいその背丈。ナエと呼ばれた少女は、厳しい口調でエルフの長老に言い放った。

「おじいさま、どうしてそんなこと言うの?この人たちは、"迷い込んじゃっただけだ"って言ってるのに!」

「ナエ、そこをどきなさい。人間などを庇ってなんになる…」

「なんになる?なんになる、ですって?あなたはヒトを庇うのに見返りが必要なの?人間のことを嫌いなのは分かるけど、エルフの森の木を切り倒したり、焼き払ったりしたのはこの人たちじゃないじゃない!!」

「ナエ!!」

長老は怒りの矛先をナエに向けた。ナエは一瞬だけぎょっとして怯むが、すぐに気丈な瞳を目の前の老人に向ける。

「それ以上の戯言は、いくら我が孫といえども許しはせぬぞ!我々はエルフ、人間のような愚かな生き物とは相容れぬのだ」

「それは、お互いがお互いのことを理解しようとしないからだわ!私はそんなことない、人間もエルフも一緒よ!」


 ナエはトレイズとロビの手首を引っつかむと、小さく「行きますよ」と呟いて、唱えた。

「『我らを包み込む天空の宗主たちよ!今我々に迫り来る魔の手の届かぬ地へ導きたまえ!』」

「ナエ!何をする気だ!」

長老が止めようとするが、ナエは彼の手が届くよりはやく、高らかに宣言した。

「『転移ワープ』!」


 刹那、ナエと二人の少年の姿は、その森から消えうせていた。



 「大丈夫ですか、お二人とも」

ナエに連れてこられたのは、森の入り口だった。ちょっとした広場になっていて、だだっ広い芝生にトレイズ達は立っていた。

「転移呪文…?」

「ここは?」

「あの森の、ファナティライスト側とは逆方向の出口です。ヒトがここまで来ることはまずないです。何もありませんからね。私の秘密の場所なんです」

そしてナエはちょっとだけ苦い色を混ぜて笑った。

「でも、あんなこと言っちゃったから、もうあそこには戻れませんね。正直、あそこは息が詰まるからちょっと苦手で、いつか絶対家出しようって決めてたんですけど…あなた方は、どうしてあんなところに?あそこは人間の来るところじゃないと分かっていたでしょうに」

「迷い込んじゃったんだよ。言っただろ?俺もおまえと同じ。自分のいたところが嫌だったから家出してきた。ロビもだろ?」

「うん」

「ふふっ、じゃ、私たち、似たもの同士ですね」


 ナエはまた笑った。今度は心底楽しそうに。幼いその見た目は想像もつかないほど、大人びた笑みだった。



「それから、俺達はその広場に小さい家を建てて住むことにしたんだ。どうせ港にはファナティライスト兵の見張りがいるし、特にロビは、緑色の髪なんて目立つからな。一発で見つかる。転移呪文も、大陸まで飛ばすだけの力は俺達の中の誰も持ってなかったし。それでのんびり暮らしてたら、ある時ファナティライストの連中に見つかってさ。二手に分かれて逃げようって話になって、別行動してたら俺は色々あってフェル様に拾われて、一方であいつらはシェイル騎士団に入っていて、任務中に再会したんだ。その頃にはもうあの性格だったな。俺も最初は驚いたの、覚えてるよ。なにか変なものでも食ったのかと思った」

トレイズはからからと笑った。


 この広い世の中。高い地位というものか嫌いなロビと会うことなど、もう一生ないと思っていたのに。会ったら会ったで、今トレイズがついている地位に嫌悪感を示して、ロビは自分から離れていくことを確信していたくらいだったのに。

 彼はいつの間にか、シェイル騎士団長になっていた。


「あいつ、人から期待されるのは嫌いなくせに、人に望まれると拒めないんだよなあ。相当なお人好しだよ」

「……そんなふうには、見えなかったけど?」

先程よりは少し控えめに、ギルビスが問うた。トレイズは苦笑した。

「まあ、あいつにとって…いや、俺と、ナエと、ロビのなかで一番幸せだったのは、三人で、あの何もない広場で暮らしてた時だからな。あいつは今も、あの時に戻りたいって、そればっかり考えてるんだろうさ」


でも、…いや、だからこそ、またそのときに戻る為にも、あいつは絶対に俺の敵にはならないよ。

トレイズは自信ありげに言った。


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