2.決めた
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翌朝、セスはソファの上で目覚めた。ベッドでは少女が――プシュケがまだ眠っていることだろう。インスタントのコーヒーを淹れる。朝食をとる習慣はない。そも少食だ。自分は燃費がいいと感じているセスである。
少女が起きてきた。極々小さな声、呟くように、申し訳なさそうに、「おはよう……」と言った。分厚くなるまで包帯を巻いてやった成果だろう、痛そうに歩くということはない。丸いダイニングテーブル――セスの向かいにプシュケは静かに腰を下ろした。肩をすぼめ恐縮するようにちょこんと椅子に座った。
プシュケが「わたし、まだあなたの名前、聞かせてもらってない」と言った。べつに隠すようなことでもないので「セスだ」と教えてやった。するとプシュケはどことなく安堵したような顔を見せ、それから照れ臭そうに「わかった」と頷き、えへへと笑ってみせた。一般的には愛くるしい笑顔と言うのだろう。
コーヒーを出してやる。砂糖なんてないのでブラックだ。プシュケはカップを両手で持って黒い液体をすすった。「苦い」とは言わず、「あったまるね」とまた笑った。
プシュケ、今度は心細そうな顔をして「わたし、これからどうしたらいいのかな……」と俯いた。セスは「たとえば親戚は?」と訊ねた。「会ったことがないからわからない」との返答があった。次に「おまえはどうしたいんだ?」と訊いた。「できることなら、まだ生きたい」と、なんとも重たい答え返ってきた。「ダメ? セス……」と問われ、どうしてだろう、気づけば「ダメじゃない」と答えていた。プシュケがぽろぽろ泣く。ぐすぐす鼻をすする。突然、「プシュって呼んでもらえると嬉しいの……」と言われたものだから、以降はそう呼んでやることに決めた。我ながらお優しいものだとセスは自分を皮肉りたくなった。
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プシュのことをおぶってやり、闇医者の老人――ディグのもとまで連れていった。フツウの病院でもよかったのだろうが、ディグほど信頼できる医者をセスは知らない。ディグは丁寧に診てくれたものの、処置については荒っぽかった。プシュの足の裏にシュッシューっと消毒液を吹きつけまくったのだ。しみるのだろう、プシュは下唇を噛んで痛みに耐えていたのだった。
ヘビースモーカーのディグは煙草の先に火をつけると、「セス、どういう風の吹き回しだ? おまえさんは他人に興味なんてないニンゲンだろう?」と決めつけるように言った。ディグの指摘は完全無欠の正解で、だからプシュにかまってやる理由もないはずだ――ということだ。「お嬢さんはいくつだ?」とディグが訊ねた。プシュは意外とはきはき「十四歳です」と答えた。ベースは明朗快活なのだ。そんな雰囲気がある。
ディグが「このお嬢さんはいっとうの孤独になりかけている。違うかね?」と訊ねてきた。「恐らく、違わない」とセスは答えた。「わしは勘がいいんだよ」とディグはしたり顔だ。プシュのこと、さて、どうしたものか。一通り、頭を悩ませる必要はあるだろう。まったくなんの因果かと、苦笑したくもなるというものだ。
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帰りに市場に寄った。晴天のもと、赤や緑の野菜がとても鮮やかに映える。セスがおぶるプシュは「賑やかだね」と声を弾ませた。「何か買って帰るか?」と訊くと、「シチュー、作りたい」との返事があった。パンと必要な具材、それにキッチン用品を買った。プシュは謝った。「いろいろ、ごめんね?」。言いたいことはわかる。だが、セス自身は嫌な気などしていなかった。
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プシュと一緒に夕食をとった。うまいシチューだった。プシュは料理が得意らしい。久々にきちんとした物を食べたように思えた。食事のあいだ、プシュはとても嬉しそうで、始終、ニコニコしていた。気のいい奴であることは、十二分に伝わっている。
明日は明日でやらなければならないことがある。プシュの家のことについて確認しなければならない。その旨、きちんと話した。「ほうっておくわけにはいかないもんね……」とプシュは暗い顔を見せた。
ママは死んだのではないか。
だったら、パパは?
夜分ではあるが、界隈を管轄する警察署に電話をかけた。知り合いの刑事であるレイノルズを呼び出してもらった。用件を告げた。話は早そうだった。
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「ほぅ、じつに綺麗なお嬢さんだ」
五十がらみの黒人の刑事――レイノルズがプシュをしげしげと見、そう言った。チョコレートでコーティングされた丸いドーナツをかじる。レイノルズはいつも甘い物ばかり食べている。だからでっぷりと肥えているのだろう。だらしないところがある人物なのかもしれないが、人付き合いにおいては信用に足る人物だ
警察署の地下の留置所に、プシュの父は――ビルはいるらしい。案内され、牢の前へ。七人も収容されている。壁のほうを向いて寝転んでいる者もいれば、プシュに卑猥な言葉をぶつける者もいる。プシュが「パパ」と声を発した。壁に背を預けてうなだれていた男が目を大きくした。小さく「プシュ……」と口を動かし、急いた様子で、四つん這いで近づいてきた。
「プシュ、パパが悪かった。必ず更生する。また一緒に暮らしたいんだ」
ビルは、まるで求愛するかのように格子のあいだから右手を娘へと伸ばす。そっとでいい。手を握ってほしいのだろう。――が、プシュはやがて首を横に振った。
「ごめんなさい。わたしはもう、パパとは一緒に暮らせない……」
もう一度、プシュはごめんなさいと言った。
――その夜、レイノルズから電話があった。
ビルが舌を噛んで死んだとのことだった。
ちゃんと伝えてやると、プシュは泣いた。「わたしはパパも殺しちゃったんだ」とわんわん泣いた。しかたなく抱き締めてやった。しがみついてきた。泣き止むまで数分――地べたにぺちゃんと崩れ落ち、「ひとりぼっちになっちゃった……」と呟いた。
自らがどうしてそう判断するに至ったのか、それはやはりよくわからない。ただ、この美しい少女の未来について思考したいと思ったことだけはたしかで――。
誠意を見せようなどと考えたわけではない。ただ、そうすることが人並みのマナーだろうとは思い、セスは自分のことを洗いざらい明かした。プシュは驚いたようで、目を見開いた。だが、怯えるようなところはなく、警戒するような気配も見受けられない。だからいよいよ「おまえはどうしたい?」と問い掛けた。答えは急がないつもりだった。だがプシュはすぐに心を決めたようで、まっすぐな目をして、「わたしは――」。
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セスの雇い主は「ダグラス・ファミリー」――マフィアだ。特にここ、セントラル・シティにおいて大きな権力を握っている。セスの窓口は主にフランクという人物が担っている。四十にして大幹部のやり手だ。
フランクが贔屓にしているバーで彼と会った。カウンター席――のっぽな丸いスツールに並んで座った。フランクは「おまえからの呼び出しとは、珍しいな」と口元を緩め、セスは「ああ」とだけ返事をした。いたずらに時間を費やす必要はないし、そうでなくともフランクは忙しいはずだからと考え、セスは用件を速やかに切り出した。フランクは黒いティアドロップをかけているのだが、それでも目を大きくしたのがなんとなくわかった。
「一度、足を洗って引っ越す、か……」バーボンをすすったフランク。「まあ、おまえがこの街で誰かと暮らすなんてのは、たしかによくない」
セスはフランクのほうを向いて「すまない」と謝罪した。「いいさ」と微笑んだフランクは、「よく働いてもらった。金が要るなら都合してやる」と言った。セスはその申し出を断った。十分、稼がせてもらったからだ。最近は銀行に行くと愛国債権なんてものを勧められるくらいだ。
用は済んだ。セスは席を立つ。メモを一枚、カウンターに置く。次の住まいの住所と連絡先を記した。行き先はもう決めてある。以前、暮らしていた、ウエスト・シティだ。
「なあ、セス。俺に言わせればまだまだガキに違いないが、おまえは親友だ。忘れてくれるなよ」
わかってる。
それだけ答え、セスは店を後にした。
表にはフランクの護衛がいた。五人だ。セスはそのうちの一人――ジョシュという二十五歳の若者に近づいた。「セスさん、どこかへ行ってしまわれるんですか……?」とジョシュは不安そうに訊いてきた。「勘がいいな」と答えてやると、「なんだかそんな気がして……」――。セスはジョシュに「フランクのこと、これからはおまえが守るんだぞ」とはっぱをかけた。「はいっ!」とジョシュは力強く返事をした。大丈夫だ。人情を知るこの青年になら任せられる。




