7話
果てしないほどに続く、緑と青の二色は地平線まで続く。
これほどまでに広大で拓けた景色は見たことがない。
チクリとした感触に目線を落とす。
干し草だ。山積みにされた荷物を覆い隠すように敷き詰められている。
木製の使い込まれたボロい荷馬車。
その持ち主だろうか、荷台に乗ったボサボサの白髪に牛乳ビンの底のような分厚いメガネをかけた男が隣で手を差し出してくる。
「くれ!」
「……?」
律にはその意味が分からず戸惑った。
そもそもここは本当に異世界なのか……まだ変わったものには出会っていない。
見たところ変なメガネのお爺さんはいるが人間だ。
強いていうなら、お爺さんのような見た目に反して若い声をしているくらいのものだ。
「……なんなんだオメェは空から降ってきやがってさ? どうせ魔術師なんじゃろーが」
「違います」
「だいたい胡散臭いヤツらの相場は金持ちって決まってるのさ!」
「いえ……僕はただの人間ですよ」
「はぁ、話の通じないヤツ。見て気づくことがあるだろ?」
「えっと?」
律は白髪男に言われた通り見る。
ボサボサで艶のない白髪。長いヒゲ。メガネは分厚いレンズで牛乳瓶の底みたいだ。
服装は紺のドカジャン、赤いニット帽。とても使い込まれていてボロボロだ。
あと、なぜか下駄を履いている。
顔だけ見るとサンタクロースに見えるのは不意に笑ってしまいそうなので困る。
「……うーむ?」
「いやだな、オメェは。わざわざ見て分かるようにしてやっているんだ。早く気づけ、恥をかかせるつもりか?」
律は深く考え込んで一分たった頃だ。
痺れを切らしたメガネ爺さんが律に干し草を投げつけて憤怒する。
「そこは恵みたくなる格好ですね……じゃろがい!」
「えぇ……?」
律は困惑していた。
目覚めて早々に情報量の多さと理解の追いつかなさにめまいもしそうだ。
お爺さんのワールドが強すぎて、熱を出した日の夢みたいに思えてくる。
「と、に、か、く、乗車料だ! 払って貰わないと困るんじゃコラ!」
「僕は……お金ないです」
「アーアー、品物に傷ついチャッタナーアー!!!」
メガネ爺さんは口を尖らせて大根芝居を始める。
背後に小さな影が迫っていることに気づく気配はない。
「今乗せてやってんじゃろーが! 慰謝料だ! 慰謝料をっ……!?」
「大バカ者!!!」
「へぶぅぅーーー!!?」
メガネ爺さんの背後からハリセンを持った少女が、ホームランボールでも打つかのように振れば、律のすぐ側を掠めて消えた。
遥か彼方に飛んでいく……瞬きする間も与えない速度。
可愛らしいレースのワンピースも霞むほどにえげつない。
「まったく! プーなのです。失礼極まりないのです!」
十代前半ほどに見える、澄んだ青い目の少女はメガネ爺さんが飛んでいった方角に頬を膨らませた。
「ミキトが大変失礼いたしました。私はエーフェナ・プラネなのです。以後お見知りおきを」
少女は長い丈のスカートを軽く持ち、頭を下げる。
少女から後光が差しているように見えた。
律は目を細めながらメガネ爺さんのことで気がかりがあった。
「……えぇと、僕は大字律です。ミキトさんはどうされたんですか?」
「あれには……ワケがありまして……」
エーフェナは言い淀み、どこから説明すればよいものかと悩んでいる様子だ。
少しして説明を始める。
「私たちは貿易商なのです」
「貿易商?」
「主に国を渡り歩き、珍しいものを売り買いしています。ほんの少しマージンを受け取って生活しているのですが、今回得られた収入が少なくて……ミキトの気が狂ってしまったのです」
エーフェナは苦笑いして『いつもは違うのですよ』と付け加えた。
律は納得して頷く。その時だ。
『やーっと、見つけましたー! 律さん!』
「……ミシアーナさん!?」
脳に直接語りかけられたような感覚。
律は今だに慣れないがミシアーナとの再会に少し安堵した。
ひとまず天城のいるはずの異世界に戻れたのだから。
『無事でしたね! ね、私の言う通り成功したでしょー?』
「……あははっ」
律は笑って誤魔化した。
ミシアーナの作戦だけでは戻って来れなかったのだから。
政仁がいなければ今頃どうなっていたんだろうか……考えたくもない。
本当にどうなっていたんだろう。
「これは……まずいのです」
エーフェナが呟いた直後、律も異変を感じた。
地鳴りがする……土煙りをあげて誰かが全力疾走してきた。
「うぅぬぉぉぉお!!! どこからともなく美女の声ぐぁぁ!」
メガネ爺さんことミキトだ。
オリンピック選手よりも早く、恐ろしい形相で迫ってくる。本気だ。
「どこ! 美女、美女は!」
『えー誰です? もしかして私のことだったりしちゃいます?』
「あんだよ、顔出しNGかよ……」
「大バカ者!」
ミキトがその先の不適切であろう発言をする前にエーフェナがハリセンを構え、思いっきりかっ飛ばした。
だが、ミキトはするりと避ける。
その様はただ者ではない。
「何度も当たってやるものか、脇が甘い!」
「きゃー!」
エーフェナが驚いた隙にミキトは背後に回り込む。
そして、くすぐった。
「きゃははははっ……!」
「さて、エーフェナ。我々は退散するとしよう」
ミキトは下がったメガネを上げ直した。
「どうしてなのです?」
「空気読め……取引先がお待ちかねさ」
「待つことなんて……むぐぐっ!?」
ミキトはエーフェナを抱え、口を塞いだ。
律はミキトの様子が変わったように思えた。
口調に真剣さがある。今なら話し合いが出来そうだ。
「ミキトさん、あの! 待ってください!」
「なんじゃ?」
「いくつか聞きたいことがあります」
「内容によるなぁ?」
ミキトはケラケラと笑う。
はぐらかされてしまうかもしれないと律は思った。
もしくはお金を要求されるかもしれないとも。
「まずは僕とミキトさん達の顔についてです」
律が尋ねた途端に、ミキトは真剣な表情に変わった。
「その反応、あの国を見たな」
「あの国?」
「ディビ国、ロクでもない連中の終着所さ」
『そこでーす! 律さんが最初にいたところ!』
ミシアーナがすかさず肯定した。