9話
アスファー王国、祭りの日。
時刻は午前六時を少し過ぎた頃だ。
宿を出て、城の近くにはもう既に人が集まっていた。
律はあまりの日の眩しさに目を細めた。
自然とあくびが出てしまう……それも仕方のないことだ。
昨日、律達はアスファー王国につくのに日没までかかった。
宿探しは四時間はかかっていたと思う。
祭りの前日とあってどこも満室。
歩きすぎてクタクタだし、乗り慣れない馬車で身体のあちこちが痛くなった。
やっと見つけた宿は異常なほど閑散としていた。律達三人とも別部屋に泊まれるくらいに。
宿に泊まった感想としては、ほんの少しぼろいくらいでなんの不満もなかった。
しかし、ひとつだけ思うことはある。
奢ってもらったとはいえ、宿では一睡もできなかった。
……誰かさんのいびきがすごかった。
律はミキトを見る。
「そろそろかの! この辺りが良さそうじゃ!」
ミキトとエーフェナが城の前の目立つ噴水に場所取りを始める。
律も出店のテント張りを手伝う。
三人がかりで十五分、組みあがった2畳半程のスペース。
荷馬車に積まれていた木の板を6枚、四角に組みトンカチで釘を打つ。出来上がった木箱を三つ横に並べて、その上に商品を陳列し終えれば後はのぼりを立てるだけだ。
重石に空いた穴にのぼりを立てる。
なんだかオムライスの上の旗みたいだ。
子供の頃を思い出す。
額から大きな汗が目に染みて、服で拭った。
「律さん! ありがとなのです!」
律はエーフェナから瓶に入った冷たい水を貰った。
水を口にする……少し甘みのある水だ。
冷たい水が疲れて火照った身体に沁みる。
「ありがとうございます。このくらいしか手伝えることがなくて……」
「いえいえ、とっても助かっているのですよ!」
深々とお辞儀し合うエーフェナと律の間を縫うようにミキトが現れた。
「そろそろ休憩するかの?」
「早すぎるのです! ミキト!」
頬を膨らませるエーフェナをよそにミキトは律を見た。
「お前もやるかい?」
「なにを……???」
「これじゃよ」
ピーーという効果音が流れそうなハンドサインをしている。
最初、律は意味が分からなかったが、エーフェナがドン引いていることから大体予想はつく。
「女遊びダメなのです」
「男の教養さ。いざゆかん! 天国へ!」
「あ……! あれ、なんですか?」
律は話を逸らすため、近くにあった五体の銅像を指さした。
なにかの記念像だろうか?
「えっ……あれは……」
「??」
エーフェナは戸惑っている。
律には予想外の反応だった。
「ほう……パンツの造形に執念を感じるッ!!」
周囲がざわついた。
銅像が乗った見上げるほど高台に人がいる。
それはミキトで杖を持ったワンピースを着た少女の銅像……のスカートの中を覗いていた。
この空気感に律はとても他人のふりをしたくなった。
「はっ!? やめるのです!」
エーフェナは放心状態から戻り、ミキト止めに走る。
この空気感に動じないエーフェナの正義感に拍手を送りたい。
自分も見習わないといけないな。
「じゃが、このヒーラーの胸……違う! ホンモノを見たことがないのか!」
「左がAで右がBじゃ! さてはッ! ケツ派じゃな!?」
「このッ! ド変態ッ!!!」
真っ赤な顔で鬼の形相のエーフェナがハリセンを持ち、ミキトを追い回す。
嵐のように一瞬の出来事だった。
一人、律は残された。
……その五分後。
青空の下、色とりどりの紙吹雪を受けながらお姫様を乗せた馬車が進む。
石畳の道路でパレードが始まった。
正装でラッパのような楽器を吹く一団と、小さな太鼓のような楽器を叩く人が馬車の前で行進する。よく見れば他にも、国旗を持っている人、馬車を警護している人もいる。
歩道には大勢の国民が国旗を振りお祝いの言葉と共に細かな色紙を投げた。
「あ! みてみて! とどいたよ!」
子供が投げた折り鶴のようなものがお姫様の膝上にちょこんと乗った。
「あらまあ! きっと、幸運のお返しが来るわよ」
「ほんとーに!? やったー!!!」
跳ねて喜ぶ子供を見て、律はミキト達に訊ねる。
「この国の風習なのか?」
「知らん」
「私も初めて見たので分からないのです」
先程までの二人の追いかけっこは終わったようで、ミキトの頭にはたんこぶがある。
だが、何事もなかったかのように二人で店の商品を並べていた。
エーフェナとミキトが熟年夫婦のように見えてくる。
律は折り鶴に再び目を向けた。
お姫様の手のひらの上に乗っている。それを顔の前に近づけていく。
ティアラについたレースの間からおすまし顔が見えた。
「ふっ……」
お姫様は慈愛に満ちた表情で折り鶴を見た。
かと思えば、口を尖らせる。とても表情豊かだ。
横顔がどことなく見覚えのあるような気もする。
「おい、どうしたんじゃ?」
ミキトの呼ぶ声は律に届かなかった。
律は無意識のうちに馬車を追っている。
人ごみをかき分けて、必死に探していた見覚えの正体をーー、
ーーようやく目があった。
横顔だけではなく、正面から見て納得した。
「……どうして」
先に声を上げたのはお姫様の方だった。
澄んでいて、細くも芯のある声に聞き覚えがある。
鼓動がうるさい。
時が止まったみたいに二人は見つめ合う。
律が再会を喜ぶよりも先にお姫様が口を開いた。
「……どうして? なんでアンタがここにいるのよ!?」
「捕えろ!!」
低く獣の長が威嚇するような声。骨にまで響く。
兵士達が集まり、姫の馬車に近づく不審者を組み伏せた。
「牢へ、連れて行け!!」
律は腕を後ろに縛られる。
まるで罪人のような扱い。
歓迎などこれっぽっちもされていないのだ。
必死にとどまろうと抵抗した。
まだ確かめたいことがある。
律はたまらずお姫様の顔を見上げる。
レースの隙間から見えたのは見覚えのある顔。戸惑いを隠せない表情で固まっていた。
ピンク髪に、翡翠の目と違った……赤い目。
律は自分の目を疑った。
ほぼ同じ姿でありながら、目の色だけが一致しない別人ということがあるのだろうか?
振り出しに戻ってしまったと思い。一瞬、力が抜けた。
「歩け!」
その隙を見逃さなかった兵士の一人が律の尻を蹴り飛ばす。
律はなすすべなく、大人しく連行されるしかない。
途中、ミキトとすれ違ったものの知らぬ存ぜぬ。表情ひとつ変えない。
当然の反応かとも思う。たった数時間の仲だから。
……暗い。
あれから何時間経ったのだろう。
手元がほんの少しだけ見える蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れている。
目の前には鉄格子。
壁に触れるとざらりとして洞窟を掘ったような造り。
一定のリズムを刻むこの高い音は水の滴る音のようだ。
「にゃー」
「……猫? 君も迷子か?」
牢屋に一匹の猫が迷い込んできた。
猫は律の目の前に座り込む。
すると、大人びた女性の声が猫から聞こえてくる。
「アタイはただの猫じゃないよ。王……妃の飼い猫さね」
律は猫が喋っても動じなかった。
むしろこんなものだろうとさえ思う。
猫は毛繕いを始めた。
どうやら長居してくれるようだ。
「僕は律。君の名前は?」
「イア。あんたそれより、なんにも疑問に思わないのかい?」
「あはは……気力もないな」
律はただ凹んでいた。
盛大な勘違いかもしれない……思い出しただけで恥ずかしく、穴があるなら入りたい気持ちだ。
猫はため息を吐く。
「たった一度の失敗だけで諦めるつもりかい? それじゃあ、お姫様は攫えないね!」
「攫うつもりなんてない……よ。ただ話がしたかった」
「良い子ちゃんぶってんじゃないよ。手段を選べるほど選択肢も無いくせして生意気さね」
猫の言葉がグサリと律の胸を刺す。
確かにぐうの音も出ない。
檻から出ることもできず、蟻のように力もない。
これでは近づくことさえ出来ないだろう。
話なんて夢のまた夢。
「……猫の手も借りたいんじゃないかい?」
猫はニヤリと笑う。
そして、鉄柵めがけパンチを繰り出すと、人一人ギリギリ通れる隙間が鉄柵に開いた。
なんという怪力。
「あんたは黙ってアタイについてきな!」
「それは出来ないよ。イアさんが捕まってしまう!」
「フン! 誘惑しがいのない……つまらない男さね」
「うっ……ごもっともです」
再び、律に言葉の鋭い矢が刺さる。
今日はとても傷つきやすいメンタル日和。
平凡な人間であることは重々承知だ。
天才になりたかった人生である。
「いいかい? ここから出たら利用できる物は全て無駄にしないこと。でなければ、この先は生き残れないさね」
イアに律は一つ疑問が湧いた。
「イアさんはどうして親切にしてくれるんだ?」
「いいからッ! 黙って、ついてきなって言ってんのさッ!」
猫パンチによって歪んだ鉄柵。
躊躇する間もなく、猫の姿が見えなくなった。
早くついてこなければ置いていくという意味だろう。
律は置いていかれまいと足を進めた。