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さかさまクロック  作者: 佐倉アヤキ
神聖都市ラトメディア
12/61

act.9 逃げ出した少年

――エルミリカ、今日も研究かい?


誰かが尋ねている。自分の中にいる誰かが、少しうろたえた様子で答えた。

「いえ、今日は聖女と神都の様子を見に…」

自分が「知って」いることを、目の前のひとに悟られないように。きっと浮かべているだろう、朗らかな微笑みを崩させないように。こちらも唇に力を込めて無理矢理微笑んだ。彼はきっと気づいていない。彼の隣にいる男がそっと息を呑んだ。


――僕はまたエルフとの会議だよ。全く…エルフ達は堅物ばっかでやんなっちゃうよ


「無駄にプライドだけは高いですからね。…でもそれ、聖女の耳には入れないほうがいいですよ」


――勿論。あの子はそういう差別が嫌いだからね。じゃ、エルミリカ。神都見物の感想を待ってるよ。


「……………ええ、きっと…」


知っている。知っているのだ。自分がきっと、こうして彼と話すことは、もうないのだと。



なんだか、とても悲しい夢を見た気がする。一人の女性と、一人の青年が話している、ただそれだけの夢だったのに、何故だか無性に切なくて、懐かしくて、そして涙があふれてきそうなほど、悲しかった。無性に家族に会いたくなった。そんなノスタルジックな、ただの夢。しかしよくあるように、その印象ばかりが後味として残るばかりで、実際に何を話したのか、まるでおぼろげで、ラファは思い出せなかった。


ラファは大きく伸びをした。野宿なんて大嫌いだ。身体の節々が痛くてたまらない。むしむしとした気候がうざったく、ラファは布団にしていた上着を着ずに腰に巻き、シャツの袖をまくった。


あれからラファは、その足でラトメを飛び出した。行きはたった数日だったが、途中のモール橋までは転移呪文で飛び越えてしまったし、道中はトレイズやエルディの後をついていけばよかった。道なんてまるで覚えていない。旅も初心者のラファにとっては、レクセに帰ることも無謀なのではないかと薄々感じ始めていた。

マユキのことは考えたくはなかった。取り残してきた彼女が気になる反面、もう道は別れたのだからと自分に言い訳して。けれど、もし彼女がラファのことをあっさり忘れて、あのラトメの連中とほのぼのと笑っているのかと思うと、腸煮えくり返る思いだった。


レクセに戻ったら、メアル先生になんて言おう?巫子だなんて言ってもきっと信じてもらえない。第一自分が信じきれていないのだ。「マユキは巫子になったからラトメに行きました」?馬鹿げている、そんなの。くだらない。現実主義のこの俺が、まさかこんな非現実的なことで悩まなければならないなんて。かといって、嘘を先生に告げるのもなんだか癪な話だった。大体嘘がばれたら、また罰則が増えてしまう。これまでそれなりに、そつなく学校生活を送っていたというのに、戻ったら大目玉だ。両親がなんと言うだろう。

一人頭を抱えて、しかしそれでも前に進もうと歩き出すラファ。とにかく帰らなければはじまらない。まず、無事にルイシルヴァ学園に帰るのだ。心に決めて、晴れ渡る街道を進んでいると、近くの茂みで、葉と葉の擦れるような音が、ふと耳に入って…


直後、ラファは囲まれていた。



「いきなり人殺しを薦めるのは流石に手酷かったんじゃない、フェル?」

「確かに少し言い過ぎたとは思うけど…でも最後まで話を聞かないラファ様にも非があるとは思わない?」

少し機嫌を損ねたらしいフェルマータは、しかし穏やかに笑んだままだった。古い友人である自分にも、彼女はポーカーフェイスを装うようになった。十数年前からずっとだ。それにサザメは小さく溜息をつくと、槍を抱えなおして口調を正した。

「フェルマータ様。第二の巫子様の保護に神護隊が向かいました」

「第五の巫子様はどうされていますか?」

「レインが引き止めています。第二の巫子様なら、第五の巫子様のお力を借りずとも、トレイズとクルド、それと銀髪の双子が付いておりますゆえ、十分事足りるでしょう」

「ええ。第二の巫子……ラファ様を、何としてでも無傷で保護してください」


サザメは一礼して神殿を出て行った。残ったフェルマータは、目を伏せ、呟く。

「そう…あの方を失ってはならない……絶対に」



ラファを大きく囲む、黒いマントの集団。巫子狩り!ラファははっと息を呑んだ。そしてその円の内側…ちょうどラファを向かい合うような形で、鳶色の髪の少年が、人懐こい笑みをこちらに向けていた。流石に数日でこの顔を忘れはしない。モール橋で見かけた、ファナティライスト高等祭司、チルタだった。

「初めまして…というのも変だけど、こうやって面と向かって話すのは初めてだね。ファナティライスト高等祭司、チルタです。よろしく頼むよ、ラファ…君?それとも第二の巫子と呼んだほうが、いいのかな」

「…!」

その台詞の冒頭。モール橋で彼と目が合ったことを思い出す。やはり彼はこちらに気付いて、それでわざとラファ達を逃がしたのだ。なぜだかは分からないが、いい予感はしない。彼の笑みに、何か底知れぬどす黒い闇のようなものを感じて、ラファは息を呑んだ。

「な…何言ってるんだ?俺は巫子なんかじゃ…」

「認めようとしないだけで、本当は分かってるんでしょ?君は覚えているはずだよ、『手を取った』時のことを」

「っ…」

図星を突かれて思わずたじろくラファに一歩一歩近づきながら、チルタは詠うように言った。

「どうして僕は、君と敵対しなきゃいけないんだろう」

「え?」

「世界を滅する第九の巫子…どうしてこの世の自分勝手な支配者はその暴挙を許されているのに、第九の巫子だけは許されないのかな?」

「な、」

「本当に遺憾だよ。もっと裁かねばならない者がいるだろうに、人々が恐れるのは第九の巫子のほうなんだ」

「何を…」

「ねえ、ラファ君?君もそうは思わないかい?そして、腹立たしいとは思わないかい?」


チルタは立ち止まった。もう彼は目の前にいた。頭の中でけたたましく警鐘が鳴り響いているのに、ラファの足はすくんでしまって動かなかった。この微笑む敵が…ああ、なぜ自分は彼を「敵」と認識しているのだろう…なんだかラファの見えない何かを見ているようで、恐ろしかった。


ラファの深い青色の瞳をのぞきこんで、チルタは嬉しそうに微笑んだ。

「綺麗な目だね。さすが、裏市場で高価く取引されるのも分かるよ」

「たか…っ!?」

「ああ、大丈夫だよ、こんな価値のあるもの、持ち主から離して売るなんてもったいない。これで銀髪だったらもっと綺麗だったろうに…男系血統ではうまく容姿が引き継がれないんだったっけ」

「……何を、言ってるんだ…?」


銀髪?目?血統?容姿がなんだというのだ。自分は一般家庭に生まれたただの…


「君のその瞳の意味を考えたことある?"銀の腕時計"の持ち主からのおくりもの」

「!?」

ラファは左腕についた、数字の書かれていない時計を見下ろした。

エルミから受け取った、祖父からの…

そういえば、エルミやエルディは、銀髪で…


「僕はレーチスさんの思いを継ぐんだ。あの人が成し遂げられなかったことを、僕が実現してみせる。

それが…」


「エルミ!単独で前に出るな馬鹿!」


ふわ、と。

ラファとチルタの間に、銀色の糸のような髪が舞い上がった。

ラファの腕を引いて、チルタから遠ざけて、麻のコートがはためいて、右手には抜き身の剣をたずさえて、一人の少年が、チルタの前に立ちはだかった。


「……それが、君の使命だとでも言うの?」

その少年…エルミは、冷たい声で言った。

「エルミ…」

「お探ししましたよ、ラファ様。さあ、下がっていてください」

背後を指して言うので、慌ててラファが振り返ると、丁度ラファを囲んでいた巫子狩りたちを、トレイズ、エルディ、そしてクルドがなぎ倒したところだった。トレイズは、出会った時と同じように、頼もしい笑顔を浮かべて、ラファを見ていた。なんにも怒っていないのだと、そう主張するように。

「よお、ラファ。無事か?」

「トレイズ…」

「まったく、手間かけさせないでくださいよ。貴方が死んだら元も子もないんですから」

「エルディ、少し黙れ」

クルドになだめられて、エルディは肩をすくめた。そして一同は自然とエルミとチルタに視線を戻す。二人はそれぞれ細身の剣を構えて、不敵に微笑みあっていた。しかし瞳の色は冷え切っていて、辺りの空気もまた…凍っていた。


「そこを通してくれるかな、エルミ。まだ僕はラファ君との話が途中なんだ」

「どうせ銀髪蒼眼は高く売れるだの"レーチス教"の話だの持ち出して、ラファ様を恐がらせていたんでしょうチルタ?だから僕は君が大ッ嫌いなんだよ。さっさとお国に帰って世界征服の算段でも立てたらどう?」

「あはは、相変わらずの口の悪さだなあ。でもレーチスさんを尊敬するこの気持ちを宗教扱いしないでくれるかな?君こそラトメなんかでその力を腐らせていては勿体無いとは思わないのかなあ?」


穏やかな笑い声を上げる二人。トレイズとクルドは、頭を抱えた。

「また始まったか…」

「あれ始まると長いんだよなあ…」

「あ、あの二人も知り合いなのか?」

エルディだけはいい気味だとばかりに鼻を鳴らして二人を見、暗い影を落とすトレイズ達を尻目にラファの問いに答えた。

「よく分からないけど、あの二人は僕より前からの知り合いらしいです。顔を合わせれば口争いしてますよ。まあ流血沙汰にはなりませんから安心して下さい。でも下手すると魔術の飛ばしあいがはじまりますから屈んでいたほうがいいですよ」

「そ、そこまで…?」


「とにかく、ラファ様はファナティライストには渡さないよ。例え彼が巫子の役目を放棄したとしても、ラトメディアには彼を保護する十分な義務がある」

「……それは、なんとしてでも阻止しなきゃね」

くすり、チルタが笑んだ。その口端は妙に歪んでいて、瞳は濁っていて…ラファは、ぞわりと鳥肌が立ったのを感じた。


「"過去夢の君"…"予知夢の君"と並んでこの世で最も尊い存在…君ではありえない。そこにいるエルディ君でもない。そしてラファ君のご両親でもなかった…分かるだろう?ならばもう彼しかいない。


その"銀の腕時計"が証拠だ」


一体彼は何を言っているのだろう?

過去夢だとか予知夢だとか…それがなんだというのだ?

それに…

「俺の母さんと父さんが…なんだって?」


呟いたラファの声が届いたのか、チルタがこちらを見て…微笑んだ。その笑みがあまりにも優しくて寂しげで切なげなものだったので、逆にラファは、やけに…嫌な予感が、した。


「ああ、そうか。ラファ君はまだ知らないんだね」


それはやたらと明るい声音で。


「僕、大体一月くらい前に、君のご両親とお会いしたんだよ」


世間話のように、軽い口調で。


「でも君の父さんは『違う』みたいでさ。腕時計もないし…普通の人だったよ。不老不死云々のことも知らなかったみたいで魔弾銃一発でズドン。きっと何か思う暇もなかっただろうね」


あまりにも当たり前のように言うものだから、ラファにははじめ彼が何を言っているのか分からなかった。


「あ………え?」

「君、まさか…!」

「おいおい、マジかよ…」


エルディとトレイズが声をあげ、クルドの顔も険しくなった。呆然とするラファに追い討ちをかけるように、エルミが唸るように言った。


「ラファ様のご両親を……手にかけたのか、君は!」


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