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第2章 謎解きなんかじゃない 5 お弁当

「外部の人間には証明できなくても」


それを聞いていたら、千畝の口が勝手に動いた。


「私はもう内部の人間ですよね。だから大丈夫ですよね」


我ながら、なんとも下手くそなフォローだと、言いながら千畝は恥ずかしくなる。

もっとうまいことが言えたらいいのに。だが南雲は花がひらくようにやさしく笑ってくれた。


「ええ。千畝さんはもう、内輪の人間ですからね。でなければこんな話しないですし」

それを聞いて千畝は少しだけほっとした。

なんだかさっき……『カノが敬愛してた人』の話をする南雲が、悲しんでいるように思えたから。

少しでも笑ってくれてよかったと思ったのだった。


「だから本当は、僕が勤務している必要も、ないと言えばないんですけどね」

(勤務……)

その言葉が千畝の胸に小さく引っかかる。


なにが引っかかっているのか少し考えてから、千畝は、はい、と手を上げた。

「質問があります」


学校で授業中するみたいにして千畝が言うのに、南雲もそれらしく応じる。

「はい、千畝さん」

「あの私、基礎レクチャーの時に少し聞いたんですけど……あそこのスタッフとして勤務するのはものすごく大変で、むやみに人を採らないから狭き門でもあるうえに、基本的にスカウトでしか採用しないって……しかも、学位を持っている人間じゃないとスカウト対象にもならないって……」


南雲は微笑をたたえて聞いている。

その整った顔はどう見ても、二十代前半、せいぜい半ばくらいにしか見えない。


だから千畝がいくら考えても計算が合わないのだ。大学を卒業して二十二歳、院へ入って二年で学位をとったとして、二十四歳。さらに南雲は初対面の時、自分のことを、『若く見えるけど勤務年数はそこそこある』と言っていた。南雲は、一年や二年の勤続年数でそんなことを言うタイプにも思えないし。


(南雲さんはそんな年にも見えないし)


「だから……計算が合わないような気がするんです。南雲さんがいくつか、知らないですけど……」

「僕ですか。二十六ですよ。カノとは二歳差」

千畝はもう一度計算し直そうとしたが、それより早く南雲が言った。


「あなたは、ほんとに聡明ですね」

褒められているのか、そうでないのか、わからなかった。


「僕がはじめて研究所に行ったのは、中学生の時でした。──カノを追ってね。もちろん門前払いでしたよ」

子供が来ていい場所ではないことも、カノの弟とはいえ部外者を入れていい施設ではないことも言われた。それでもあきらめきれなくて、ねばって、なんとか頼み込んで、そこで職員として働くためにはなにが必要なのか教えてもらったのだという。


「まあ向こうも根負けしたんでしょうね、そんな顔してましたし」

なんでもないことのように南雲は笑った。


日本で学んでいたのでは遅すぎると思って、高校は渡米し、できる限りスキップをして、専門分野の学位をいくつかとったこと。その上で論文を書いて、公表前に研究所に送りつけたこと。


「だからえーと……ここで働き始めたのは、二十一歳の時でしたかね。なので千畝さんの疑問は正しいんですよ。普通に考えると、年が合わないんです」

「そう……だったんですね」

千畝は呆然として返した。

それらを南雲はさらりと話したが、千畝にはとても、そんな簡単なことには思えなかったのだった。


千畝自身も勉強してきたからよくわかる。

おそらく、南雲は必死に頑張ったのだ。

(──カノのために)

ぎゅっと胸が痛む。


一時の感情や情熱だけでは、勉強に必要なモチベーションは維持できない。それを保つために必要なのは、もっと穏やかで、ずっと変わらないなにかだ。

それが愛情だとしたら、と千畝は考えた。


(南雲さんは、カノのことを、どんなに大切に思ってるんだろう……)


想像しただけで、胸が痛い。

こんな時なんて言ったらいいのかわからず、千畝は眉根を寄せてうつむいた。その時。


「泣かせてんの?」

呆れたような声が頭上からふってくる。


「な、泣いてません!」

声のした方をとっさに振り仰ぐと、カノだった。


カノは歩道に張りだした太い枝の一本に膝を深く折る格好でしゃがんでいる。黒いブーツの爪先は柔らかく折れて枝の上でバランスを保ち、細い足首は微動だにしていない。


「南雲、苛めてんの?」

「やだなあ、まさか」

「若い女の子を困らせて喜ぶのは、おっさんくさいハラスメントだよ」

「うっ……違うって言ってるのに」

「センサー固定完了」


言うと、カノはひょいと木の枝から音もなく着地した。結構な高さだと思うのだが、ためらいもなければ危なげもない。

カノが戻ってきて、その場の空気ががらっと変わったので、千畝はこっそり安堵した。


「あああ動いたら腹減ったああ」

「お弁当、詰めてもらってきましたよ。好きなもの勝手に食べてください」

よっしゃあと謎の気合いを入れてカノが飛びついたのは、千畝がクーラーボックスかなと思っていた包みだった。


大判の風呂敷をあけると、中には大きな重箱が複数あり、海苔巻きといなりずし、卵焼きに唐揚げ、焼き鮭にウインナー、ゆで卵にサンドイッチなどがぎっしり詰まっている。

「コンビニでお弁当とかじゃないんだ……」

その分量に圧倒されて思わず千畝が声に出すと、カノがさも当然というように答える。

「あんなのおやつだよ」

「おやつ……」


「それに味が濃すぎて量が食えないだろ」

「普通はひとつで十分なんですよ?」

「そうか?」

割り箸を使うこともなく、尖った爪をピックがわりにしてひょいひょいおかずを口にするカノをそのままに、南雲がやさしく微笑んだ。

「ちせさんもどうぞ。たくさんありますし、夕ご飯、まだでしょう?」

「はあ……」


おずおずと千畝はサンドイッチに手を伸ばす。

パストラミビーフの薄切りをこれでもかと挟んだサンドイッチにはさすがに手が出なくて、その隣の、オレンジと白の色合いがきれいなのをひとつ手に取る。

黒パンでサンドされた中身は、スモークサーモンとチーズクリームだった。酸味のある黒パンとなめらかなチーズクリームが絶妙にマッチしており、ぱりぱりした薄切りのきゅうりも仕込まれていて、ディルの香りも漂う。


「おいしい……」

つぶやいた千畝に、カノが重箱の一段を丸ごと押してよこす。


「そうだろ、うちの食堂のおばちゃん、腕いいからな。もっと食えよ」

「いえ、そんなには……」

「なんだよ少食だなー」

あなたが大食らいなんですという言葉を千畝はサンドイッチと一緒に飲み込んだ。


黒パンとサーモンのサンドイッチは薄味のせいか、意外にぺろりと食べ終えてしまえた。

カノはまだまだ食べ続けているし、千畝は少し迷ってフルーツサンドにも手を出したが、こちらもクリームが軽やかでフルーツがしっかり味が濃くておいしかった。


こんな時に、こんな場面だというのに奇妙に満たされた気持ちになって千畝が指先を拭いていると、ワゴンの外から南雲に手招きされた。


「なんですか?」

「千畝さん、これ」

南雲は千畝に薄手のモニターを手渡してくる。

「お手伝いしてもらってもいいですか」


もちろん否やはない。

南雲は千畝に、モニターの見方と画面の切り替え方法を教えてくれた。それらが公園のどこのカメラと連動しているのか、画面を拡大する時にはどうしたらいいのかも。


南雲の教え方は丁寧だったが、千畝の呑み込みが早いと見ると、時折あっと思うほどの早さで一気に説明することがあり、そんな時は、『大丈夫でしょ、ついてこられるでしょ』と暗に言われているようで、千畝はひそかに気を引き締めた。


「変異体が見えたら、南雲さんに知らせればいいんですね」

「ええ、助かります」


そう言って、南雲は少し離れたところにいる警官隊のところへ行ってしまった。

南雲はそのままなにごとか話しこんでいるので、千畝はモニターを順番に切り替え、公園の敷地をくまなくチェックすることに専念した。


何度目か、画面を切り替えた時。モニターの端で赤く動くものがうつっていた。

千畝は画面を縮小して全体の位置を見る。そこは四ツ岩公園の中でもメインとなる大岩が露出している一角だった。

その岩の上に、ぽつんと赤い点がじっと動かずにとどまっている。


(これは、南雲さんに知らせないと)


モニターをしっかり抱えてそちらへ向かおうとした千畝の目が、ふと、動くものをとらえる。

モニターを持ち直した表紙に指が画面にふれて、間違った場所のカメラとつないでしまったのだった。そして、そこにも、のたのた動く赤い点が光っていた。


あれっ……私、今、変なところ押した? と千畝は急に不安になった。

(落ち着いて、冷静に、落ち着いて)


「どうしたあ」

ワゴン車の半開きのドアから、唐揚げと卵焼きを交互に爪に刺したカノが顔を出す。


「今、変なところ押しちゃって……」

「見してみ」


姉弟だというのに、カノの教え方と南雲の教え方は真逆だった。


南雲がてきぱきと隙のない説明をするのに対し、カノは「見してみ」とはいうものの、これといってああしろこうしろとは言わない。カノの手ではモニターが持ちづらいので、千畝に持たせたまま、肩越しにそれを覗き込んではふんふん頷くだけだ。


なので千畝は仕方なく、自力で初期画面にいったん戻してから、さっき見つけた赤い点を再び画面に表示させる。

大岩の上にぽつりと灯る赤い点は容易に見つけられた。あれから動いてもいないようだ。


「お、いるじゃん」

「待って下さい、もう少しだけ待って」


爪に刺した最後の唐揚げを顔を斜めにして片付けると、さっそくワゴン車から降りようとするカノを千畝は制して、急いで画面を切り替えていく。さっきは間違いで偶然見つけたので、公園のどこのカメラを繋いだらいいのかわからず、場当たり的に順々に見ていくしかなかった。


あれが千畝の見間違いでも思い違いでもないのなら、変異体は今、この公園に二体いるはずなのだった。

それについて疑問も湧いてはきたのだけれど、今はそれよりも、手元の作業を優先しなければならない。


(──いた)


自分でももどかしいほど画面を幾度も切り替えて、千畝はようやく先程の、のろのろと移動を繰り返す個体をとらえることができた。後ろではカノがじいっとそれを覗き込んでいる。


「カノ、これ……」

二つの画面を並べて見せて、千畝はおずおずと言う。

「これ、どういうことですか」

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