11話
バラの園に囲まれたテーブルに座ると始まった。
目の前に出された入れ立ての紅茶から良い香りがする。
律はティーカップに手を伸ばしかけた。
遮るように王妃の第一声。
「貴方は今恋している?」
「……へ?」
律は予想外の質問に頭が真っ白になる。
伸ばしかけていた手が引っ込んだ。
焼きたてのスコーンやマフィンのいい香りが空腹を増大させるものの、ビスケットにすら手を出してはいけないような緊張感……そう簡単には食べさせないという意味なのか。
「素敵な殿方だもの、恋バナのひとつやふたつあると思ったのよ?」
「……コホン! 奥さま」
律の隣でメイド服を着た二十代前半の給仕の女性が慣れた手つきで救急箱を開いた。
「あら、不躾な質問かしら?」
「いえ……恋バナがどういうものか勝手が分からないといいますか……」
学校で女子の会話をよく聞いたことはない。
一体どんな風に話しているのか見当もつかないわけで……いや、聞いてしまっていたら睨まれるだろうから。
戸惑う律をまっすぐに見つめてにこにこと笑う王妃の後ろ、騎士の圧を感じる……。
給仕の女性に消毒液を湿らせたコットンを手のひらの傷口に当てられた。
「ッつ!?」
「大変失礼を致しました」
苦痛に顔をゆがめる律を見て給仕の女性は手を止めた。
「いえ、僕の方こそすみません。手当てしていただいているのに」
「謝る必要なんてないわ、ね? ハーヴェン?」
「……」
王妃に話を振られても、元凶ハーヴェンはおすまし顔だ。
「あら、大変! 顔にもひどい痕があるわ!」
律は左頬を王妃に触れられた。
だが律は異変を感じた……感覚がないような?
「やけど……でしょうか?」
「あの子に知られたら、どうなってしまうのかしら? ね?」
給仕の女性と王妃二人は見つめ合ったのち、ハーヴェンに視線を送る。
「……すみま……せん」
「彼の目を見て、誠心誠意謝罪しないとノーカウントよ!」
「タイヘン……モウシワケゴザイマセン……でした」
ここまで嫌々謝罪されたことはない。
律はなんだかとても申し訳ない気持ちになる。
「こちらこそすみま……」
「貴方!」
「はい!?」
「なぜ謝るのかしら?」
「え……と……」
「堂々とあるべきです、軽率に謝るべきではありません! 謝罪は罪を認めるということですよ?」
「はっ、はい! 気をつけます!」
王妃にピシャリと言われて律は背筋が伸びる。
せっかく出された紅茶も冷えて一口も飲めない緊張だ。
給仕の女性が手早く律に包帯を巻き終えると、王妃は見計らっていたかのようにほんの少し身を乗り出す。
「私にも聞かせていただけないかしら? 貴方はなにを成しにここに来たのかとても気になっていたのよ」
どうやら、王妃が本当に聞きたかったことはこれと見える。
律としても話したかったことだ。
「僕は……」
だが、どう答えればいいか分からない。
どこからどこまで話せばいいか、頭がこんがらがっている。
それにこの世界の住人からすれば律は異世界人で信じてもらえるかどうか……上手く伝えられる自信もなかった。
もう一つ、気になることがある。
あのお姫様と話して天城かどうか確かめたいんだ。
とても踏み込んだことだから軽々しく訊ねづらい。
焦って無礼をしてしまえば、あの騎士に殺されかねないだろう。
まだ殺意は向けられている。
なにを優先して話すべきか……律はまず深呼吸して心を落ち着かせた。
律はふと思い出す。
天城にも『どうしたいの?』と似たようなことを聞かれたことがあった。
「なにしょげてんのよ?」
「実は……」
母のコンクールを見に行った中学の時、母のライバルだったアカネさんと話す機会があった。
律には目指すべき場所にいる人に『どのくらい練習したら、アカネさんみたいになれますか?』と聞いた。
いつになったら、自分は母のようになれるのか?
きっと焦っていたんだ。
だが返ってきたのは呪いのような言葉だった。
『なにを言っているのキミ……終わりを考えるなんて才能ないね。本当にみよりの子?』
『ピアノはね、一生続くように努力するものなんだよ』
それを聞いた瞬間、律は自分がどれほど安易な考え方で、自惚れていたかを自覚した。
……今思えば、アカネさんに感謝しかない。
でも、当時はショックが大きかった。
「悩んだって仕方ないじゃない? なんで言い返さなかったの?」
「大人でプロの人だからアカネさんが言ったことは間違いじゃない。きっと僕がおかしいんだ」
「……納得いってないでしょう? なんでアンタが気持ちを曲げるの?」
「それは……」
大人は完璧な存在だから間違いなんてないと思っていた。
疑ったことは一度もない。
だから、天城の言葉は思いもよらなかった。
「アンタを知ろうともしない人にとやかくと言われたくらいで素直に諦めてやる義理ないわ!」
天城はいつも律の代わりに怒ってくれる。
それだけでなんだか救われた。
昔は逆だったのに……と思うと同時に、自分の中でどこかモヤモヤしていた気持ちを言い当てられたような。怒りになりきれなかったモヤモヤが天城の言葉だけで不思議と晴れた。
「それよりもアンタはどうしたいのよ!?」
「えっ、僕?」
意見を聞かれるとは全く考えもしなかった律の腑抜けた声に天城はため息をついた。
「アンタに情熱はあるのかって聞いているの!」
(情熱……自分の気持ちに素直になれという意味かな?)
律はその時なんと答えたのかはもう覚えていない。
けれど、初めて自分でなにかを決めた記憶はある。
これから先、自分の意志で動けるような人間に変わりたいと思ったんだ。
もう二度と自分を殺して生きるのはやめだ。
自分なりに精一杯を伝えよう。
「僕は天城咲さんを探して日本からここまで来ました」
「あらー! 愛だわ!!!」
「パレードの日、天城さんに似たピンクの髪の彼女を見て声をかけてしまいました。彼女にはとても怖い思いをさせたと反省しています。直接謝りたいです!」
律は深々と頭を下げる。
王妃は今にも律に斬りかかりそうなハーヴェンを止めてこう言った。
「面を上げて。許して差し上げたい……けれど、私はともかく陛下はどうかしら? 大きなパレードで貴方を捕まえた手前、メンツがありますものね。そう簡単に貴方を許すことはできませんから、どうしましょう?」
王妃は少し考え込んだ後、なにか名案が思いついたようで律に微笑みかける。
「私が協力して差し上げる代わりに私のお願いを聞いてくださらない?」
「分かりました」
「娘の護衛をしていただきたいの。丁度、人数が足りていなかったのよね」
「僕でよろしければ」
「な、なにをおっしゃって!!」
「隣国シリャリハの動向が不穏でしたから護衛を増やしたかったのよ! ハーヴェン、丁度良かったでしょう?」
「使えない男を雇ってなんになるのです?」
「あら、その点においては心配していないわ。ハーヴェンが鍛えてくれるのでしょう?」
「……」
ハーヴェンは王妃の言葉を受けて黙り込んだ。
無言の抵抗と言ったところか。
王妃的にはこのまま押せばいけると踏んで、にこやかにこう言った。
「私も、貴方の腕は買っているつもりよ?」
「……恥をかかせるなと? 脅しではありませんか」
「いやね~そんな怖いことしていませんわ」
王妃は知らん顔をする。
律にも分かるくらいには確信犯だが。
「そろそろ、イアちゃんが来てもいい頃合いね?」
「ニャー?」
「……どこまで連れて行くつもり? 私は早く着替えたいの」
不満大ありなことが口調から分かる……赤と白のドレスを身に纏ったお姫様。
お姫様と律は目が合う。
「「あ!」」
二人はパレードの日を思い出して同時に声が出た。
イギリスにはイレブンジスティーという11時にお茶を飲む習慣があるらしい。g先生いわく。