第2章 謎解きなんかじゃない 2 いつの間にか助手
(私がこんなところにいるの、場違いすぎる……)
千畝はワゴン車の後部で膝を抱えて座っている。
そもそも、南雲がこの車をさして、どうぞ乗ってくださいと言った時から、そしてそこには完全武装のカノが先に乗り込んでいた時点で、(あ、なんか、騙された……)とは思ったのだ。
だって、まさか自分が現場に同行させられるなど、思わなかったから。
なんの資格も、経験も、権限もないのに。そのうえ皮爪硬化症についても基礎レクチャーを受けただけの超初心者だというのに。
(人を三人も殺した変異体を捕まえる現場に私が行って、一体なにできることがあるって言うの……)
考えれば考えるほど、落ち込むような、緊張するような、いたたまれないような気持ちが混ざってぐるぐるする。
カノも南雲も自分から説明はしなかったが、禍々しい拘束具がむき出しのまま置かれている車内と、南雲が無線でやり取りする様子を聞けば、だいたいのところは想像がついた。
場所は、研究所から車で二時間ほど走ったところにあるY市。
その一角でここ数週間、何度も、変異した個体が目撃されており、警察が保護しようとしたが逆にその爪で抵抗されて重軽傷者が出たらしいこと。
それで研究所に出動依頼が来たこと。
そしてその変異体は、現時点で既に三人を殺したことが確認されていること──。
(これは、大変なことなのでは……)
どうしたって、ここへ来た初日のことが思いだされてしまう。隣のベンチに座っていた親子のことだ。素手で大理石のベンチをへし折ったあの力。白濁した瞳にはもう理性は残っておらず、破壊衝動だけがあった。あんなものと対峙して、普通の人間が太刀打ちできるわけがないと思った。
「千畝さん? 退屈ですか?」
運転しながら、南雲がバックミラー越しに千畝を見る。
「買いたいものとか、行きたい場所とかあったら、言ってくださいね」
(いやいやいや……)
そんな悠長な状況ではないことくらい、ど素人の千畝にだってわかる。
いっそのこと困らせてやろうか、じゃあ今からディズニーランド行きたいですとか言ったらこの人はどんな反応をするんだろう……そんなことをちらっと思う。もちろん、言いはしないが。
「甘いものとか、食べましょうか。この辺に店あったかな」
そんなことを言いながら片手でナビを操作して探そうとするので、千畝は黙っていられなくなって少し大きな声を出した。
「そんなことしてる場合じゃないじゃないですか」
おや? という感じで南雲はバックミラー越しに千畝を見つめる。
「早く現場についてあげないと、警察の人が困ってるんじゃないですか。無線でさっき話してたのそれ、警察ですよね」
「ま、奴らの言うなりで急いで駆けつけてやる義理なんて、こっちにはないんだけどな」
視線を誰とも合わせないままカノが言うのに、南雲も同意した。
「そうですよねー」
「発見した時点でうちに連絡よこせばいいものを、勝手に自分らで手出しやがって。──知ってるか、千畝? 人を襲ったり、人に攻撃されて抵抗した個体は、それまでよりも凶暴性を増すんだぜ」
「し……らなかった、です」
「それを自分らの手柄にしたいもんだから手を出して、失敗して、にっちもさっちもいかなくなったからお願いします助けてください、って来るならまだかわいいものを」
「あはは、カノ、それ現場で言うのはやめてくださいねー」
カノはそれには答えなかった。
「だいたいかわいげないんだよあいつらは。たかが国家権力の分際で」
「カノ、それ、たかがじゃないと思うよ……」
「あ、この先に夜もやってるカフェあるみたいですよ。入ってみます?」
「入らないです。あと、急いでください。寄り道はなしで」
「パフェも置いてるようですよ。割といい感じだと思いますけど」
ああもう、と千畝は思った。
「警察のことじゃなくて、その周りにいるであろう一般人のことを考えてあげてくださいっ。急いでもなにも変わらないかもしれないですけど、急がないと、また死傷者が出る可能性だってあるんですよね?」
「素晴らしい」
南雲が器用に手首でハンドルを固定して拍手したので、千畝はハラハラした。
「じゃ、特別にこれ見せてあげますね、はい」
(えっ……?)
南雲は助手席に置いてあった書類を、バインダーごと千畝に差し出した。
その動作があまりにも自然だったので、つい受け取ってしまってから、千畝は思った。
(なんか、また、騙された……?)
◇◇◇
研究所を出てからどのくらい走っただろう。
「おーい、助手」
不意にカノがそんなことを言ったので、千畝は読んでいた書類から目を上げた。
「助手って……」
それ私のことですか、と千畝が聞くより早く、カノがたたみかけてくる。
「そこのそいつ取れー」
「そこのそいつじゃわかりません」
もう、絶対、絶対、騙されないんだから。
そう強く心に決めていたので、自然とつんとした声が出る。だがカノは長く伸びた黒い爪をひらひらさせて、『ほら早くよこせ』というようにいつまでも待っているので、千畝はとうとう根負けして、カノが指さした先にあるバッグを手渡した。
これでいいのかどうか知らない。あてずっぽうだった。
だがカノは、おーよしよし、と言って長い爪でファスナーを挟むようにして、まちの広いバッグの中から、中身をざあっと両足の間にばらまいた。
小型の電子機器が数え切れないほど出てきた。それから使いかけのビニールテープがいくつか、それとプラスチックのケース。
(なにを始めるんだろう……)
千畝はじっと見つめそうになり、慌てて目をそらした。もう何度も読み返したバインダーの書類に集中しているふりをする。
だって、気を抜いたら、またなにか騙されそうだったから。
南雲が油断ならないのはもう決定だとして、カノだって、信用できるかといえば定かではないのだし。
(でも……)
狭い車内なので、そちらを見ないようにしていても、気配は伝わってくる。
プラスチックのケースに入っているのは小型の電池だった。カノはそれをひとつひとつ取り上げ、電子機器の背面にセットしようとしているらしかった。だが異様に伸びた長い爪のせいで細かい作業がうまくいかず、何度も取り落としてはやり直している。
「カノ」
「んあ」
見かねて千畝は声をあげた。
「電池、新しいの入れるんですか」
「そだよ」
「よかったら私がやりましょうか」
おう頼むわ、とでも言うかと思ったら、カノは白濁した目でにやりと笑って──そんな目であっても感情は読み取れるものだと千畝はよくわかった。それは明らかに、からかう気配だった──首をひねった。
「ええー、ど素人にできるかなあー」
「今のカノがやるより数倍ましだと思いますけどねっ」
「おいで」
すぐ隣へ促されて、千畝は口を尖らせたまま言う通りにした。カノと並んで座り、電子機器を受け取って、見よう見まねで背面をあける。
カノは、ああしろこうしろ、とは言わなかった。
ただ、内側に記してある通り向きに注意して電池を入れ、元通りに蓋をした千畝が、これでいいの? と顔を見上げると、大きくうなずいてくれた。




