深愛
私は一人、暗くじめじめした石畳の階段を下りていた。
窓も無く、夜になれば手にした蝋燭の明かりがなければ真っ暗で何も見えない。普段の私なら怖くて行かないけれど、そこにいる親友のためにと心を奮い立たせて、私は今震える足を引きずりながら歩いていた。
しばらくして着いたのは、地下牢。中は外と違いひんやりとしていて、岩の洞窟に鉄格子をはめたような簡素な牢が並ぶ。
そんな中、入り口から数えて二番目の牢に、私の親友、ケイトが変わり果てた姿でうずくまっていた。
「ケイト、私よ。サラよ。わかる?」
「……ああ、サラ。来てくれたの」
痩けた頬に、荒れた雑草のようにボサボサの髪。その瞳には正気がなく、まるで動く死人のよう。
ここに入る前は、とても綺麗ではつらつとした人だったのに。今はその見る影すらない。
そんな親友の変わり果てた姿に、私は思わず言葉に詰まった。
「そうだ、サラにお願いがあるの」
「何? なんでも言って」
「私が死んだ後、私の荷物を一つ残らず燃やしてちょうだい。一つ残らずよ」
「それはいいけど……ご家族に渡したい物とかはないの?」
「ないわ」
驚くほど躊躇わず、ケイトはそう即答した。
処刑の決まった罪人は、最後に自分が生きた証を誰かに残したがる。それなのに、ケイトはそれをあっさり断り、むしろ残すなと私に頼んだ。まるで、この世界に自分ははじめからいなかったんだと言いたげなその態度に、何故か私の胸は騒つく。それでも、親友の最後の望みを、私は断ることはできなかった。
「うん、わかった」
「ありがとう。こんなこと、もうあなたにしか頼めないから」
乾燥して皮のめくれた唇がわずかに微笑む。その痛ましい光景に、とうとう私は我慢ができなくなった。
「私、まだ信じられないの。あの優しくて正義感のあるあなたが、ナタリー様を殺しただなんて」
「サラ……」
「いくらナタリー様に冷遇されていたからって、そんなことくらいでケイトは人を殺さない。ううん、何があっても、あなたは人を殺さない!」
ケイトの犯した罪。それは、ベルトワーズ公爵家のご令嬢である、ナタリー様の毒殺。
ある朝、なかなか姿を見せないナタリー様を不審に思った使用人が部屋を訪ねると、そこにはベッドに横たわるナタリー様の脇で、紙に火をつけた状態のケイトが立っていた。慌てて駆けつけると、枕元に青い小さな小瓶が転がっていて、まさかと思い使用人が確認すると、ナタリー様は息をしていなかったという。
その場でケイトは取り押さえられ、彼女は抵抗もせず、自分が殺したとあっさり白状した。
「ほらね、いつかやるんじゃないかとは思ってたのよ」
ナタリー様とケイトの関係をいつも間近で見てきた他のメイド達や侍女達は、口々にそう言ってケイトを非難した。
「どうしてこんなこともできないの。この役立たず!」
「すみません……」
ナタリー様の侍女として仕えていたケイトは、毎日こんな風にナタリー様にいじめられていた。それこそ、見ているこっちが気の毒に思うくらいに。
それに。ナタリー様には皇太子殿下との婚約が決まっていた。ナタリー様も、周りの使用人に嬉しそうに話していたらしい。お気に入りの花に黄色のリボンを付けて、皇太子殿下に渡したのだと。それは、昔奥様が旦那様に宛てて送った愛の告白をなぞらえたものだった。
だから周りの人間は、ケイトが自分を貶めているナタリー様が幸せになっていくのが許せなくなって、殺意をもって計画的に殺したんだろうと噂した。紙に火をつけたのも、火事に偽装して証拠隠滅を図ったのだろうと。
でも、私にはどうしてもそうは思えなかった。
「ケイト、あなた本当はナタリー様のこと嫌いではなかったんじゃないの?」
「どうして?」
「前に教えてくれたよね、ナタリー様は黄色じゃなくて赤色が好きだって。それ、ナタリー様のことをよく知らなければわからないことだわ」
ナタリー様は、普段黄色のお召し物をよく身につけていらっしゃることが多かった。だから、私を含めた周りの使用人達は皆、ナタリー様の好きな色は黄色だと思っていた。でも。
「あの方、本当は赤がお好きなのよ」
「黄色じゃなくて?」
「黄色も好きなんだろうけれど。でも、一番は赤。だって、社交場やここ一番って時の大事な時にお召しになる服は、決まって赤だもの」
どこか自信たっぷりなその物言いが、私には印象的で記憶に残っていた。普段いじめられている相手の好みを正確に把握しているなんて、と。
私の推理に、しかしケイトは動揺することなく淡々と返す。
「まさか、それくらいのことでそう思ったの? 笑わせるわ。それくらいの情報、私じゃなくても仕入れられるわよ」
「じゃあこれは? 私、見てしまったの。あの秘密の花の庭で、あなたとナタリー様が抱き合っているところを」
私がそう言うと、それまでどこか余裕を見せていたケイトの顔が急に強張った。そして、正気を失くしていた瞳が怪しく光る。
秘密の花の庭とは、お花が大好きなナタリー様お気に入りのお庭で。普段は庭師以外の使用人が入ることを禁じられている。そこにケイトが入っていくのを見かけたので、心配になりこっそり後をつけていったら、二人が抱き合っている場面に遭遇してしまったのだ。
ケイトは何も言わず、ただじっと私を睨んでいる。まるで警戒しているように。しかし、しばらくして彼女はふっと笑った。
「そう、見られてしまったの。だったら仕方ないわ。サラには本当のことを教えてあげる」
そう言って、ケイトは不敵に笑いながら、私に近付くように錆びた鉄格子を掴んだ。
「私、ナタリー様のことが好きだったの。だからあの日、耐えられなくなって、秘密の花の庭であの方を抱きしめた。でも、ナタリー様は私の愛を拒絶した。それどころか、皇太子殿下と婚約したの。許せなかったわ」
「まさか、そんなことで?」
「そんなこと? 私には重要なことよ。私はこんなにもナタリー様のことを愛しているのに、あの方はそんな私の気持ちを踏みにじった。だから殺したの。誰かに取られるくらいなら、いっそ殺して永遠に私のモノにしようって」
「ウソ……」
「本当よ。悪いのは全部、私の愛を受け入れなかったナタリー様。あの方は死んで当然だったのよ! あははははははっ!」
ケイトが突然狂気を孕んだ声で笑い出し、出入り口付近にいた警備兵が何事かとこちらに駆けつける。私はというと、その壊れた人形のように笑い続けるケイトに恐怖を感じ、動くこともできなかった。
あれは私の知ってるケイトじゃない。私の記憶の中の彼女は、私が落ち込んでいる時そっと寄り添って励ましてくれる、そんな優しいお姉さんのような人だった。
それなのに。ケイトは壊れてしまった。ナタリー様を愛してしまったばっかりに。その心を悪魔に食べられてしまった。
「ケイト……っ」
警備兵の手を借りながら、なんとかケイトから離れる。階段を上っている間も、地下牢からケイトの笑い声はずっと響いていた。
私が初めてケイトと言葉を交わしたのは、メイドとしてベルトワーズ家へ来てすぐのことだった。
不器用で失敗ばかりする私は、よくメイド長に怒られていた。知り合いもおらず、他の使用人達ともなかなか打ち解けられない。それで一人泣いていると、それを見つけたケイトが声をかけてくれた。
「大丈夫?」
「あ、はい……。あのぉ……」
「私はケイト。あなたは?」
「私はサラ」
「サラ、どうして泣いてたの?」
「私、失敗ばかりで。今日もメイド長に怒られて、それで……」
「ああ、だから泣いてたんだ」
そんな調子で、ケイトは私の話を嫌な顔一つせず聞いてくれた。それどころか、自分の昔話を引き合いに出しながら、私を励ましてくれた。
「大丈夫。私も最初の頃は失敗ばかりでよく怒られてたから」
「本当?」
「うん。でも、そのうち慣れるわ。そうしたら、きっと失敗も減っていくから」
「そうだといいけど……」
「そうなるわよ。私を信じなさい」
そう言って、ケイトは白い歯を見せながら自身の胸を叩いた。その様子がなんだかおかしくて思わずクスクス笑う。すると、ケイトも同じように笑ってくれた。
その日から私とケイトは、お互いの時間が空いた時に話をするようになった。友人というより、ケイトの方が少しだけ年上だったから、頼れるお姉さんができたような感じ。ケイトもそんな性分だったらしく、私達は本当の姉妹のように仲良くなった。
その時から、ナタリー様はケイトに対してキツく当たっていたと思う。
「ケイト、何ぐすぐすしてるの。早く来なさい。こののろま!」
「すみません、ただいま行きます」
そう謝りながら、ケイトは慌ててナタリー様の元へと駆けつける。そんな様子を見て、他の使用人達はまた始まったと口を揃えた。
「相変わらず、ナタリー様はケイトのことを目の敵にしてるわね」
「なんであんなに辛く当たるのかしら」
「そりゃ、歳の近い、しかも侍女が美人だからじゃないの? ナタリー様もお綺麗だけれど、ケイトも負けてないと思うし」
「あら、そしたら何故私にはキツく当たらないのかしら?」
一人の使用人がとぼけた声でそう言う。すると、その場にいた全員がコロコロ笑った。
「でも、ケイトもよく我慢してるわよね。あのナタリー様のいびりに」
「本当よ。私だったら無理。気が狂っちゃう」
「いつか、我慢の限界にきたケイトがナタリー様を殺しちゃったりして。ああいう内に溜め込むタイプは、爆発した時すごいから」
「こら、縁起でもないこと言わないの」
正直、私もケイトの我慢強さを内心心配していた。もし私がケイトの立場だったら、泣くどころか本当に心を病んでしまう。もしかしたら、この使用人達が言うように、このままだといつかケイトがナタリー様に何かしてしまいそう。
そのことをケイトに伝えたら、何故かクスクス笑われた。
「なんで笑うのよ。ケイトのこと本気で心配してるのに」
「ごめんなさい。まさかそんなことを考えているとは思ってもみなかったから」
「もうっ」
頬を膨らませそっぽを向く。そんな子どもっぽい私に、ケイトは「ごめん、ごめん」といって微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫だから。みんなが言うようなことは起こさないわよ」
「私だって、本気でケイトがナタリー様に何かするとは思ってないけど。ナタリー様のケイトに対する扱いがあまりにもヒドイから。辛くない?」
「辛くないと言えばウソになるけど。でも、ナタリー様もああ見えて良い所もあるから。それに、こんなことくらいでこのケイト様は挫けないわよ。いつかナタリー様を超える立派なレディになってみせるんだから」
そう言って、ケイトは白い歯を見せて笑う。そのいつも通りの元気なケイトを見て、私はやっと安心した。
「言いたいことがあったら、溜め込まずに吐き出してね。私でも話を聞くくらいのことはできるから」
「ありがとう、サラ。その気持ちだけで嬉しいわ。あなたは私の親友よ。いつまでも友達でいてちょうだい」
「こちらこそ、ずっと友達でいましょう。約束よ」
私が出した小指に、ケイトがそっと小指を絡ませる。そのささやかな温もりが、なんだかとても心地良かった。
「ねえ、あなたとケイトって、特別な関係なの?」
「特別って?」
「つまり、その……恋人同士なのかってこと」
「恋人っ?」
「しっ! 声が大きい」
仕事にも慣れ、失敗も少なくなってきたある日。同じメイド仲間の二人が私に声をかけてきた。
「私とケイトは友達よ。恋人なんかじゃないわ。どうしてそう思うの?」
「だって、とても仲が良いんだもの。でも、そうじゃなかったんなら良かった」
「良かったって?」
「同性同士の恋愛なんて、この国ではご法度よ。それは神への冒涜行為」
「前に仕えてた家のご子息が、別の家のご子息と恋仲になっちゃってね。そのことが世間にバレて、非難が集中。そんな醜聞を晒してしまった両家は、とうとう国にいられなくなって追い出されてしまったわ」
「うわ、すごい。本当にそういうことってあるのね」
「あるわよ。だからあなたも気を付けなさい。変な噂がたったら、この家どころか国にいられなくなるから」
「うん、わかった。気を付ける」
女性同士、男性同士の恋愛なんてあまりピンとこない。だって、どの恋愛小説を読んでみても、結ばれるのは決まって男性と女性だったから。
「どうせ恋をするなら、ナタリー様と皇太子殿下のような恋愛をしてみたいわ」
「どうして?」
「あなた知らないの? ナタリー様と皇太子殿下の婚約が正式に決まったのよ。しかも、殿下からアプローチがあったらしいわ」
「政略結婚って言う人も中にはいるけど、ナタリー様も皇太子殿下のことをお慕いしているはずよ」
「どうしてわかるの?」
「だって、ナタリー様はお気に入りの花に黄色のリボンを付けて、皇太子殿下に送ったんですもの」
「これは、昔奥様が旦那様にした愛の告白をなぞらえたものなんですって。だからお二人は相思相愛なの。なんかもう、理想の恋人よねぇ」
そう言って、頬を赤く染めた二人は、ほうっと熱い吐息を漏らした。まるで物語の主人公達に感情移入するかのように。
私はというと、そんな二人を眺めなから、そういうものかと冷静だった。恋愛に対して憧れはある。でも、何故かあまり心に響かない。そんな自分を不思議に思った。
もしかして、みんな知っていることなんだろうか。そう思い、試しにこの話をケイトにしてみたら、「知っているわ」と苦笑された。
「皇太子殿下のお妃なんて、これ以上名誉なことはないわ。きっと、ナタリー様も幸せに暮らせるはず」
「本当にそう思ってる?」
「どうして?」
「なんとなくだけど、あまり嬉しそうに見えないから」
私が素直にそう答えると、ケイトは驚いたという風に目を見開いた。
どうしてそんな顔をするんだろう。そう不思議がっているうちに、ケイトはその憂いを帯びた視線を窓の外に移す。
「……羨ましいのかもしれない。お二人の結婚が」
「どうして? 相手が皇太子殿下だから?」
そんな私の質問に、しかしケイトは答えない。ただ困ったような、それでいてどこか悲しそうな顔を私に向ける。
何故だろう、それがたまらなく私の不安をかきたてた。私は咄嗟にケイトの両手を強く握る。
「たとえケイトがこの先結婚できなくても、ケイトに何が起こったとしても、私はずっとあなたの友達だから。ずっと変わらず親友だから。覚えておいてね」
この手を離してしまったら、ケイトが私の手の届かないはるか向こうに消えてしまいそうな気がする。悲しい顔をしたまま、私の知らないケイトのままで。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。ケイトは私を安心させるように微笑むと、そっと私の手を離した。
「ありがとう、サラ。あなたが友達になってくれてよかった」
単純な私は、その言葉を素直に受け入れた。嬉しくて、胸がドキドキして、味わったことのない高揚感が私の身体を支配していく。なんだか恥ずかしくなって、私はそそくさとケイトから離れた。
その夜。トイレからの帰り。廊下の端に、ケイトの後ろ姿を見つけた。今日は満月。窓に差し込む月明かりだけで、周囲は十分見渡せる。
「こんな夜中に、どこへ行くんだろう?」
半分好奇心で後をつける。ケイトは屋敷を出て、そして周囲を警戒しながら、とある場所へ向かっていた。
「え、そこは……っ」
ケイトが向かっていたのは、ナタリー様お気に入りの秘密の花の庭だった。そこは庭師以外の使用人は入ることを許されていない、特別な場所。ケイトだって知らないはずはないのに。
「何をする気だろう」
ふと、憂いを帯びたケイトの顔が蘇る。不安が私の足を焦らせ、鼓動が耳にうるさくなっていく。
ついに、ケイトはそのお庭へと足を踏み入れた。そして、どんどんと中へ入っていく。
正直、バレた時のことを考えると足が止まってしまったけれど。それでも、どうしてもケイトのただならぬ雰囲気が気になってしまって。それが私の背中をひと押しした。
勇気を出して中に入る。少しすると、庭の真ん中辺りで二人の女性が向かい合って立っているのが見えた。私は慌てて近くの物陰に隠れる。
「ウソ……」
月明かりに照らされて、二人の女性の姿が浮き彫りになっていく。驚くことに、その二人はナタリー様とケイトだった。
どうして、ナタリー様とケイトがこんなところに? お二人はいったい、何をしているのだろう。
さすがにここからでは何を話しているのか聞き取れない。しかし、しばらくして話が途切れた後、驚くことに、二人は私の目の前で抱擁を交わした。
主人と使用人としてではなく、ましてや友人としてでもない。それはまるで、愛しい相手を離したくはないというような、そんな熱い抱擁。小説に出てくるような、主人公とヒロインの愛の証。
「…………っ」
それは恐怖に近かった。見てはいけないものを見てしまったような、それでいて私の知らないケイトを知ってしまったような、そんな恐怖。
私は跳ねるようにその場を離れると、急いで屋敷に戻った。そして、自分の部屋へ戻ると脇目も振らずにベッドへ向かい布団に潜り込む。
「なに、あれ……っ」
幽霊でも見たわけではないのに、身体が震える。あの二人の熱い抱擁の場面を思い出すと、胸が張り裂けそうなほど痛くてたまらない。こんなのは初めてだった。
「ケイト、あなたはいったい誰?」
その私の問いに答えるものは誰もいない。ただ、言いようのない胸騒ぎだけが、私を現実に繋ぎとめていた。
そして翌日、事件は起こった。ナタリー様を毒殺したと白状したケイトが、男性使用人二人に連れられて屋敷を出ていく。
その時、ほんのわずか、いやほんの一瞬だけれど。ケイトが薄っすら笑ったように私には見えた。
私が地下牢でケイトと約束を交わした翌日。ケイトは多くの民衆が見守る中、公開処刑された。皇太子殿下のお妃候補を殺害した、世紀の大悪女として。
その後、しばらくして落ち着いてから、私は一人ケイトの部屋を訪れていた。最後に交わしたあの約束を守るために。
「綺麗……」
部屋の中は小綺麗にまとまっていた。机の上は綺麗に片付いていて、服もきちんと揃えて掛けてある。それでも、少し乱れたベッドシーツや、慌てて飛び出したのか、定位置からはみ出した櫛なんかが、ケイトが直前まで生きていたことを物語っている。その光景に思わず胸が詰まった。
(一つ残らず燃やしてちょうだい。一つ残らずよ)
ふと、牢の中でのケイトの言葉が蘇る。ざっと見渡したところ、荷物はさほど多くはない。これなら一日、二日で片付けは終わるだろう。
それでもなんとなく名残惜しくて、ケイトの所持品をゆっくりと見渡していく。その時、ベッドの下に落ちていた、枯れた一枚の花びらに目が止まった。
「どうして花びらが?」
不思議に思い下を覗く。すると、そこには枕よりも小さめの木箱が、その身を隠すようにひっそりと置かれていた。私は手を伸ばしてそれを掴み、ベッドの下から引きずり出す。
「これは……」
それは、前にケイトから教えてもらった宝物入れだった。子どもの頃から、大切な物はすべてこの中に入れて保管しているんだと、少し恥ずかしそうに彼女が語っていたのを思い出す。
「ごめんね」
どれだけお願いしても、中身をけっして見せてくれなかったケイト。でも、どうせ燃やすのだ。その前に中身を確認してもいいだろう。そう思い、一つ謝りを入れてから蓋を開ける。
中には、手紙やブローチ、綺麗なコバルトブルーの石や、ボロボロになった文庫本など、ケイトの思い出とその時の気持ちの数々が入っていた。その中で、ひときわ私の目を惹く物が一つ。
「これは……花とリボン?」
宝物入れの中に散乱した枯れた花びら、そしてその茎に巻きついている、赤いリボン。
花なら花瓶に生けて飾ればよかったのに。どうしてこんな所へしまっていたのだろう。
不思議に思いつつ、その枯れた花を手に取る。そして、それに巻きついているリボンを見て、私は言葉を失った。
このリボンは見たことがある。そう、社交界へ向かうナタリー様が身につけていたモノ。その時近くにいた私が結び直しを命じられたから、よく覚えている。
「でも、どうしてこのリボンをケイトが……」
そこに思い至った時、私の中で点と線が一気に繋がった。ふと、二人の熱い抱擁の場面が蘇る。
昔、奥様が旦那様に送った愛の告白。たぶん、ナタリー様が皇太子殿下に送った花はカモフラージュ。本命は、ナタリー様が本当に愛していたのは、一番好きな赤色のリボンを送った、ケイト。
そう、ナタリー様とケイトは愛し合っていた。それがバレないように、みんなの前では仲の悪いフリまでして。やはり、あの秘密の花の庭での熱い抱擁は、私の勘違いでもケイトの一方的な行為でもなかったんだ。
ここからはあくまで私の推測だけれど。
ナタリー様は、ケイトに殺されたのではなく、自殺だったのではないだろうか。政略結婚とはいえ、皇太子殿下からの求婚など断れるはずがない。けれど、愛しているケイトを裏切るような真似はしたくない。ずっと、そうやって一人葛藤していたに違いない。
そして、ナタリー様は答えを出した。自ら命を絶つという、最悪な答えを。
あの時ケイトが燃やしていた紙は、もしかしたらナタリー様がケイトに宛てた遺書だったのかもしれない。火事に偽装するだけなら、ベッドシーツに火を点けるだけで事足りる。でも、ケイトはわざわざ紙を燃やした。
きっとそこには、誰にも知られてはいけないナタリー様のケイトに対する想いが書かれていたはず。だからこそ、誰かが部屋に入ってくる前に、ケイトはその遺書を燃やす必要があったんだ。
「でも、どうして自分が殺したなんてウソをついたんだろう……」
いや、違う。そうウソをつく必要があったんだ。
この国では、同性同士の恋愛は禁止されている。その行為は神への冒涜とされ、忌み嫌われていた。
もし、今回の一件がナタリー様の自殺で、それがケイトとの愛故のことだと世間が知ってしまったら? 皇太子殿下のお耳に入ってしまったとしたら?
たぶん、その非難の矛先はベルトワーズ家だけではなく、ナタリー様自身にも向けられていただろう。神への冒涜者として、死してなお汚名をきせられていたかもしれない。国を追われてしまった、ご子息達のように。
「そんな、まさかケイト、あなた……っ」
そう、だからケイトは守ったのだ。ナタリー様の名誉を。自らの命と引き換えに。愛する人のいない世界になんの未練もないと、そう微笑みながら。
それはなんて、深い、深い、愛。
「ケイトのバカ……っ」
私は枯れたその花を握りしめつつ、涙を流しながらそう叫んだ。
せめて、私にだけは本当のことを話してほしかった。私のことを親友だと言ってくれたあなたにだけは、ウソをつかれたくなかった。
それなのに。
「バカ……」
これはあくまで私の推測。
ナタリー様とケイト、その二人がいなくなってしまった今となっては、真相は二人だけの秘密。
読んでいただき、ありがとうございました。