エデンの秘密
お試し投稿です。
――わたしには、誰にもバレてはいけない秘密がある。
「行ってらっしゃいませ。ミュエル様」
わたしは黒を基調としたメイド服に身を包み、お辞儀をする。
「いってくるねーエデン」
ミュエル=レイン様は太陽にも負けない笑顔で手を振りながら、門の向こうへ消えていきました。
朝の八時。クリティス魔術高等学校に向かうミュエル様を玄関でお見送します。
クリティス魔術高等学校とは、国の優秀な生徒たちが集まるいわばエリート校で、最難関の魔術高等学校として有名です。卒業生には国務大臣、外部大臣、大企業の社長や軍の大佐、参謀など数えきれない大物を今まで出してきました。ミュエル様はつい一ヶ月ほど前に入学したばかりの一年次生です。
光を跳ね返す金髪のボブカットに、前髪を止める翡翠であしらわれた緑のヘアピン。
誰もが振り向くような可愛らしい容姿に加えて、わたしにはない女性らしいボディライン。
いつみても羨ましいそのお姿。わたしにもあんな大きなおっぱいが欲しかった……。
あ、いけませんいけません、まだ仕事中です。邪念を捨てなくては。
「エデンさん。じゃあ僕たちも出かけますね」
「エデンさんこのあとはよろしくお願いしますね。なにか分からにことがあれば、他のメイドさんに聞いてください」
少しして、そのミュエル様の旦那様と奥様――ムシェル=レイン様とアリス=レイン様が二人そろってお出かけになられました。
「はい。いってらっしゃいませ。旦那様、奥様」
「「いってっらしゃいませ」」
後ろに控えていた他のメイドの声が重なる。
ムシェル様はこの国の中枢機関を担う、国にとって重要なお方であり。国の発展のためにご尽力なさっています。他国との流通や提携、連携、協力、支援、物資の輸送など。国を支える大切な橋の役割をしています。
妻であるアリス様は貴族や偉いお方のみを担当する侍医です。
様々な病気を発見し、更には対策不可能と言われていた流行りの病までも、己の腕と知識だけで薬を調合し世界のパンデミックを終わらせた、まさに神の手を持つ医者。
また絵画に描かれるような美貌の持ち主で、スタイルも抜群。しっかりその血がミュエル様に流れていることがわかる。
門の前で待機していた馬車は二人を乗せ、颯爽と道を駆け抜けていきます。
しばらく腰を曲げ、完全に見えなくなった所で、アンティーク調の重厚な玄関の扉を閉じました。
……さて。わたしの本当の仕事はここから。
「エデン。お見送りが終わったら厨房の皿洗いと廊下掃除。あと夕食の買い物とトイレ、お風呂の掃除もよろしく。わかりましたね?」
この屋敷のメイド室長であるブレンダが鋭い鷹のような目つきで睨みつけると。吐き捨てるように指示を出し、すぐにどこかへ行ってしまいました。
ブレンダはこの屋敷にメイドとして三〇年以上務めた大ベテランです。わたしを含めた三人のメイドのスケジュールを全て管理しています。
「はぁ……終わりますかね……一日で」
思わず弱音が漏れてしまう。
すると、細身でつり目が特徴的な一人のメイドが隣にやって来ました。
「まぁまぁ。新人なんだしそんなもんよ。あたしも手伝うからさ、一緒にがんばろ?」
「いつも助けてもらってありがとうございますね。カルミア」
と、わたしは笑顔で返しました。
そう。わたし――アブソリア=エデンは旦那様の屋敷に最近配属されたばかりの新人メイドです。
まだ二ヶ月ほどしか働いたことがないため、慣れないことも多い。
そんなわたしを気遣い、助けてくれたのがカルミアでした。
カルミアは、わたしがここへ派遣される一年前から働いている先輩です。わたしが来るまでの間は、先程メイド長に言われたような雑用ばかりやらされていたと以前話していました。どうやら新人には雑用を沢山やらせる、というのが恒例らしい。
だとしても指示出しすぎではないでしょうか。
わたしはメイドの中でも背も小さく華奢なほうだ。だからもうちょっと、こういう配慮があってもいいのではと思ってしまう。
けれどいくら新人のわたしが文句を唱えたところでどこ吹く風。タスクを地道にこなしていくしかない。
「あ、わたしちょっと空気を換気するために、第二リビングに戻りますね」
「了解。んじゃ先に厨房いってるわ」
そうしてわたしたちは一旦その場から解散しました。
第二リビングとは、御家族のみがご飯を食べるためのちょっと小さなお部屋(それでも少人数のパーティーは開けそうな広さ)です。
右の廊下を進み、手前から一番目のドアを開ける。
朝の日差しを受け金色に輝くシャンデリア。中央の円卓テーブルには、複雑な模様が刻まれた椅子が向かいあうように三席ある。
そして家族写真が収められた額縁が、いくつか壁に飾られていました。
ふと目に入った写真に、幼いミュエル様が、旦那様と奥様に抱きかかえられ嬉しそうな笑みをこぼしています。
旦那様も奥様も、笑っていました。
みんな笑顔の幸せのワンシーン。
眺めているだけで胸の中がじんわりと、暖かくなりそうです。
――絶対に守らなきゃ。
わたしは窓へ近づき、開ける。爽やかな風が全身をなで、中へ吹き込む。
雲一つない青空。降り注ぐ陽光が眩しくて、目を細める。
すると、中庭に植えられた一本の木の枝に、二羽の鳩がとまっていました。
しばらく見つめているとその二羽は羽ばたき、遠い空に溶けていく。
ある程度換気を済ませたあと窓を閉め、厨房の方へ足を伸ばした。