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継承物語  作者: 伊阪 証
軍神の渇望

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西部王:メアリー・ウィズ・ミー!

彼女のナリは女だと、自分はそう言えるだろうか。

LGBTQ、彼女はその枠組みから外されている。結局、彼女の様な『露骨な性別的例外』への冷遇は一切変わる事無く時代は経ていく。

人間の性別を決定する機能は基本半端なもの、各種ホルモンバランス、染色体、内臓発達、母胎、遺伝、家庭環境、価値観。

露骨な性別的エラーは気付かれて駆除されるケースは多く、知らないまま生きる事もある。

昔からそうだったが気付けないパターンもある、獣医あるあるだが、肉牛の去勢時に玉無し或いは去勢済みかと思ったら玉が引っ込んでいて気付けないなんて事も。大体肉牛としては廃用、殺処分になる。競走馬の様な自然分娩の世界ではなく、ペットや家畜は百年単位で同じものを使い回されているなんて事もある。あまりに恋愛の縁がなく精子バンクにモテない遺伝子を送り付ける奴等にしたら羨ましいだろう。

それが、人間で起きる事もある。半端に罪悪感を持っているが育児放棄はする、そんな自分可愛さの塊みたいな人間は極めて厄介だ。無駄にバリエーションが多い為に経験則的に『例外』となるケースが多い。

それに救世主の様な要素は抱えていないものの、到底男には見えなかった。ホルモンバランスは結局そんなものだ、半端な仕上がりにしかならない。

だが、彼女は違う。一点の異質と極上の女体、バニラアイスに混ざる塩、肉のタレに僅かに味を見せる砂糖。自分にとってはそれが彼女を彩るものでしかなかった。

分かっていた、その女には触れてはいけない。

だが、自分は心を抑えきれなかった。


自分は不思議と長生きした、若さも衰えなかった。それは去勢のせいでは、と鴎外は言った。

嘗て西太后に仕えたが、清仏以降外交に関して信用出来ず、様々な場所に移動した。その中で自分は孫文という人物に会った。

孫文は良く言えば情熱的、悪く言えば急進的だ。己の主義や目的を成就する為に日本に領土と引き換えに自分への協力をさせようとしたり、今考えると部下に恵まれなければ相当禍根を残す事になっただろう。

自分が最初に彼女と出会ったのは、鴎外に関連していた。

本国でも話題になった、インターネットが無い時代に話題になるという相当な美貌。噂と共に行方を消し、一人残った。

「話さないのは田舎娘だからとか、言われのないものばかりだ。」

だが、彼の友人曰く、『舞姫』の一件から酷く後悔していたらしく、その雪辱を晴らしたのが彼女の一件だった。

当たり前の様にウィリアム一世の血を継ぎ、地位も金もあった、そんな彼女が手放して逃げる程憔悴し、苦難する。それが身体の抱える宿痾であった。

彼女から話される事は無かった、自分は身体が男らしくないどころか、無駄に色気があると視線が気になるので、いつも一人で入る。それも仕方ない、そういう欲があるから彼等は傑作を作れる。

その水音と扉の静寂を破る、鏡合わせの様に出会い、しかし髪色が全く違う人物だ、顔ばかりに目がいってしまう。

「私と、同じなのですか?」

落ち着いた感触は無く、慌てているとも思えない。

鏡合わせの様だが、片方は確かに男で、もう片方は確かに女だ。

その歩みは近寄る、自分を一番理解してくれるであろう人物に不意に遭遇したのだ。

不遇と奇遇、近寄るには十分な理由だ。

段々と間合いを縮めた、歩み寄る度に情欲という血潮が湧いてくる。

彼と彼女の間は遠くない、秘密を捧げる事で互いに気を許し、歩み寄った。

「・・・君も、か。」

湯煙の中で肌を密着させる、背徳的で、酷く唆る。

彼女は宦官では多い半端な身体とは違う、仕えていた人物と同じ、他から求められる様な色を宿していた。

何が違うのか、その嫉妬すら覚えた。自分は他の宦官と違い、全く身体が元に戻らない、受け入れているのだ。薬の実験台にされたとか、そういう可能性も示唆された。少なくとも医学の経験者視点では異常らしい。

同じ穴の狢、同じ体の呪い。

ヒトは身体にその生涯を縛られる。

生き方は全てその体が許すもの次第。

生物という相互関係が社会を作る、己と他者を縛るもの。

そうある以上、生き方は生物の限界により決定される。

だからこの二人という閉鎖的コミュニティが互いを互いに許せる、他に比較して至上の関係となる。

女に不釣合いな男根と、男に不釣合いな乳周り。

その一点が線を伸ばす。そして交差する。

未だ絡み合わぬ糸が、一つ交差するだけで交錯を起こす。それが歪みの様に挙動を怪しくする。

彼女と私は、同じ様に悪しきもの、正しく生きれぬものだ。宦官というものは愛着と時間により地位を作れる、暴力的手段は地位を手に入れなければ使えないが、それ以外の手段はほぼ使用可能だ。

その歴史から結び付けられた悪が自分である。

一方で彼女はその類にあらず、人類の羨望と嫌悪の対象、両性具有は事の次第で人間の垣根を超えうる、しかし彼女は明確に女と言える肢体だ。だからその在り方は『性別としての差異に関して、価値を排除する』そして『性別という生まれから解き放つ救世主』としての役割も担っている。故に危険だ。宗教は一度の救世主以外は一切認めず、否定されて殺されるであろう。

欠けた倫理が戦争と産業に向き、人間の価値が見直されている中、新たな勢力として台頭しうる。

恐ろしいのだ、嘗ての宦官の様に政治を支配する事が十分有り得る。

それを否定も出来ず隠し続け、黙っている生涯を過ごした。

とても恋とは言えないものだ、結局相手がどうあれ、そういう身体であれば惹かれたのだと言ってしまっている様なものだ。

結局まだ恋はしていない、惹かれるのは確かだ。

自分と彼女の差は何か、それは生物的な在り方と、精神的な在り方。それだけか?

自分は物心ある頃から宦官であった、それどころか後宮以外の以外の覚えがほぼなく、抜け出した時もどこがどこか分かりはしなかった。

外の世界で生きたか、内の世界で生きたか。

欧州という世界を侵略しながら同時に切り開き、差別をする事でより苛烈に、より帝国的になった国々。

中華という内の世界を掌握し、支配し続けて産業を磨き、圧倒的内需と供給を馬の力で支え、しかし変わらなかったが故に歴史として淘汰された国々。

この時から健全という在り方は否定された。

淘汰の次と、帝国の次。

変わるのは自明。

故に彼等は危険と排除された。

・・・結局、日本に逃げたのはたった一度しか革命を成し遂げなかったからだろう。



鴎外は、恐らく最も私を理解していた人間だ。

「優秀であり、同時に無能である。」

この背景を説明される。

「それは脳の部分的動作が原因だろう。」

「部分的動作?」

「恐らく、右脳と左脳で別々に動作、その比率で決定されている。その数字が一般のそれを逸脱している。草食動物の様に、交互に眠り一睡もしない位の事をしているのだろう。」

「・・・。」

「去勢がその切っ掛けだ。」

「どういう事だ?」

「去勢された馬、騙馬は牡馬に比較して身体が柔軟になり、産駒成績として牡馬が強い傾向にあるコルトサイアーにおいては相性が悪いが、牝馬が強い傾向にあるフィリーサイアーと相性が良い。ある若造が熱心に語っていたよ。」

結論は以下の様になった。

「後宮の中に居たんじゃないか、お前に似た、母親であろう人物。」

また、その相手も探れるのではないか、と。

自分の生まれは後宮、外の世界を知らなかった。物心着いた頃には去勢済み、再生自体はする為手術は多く、段々と再生も鈍ったが、その際に病が起きる事も多かった。

黒と青、それが肌の奥底に眠る。それを見かねた一人一人が誤魔化し、数少ない在り方の人々が住まう後宮、偶然が重なり、不幸も幸福も手に入れた。

「だからといってなんだという話だ、気にする必要は無い。後宮の女となれば下賜か王族か、或いは宦官だ。」

「・・・それで済ませていいものか?」

「下手に明かされて新たな王にされても嫌だろう?」

「まぁ、それはそうだ。」

「探らぬ事だ、だが、探らねば負ける事もあろう。」

「・・・と言うと。」

「大義名分となってしまうからだ。」

清帝国の前に、完璧の由来を話そう。

それは一つの白翡翠から始まった、そしてその璧が作られる迄に二つの足を着られ、三度目の正直で叶えた。

そしてその璧は託され、春秋戦国の果てに秦はそれを玉璽とした。それを継ぎ、使用する中で名誉となり、象徴となった。ある意味、皇帝すら超える権利として。

そしてそれは偽りと複製が起きた。本物でない国々が立ち上がり、その玉璽が偽物だと分からず、最後に北へ渡った。

それが全ての発端だ。

紀元前より遙か昔から選定された未来、全ては運命づく。

全ては運命に縛られた、奇遇と不幸。



裸の付き合い、それに色気が無い事は多いが、無駄に肌を隠す様に言われるせいで最近は色気あるものになってしまった。

ベッドに裸で入る、血行促進があるらしいが聞いてみても眉唾感がある。パジャマや寝間着が出てからはだいぶ変わった、汗を吸う服はやはり大事だ。

もし、そうしているとすれば、それはやましい事を考えているからに違いない。

男女の交わり、男女とは言い難いが一応そういう事で・・・。男女という関係である以上、その様な関係性にはなる。

鏡合わせの様に張り合い、窪みを重ね合う。それはどうしても抑えられない情動から起きる。

複雑なものからは逃れられない、張り付いて離れない。それは身体的にも心理的にもそうだった。

自分の悩みや苦痛を忘れ、貪るなんて事はなかった。逆だ、寧ろあって幸運だったとさえ思う。育った胸が恩恵になる程、暖かく優しく思う。

その差は何なのか、その差はどうしてあるのか、答えは分からない。

だが、これはどうせ長続きしないとも思っていた。似ているから意気投合し、合わせているだけだと。

荒く微睡っこしい、悪食の仲で。



爛れた関係はタイミング良く、さめる様に終わった。だが、関係が悪化したという段階を踏むことなく、プラトニックな愛が増えた。

結局自分の予想通りではなかった。

しかし、その愛は確かなものであると証明された。

それに納得しなかった訳でもない。

自分は惚れ、それに気付けない程、反発する程唐突で急進的な愛情を理解し得なかったのだ。

彼女はそれがあろうと女だ、圧迫されたが故により女らしくと生きた、立派な女だ。


だが、立派である事の価値は段々失われた、下品であるというのが付加価値になり得る時代の到来、顔の好みが瓜実顔から一新された時代。

彼女の様な人間は何時の時代にも通用する、だが、今は活動する女性にも注目される・・・同時に、近寄り難い時代を超えた万人に通用する美は嫉妬の対象として機能する。

彼女はそれが原因で陰湿な侮蔑、そして挙句の果てに秘密を暴かれ、落とされた。

鴎外がそこで相談し、逃走経路を作り、日本では馴染んでいたとしても言わないが文化としては存在していると説得し誘致、英語教師として働いている。

「欧米とはいずれ手を切らねばならん、今は列強として、地位を得るために必要だが、この在り方である限り落ちる命運だ。」

「・・・それは。」

清の時代でも、軍事こそ負けたが市場としての規模では圧倒的だった、しかし時代は変わらねばと手を結び、それが比較的長く続いた。

「・・・日本が頂点に立とうと、中華が君臨しようと、欧州が世界を支配しようと、米公が全てを管理しようと、露助が南を侵略しようと。同じ様に悲惨な事にはなる。」

中国は昔から歴史を自負している。偽造も検閲もするが、それは昔からのご愛嬌だ。焚書は日本でももう少し後にする事になる。

「だが、どの国家も都合の良い歴史を作り、かつての罪を忘れ、また同じ罪を繰り返す。」

それは非常に良く聞く言葉だ。歴史を最も端的に示したものだろう。しかし何故に対するアンサーを答える人間はあまりいない、これを言うような奴は大概諦めている人間だからだ。

「『歴史から学ばない』のではない『歴史から学べない』だ。迷信と盲信が執念を産み、非凡で異常な人間は魅力的に映る。嘘をつく人間は魅力的だからな、心理的に。」

・・・実際どうか、それを聞かずとも分かる。モデルケースを想像してしまうのだ。

「必然的に人類の歴史は狂う、陰謀論を根絶出来ない限り人類史は常に悪徳が罷り通るどす黒い道程になる。」

歴史は時代を経て質が良くなるなんて事があっただろうか、倫理が厳しくなった所で残酷さが減っただろうか。・・・そんな事は無い、歴史と共に変わったのは道具と規模だけだ。

「・・・それが続かなくなるまで、その矛盾が完成しない事で不満と解消で世界は回る。」

星を振るように指を歩かせる。

「美しくないが故に完璧、不等式が故に続く。」

入れ替わり立ち代り、やがて人類史の躍動が続く。

「・・・それは人の心にも言えるだろう。」

・・・歴史に根強い人気は、やはりこれだ。根本が人の要素なのだ。

「歴史の様に淀み、苦しみ、上がり、解き放たれる。過剰な位が楽しく、後からは面白い。」

自分と彼女は歴史の外れ、その中でどちらを選択するか。

「時代という流れがあり、その中で沿って生きるも良し、外れて生きるも良し。」

自分の答えは・・・どちらでもいいのではないか、だった。

「その生き方の差が人の美しさだ。」

呆気に、全て呆気に、しかし思い出す度に味わい深く思う。一番の記憶であった。



自分が言わなかった、その結末が徐々に見えて来た。

「満州国の皇帝は、幼い子だろう。」

「血縁を証明出来ない。」

「血縁が必要だったか?」

「・・・。」

「どん詰まりだな、間違いなく。」

自分を探しに来る可能性、孫文という人間は意外と強引、寧ろそうでなければ統一を目指すなんてしないだろう。

「・・・自分の責任だなんて思うな、血縁とは呪いだ。」

「・・・これが罷り通るとしてもか。」

「偶然不幸になっただけだ。」

「・・・。」

「難題は社会というものを形成した以上存在するデメリットだ。先ず社会が無くとも問題は起きる。問題は常に傍に居る。だから尚更心配する必要は無い。」

「・・・でも。」

「自分で選べ、だが、お前にはメアリーがいるというのを忘れるな。」

警告を確かに聞いた、心が止められた。

「父になる、それは家というものに忠誠を誓う事だ。一人の時とは質が違う。」

メアリーの顔は、綺麗で思い出す度に呆気に取られる。彼女は歪められた自分の出来る、最大値の憧れ。・・・自分はああ在りたかったと、改めて思うのだ。

「メアリーが何かをした訳ではないが、救いになったのだ。彼女に感謝すると良い。」

迷う、彼女に感謝するのは気恥しい、彼女の前ではそういう恩を売るという行為をするのが憚られる。

「迷っているお前に一言足しておこう。彼女の笑顔が見れるなら、どうだ?」

・・・そう、言葉巧みに乗せられ、彼女の笑顔を見に行った。・・・自分の単純さに気付くのは、もっと後の話だ。彼女に言われる位、打ち解けた時だ。



自分は暫く逃亡生活になる、協力者がどれだけいるかは分からないが、列車に飛び乗って進む。

歴史は変わらない、ただ一つ変えるとしたら質を落とす事だ。そうすればこの活動も止められると信じて走り出した。

「速いね・・・! ちょっと擦れて痛いんだけど・・・!」

「後宮疾走部所属なんで。」

「何ソレ?」

「仕えていた人が厳しい訳ではなかったものの『速い人素敵ー』って感じの人だったから誕生した少年達です。」

宦官はあくまで男、しかし玉を取ろうと戻る事もあるし、稀に男である事を隠させて男娼なんて事も。

「宦官は出生が大体終わっている・・・そして・・・自分が本当に皇帝の血族であったとすれば。」

彼女はそれを理解して自分を甘やかしつつも、他人と平等に扱った。彼女は西太后の様に話題になった人物ではない。しかし男女の境を見分け、それを理解していた。根性論的な人間ではなく、理論的な人間。仲の良い鴎外と同じ様な、理屈に塗れ、真理を知り、その上で生きた形を知っている。

・・・それは、自分に足りていない。それが言えた時、自分と彼女は歩み出す一歩目となる。

時に追われ、時に守られ、割とツテが多い。京都に行ったり東北に行ったり、薩摩の本拠地には行ってはならぬ、行けば人を捨てるも同然だと言われ、その言い付けを守っている。

異質な二人にも見えるが、少しばかり高い衣服が注目され、恩を売る人もいれば日頃の恨みから告げ口・・・なんて事もあった。

かなり長い旅路で分かった事は、彼女はそれでもお淑やかだった事だ。羽目を外す事はあるが、楽しそうな顔を稀に見せ、手を握る時は常に明るさに満ちている。怒りと同じ握り方の筈だ、それなのに暖かい。

理屈的には分からない、笑うのに理由は要らない。

自分は論理性が無い、後宮に居たが故にそうしてしまう。身体で覚えて生き延びなければいけなかった。

自分は少しは平等で自由な国の中でマシになった、その少しのマシは予想以上の差を広げ、彼と自分の違いを見せつける。

論理性を意識的に扱えない、無意識下に覚えたせいで扱えなくなった。

その差が悔しい、こんな逃避行の中でもそう迷ってしまった。

「此方に来て貰おうか。」

強引に背を引かれた、力は入れた所で、届いた所で敗れる。

「そこの女、こいつの首を刎られたくなければ着いて来い。」

捕まった、牢獄の中ではなく、祝われる様に幽閉された。

「あの女は貴族らしい、支持する様に脅すか。」

「それも良いな、だが、バレたら大変だろうよ。」

「祖国から逃げた、つまり恨んだ可能性も高い。その噂をこっそり流せば良い。」

「ああ、前向こうの植民地に行った際売春婦を利用させてたのは・・・。」

「ああ、金を握らせて噂を流す。そして侵略国相手、忠義があろうがなかろうがやってくれるだろう。」

丁重に扱っていたものの、どこか距離感がある。傀儡国家の材料だ。ケベックやバスクもそうだが、満州という地域は資源としても戦略的にも重要だ。

帝国主義時代、全ての国は侵略国であった。どの戦争も悪と悪の戦いであり、これからの戦争も同様のものになるであろう。

「すまない、油断したばっかりに。」

「いいのよ・・・逃げたから、その限界が来ただけ。」

でも、と付け足し始めた。

「逃避行がこんなに楽しかった事は無かった、だから・・・。」

滋賀のどこか、それも忘れたが、屋敷の中から外は見えない。多分捕らえた人物の家だろう。

「利用される位なら、私は死ぬ。貴方は生きて。貴方はもう一つ目的があるから。」

「・・・どうして・・・。」

強く歯を食い縛って口答えし、反抗する。

「ダメだ、一緒に生きれないならその生に何の価値がある!」

「生きなければ貴方とは会えなかった!だから私は生存の素晴らしさも知っている・・・でも、貴方の代わりなんて出て来ないから・・・。」

その不幸の中、彼等を導いたのは理不尽な幸運だった。

「・・・!」

酷く揺れた、1909年8月14日の昼過ぎ、マグニチュード6.8の直下型地震が滋賀県にて発生した。これは姉川地震と言われ、死者は41人、家屋は数千件が壊された災害である。

「メアリーと一緒ならいつまでも生きれる!本当に実感した!!」

「私もそう思う!凄い僥倖ね!!」

アドレナリンが常に湧き出る、破壊的な幸運。自分達が生きているのも奇跡だが、それ以上に楽しく瓦礫の上か中を走り回る。

「さぁ!出来るだけ遠くだ!東か西か!」

「お腹空いたから西!」

「よし来た!走るぞ!!」

倒れた自転車を貰い、走り出す。

「・・・凄いわね、これ。後輪を動かしてるなんて初めて見たわ。」

「(このタイプの自転車20年前からあるけど。)」

ベルは前輪についていて、壊れて邪魔なので取り外し捨てた。スポークベルというもので、若干危なっかしいがへなちょこベルよりはマシだ。

郵便物を捨て、メアリーはサイドカーに乗り、ちょっと大変な事になりそう・・・なんて言いつつも強引に出発した。



堺まで逃げた所、同人誌や原稿を渡してその対価で泊めてもらう等が増えた、ファンが居て関係者だから感謝として良い待遇で迎えてくれる。

「堺で隠居か、それは隠居なのか?」

自転車盗難がバレない様に淡路島に向かって自転車は捨てておいた。

鴎外の方が動いた、彼は新しく一冊書き上げたそうだが・・・それが問題だった。


自分がすべき答えはこうだ、遠回しに真意を知って貰うしかない。

性欲的生活(ウィタ・セクスアリス)か。」

これは必ず心を掴む作品でなくてはならない、混沌とした中を長引かせ、その彼女の様な存在を受け入れる様に。

だからこの名にした。

ラブストーリーは分かり易い、性欲とは展開的で、どんどんと広がっていく。

「・・・後は、君達次第だ。」

彼が出来るのはここまでだと、打ち切って別れを告げた。


その言葉は届いたが、それ以上の情報は得られなかった。それに何かが存在すると理解出来る。

「ヰタ・セクスアリス。」

直訳すれば、恐らく・・・性欲的生活。

だが、実際はやましいものではない、そう考えるとこの言葉はストレートな意図ではないと理解出来た。

特に重要なのは『あれかし』か『勿れ』の二つ、どちらか次第で変えなければいけない。

その意図は、ある一人に関連したものだろう、自分だけが助けられる。

軍からの反対が起きたものの、そのタイトルから買う人も多かった。英語でセクスとは・・・と、吹聴する者もいた。

扉は無作法に叩かれ、九度聞く頃には銃口の音が聞こえる。

「・・・逃げるぞ。」

「・・・最悪ね。」

余裕は無く、裏手の塀を走り抜けた。

剣を引き抜き、そして構える。

「護衛経験はあるし、暗殺されかけた事もある。」

細道でなら多数相手も容易だと信じ、剛剣を弾き返す。

「どいて!」

「!」

自分が咄嗟に横に移動すると、背後の彼女は銃口を向けて撃ち抜いた。

「ブローニング?」

「軍隊にド変態が居ただけよ、この最新型を譲っちゃう様なね。」

拳銃・・・にしてはリボルバーじゃない・・・何だ・・・いや、分からない。

「撃ち漏らしが出たら避ける、その隙にやってくれ!」

「致命傷は無しね、峰撃ちで行くわ!」

「(銃に峰打ちって何だ。)」

足や腕を撃ち、出血を抑える。結構な腕前だ。手が付かない様に渡され、教わったのだろう。彼女は意外と愛されている・・・その形は置いておき、悪いものではないだろう。

突く様な剣を躱し、首筋を狙ったもののそれも弾き返された。得意ではあるが慣れた人間からすればそこまで強くない。攻撃を前提としていないのでどうしても弱くなってしまう。

「・・・逃がす訳にはいかん、我が父の為、母を安寧の中生かす為に。」

「同じ穴の狢だ、私も、お前も。」

「そうだな、だが、躊躇や容赦をする位なら遠慮なく叩いてやる。」

壁を壊す様に貫く剣の音、威力の高さは相当。

その剣を防いだ結果、肩が故障した。間合いが取れた時に叩いて治す。

女の様な肢体を隠し、肌を晒しながらも血を見せない。一撃として有効打を受けていない。

「間に綿を仕込んだか。」

「何かと便利だからな。」

「その細身で更に仕込んだのか。」

舞踏と剛剣、足と腕でそれぞれメインが違う、続く剣の音にやがて鈍り、いや、鈍る音が混じった。

自分の胸に浅く剣が刺さり、脅かすに十分と手を引いた相手に大して袈裟斬りを入れ、剣を引き抜いた。

「・・・こんな下らない事に助けられたと知ったら、嫌だろうな。」

そんな事を言いながら、立ち上がる彼を見守る。轟かしい声は落ち着かず、まだ続く。

「・・・母は俺以外に子を産めず、虐げられた。だからそう簡単に・・・。」

「父も母も居ない人間だから分からん、裕福な家の背景も分からん。」

「・・・ああ・・・増々殺しにくい。」

「殺すなよ、どうするつもりだ。」

「・・・つい、な。」

「・・・諦めろ、お前には無理だ。」

自分はそう言い切った。

「・・・高橋是清・・・。」

後の総理大臣、この頃も財務大臣として活躍した、情勢こそアレだが財政に関しては有能な人物だ。

「(自転車の亡霊か?)」

前輪で動く自転車をだるま自転車と言うのだが、流石にその言い草は酷いとメアリーが強めに手を握った。

「・・・貴人に狼藉を働くつもりか?」

「いえ、そんな事は。ただ、親しい友人から依頼されましてね。」

「お前はスパイか?」

「・・・。」

それ以上は何も言えず、手を引いた。

そして高橋とやらは部下に話し出した。

「・・・捕まえたその時、その関係性とその本が連想させて下手をすれば我々が批判を買う事になる。」

「考え過ぎでは・・・。」

「軍隊に入る子供達は大人よりも賢い時がある、彼等を敵に回せは痛い目を見るのは我等だ。」

軍隊のある人物を理解していた鴎外は、それを見事に止めたのだ。その時間差が、彼等をより逃がす。

「強引だが、これで良いだろう。」

彼等に伝える事はなく、立ち去った。


逃げる必要は無くなった、翌日の朝日は眩しい、涙と共に煌めく。

そろそろ、自分は心を決めるべきだろう、喜ぶとか、そういうものでは物足りない。彼女も今なら断らない。

サインをして、もう一枠を渡す。

「メアリーって、英語だと結婚みたいだしな。」

驚いた彼女は、目を丸くして腑抜けた声で言う。

「・・・そんな理由で?」

自分はそれに情熱的な返しは出来ない、だが、格好付ける位は出来る。

「月が綺麗だ、それしか語れない時もあるのさ。」

言葉を借りて、彼女に伝えた。夜が過ぎた朝日を背に、向かうべき所に向かったのだ。

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