act.7 "神の子"
「まったく…"神の子"だからといって何もかも思い通りになるとでも思っているのかあの性悪女が!エルフの門番に孤児の護衛隊…奴め、貴族をなんだと思っているのだ!」
「あらエッフェルリス殿。お話はお済みですか?」
自分に対する悪口に気付いているのかいないのか、サザメは下りてきた裕福そうな男に朗らかに話しかけた。隣のトレイズはあっけらかんとしてその様子を見ている。
エッフェルリスと呼ばれた男は、ぴたりと立ち止まり、一瞬憎憎しげな凶悪な視線をサザメたちにぶつけたものの、すぐに頬を引きつらせて無理矢理に二人に笑いかけた。
「やあ、門番さんに神護隊長さん。お元気ですかな」
「おかげさまで」
さらりとトレイズが言うと、エッフェルリスは肩を怒らせてワープ地点へと立ち、「一階!」と怒鳴って消え去った。
その様子を見送って、マユキが尋ねた。
「今のは?」
「貴宿塔の塔長…つまりラトメ一の大富豪、エッフェルリスよ。プライドがやたら高くて、エルフや孤児、つまり私たちを毛嫌いしてるの」
「フェル様とは馬が合わないのさ」
呆れたように肩をすくめあうサザメとトレイズ。ラファは首を傾げた。
「……の割には、あまり気にしてないんだな」
「いちいち気にしてたらこっちの身が持たないさ。ああいう人種は適当に言わせておけばいいんだ。エルディが前怒って魔術乱射して大惨事になったけど」
「きっと今、フェルマータ様はエッフェルリスを言い負かして機嫌がいいと思うわ。すぐにお会いになる?」
サザメはエッフェルリスが下りてきたハシゴを槍で指した。あの先に"神の子"がいるらしい。トレイズは頷くと、一番にハシゴに足をかけた。
◆
フェルマータ・M・ラトメ。
五大都市の中でも最高の力を持つラトメディアの指導者で、ラトメの人々は彼女をそれこそ"神の子"のように崇めているという。ラファたちも、宗教の授業で最初に習う人物の名なので、その人物のことは耳に馴染みがあった。
そんな人物と会うのかと思うと、今更ながらに緊張してきたが、トレイズはいやに彼女に親しげなようだった。ファナティライストの"世界王"と並んで、この世界の宗教の大将みたいな存在のはずだが、そんなに気張る相手でもないということだろうか。それとも彼の気質ゆえか。
ハシゴを登った先にあったのは、真っ暗い広い部屋だった。今までが明るかっただけに何も見えずにラファ達が目を凝らしていると、暗闇の奥から、聞いている側が安心するような優しい声が響いてきた。
「ようこそソリティエ神殿へ。赤の巫子様…」
女性の声に呼応するように、ふわりと部屋が明るくなった。
汚れひとつ見当たらない、美しい広間の奥…赤いクッションのソファに、その女性は座っていた。
小麦色の長い髪を後ろでゆるくひとつに束ね、すこし青白い透けるような肌。白い着物姿の若い女性の瞳は、血のように濃い紅色だった。異質な瞳をこちらに向けられて、ラファはぎくりとした。
「お初にお目にかかります、ラファ様にマユキ様。私がこのラトメディアの最高権力者、フェルマータです」
そう言ってフェルマータはゆるやかに頭を下げた。優雅な動きだった。隣のマユキは、そのうつくしい佇まいに感極まっているのか、頬を紅潮させたまま何も言えないようだった。
フェルマータはマユキの反応など慣れっこだとばかりに気にも留めず、トレイズを見た。
「お疲れ様でした、トレイズ」
「いえいえ、フェル様の命令なら。それに結局任務失敗でしたし」
「それは不問としましょう。無事保護できただけでもよしとしなければ」
そしてフェルマータは軽く目を伏せてひとつ息を吐くと、表情を引き締めてラファとマユキに向き直った。
「さて…お二方をお呼びしたのは他でもありません。あなた方に、"赤の巫子"を集めていただきたいのです」
「"赤の巫子"を?」
「なんで俺達が?」
何を言い出すかと思えば。首をひねるラファ達に、フェルマータは頷いた。
彼女が細い右腕を前にかざすと、ラファ達の周囲に、赤い光が丁度十個現れて、それぞれが違う形の紋章を形作った。
「"赤の巫子"…それは十人の『哀しき者達』。歴史の節目に現れるという彼らの役目を、あなた方はご存知ですか?」
「役目…?」
「『赤の巫子、不老不死の身体と絶対無敵の魔力を持ち、歴史の境に現れて世界を救うだろう』ってやつですか?」
ラファの台詞に、フェルマータはゆるゆると首を横に振った。
「"巫子"の歴史には、とても哀しい物語があるのです。書物にも記されないほどの、悲劇が」
◆
世界創設者。
それは千年も昔、世界中を巻き込んだ大戦争…今「世界創設戦争」と呼ばれる恐ろしい戦いを集結させた、二十人弱のメンバーのことを指す。
戦争の原因は、今となってはわからない。
しかし、人というのはくだらない理由でも大きな傷を作るもので。
戦う理由すら分からずに、人々は互いを殺しあった。
今、世界では、中央の孤島にある神都・ファナティライストを中心として、孤島をとりかこむようにしてあるドーナツ型の大陸を五つの都市に分けている。
北には軍事都市シェイルディア。
南には神聖都市ラトメディア。
西には湖岸都市クライディア。
そして東には、学園都市レクセディアと、自然都市インテレディア。
エルフの森を除けば、今この世界には、ひとつの巨大な国の中に、六つの自治区があるのだ。
しかし、世界創設以前…「創前時代」と言われる時は違った。
そのときはまだファナティライストはなく、中央の孤島はエルフの根城だった。
そして今の五大都市はまだそれぞれが「国」であり、その上全部で国は西に位置していた、ヤイン国とロゼリー国を含んで七つあった。この二つの国は戦時中、当時の大国であったレクセとシェイルによって滅ぼされてしまい、現代には残っていない。
その滅ぼされた国のうち、この物語では、女王が統べる帝国・ロゼリーが重大な鍵を握る。
この国は世界創設者の原型を作ったとも言われており、当時は戦争に反対するレクセやシェイルの反逆者などが集まった一団に過ぎなかった世界創設者の拠点ともなっていた。
結局そのすぐ後にロゼリーは攻め入られてしまい、女王が殺されて滅ぼされてしまったのだが、当時の王族の中でたった一人だけ、生き残りがいたという。
それが、エルミリカ・ノルッセル。
目の見えなくなる病気を患う一方で、未来を読むことが出来る「予知夢の君」として次期女王と謳われていた少女。彼女もまた、世界創設者の一人であった。
そして…彼女こそが、"赤の巫子"の考案者なのだ。
ノルッセル。
双子神エルの一部といわれる一族で、不老不死のはずの人々。
しかし不老不死といえども、彼らは本当に際限のない寿命を持つというわけではなく、彼らにもひとつだけ、「死ぬ方法」というものがあった。それが、レクセの秘密兵器であった、「魔弾銃」といわれる武器。これによって、ロゼリーの王族は大半が処刑されてしまったと伝えられている。
だからエルミリカは考えたのだ、完全な「不老不死」を。
天才児と言われていた彼女が"赤の巫子"を考案するのに、さして時間は必要なかった。
しかし、その代償には、大きな力が必要だった。
それは「高い魔力を持つ者の魂」。
つまり、命だった。
しかもそのほかに代償になりそうなものは、この世界のどこにも存在しなかった。
「人を死なせたくないという思いから来たこの秘術が、人を死なせてしまうなんて!」
エルミリカはとうとう、この術を禁忌として、術を記した書に強い封印を施した。
ノルッセル家だけが…つまり、今となってはエルミリカだけがこの本を開けられるように。
これで、もう禁忌が起こる必要はない…エルミリカが安心した直後に事件は起こった。
世界統一戦争が終結し、中央にファナティライストを建てた後、エルミリカが崖から落ちて死んだのだ。原因は、事故だとも、暗殺だとも言われている。今となっては真相は闇の中。
しかし、エルミリカの死に、ひときわ強い怒りを示した者がいた。
世界創設者の一員であるミフィリと、そして、今は名を伝えられていない「異分子」と呼ばれている男だった。
エルミリカは知らなかったのだが、二人は亡くなったロゼリー帝国の女王の息子で、女系一族しか王位を継げないために幼い頃女王の伴侶に捨てられてしまった、れっきとしたノルッセル一族の者だったのだ。
エルミリカが不老不死の研究をしていたことを知っていた二人は、そこにエルミリカを生き返らせるヒントがないかと探して、…見つけてしまった。"赤の巫子"に関する、エルミリカの手記を…
その内容を見て、二人の男は絶句した。
今生きている人間を死なせないようにするのにも、多大な犠牲が必要なのだ。
死んだ人間を生き返らせるとしたら…考えただけで恐ろしい。
二人は他の方法がないか探し……そして見つけた。
しかしその魔術が完成するには、強い魔力と、そして何百年もの歳月が必要だった。
並の人間には、とても成し遂げることのできない代物の、しかし唯一の手がかりを無駄にしないため、二人はとうとう、手を出してしまったのだ。絶対無敵の魔力を持つ、「赤の巫子」の秘術に。
しかし、そのためには犠牲となる命が必要だった。だれか一人、魔力の強い誰かを殺さなくてはならない…そして、「異分子」は決意した。
誰かを犠牲にするくらいなら、自分が犠牲になろうと。
「異分子」は、自分の命を代償とすることをミフィリに伏せて、儀式に挑んだ。そしていよいよ、代償を支払わねばならなくなったときのことだった。
ミフィリが、魔方陣の中へと入ろうとした「異分子」を押しのけて、代わりに犠牲になった。
「異分子」は、自らの身に宿した"赤い印"を見て、呆然とした。そして悟ったのだ。ミフィリには自分の考えなどお見通しで、彼は自分を生かしたのだと。
しかし、他の世界創設者は「異分子」のやってしまったこと、そしてミフィリの死を知るなり「異分子」を責めた。仲間を殺した大罪人だと、ファナティライストから追放し、彼の名前を歴史から抹消したのだ。それでいいのだと、その時は誰もがそう思っていた。
数年の後…
ようやく世界創設者達は危機感に駆られた。
強大な魔力を持った「異分子」が、自分が追放されたことで世界を憎み力を奮ったら?
一体我々に、どれだけ「赤の巫子」の彼を押し留めるだけの力があるだろう?
答えは既に出ていた。"赤の巫子"に対抗できるのは、同じく"赤の巫子"だけ。
ならば自分達の命を持って"赤い印"を作り出し、いずれ現れる「異分子」を消滅させるに相応しい人物に宿るようにしようと。そして、かつての世界創設者の中の幹部九人が、"印"を創りあげ、そして……消えた。
◆
「じゃあ、巫子は、その『異分子』を殺さなきゃならないのか…?」
ラファの問いに、フェルマータはゆるゆると首を横に振った。
「『異分子』は……彼は、既にいません」
「えっ…じゃあ、"印"は、もう必要ないんじゃ…」
マユキも言うと、トレイズが苦々しげに言った。
「そうじゃないんだ」
「え…?」
「敵は、まだ別にいるんだよ」




