12.5話『天城咲はいない』
天城咲と大字律、二人の初めての出会いは中学一年まで遡る。
たしか暮春にしては寒かった日。
アリシヤ・ノーゼットは日本に来た。
中学校一年二組のクラス。
二十人程の同年代が同じ一部屋に詰め込まれている。
私が通っていた魔術学校は日本の大学や専門学校に近く、年の離れたクラスメイトもいた。
だから、ちょっと珍しい。
「私は天城咲。よろしくね」
咲は隣の席、無愛想な黒い髪の日本男児に挨拶した。
なぜ日本男児と表現したのかというと、そうね……雰囲気が古くさいし、時代劇で見た隙のない武士のような佇まいに似ているから。
ちなみに天城咲という名前は偽名。
名前の由来は日本に来て初めて見たアニメというものから借りたの。
たしか天空の城という作品だったかしら?
あれはとても素敵な物語だったわ。
余談はこのくらいにして。
なぜ日本に来たかというと、囚われのお姫様をやめてみたかったの。
普通の人間というものを学ぶことが未来に役に立つと思ってお父様に何度も頼み込んだ。
半分は嘘……本当の自由に生きてみたかった。
多少わがままに生きられても、人間関係はそうはいかない。
変に気を遣われて気分が悪かった。
まるでお人形遊びをしているみたいに空っぽで虚しいだけ。つまんないわ。
でも今日からそんな世界とはおさらばね……でもこの男が邪魔をした。
「よろしく天城さん、僕は大字律だ」
無愛想な日本男児こと、律は口を開けばニコリと嘘くさい笑顔浮かべる。
心から笑ったことがないみたいな中身の見えない気持ち悪さがある。
せっかく母とハーヴェンのおかげで思ったよりも早く来れたのに、最初にこんなのと会うなんて最悪な気分よ。
(この大字律とかいう男……見ていてイラつく)
思い出したわ……この自分をよく見せようとする笑顔。
お父様に取り入ろうとする輩が私に向ける目と一緒じゃない。
胡散臭いったらありゃしないわ。
咲はこの鉄壁を剥がしてやりたくなった。
意地悪してやろう!
でも本気で怒られたら怖いから、幼少期の思い出を操作しておこう。
なるべく親しみやすくなるような記憶……幼馴染みなんてどうかしら。
それがいいわ!
放課後のこと。
部活終わりの誰もいない教室に忘れ物を取りに戻った。
「ここにあったのね……危なかったわ」
重くて外しておいた呪石。
机の中に入れたまま置き忘れてしまうところだったわ。
これには魔力を打ち消す効果が込められている。
念には念を、ね。
魔力を隠す基礎技術がないわけではない……けれど、一定の場所に留まりすぎると蓄積しやすくなる。
微量でも魔眼や魔力の存在を勘づかれることがあるから持ち歩くの。
この呪石は消費期限が一日で作るのも面倒なのよ。
でも一度使った石を再利用すれば、スマホアプリで言うところのキャッシュクリアだけで済むし楽できるから回収しに来たの。
咲は呪石を手に取りポケットに入れる。
すると、どこからピアノの音が聞こえてきた。
音楽室から?
気になった私は覗いてみたの。
そこにいたのは大字律……すごく意外だった。
こんな繊細な音を奏でられる人間が悪い人と思えない。
「ねぇ? アンタってピアノなんか弾くんだ?」
「わっ!!?」
咲は律の背後から声をかけると面白いほど跳ね上がった。
律が心臓を押さえるような仕草をする。
よほど驚いたのかも……ひどいことしちゃった。
「天城……僕がピアノやってたこと知らなかったのか?」
「聴いたのは初めてよ。ピアノすごく上手いじゃない?」
「そんなことないよ」
「ふーん? なんでそんな自信ないの?」
「……僕より上手い人はたくさんいる」
律が俯いたまま言う。
咲は律の態度が気に食わなかった。
「どいて、特別に私のピアノ聞かせてやるわ」
「え?」
面食らった表情の律をよそに、ピアノを咲は弾き始める。
アスファー王国の教養として鍵盤楽器を多少かじっていた。
だから律が弾いていた曲も聴けばなんとなくマネできる……けれど、
「……すごい」
「どう?」
「上手い、柔らかくて音の粒を感じさせない……相当練習している人のピアノだ。安定してて抑揚も作者の意図をを汲んで……非の打ち所のない演奏だった。僕なんかよりずっと上手いよ」
「……むかつく」
咲は口を尖らせる。
律の褒め言葉がちっとも嬉しくなかった。
この男は平気でおべっかするような人間だ。
今ここに律と咲の演奏を公平に評価してくれる人がいたら……絶対に律を上手いというのは明らかだ。
私のはあの男が褒めた全てができていなかった。
すごく馬鹿にされた気分……惨めだ。
「アンタ、馬鹿にしてるでしょう?」
「え?」
「だってアンタの方が何倍も上手かった!」
咲は手に力が入る……悔しい、行き場のない怒りだ。
この男は自分を過小評価しすぎている。
本当に嫌な、一番嫌いな人間だ。
「……それにその胡散臭い笑顔はなに!?」
「うさっ??」
「気味が悪いわ、今すぐ直しなさい!」
「……これは父さんの教えで……相手に読まれないためなんだ」
「は? そんな教えなんてクソ食らえよ! アンタ、自分の意思も感情もないの? まさかピアノも言われた通り仕方なくやってるっての?」
咲はむしゃくしゃした感情のまま言葉を吐き捨てた。
さすがに律が怒ると思っていた。
「……そう、だ」
咲から目を逸らして、律はぽつりとこぼした。
感情がこもっていない。
きっと本音ではない嘘だということを咲は分かった。
「へぇ? 自分の気持ちにも嘘つくんだ。アンタはなにがしたいの?」
「……分からない」
空き瓶に落ちたビー玉のような声だ。
咲は初めて律の本音に触れた気がした。
同時に自分の間違いに気づく。
「そ……やっと分かったわ……アンタは本当に空っぽなのね」
この怒りは昔の自分に向けられていた目に対してだけ。
似たような貼りつけた笑顔だからと表面だけで判断してちゃんと見れてなかった。
この男の目はもっと弱々しいものだ。
「アンタは笑うことさえ上手くできないのね」
咲の言葉に律は驚いた顔をして少し笑った。
「初めてだ……気づかれたのは」
知りたい。
まだ奥に隠されているものを。
それと……この男を本心から笑わせてやりたい!!!
……時間が足りない。
期限付きの日本での生活も終わりが近づく。
帰る約束をしたアスファー王国を忘れたわけじゃない。
いずれは帰るつもり。
でも、もっと律の側にいたい!
たわいのないことでいいからまだ話をしていたい!
あと少しだけと願うたびに別れが辛くなる。
もう残された日は片手で数えられるだけになった。
距離をおかないと耐えられないほどに、律と顔を合わせるだけで簡単に心が揺らいでしまう。
帰る約束を破ってしまおうだなんて……いけないと分かってるのに何度も頭をよぎる。
いつからかしら?
こんなにも日本で生きていたくなったのは。
だからあの日もーー、
「お嬢、時間です」
魔法陣から声が聞こえる。
幼い頃からついている魔術騎士ハーヴェン。
甘やかしてくれるのも、叱ってくれるのも彼で兄のような存在だ。
今回もハーヴェン頼めばなんとかしてくれると淡い期待をしたの。
「ねぇ、もう一日だけ……いいでしょ?」
「それ……今回で何度目ですか?」
ごもっともな指摘にうっ!と目が泳ぐ。
だけど、簡単にめげるわけにもいかない。
「そうねー何度目だったかしらー? 全然覚えてないわ、初めてよ!」
「覚えていないのでしたら何度でもお伝えいたします。四度目です」
咲は言い訳がましく、にっ……と発する前に先手を取られた。
「二度あることは三度あるという言葉がそちらの国にあるのは理解しましたが、四度目はさすがに通用しません」
鬼め、完膚なきまでに潰して来るなんて……本当にこいつは私の騎士なのかしら?
こうなったら最終兵器!
泣きの一手で崩す!
「……ひどい、ひどいわ。あなたも所詮、お父様の言いなりなのね」
「それは違います、お嬢。私は貴女の味方です。ですから、お嬢のわがままはそれなりに叶えて来たつもりで……今回ばかりは私の立場ではどうすることも出来ないのです。どうか、ご容赦ください」
ハーヴェンの手の内を見てやろうと思ったけれど、あちらも苦渋の決断らしい。
きっとこれは無理。
お父様、お母様、怒っているのね……でも私にはまだやり残したことがあって、帰るわけにはいかないの。
もう少し、粘ってやるわ!
「私も、みんなと一緒に卒業したいわ!」
「くっ……! お嬢、私に出来ることはもうないのです」
「あと1日だけで良いから! お願いよ!」
「申し訳ございません、お嬢様っ……力尽くで、させていただきます!」
「……」
ハーヴェンの詠唱とともに魔法陣が発動した。
風が私だけを優しく包む。
(叶うなら、もう一度だけ……律に会いたい!!!)
「きゃっ!?」
部屋のドアが開いたと同時に、ようやく出口を見つけた竜巻のような風が部屋の外に出て行く。螺旋は乱れてただの風に変わった。
力強く吹き荒れ、部屋中の物が散乱する。
咲は予期せぬ客人に驚いて声が出た。
律だ。
また会えるとは思ってなかったから嬉しかった。
でも連れてはいけない。巻き込んではいけない。
頭では分かっていた。
アスファー王国に着いた後。
ハーヴェンから律は転移出来ず日本に残っているだろうと聞かされていた。
だからパレードの日に律が現れたのにはびっくりした。
うっかり本音を言ってしまいそうなくらい心は期待していた……学校の時みたいに話せるんじゃないかって、それだけで嬉しかった。
でもこれ以上はだめ。
きっと顔を合わせたらこの気持ちに嘘がつけなくなるのは分かってた。
だから会わないように、母に律を追い出すよう頼んだの。
どうして母は追い出してくれなかったの?
……会ってしまったことでより一層想うようになった。
思い出さないと、嫌いだった頃の記憶を。
(律、早く嫌いになってよ。)
思い出しても憎めない。嫌いになんてなれない。
(辛いよ……)
突き放さないと!
いつでも殺し合いが起きる世界だから早く帰さないと!
律を失いたくない!
そのためなら嫌われてもいいの。
(……ほんとは嫌われたくない)
一生会えなくたっていい。
(ずっと側に……いて)
日本で幸せになってくれたら、それでいいから。
(……)
なのに、困らせること言っちゃった。
『アンタは本当に初めて会った日なんて分かんないでしょ!!!』
律に分かるわけないのに気づいてほしい?
試すようなこと言って……どんな言葉を求めてるの?
なにも返って来ないのは知っている。
お互いに辛いだけ。
それなのに求めてしまう……”分かっている”という言葉を。
大っ嫌い!!!
こんな身勝手で面倒な女、とっくに嫌われてる……よ。
あとがきでこれだけは言わせてほしい、
「主人公の律は書きづらーーい!!!
誰だ? このキャラ作ったヤローは!(ワシだったわ)」
……現場からは以上です。