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10話

 牢屋からでた律はイアを追って右回りの螺旋(らせん)階段を上っていく。

 とても狭く、一人通るのがやっとだ。

 階段も壁も手彫りのようでただ階段を上るだけなのにつまずきそうになる。

 足が上がらないほど疲れているわけでもないから、段の高さがまちまちなのか。

 それだけでこんなにも上りにくくなるなんて知らなかった。


 何段上っただろうか。一分は経った。

 よろついて壁に手をつく。頭がふわふわとしてきた。

 足が思うように動かない。気を抜けば転びそうだ。


 階段の終わりが見えてきた。

 あと少しと、思ったその時だ。


「うぁっ!?」


 律は慌てて手をつく。

 倒れた身体を起き上がらせようと膝をついた。飛び上がるほどの激痛が走る。左膝が赤いのが見えた。

 頭がぐるぐると回っているみたいで吐きそうだ。

 まともな考えがなにひとつ浮かばない。

 這ったまま、ゆっくり一段、一段と手を伸ばして上った。

 その度に痛む左膝を庇いながら、ボコボコとした階段に右膝をついて、力を込める。

 もう、どちらの膝が痛いのか分からない。


「待ちくたびれたさね」

「……ごめん」


 (イア)はあくびをする。

 律は見慣れてきた(イア)を見て安堵した。

 よく見ると、猫の毛並みはとてもふさふさで触りたくなる。

 ノルウェージャンフォレストキャットのように見えるが、目が青くラグドールみたいだ。

 猫好きの妹が将来飼いたいと言っていた二匹に似ている。


 最近妹とは話せていなかったな……当然と言えば当然か。

 母と海外に住んでいて、面と向かって会うのは一年以上ない。

 既読無視、未読なんかざらだ。

 猫なんて全部同じだろうと失言して以来、もうかれこれ五カ月間以上も口を聞いてくれないでいる。

 妹にとっては重要なことだったらしい。

 ずっと謝ることができないままなのかと思うと心残りだ。


「ここで終わりじゃないさね。考え事をしている暇はないよ、ついてきな!」



 城の廊下。

 牢屋の荒削りが嘘みたいに、つるつるの石が規則正しく積まれていて驚いた。

 お化け屋敷みたいな雰囲気はどこに行ったのだろうか。

 太い柱がいくつも並ぶ間から光が漏れ、神々しさを感じる。

 律は視線を上げた。

 天井はとても高く、西洋風アーチ状の凝ったデザインが施されて、高架下に似たものを感じた。


「イアさま?」


 爽やかな男の声だ。

 よそ見をしていた律はほんの少しだけ気づくのが遅れた。


「シャーー!!!」


 二十代前半の男(せいねん)はイアに威嚇されているにもかかわらず、平然と抱きかかえる。

 よく見れば、青年(せいねん)は短髪ではない。

 藤色のサラサラとした長い髪はひとつにまとめていて腰まである。

 勲章がついた制服の上に外套を着き、左の剣が見え隠れしている……どうやら騎士のようだ。


「ダメではありませんか……罪人を外へ出しては」


 青年と目が合った。途端、律の足が震える。

 心臓の音が早まり、冷や汗が出た。

 これほどまでに純粋な殺意を向けられたことはない。

 鋭く尖ったナイフが首元にあてられているような感覚。

 反射的に首がつながっているか触って確かめる……まだ、大丈夫だ。


「いくら世間知らずでも流石にお分かりですね」

「……あぁ」


 律の安堵した表情を見て、小馬鹿にしたような笑みを青年は浮かべた。

 同性の律から見ても整った顔立ちだ。

 馬鹿にされているはずなのに嫌味を感じさせない。


 青年は剣を抜き、軽く振る。

 まったく刃が見えなかった。

 律の目では光の残像を追うのがやっとだ。

 ピリピリとした空気感はまるで断崖絶壁の崖に立っているみたいで、下手に動けば命がないことをひしひしと感じる。


「……」


 さて、ここから逃げるにはどうしたらいいか?

 律は周囲を探る。

 右手には壁。左は光が差し込むだけのガラスと柱が交互にあるだけ。

 目の前は五〇メートルほど続く廊下。後ろは分からない。情報はそれだけだ。

 額の汗がゆっくりと律の頬をなぞる。

 痛みに耐えることだけで精一杯で頭が回らない。

 青年に力で敵わないことは分かっている。

 一秒でも長く生き残るには律一人では無理があった。


「にゃー?」


 律はイアと目が合った。

 イアに教わった『利用できる物は全て無駄にしないこと』を思い出す。

 律は他にいい案が思いつかない。

 もちろん勝算なんてない……一か八かの賭けになるだろう。

 それに縋る他ない自分自身を情けなく思う。

 だが、なりふり構ってなどいられないし、選べるような立場もない。

 今日ここで死ぬのなら必死に足掻くだけだ。

 もう一度、天城に会って今度は恩返ししたいんだって決めただろう!

 律は自分を奮い立たせ、頭を上げた。

 気づいたイアは招き猫みたいに左手を挙げる。


「……はは……なるほど!」

「君、とても正気に見えませんが?」


 ボソッと呟いた律に青年は訝し気な表情を向ける。

 律は構わず叫んだ。


「イアさん、猫の手も借りたいです!!!」

「物分かりの良さだけは認めてやるさね。走りな!」


 イアは顎を上に向け合図した。

 律は後ろへ全力で走る。


「イアさま!? 喋っ……???」


 猫が喋ったあまりの衝撃に、青年は3秒ほど理解する時間を要した。

 青年の腕の中から抜け出したイアは律の後を追う。


「もっと早く走れないのかい!?」

「無理です!!」


 律は走るたびに左膝の激痛とふわふわしためまいが残っている。

 たった一メートルの距離もまだだ。

 ……残りは七メートはあるだろうか、距離の感覚も麻痺している。

 目の前に中庭のバラが見えてきた……天国か?

 律は慌てて目をこするもまだ見えている。現実みたいだ。


「……え?」


 律が中庭に誰かいると理解するよりも早く、耳元で風を切る音がした。

 すぐ横で人影が差す。

 剣を構える青年がいるではないか!

 気づいたイアが青年の顔めがけて飛びかかる。だがそれも意味をなさない。

 青年が剣を構えていない左手を律に向け、無詠唱で火の玉……それだけではない。決してよけられぬように炎をまとった剣が律を挟み込むように放たれた。

 律は咄嗟に振り向くも遅い、火の玉も剣も避けれないすぐ目の前にあった。


「くっ……!!?」


 火の玉は左頬にぶつかる。感じたことのない熱さと痛みがほんの一瞬。剣は右胸と腕の間をかすり抜けた……と同時に律は倒れ込んだ。

 律が起き上がるより早く、青年が律のみぞおちを踏んだ。そして、剣を引き抜く。


「う…………」


 律は青年に踏まれ、呼吸がままならない。声を出すことも出来なかった。

 青年の剣の切っ先はゆっくりと律の心臓へ迫る。

 律は剣を両手で必死に受け止めた。

 刺さらないように押し返すだけが律にできる最後の抵抗だった。

 手に力を込めれば込めるほど深く刺さり、血がぽたりと胸に滴り落ちる。

 だが、やめなかった。生きることを諦められなかったからだ。


 青年は突如手を止めた。見上げて面食らった様子。

 ゆっくりと剣を納め、一歩下がった。

 舌打ちのような音も聞こえた気がする。


「あら?」


 おしとやかな品のある声の持ち主の女性は落ち着いた青色のドレスを身にまとい現れた。

 マゼンタ色のふわふわとした癖毛の髪は胸元まで長い。

 年齢は四十代くらいに見える。


「こんにちは、素敵な殿方ね……よければ、(わたくし)にお名前を教えてくださらない?」


 穏やかな口調で女性は律に向けて手を差し出す。


「お……大字律です」


 律は名乗ってから女性の手を借りた。

 律が立ち上がると、そのまま握手して女性は笑顔になる。


「カトレヤよ。私もお会いしてみたかったのよね!」

「……?」

「なぜ王妃様がこちらへ?」

「王妃……さま?」


 律は青年の”王妃”という言葉を繰り返す。

 そして、ようやく言葉の意味を理解する。


「ハーヴェン、イアを見なかったかしら? 私はイアを探しにきたのよ!」

「にゃー」

「ここにいたのね! イア!」


 王妃はイアを抱きかかえると嬉しそうにイアをなでる。

 ハーヴェンと呼ばれた青年は律を睨み、ため息をついた。


「……貴女の仕業とお見受けしました」

「私がなにをしたというのかしら?」


 王妃はハーヴェンに微笑みかける。

 だが、ハーヴェンの眉がピクリと動いた。


「猫に芸を仕込みましたね?」

「サーカスではないのよ……ふふっ、ハーヴェンってば面白いわ!」


 王妃は上品に口元を隠して笑いつつ、付け加える。


「堅物なところは直したほうがいいわよ……時に無粋ですもの」


 ハーヴェンは重苦しい息を吐く。


「気を付けておりますが、()()()()陛下の命をお守りすることが私の務めですから、多少は大目に見て頂きたいです。でなければ私はなにもできません」


 ハーヴェンは冷たい目で律を見下すと続ける。


「今のように罪人が()()()()抜け出してしまうこともあるようですから」


 律は張りつめた空気を感じた。

 陛下ではないにしても目上の人に対して随分とトゲのある皮肉な言い方だ。


「罪人? 私の目には見えないわ。素敵な殿方以外はね?」


 律に王妃のウィンクが贈られる。


「……」


 なんとも気まずい空気の中に放り込まれた。

 とても居心地が悪い。

 どうか巻き込まないでほしかった。

 王妃はこの空気の悪さに気づかない様子だ。


「そうだわ! お茶会をしようと思っていたの! 貴方、私のお話し相手になってくださらない?」

「……は……い?」


 律は聞き間違えたのかと思って聞き返した。


「あら! もしかしてお忙しい? 無理を言ってしまってごめんなさいね」

「いえ……僕なんかでよろしければ!」


 ハーヴェンの無言の圧が凄い。断ったら殺されそうだ。

 律の背筋が伸びてこう付け加えたくなった。


「……恐悦至極に存じます」

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