表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/17

5話

 ーー眩しい光を見ていた。

 そこには楽しそうにピアノを弾く母がいた。


「……かっけぇ!」

「ママかっこいいね!」


 律の妹も母を見てそう言った。

 観客達の拍手に高鳴る鼓動。誇らしかった。自慢の母だ。

 あの感覚は今も消えることはない。


 一礼に応えるかのような拍手。いつの間にか、スポットライトは律を照らしていた。

 ピアノの鍵盤に手を置く。途端、観客は沈黙して律を凝視する。

 この異様な空間に手が震えていた。

 大丈夫、今回も結果は同じだ……ずっと四歳から最優秀賞じゃないか。

 でも、頭では分かってしまった。

 この曲を完璧に弾けたとしても今の自分では負ける。

 律の前に演奏した年下の子……自分よりも上手かった。

 端っから負けるのは分かってる。

 あの拍手を越えられる自信がない。

 舞台袖から名前が呼ばれるのを待つあの時間は地獄だった。

 この鍵盤を押し込まなければ始まることすらできず、逃げ出せないこの瞬間が一番嫌いだ。


 ーー僕に才能なんてものは無かった。


 結果は二番目。

 それでも認めたくない気持ちがあった。

 認めてしまったら、僕の今まで積み重ねてきたもの全てを否定された絶望しか残らない。

 地獄とたいして変わらないだろう。


 ーーこんな僕が生きていていいのか?


 自分が成りたかった姿に3つほど年若い少女がなっていたのだから、もう手遅れなことは痛いほど分かっているだろう。


 スポットライトは点滅して、フラッシュに変わった。

『大字みよりの息子』

『天才ピアニストの子』

『将来確実、生まれながらの天才ピアニスト』

 中学で最優秀賞を逃してからは記事がパタリと消えた。

 大字みより、僕の母親の名前。

 母は世界中の音楽家達にその名を轟かせた天才ピアニストだ。

 当然、息子である僕には期待という名の重圧がつきまとっていた。

 最初はそんなこと微塵も感じなかった。

 ただ楽しかったんだ。

 褒めてもらえるだけで母さんの喜ぶ顔が見られるから幸せだった……でも今は違う。


「……つかれた」


 ふと、溢れた本音に気付かされる。

 僕は大字みよりの息子(ピアニスト)として生きることに疲れていたのか。

 溢れるほどの期待、超えられない壁に阻まれ続ける……終わりなき努力が辛くなった。嫌になった。


『なぁ、いつまでピアノ続けるん?』


 幼馴染の三田 政仁に聞かれるまでは……やめるという選択肢がある事に気づかなかった。

 いや本当は知っていた。

 気づかないふりをしていたんだ。

 僕は大字みよりの息子として、ピアノを生涯続けることが当然だと思っていたから。

 逃れることなど許されないと受け入れていた……はずだった。


『さっさとやめれば? やる気のないやつに上にいられると目障り』


 妹のほのかの言う通りだ。

 やめてしまえ!

 辛いならやめれば楽になれる。

 でもそうしなかったのはどうしてだ?

 誰に強制されたわけではない。

 母のことだ、出来なくてもきっと許してくれるだろう。

 それでも続けた理由はなんだ?


 世間でも、母のためでもない……自分だろ。

 許さなかったのも、追い詰めたのも自分自身の完璧主義(プライド)だ。

 天才ピアニストの母の息子として相応しい子で在りたかったから。


 いつからだろう……楽しくなくなったのは。

 忘れた。

 ヒリヒリと痛む指先と関節。

 不快ではあるが慣れた。

 今更、練習したところで追いつけないのは分かっている。

 でもここで手を止めてしまったら、一体なんのために努力したのか。

 このまましがみついていても恥を晒すだけ。

 全部が水の泡になるのが嫌で続けるのか?

 その先になにがあるというのだろう? と問われた気がした。

 息の仕方を忘れたみたいに苦しくて、自然と涙が出た。

 もう、終わりにしよう。


 ーー僕はピアノをやめた。


『……好きだったのに』

「え?」


 日が暮れていく公園で、天城の思いもよらない言葉に僕は聞き返した。

 なぜそんな反応をされたのか天城は分かっていないようで、八秒ほど沈黙した後、誤解されていることに気づいたのか顔を赤らめる。


『かっ、勘違いしないでよね! りっ、律の演奏がよ!!』


 必死に否定する天城につられて、僕も顔が熱くなっていくのを感じた。

 なぜか目を逸らしたくなる。

 まともに顔が見れないなんて変だ。

 気心が知れているはずなのに不思議と気まずくなっていく。


『……ありがとう』

「ははっ……! なんだそれ、僕のセリフを先に言わないでくれよ」


 天城の予想外の言葉に律は笑ってしまった。

 どうやら変なのは相手もらしい。


『違うわよ、相談してくれてすごく嬉しかったって意味! 一人で背負い過ぎたらダメだからね。ちゃんと周りに弱音、吐きなよ!』

『アンタのどんなにちっぽけな悩みでも、私ならいつでも笑って聞いてやれるから!』

「……ありがとう」


 天城が笑顔で必死に堪えていた涙がこぼれ落ちる。何度拭っても止まらない天城の涙を見ていて、律にも響くものがあった。

 暖かいものに包まれたような気分だ。


『……変よね、自分のことみたいに思っちゃって。律がずっと苦しんで悩んで、それでも続けてたのを見てたから。良かった気持ちと、律の演奏が聴けなくなる悲しさとで複雑なの』

「ありがとう、天城」


 日が落ちても赤く、二人は幸せそうに笑ってる。

 懐かしい。

 けれど、なにか忘れていることがある……思い出せない。

 今までなにをしていたんだろう。

 夢よりも現実離れしたことだった気がする。

 無性に早く、戻りたい……どこへ行くつもりだったのだろうか?



 律は目が覚めた。

 見慣れた天井、壁、懐かしささえ感じる部屋。

 長い夢を見ていたような……どっと疲れが押し寄せてくる感覚。

 だるくて、このまま二度寝してしまいたい。


 静かだ。

 スマホのバイブ音だけが騒がしく聞こえる……手に取り画面を見ると、まだ十三時四十一分だった。

 珍しい人からのメール通知がある。


「……シュウ兄さん」


 シュウ兄さんこと……(みなと) 秀悟(しゅうご)は律の八歳差の従兄弟だ。そして、憧れの人でもある。

 中学生時代に同じアパートに住んだこともあったが、流血沙汰の事件が起きてからは連絡を取り合うこともなくなっていた。

 本文には『元気してるか? 卒業おめでとうな。あと2年で律が呑めるようになるなんて感慨深いよ。いつか呑もうな!』と書かれている。

 律は卒業式は明日であることを飲み込んで返信を打った。

 まさか、メールをくれるとは思っていなかった。

 このまま疎遠になるものだと覚悟もしていた……あの人は僕とは“違う(うら)世界(しゃかい)”の人間だから。


「……ははっ、なんで泣いてんだろ」


 頬を伝って、スマホの画面にぽたりと涙が落ちた。

 昔の夢を見たせいか。

 いや、きっとあの変な夢のせいだ。

 天城の部屋で見た魔法陣。見たことない世界に変な生き物がいて、恐ろしいほど孤独だった。


「あ……れ……?」


 律は袖で涙を拭いた。

 ごちゃごちゃになった頭。夢か過去の記憶かさえ判断できない。

 スマホをポケットにしまおうとする……なにか、硬いものが入っている。取り出すと、銀製で龍と蘭の彫刻が入った卵形のネックレスだった。

 あの時のものだ。

 子供に返すのをすっかり忘れてしまっていた。

 夢じゃなかった、どうして一秒たりとも忘れていられたんだ。

 天城は?

 今も見知らぬ土地で怖い思いをしているに違いない……早く天城を助けに行くんだ!


「ミシアーナさん!」


 律は名前を呼んだ。

 しかし、返事は返ってこない。


「ミシアーナさん!?」


 呼びかけに反応はない。何度繰り返しても結果は同じだ。

 血の気が引く。

 想定していなかった最悪の事態が起きたのだ。

 異世界に戻れない。天城も救えない。本当の意味で詰みだ。

 思考が悪い方向に傾いていく……。


 客人を伝えるインターホンがなった。


「わっ!?」


 律はベッドから飛び起き、バランスを崩す。


「え……?」


 ベッドから起き上がるためについた右手辺りに、()が空いている。

 律はそう理解するのに何秒かかっただろう。


「なんだ、これ、は?」


 その()を見た。大きさは人が余裕で入れそうだ。

 ベッドの布団、フレーム、床が貫通していて一階が。さらに深くの地層まで確認できる。

 暗くてはっきりとは見えない。


「まさか、僕が?」


 再度インターホンがなった。

 来客を思い出し、すぐさま二階の自分の部屋から駆け降りる……飛んだつもりだったのに、最後の一段だけ踏み外す。

 倒れて咄嗟についた右手には感触がない。床に触れたはずだ。


「……?」


 また、律が触れたはずの床に()が空いている。

 しかし、考えている暇はない。来客が帰ってしまう。

 玄関を開けなければ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ