友達だと思って「ブイブイヤッホー!」という持ちネタで話し掛けたら、氷の女王の異名を持つ氷川さんだった!?
教室の中からクラスメイトたちの喧騒が聴こえる。
この朝の教室に入る前の心地良い緊張感は、何回味わっても堪らねーな。
俺は軽くフウと息を吐いてから、勢い良く扉を開けた。
そして――。
「ブイブイヤッホー!」
「「「――!」」」
ダブルピースを突き出しながら、持ちネタである「ブイブイヤッホー!」というギャグを披露した。
「ギャハハ! デター! 弦希のブイブイヤッホー!」
「今日もキレッキレじゃん!」
「これを見ねーと一日が始まった気がしねーよ!」
教室は沸きに沸いた。
よし、今日も俺の「ブイブイヤッホー!」は絶好調だ!
「なあなあ弦希! 『ポイポイマッポー!』も頼むよ!」
親友の克洋がリクエストをしてきた。
ふふ、しょうがねえな。
「ポイポイマッポー!」
「ギャハハハハ!! ブイブイヤッホーとポーズ一緒じゃん!! マジ腹痛ぇ!!」
ふふ、克洋は「ブイブイヤッホー!」からの「ポイポイマッポー!」のコンボが大好きだからな。
「……フゥ」
「「「――!」」」
その時だった。
隣の席の氷川さんが、呆れたように溜め息を吐きながら、氷のような冷たい眼を俺たちに向けてきた。
こ、怖ッ……!
氷川さんは男女問わず魅了する絶世の美貌を誇っていながらも、誰に対しても塩対応で、常に冷たい態度しか取らないことから、『氷の女王』の異名を持つクールビューティー。
俺たちの悪フザケが、気に食わなかったのかもしれない……。
「ご、ごめんね氷川さん。うるさかったよね?」
慌てて氷川さんに謝る俺。
「……いえ、私は全然構わないわ」
「あ、そう……」
メッチャ構いそうなんですがそれは……。
「ハ、ハハ、まあ、教室では静かにしないとな」
克洋が取り成す。
「そ、そうだな」
こうして微妙な空気になりながらも、朝は過ぎていった――。
「ん?」
その日の放課後。
一人で図書室に向かっていると、廊下の向こうから克洋が、デカい図体を揺らしながらこっちに歩いて来るのが見えた。
まだ克洋は俺に気付いていない。
これは克洋に、不意打ちでブイブイヤッホーをお見舞いするチャンス――。
俺は曲がり角の陰に咄嗟に隠れ、克洋のことを待ち伏せた。
コツコツという、克洋の割には上品な足音が近付いて来る。
よし、今だ――。
「ブイブイヤッホー!」
「…………なっ」
「あれっ???」
が、そこにいたのは、氷の女王こと氷川さんその人であった。
克洋は???
見れば、克洋はトイレに入って行くところだった。
そ、そんな……。
克洋のデカい身体に隠れて、後ろを歩いていた氷川さんが見えていなかったのか……。
ややややや、やっちまったあああああ!!!
「……クッ……クククククッ……!」
「っ!?」
氷川さんはその綺麗な顔を真っ赤にしながら、プルプル震えている。
あわわわわ……!
これは相当怒ってるぞ……!?
「熱森君、ちょっと一緒に来て」
「…………は?」
氷川さんに腕を掴まれ、どこかに連行される。
ひ、氷川さん???
「……フゥ」
「……」
そして氷川さんに連れて来られたのは、誰もいない屋上。
も、もしかしてここで、お説教ですか?
「あの、熱森君――」
「ごめん!!」
「え?」
俺は食い気味に頭を下げる。
「さっきのブイブイヤッホーは、克洋に喰らわせるつもりだったんだよ! それが誤って氷川さんに喰らわせちゃって……。悪気はなかったんだ! ホントごめん!」
「えっと……、何故謝られてるのか、わからないのだけれど……。私は全然、気にしてないわよ?」
「え?」
そうなの??
思わず顔を上げる俺。
「むしろ憧れだったブイブイヤッホーを真正面から浴びれて、感動していたの……!」
「は?」
氷川さんは自分の胸に手を当てて、グッと目をつぶる。
憧れ???
憧れだったって言ったか、今???
そんなバカな……。
氷の女王の氷川さんが、俺のブイブイヤッホーを……?
「私はずっと前から、熱森君のことが羨ましかったの……」
「お、俺が??」
氷川さん??
「常にクラスの中心で、みんなから愛されている熱森君は、私の理想だったの。本当は私も熱森君みたいにクラスを沸かせたいって、毎日妄想していたわ。……でも私は知っての通り引っ込み思案で。熱森君のブイブイヤッホーを間近で見るたび、理想と現実とのギャップに、思わず溜め息をついていたのよ」
「そ、そうだったんだ……」
まさか氷川さんのあの溜め息に、そんな意味があったとは……。
しかも本当は、俺に憧れていたなんて……。
うぅむ、つくづく人というのは、見掛けによらないものなんだな。
「熱森君、折り入ってお願いがあるわ」
「……!」
氷川さんは真剣な瞳を、真っ直ぐ俺に向けてきた。
ま、まさか――!
「私を、熱森君の弟子にしてもらいたいの! 私に、ブイブイヤッホーを伝授してくださいッ!」
「……なっ」
氷川さんは俺に、深く頭を下げてきた。
えーーー!?!?!?
「いや、でも、それは……」
なんでそういう展開になるの???
そもそもブイブイヤッホーは、一子相伝の必殺技とかではないんだけど……。
「お願い熱森君! 私、どうしても熱森君みたいになりたいのッ!」
「――!?」
顔を上げた氷川さんは、俺の右手を両手でギュッと掴みながら、鼻と鼻がつきそうなくらい、顔を寄せてきた。
あわわわわわわわわわ……!?
氷川さんの彫刻のように美しいご尊顔が、こんな目の前に……!!
「ね? ダメ?」
「……!」
氷川さんの大きな瞳が、水の膜で潤む――。
――嗚呼!
「わ、わかったよ。こんな俺でよければ、喜んで……」
「ホントに!? やったあ! これで言質は取ったわよ!」
「ハ、ハハ」
うぅむ、勢いでオーケーしたものの、ひょっとして俺、とんでもないことに巻き込まれてしまったのでは?
「早速今から修行を始めましょう! さあ師匠、まずは何からすればいいですか!?」
「師匠って……」
何ともムズ痒い……。
――だが、引き受けたからには、俺なりに全力で指導しないとな。
「そうだね。では最初は『自己解放』からやってみよう」
「自己、解放?」
キョトンとした顔をする氷川さん。
ふふ、最早氷の女王の面影はどこにもないな。
多分これが、氷川さんの素なんだろうな。
「うん、元々は演劇とかの用語らしいんだけど、まあ要は、自分の全てをさらけ出すってことさ」
「自分の……全てを」
顎に手を当てて思案する氷川さん。
美人はどんなポーズも絵になるねぇ。
「氷川さんは俺のブイブイヤッホーの、どんなところが面白いと思ってる?」
「え? それはやっぱり、思い切りの良さよ! あの一切の恥ずかしげのない、全力のブイブイヤッホーを見ていると、思わず笑っちゃうの! ……あっ、ごめんなさい。今のは貶してるわけじゃなくて……」
「いや、全然構わないよ。むしろそれこそが、俺が求めていた答えさ」
「え?」
「俺の経験上、人を笑わせる上での一番の敵は、『恥ずかしさ』なんだ」
「……!」
氷川さんの大きな瞳が、更に見開かれる。
「試しに俺がやってみるね。……ブ、ブイブイヤッホー」
「……あっ」
俺はワザと恥ずかしそうに、小声でブイブイヤッホーをやってみせた。
「どうだい今の? 面白かったかい?」
「いいえ! クソほどつまらなかったわ!」
急に辛辣!!
やっぱり氷の女王だわこの人!
「あー、まあ、と、いうわけさ。恥ずかしそうにギャグを披露するのが、一番やっちゃいけないことなんだ。その恥ずかしさを捨てる訓練こそが、自己解放なんだよ」
「な、なるほど……! 勉強になります、師匠!」
氷川さんはメモを取るようなジェスチャーをした。
今思ったんだけど、わざわざ俺が教えなくても、十分氷川さんて面白くない?
ま、まあいいか。
「では早速やってみよう。今から俺が氷川さんに質問するから、氷川さんはその質問に、全力で答えるんだ」
「ぜ、全力で……。わ、わかりました! やってみます、師匠!」
うん、その意気だよ。
「ではいくね。――『氷川さんの、好きな男性のタイプは?』」
「……なっ!?」
途端、氷川さんの顔がボフンと赤くなった。
お、おや?
「あー、もう一度訊くね? 『氷川さんの、好きな男性のタイプは?』」
「……す……好きな……男性の……タイプ……ですか」
声ちっさ!!!
「いやいやいや氷川さん!? それじゃ全然自己解放できてないよ! ドチャクソ恥ずかしがってるじゃん! そんなんじゃブイブイヤッホーの習得は、夢のまた夢だよ!?」
ブイブイヤッホーの習得って何だよ(賢者タイム)。
「そ、そうですよ、ね……! これは修行ですもん、ね……! わ、わかりました……! ――私の好きな男性のタイプは…………いつも元気で、みんなを笑わせてる、面白い人ですッ!」
「――!?」
えっ……!?
そ、それって……!
「それでいて、場の空気も読めて、誰にでも優しい、ナイスガイが好きでーす!!!」
「ナイスガイ???」
ナイスガイなんてワード使ってる人、マ○ト・ガイ先生くらいしか見たことないよ???
「ハァ……! ハァ……! ハァ……! 師匠、どうでしょうか? 自己解放できてましたでしょうか?」
「あ……うん、できてたと、思います」
「やったあ!」
う……わ――。
ヤベェ、俺のほうが、恥ずかしくて氷川さんの顔見れねぇ……!
いや、待て待て待て。
別に今のが、俺のことだという証拠はないだろ?
あくまでそういう男がタイプってだけの話であって……。
「師匠、どうかしたんですか?」
「――!」
またしても氷川さんが、鼻と鼻がつきそうなくらいの至近距離まで詰めてきた。
この子の距離感、ゼロか百しかないのか!?
「あー、何でもないよ。その調子で、どんどん自己解放していこう」
「はい、師匠!」
こうして俺と氷川さんとの、特訓の日々が始まったのである――。
「ブイブイヤッホー!」
「おお!」
そして一ヶ月が過ぎた頃――。
放課後にいつもの屋上で修行に明け暮れていた俺と氷川さんだが、ここにきて氷川さんは、百点満点のブイブイヤッホーを披露した。
「素晴らしい! 今のブイブイヤッホーは完璧だったよ氷川さん!」
「ほ、本当ですか師匠!? 嗚呼、今日まで頑張ってきてよかった……!」
氷川さんは両手で口元を覆いながら、滝のような涙を流した。
ふふ、氷川さんは本当に可愛いな。
氷川さんの表面的な部分しか見ないで氷の女王なんて異名をつけていたことが、今更ながら恥ずかしくなってきたよ。
「じゃあ、そろそろ私も、みんなの前でブイブイヤッホーを披露してもいいですよね!?」
「――!」
氷川さん……。
「いや、それはまだ早い」
「え? な、なんでですか師匠!? 今の私のブイブイヤッホーは、完璧だって言ってくれたじゃないですか!?」
「うん。確かにブイブイヤッホー自体には何の問題もなかったよ。――でもね氷川さん、人を笑わせるためには、ブイブイヤッホーが完璧なだけじゃダメなんだ」
「――! そ、それは、どういう……」
「まあ、これは口で説明するのは難しいから、詳しいことはまた明日教えるよ。今日はもう下校時間だから、この辺で切り上げよう」
「は……はい」
今思えば俺はこの時、もっとしっかり氷川さんに釘を刺しておくべきだったのかもしれない……。
教室の中からクラスメイトたちの喧騒が聴こえる。
この朝の教室に入る前の心地良い緊張感は、何回味わっても堪らねーな。
俺は軽くフウと息を吐いてから、勢い良く扉を開けた。
そして――。
「ブイブイヤッホー!」
「「「――!」」」
今日も渾身のブイブイヤッホーを披露した。
「ギャハハハハ! デター! 弦希のブイブイヤッホー!」
「今日はいつにも増してキレッキレじゃん!」
「まだ進化すんのかよお前!」
教室はいつになく沸いた。
おぉ……、どうやら氷川さんに教えていたことで、結果的に俺自身のブイブイヤッホーのレベルも上がっていたらしい。
よく先生が「人に教えることも勉強になる」って言ってるけど、こういうことだったんだな。
そういう意味では、俺も氷川さんに感謝しないとな。
「……ん?」
が、その肝心の氷川さんが、まだ登校していないことに気付いた。
おかしいな……。
氷川さんはいつも、誰よりも早く登校しているのに……。
「「「――!!」」」
その時だった。
スパーンという小気味良い音を立てながら、氷川さんが勢いよく扉を開けて教室に入って来た。
いつもとはあまりに違う氷川さんの行動に、クラス中の視線が氷川さんに集まる。
氷川さんは、これでもかというドヤ顔をしていた――。
ま、まさか、氷川さん――!?
「ブイブイヤッホー!」
「「「――!?」」」
案の定氷川さんは、渾身のブイブイヤッホーを披露してしまったのである……。
嗚呼……。
「…………あ、あれ?」
が、氷川さんの想定とは異なり、教室の空気は吹雪が吹き荒れる雪山の如く、凍りついてしまったのである。
氷川さん……。
「そんな……なんで……。――クッ!」
「氷川さん!?」
空気に耐えられなくなった氷川さんは、肩を震わせながら教室から出て行った。
慌てて俺も、氷川さんの後を追った――。
「うっ……うぐっ……うええええぇぇ……」
「……」
いつもの屋上まで逃げて来た氷川さんは、涙と鼻水でその綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしていた。
何と声を掛けてあげればいいかわからず、無言で立ち竦む。
「し、師匠が言っていたのは……こういうことだったんですね……」
「――! 氷川さん……」
が、袖で涙と鼻水をゴシゴシと拭きながら、氷川さんは俺に向き合った。
……強い人だね、氷川さんは。
「うん、そうだね。人を笑わせるためには、ブイブイヤッホー自体のクオリティももちろん大事だけど、それと同じくらい、『認知』も重要なんだ」
「認知……」
氷川さんは顎に手を当てながら、言葉の意味を反芻している。
「何故プロの芸人は、人を笑わせられると思う?」
「え? それは……笑いの技術が高いから?」
「うん、それもそうなんだけど、それ以前の話として、『世間の人がその人をプロの芸人と認知しているから』というのもあるんだ」
「……!」
「例えばとてもお笑いとは無縁そうな真面目な雰囲気漂うサラリーマンが、急に路上で一発ギャグを披露してきたら、氷川さんならどう思う?」
「……あ」
氷川さんの宝石みたいに輝く大きな瞳が、更に見開いた。
「そもそもギャグのクオリティ以前に、『えっ、何この人……』って不気味に思って、とても笑えないんじゃないかな?」
「た……確かに……」
氷川さんはうんうんと、何度も頷いている。
どうやらわかってもらえたらしい。
「……俺だって今でこそお調子者キャラとしての立ち位置を確立したけど、この学校に入学した当初は、さっきの氷川さんみたいに、ギャグを披露しても場を白けさせてばかりだったんだよ」
「そ、そうなの!?」
あの頃のトラウマは、今思い出しただけで胃が痛くなる……。
「それもさっきのサラリーマンの例と同じで、まだクラスメイトたちに、俺がどんな人間なのかということが認知されてなかったからというのもあったんだと思う。あまり仲良くない奴が、突然よくわからないギャグを披露してきても、そんなのは恐怖でしかないからね」
「……なるほど。……私はその『認知』の過程をすっ飛ばして、いきなりブイブイヤッホーをしてしまったがために、クラスメイトをドン引かせてしまったというわけですね……。クッ、本当に申し訳ございません……!! 師匠のブイブイヤッホーに泥を塗るような真似をしてしまいまして……!」
「い、いや、それは別にいいんだけどさ」
そもそもブイブイヤッホーに泥を塗るって何?(賢者タイム)
「大丈夫、うちのクラスの連中は、みんないい奴らだから。これから徐々に氷川さんの『認知』を広めていけば――」
「氷川さん!」
「「――!」」
その時だった。
いつの間にか克洋が、ハァハァ息を切らせながら立っていた。
克洋の後ろから、他のクラスメイトたちもぞろぞろ屋上に出て来る。
みんな……。
「さっきはゴメン! 氷川さんが弦希と毎日何かを練習してたのは何となく気付いてたんだけど、咄嗟のことでビックリしちまってさ! よかったら、また氷川さんのブイブイヤッホーも見せてよ」
「あ、あぁ……」
感極まった氷川さんは、口元を両手で覆いながら瞳を潤ませる。
やれやれ、美味しいところを持っていくな、お前は。
「うんうん、私も氷川さんのブイブイヤッホーもっと見たい!」
「俺も俺も!」
「氷川さんて、もっとクールなイメージだったけど、あんなに面白い人だったんだね!」
「それな! いい意味で裏切られたよ!」
「み、みんな……!!」
遂には氷川さんの目は、涙で決壊した。
「ね? 言ったでしょ、うちのクラスのみんなは、いい奴らだって」
「うん! ――ブイブイヤッホー!!」
「「「アハハハハハハハハハ!!!」」」
氷川さん渾身のブイブイヤッホーは、屋上の空気を割れんばかりに震わせたのであった。
「……おめでとう氷川さん。これでもう、俺から君に教えることは、何もないよ」
へへっ、ヤベ、俺も泣きそうだ。
「ありがとう、熱森君! ――大好きだよ!」
「っ!?!?」
その時だった。
氷川さんに抱きつかれた俺は、そのまま頬にキスをされた――。
えーーー!?!?!?
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