第3話 「月影」
「月影」、正式名称は「貴族直属特殊護衛兵隊」。政府が貴族を護るために、秘密裏に
設立した組織です。魔術師の中でも秀でた能力をもつ者のみが選ばれる先鋭だ。
「貴族」を死んでも護るのがわたしたちの使命。
けれど秘密であるが故、その正体は知られてはなりません。だから基本的に監視を行
い、未然に防ぐことが仕事である。
また「メイド」なのは、一番近くで護ることができるからです。
いまのところ周囲に怪しい動きはありません。
まぁないに越したことはないんですがね。
脳内で二つの映像を処理するのは流石に大変なので、隠し持っていた赤と青の水晶に移動させます。赤はムシェル様。青はミュエル様の。
奥様が外にいる時は、普通の護衛が常に着いているので心配はしていません。
けれど一応念のために、位置情報を把握する術式を、いつも付けている指輪に付与しておきました。
水晶を袖裏に仕込んだ隠しポケットにしまい、お掃除を続けます。
あくまで屋敷に仕えるメイドでなくてはなりませんからね。
一階の長い廊下をせっせと、モップと雑巾で拭いていく。
本当は魔術でも使用したいところですが、いざって時に魔力が足りなければ護れるものも護れません。
それになんとなく、自分だけが得するのは引き目も感じますし。
窓のガラスに付着した汚れを落とし、サンにうっすらある埃を雑巾で綺麗にする。
そうして廊下の端まで辿り着いたところでお腹がなりました。
玄関ホールにある振り子時計を確認すると、針はてっぺんを指しています。
お昼の時間です。
掃除用具をしまい、休憩室向かいました。ドアノブを捻ると、既にカルミアと、も
う一人のメイド、リンが着席していました。
「エデンおつかれ~」
「エデンお疲れ様」
「カルミア、リン。お二方もおつかれさまです」
わたしは空いている真ん中の席に腰を下ろします。
木のテーブルに三つの椅子とシンプルな部屋ですが、大きな窓から見える中庭の噴
水がとても美しくて、わたしは気にいっています。
天に向け杯を捧げる天使。
大理石で造形されたその噴水は、今にも天へ飛び立ちそうな躍動感のある翼。日に照らされ輝く天使の姿は神々しく、神秘的で。また光により映し出される天使の表情が、まるで何かを祝福するような。それとも神へ懇願しているような。見る時間帯でも印象が変るため、眺めていて飽きません。心が安らぎます。
「あのいつも気になっていたのですが」
「どうした? エデン」
「なぜメイド室長っていつもいないのですか?」
お昼休憩として、ここの休憩質を利用していますが、メイド室長は来たことがありません。
「あーそれあたしもわからないんだよね」
「そうなんですか? リンは何か知ってます?」
わたしはリンへ目を遣ります。
リンはお淑やかで素敵な女性で、さらさらした黒のロングヘアが似合っています。
長く伸びた脚にはストッキングが履かれていました。
「私もわからないな……ごめん。仕事で忙しんじゃないんかしら?」
「そうなんですかね」
メイド室長が仕事をしている所をみたことがありません。メイド長室という専用部屋が用意されていますが、ずっとそこにいるのでしょうか。
「はーいみんなーお昼ご飯だぞー!」
突然、元気な声がドアを開ける音とともに飛び込んできました。キースです。
お盆片手に登場し、たちまち部屋が美味しそうな匂いに包まれます。
「今日の昼ごはんはなー。じゃーんこれだ」
「オムライスですか!?」
「美味そうだろ」
目の前に差し出されたオムライスを認識して、さらに腹の虫が騒ぎ始めます。
閉じられたふわふわな玉子。表面には軽く粉パセリが振られています。
オムライス以外にも、黄金色に染まる五つのポテトフライが同じ皿に並んでいました。
もう我慢できません。わたしはナイフを掴むと、黄色の宝箱に切り込みを入れる。すると、固まりきれていないとろとろの卵が、マグマのように溢れてきました。
艶やかな光沢はまるで宝石みたいで。喉が鳴ります。
小皿にあるケチャップをオムライスに掛けると、スプーンに持ち替えたまらず一口。
「うっっっま。とても美味いですよキース。店開けるんじゃないんですか?」
「そんなにほめるなって。何も出てこないぞ? ……ほら、お菓子一つあげる」
「出てきとるやないかい!」
カルミアが即座にツッコミを入れました。
「やった! ありがとうございますキース」
と、わたしは満面の笑みでお礼を言います。
するとキースは耳を赤くして恥ずかしそうに、
「お。おう」
と、ぎごちない反応を見せました。
「うん。このオムライスめちゃくちゃ美味しいじゃん。ね、キース。これどうやって作ったの?」
「あら、おいしい……卵の味がしっかりしてる。それにケチャップライスも水っぽく
なってない。あとこれは豚肉? よくこんな上手に作れるわね」
「まぁこれでも余り物でちゃっと作っただけなんだけどな」
「それでも凄いですよ」
トマトの酸味と適度に焼かれた豚肉の旨みが混ざり合い、風味を際立たせる。
味も濃くないため、卵の自然な甘みが無理なく強調され舌を唸らせる。
いくらでも食べられそうです。
「あの、キースはメイド長にも昼食は配膳されているんですよね」
「あぁそうだが?」
キースが首を傾げます。
「メイド長って何なさってるんですか。全然姿を見かけないと思いまして」
「あぁー俺もわからん。なんか部屋でずっと書類とにらめっこしてた。詳しいことは知らないけどな」
せっかくの昼食なのに、みんなで食べないのはもったいないと、思ってしまいました。
「そうだ。下に紅茶あるから持ってこようか? まだ時間あるし」
その言葉に、わたしたちは甘えることにしました。
ここから先は優雅なティータイム。
キースが持ってきたお菓子をつまみながら、紅茶をたしなみ、話に花を咲かせます。
ちなみにキースは「俺は昼寝するから」と言って、去っていきました。
「あの隙間に入り込んだ埃ってどうしてます? 雑巾だけでは中々落ちなくて」
「私は棒にストッキング巻いて取ってるわよ」
「ストッキングですか。でもわたし持っていませんよ?」
「はぁ羨ましいわ。エデンとカルミアは足が綺麗だし、そんな心配してないと思うけれど。私は足が太いから。ストッキングが手放せなくて」
「そうなんですか? 太いようには見えませんけど」
「まぁストッキングの上から見ればね。なんでそんなに肌が綺麗なの? 脚も太くな
いし。なにか秘訣でも? 特にエデン!」
「は、はい!」
飲みかけたコップを受け皿に置きます。何でしょうか。
「エデンって、もしかしてだけど…………鍛えたりしてる?」
ドキッ! 心臓が口から出そうになりました。
「な、なんでそう思ったんですか?」
ここでバレたりしませんよね? いくらなんでも早すぎますよ?
ドキドキしながら次の言葉を待っていると、
「その引き締まったふくらはぎと適度な肉付きをしている太腿。あれでしょ。こっそ
り部屋で脚の運動してるでしょ!」
これだと言わんばかりに、自信満々に答えるリン。
予想外の言葉が飛んできてしばらく思考停止しました。
「あーえっと。そうですね。はい、そうです。よくわかりましたね」
嘘だ。軍にいた時に鍛えていたからなんて、言えるはずがありません。
「やっぱそうよね。だから綺麗なんだ。今度どんな運動してるか教えてくれないかしら?」
「…………わかりました。ではお時間がある時に」
一応、筋肉に負荷をかけさせないためのストレッチも、あちらの方で学んでいたの
で良かったです。
変な汗をかいてしまいました。落ち着かせようと、もしゃもしゃクッキーを頬張り
ます。
すると、何やら視線を感じました。ゆっくり顔を上げると、カルミアとリンがなぜか微笑みながらこちらを眺めています。
「どうかしましたか?」
「ううん。可愛いなーと思って」
「ねー。小動物みたい」
と、リンに続いてカルミアも言い始めました。
「ひゃっ! かわいい……?」
褒められることに慣れていなくて変な声が漏れます。
「急になんですか二人とも。恥ずかしいじゃないですか……」
二人をまともに見ることができず、気を紛らわそうとクッキーを口に入れる。
なんだか顔がとても熱いです。
「でもエデンって食べること好きだよね」
カルミアが訊ねてきました。
「はい好きですよ。わたしは貧困地域生まれの身ですから。美味しいご飯はとても貴重です」
これは本当だ。まだわたしが小さい頃。毎日、小麦粉を練って焼いただけの、ご飯
とは言い難い食事だった。
米は高くて買えませんし、パンも尚更。
服も全ておさがりや古着ばかりで、サイズが合わないことはしょっちゅう。
そういう時はお母さんが、赤切れのボロボの手で針と糸を使い縫ってくれていました。
思い出す、あの頃の景色。服がぼろぼろだといじめられたり、汚いと罵られたり。
辛くて苦い。逃げ出してしまいたいそんな日々。
けれど、暖炉では抑えきれない極寒の夜に震えていると、お母さんとお父さんがわ
たしにくっつき温めてくれました。
かけがえのない、大切な宝物。
その温もりは今も心の中で燃えています。
わたしが思い馳せていると、「そうだったんだエデン。頑張ったのね……」「あたし、もっとエデンにご飯あげる」と、嗚咽混じりに言葉を零していました。
「もうそろそろ時間ですし。持ち場に戻りましょうか」
感傷に浸った空気をどうにかしようと立ち上がります。
空になった皿を片づけるため、手に取ろうとしたら、
「私がやっておくから、残りの仕事終わらせてきて。まだあるでしょ」
「ありがとうござきます、リン」
リンも、カルミアもとても優しいです。
「んじゃ、午後の仕事も頑張りますかー」
「はい。頑張りましょう!」
自分を奮い立たせ、わたしは力強い足取りで次の仕事に向かいました。