夢が現実に!
なぎさの第一作目の小説が本になった。
それによって、現実がどんどん変わって来た!
なぎさの童話は小さなヒットになり、
「お小遣いは、もういらないから」と言って自分から断った。
学費も、自分で出せるほどになったし、大学へ行く時は自分のお金で行けたらいいなと思った。
とんかつ屋さんのご主人が七十才になるのを契機に、隠居すると言う。
ご主人は、桃代さんの料理の腕を見こんで、「とんかつ屋さんをやらないか?」と持ちかけた。もちろんみんな大喜びだった。
母さんは、郊外の大型スーパーの出店で、ちょうどリストラの嵐の中、長い間勤めたスーパーのパートをさっさと辞めた。
お爺ちゃんの年金とお母さんと、桃代さんと、なぎさの貯金を残らずつぎ込んで、お店を買った。
とんかつ屋さんのご主人は夫婦で、淡路島の医療施設つきマンションに移って行った。
引越しの日。梅の便りがきかれはじめ、春の足音が感じられた頃のことだ。
長年住み慣れた、せまい公団に、ぎっしり詰め込んで、体を横にしながら通った。部屋からは、自慢のコンピューター、薄型デジタルテレビが二つ。安っぽい食器棚、古いカラーボックスをはじめ、ダンボールの箱が72個、おびただしい量にのぼった。
前々から少しずつ、台所やお風呂トイレに磨きをかけ、汗だくになりながら、最後の掃除をした。
四トントラックがやって来ると係りの三人で、今までの住み家があっという間にからっぽになった。
こんな、小さな空間に五人の家族がよく生活していたよなあと、感心する。
「部屋って、荷物がなくなると、狭くなるんだね」
「今までありがとう」
なぎさの独り言だった。
「ほら、なぎさ行くわよ」
母さんが張り切って階段を登ってきて、部屋の忘れ物がないかチェックして、鍵を閉めた。
「オッケイで~す」
引越し屋さんがガチャンとトラックの後ろの扉を閉めた。
新しい住まいは商店街に近いにぎやかなところで、一階にとんかつ屋の店と厨房と、和室の六畳間。
二階は廊下に面して、部屋が三つある。
母さんの部屋が四畳半、姉貴の部屋が六畳。なぎさの部屋が九畳もあった。
なぎさの希望で鍵のかかる部屋にしてもらった。
庭も一坪(二畳)ほどあって、日当たりはそれほど良くないけど、杏珠のママさんにもらったハーブを地面に移しかえた。
お店は、カウンターとこじんまりしたテーブル席が四つ程。
おじいちゃんと桃代さんの結婚披露パーティーをした会場だった。
「これで、やっと人にコキ使われないで済むわ~」
母さんはしみじみと本音をもらす。
「やれやれ、この年で雇ってくれるとこなんかないと思っていたら、自分の料理を人様に食べていただけるなんて、ありがたいね~。しかもお金をもらって…」
桃代さんも張り切った。
お爺ちゃんのケイタイを借りて報告して来た。
引越しと合格祝いを兼ねて、ささやかにお店で、パーティーを開いた。
「合格おめでとう~」
桃代さんは、チラシ寿司を張り切って作ってくれた。
「イクラ、カニ、錦糸玉子、絹さや、ぎんなん、シイタケ、ニンジン、あげ、竹輪、穴子、レンコン、ごぼう、三つ葉、竹の子、刻みのり、サーモン、うわーっ、すご~い!」こんなに、二十種類も具のはいった豪華版は、生まれてはじめてだった。
「昔、ふるさとで子供の頃は秋祭に、こんなごちそうを母親が作ってくれた。もちろん、もっと素朴だけど、思い出の味になるんだよ。チラシ寿司を見ると、子供の頃を思い出すね。こういう味は、受け継いでもらいたね。
もっとも…、あらやだ、これも家族ができたから叶うんだね」
桃代さんが笑った。
桃代さんは江戸っ子かと思ったら、信州と教えてくれた。
信州って長野県? 長野県の方が、自然が多くていいのに…。と思う。
なぎさも二年生になって、杏珠たちとまた同じクラスになった。
遥香が抜けた以外はかわらない。
先生は、同じく吉川先生。
いい先生だから、また引き続きでてよかった。
桜の季節が過ぎて、毎日が楽しく過ぎて、ゴールデンウィークがまたまたやって来た。
杏珠がまた伊豆高原の別荘に誘ってくれて、母さんが、今度はオッケイと言った。
姉貴は誘われなかった。
それと、光治君たちとも一緒に行くことは内緒にしておいた。
これは、姉貴が黙っててくれた。
黒い大きなスポーツバックに、歯磨きセット、パジャマ、着替え、帽子、日焼け止めクリーム(これは母さんが持っていけと言った)バインダー、ペン、おやつ、たくさんのお弁当を詰めて、明日はうんと早く出かける。
桃代さんに、まだなぎさが寝ていたら、起こしてと頼んでおいた。
杏珠のパパさんの車が迎えに来て、まだ四時、みんなが眠っているうちに出発だ。
「チョッと古いけど…」
杏珠のパパさんがカーペンターズの「トップ・オブザ・ワールド」をかけた。
風になびく広い草原の中にいるみたいな気持ちのいいメロデーだった。
なぎさと杏珠が際限なく、おしゃべりをして「もう、熱海だ」と言った時には、
「えっ、もう~」と二人とも叫んだぐらいだ。
「海よっ、海~」
なぎさが二度夢の中で見た、デジャブー海から突き出た岬、その山々の上に、点在する家。
やっぱり、このあたりの風景と同じだった。山の上の方に競って建てられている家。
「こんな感じだった。見た風景って」
「ほら、ママ、なぎさが夢で来たところと似てるって!」
「まぁー」
そして、また話し込んだ。
光治君とパパの車は、それは、それは静かだったそうだ。
山々の間に、一つだけ変わった山が見えた。明るいグリー
ンで、帽子のような形をしている。
「あの、山は大室山と言って、毎年二月に山焼きをするんだって。
だから木が一本も生えてない。あの緑は、全部ススキなんだ」
パパさんが説明した。
「私んちの別荘も、あの山の近くなの、あの火山が噴火して、溶岩が海岸の方まで流れて高台ができたの、それが、伊豆高原。だから夏、ちょっと涼しいのよ」
今度は、杏珠が説明してくれた。
別荘に行ってみると、庭は草ボウボウ、窓はしっかり砂ボコリが積もっていた。
「じゃあ、女性軍は買出し。男性軍は掃除」
杏珠のママさんが号令をかけた。
スーパーで、アメリカ人みたいにカートに食料をいっぱい積み込むと、ものすごくリッチな気分になった。
女性が買い物をしてストレスを解消する気持ちがよくわかる。
店員からは、大得意様みたいに極上の扱いを受けた気がするし、とにかく気分が良い。
着いたその夜は、バーベキューだ。
骨付きカルビ、トウモロコシ、タン塩、さんまの干物、エビ、ピーマン、ニンジン、シイタケ、ジャガバタ、焼きおにぎり、煙にむせながら、蚊にさされながら…大騒ぎだ。
「三日食べてない、みたいに食うな!」
「あなた、あなたこそトウモロコシは一人一本までだからね」
みんな大笑いだ。
なぎさは、思った。『ああやっぱり、あの魔法の杖は本物だ』と。
次の日は光治君のお父さん抜きで、大室山に行った。
ここまで来たのに、締め切り間際の仕事があるそうだ。
「じゃあ、家で描いていた方が良かったのに」
「気分転換なんだ」
それでは、仕方がない。その他はそっと、家を出た。
リフトに乗って、上まで登ると、ふもととは全く違う強風にあおられながら、かみの毛が、吹き飛ばされてしかめっ面、パパさんや女性たちの、笑える最悪の写真が撮れた。
晴れると、富士山が崇高な姿を現す。
まだまだ林に点在する外国みたいな家々、ゴルフ場、田んぼまである。ミニチュアの国を上から覗いているようだ。
杏珠がニコニコしながら近づいてきた。
「ねえ、なぎさの本の第二弾、もちろん出すんだよね~」
「え、ああ」
考えてなかったと言ったらウソになる。
「いいアィデアが浮かんだらね」
「ふふ、期待しているわよ」
太陽に反射する海の上の輝く道。
これを忘れまいと思った。こんな言葉が浮かんだ。
『光あるうち、光の道を歩め』
三日目は、河津桜で有名な、河津のバラ園を見学した。
山の一角を開いて、芝を敷いて、フランスのバガディル公園をそっくり再現して、色んな種類のバラを集めている。
つるバラ、オールドローズ、地面を這うように広がるバラ、一重の素朴なバラ、女の人の白粉の匂いの様な香りの高いバラ、牡丹くらい大きなバラや、深紅、白、オレンジ、ピンク、名前も凝っていて面白い。『プリンセス・ミチコ』、『ブルームーン』、『ウェールズオブプリンセルダイアナ』とかが、庭園の造りが凝っていてしゃれていた。
オランジェリーという体育館ぐらい大きな建物があった。
これは、ヨーロッパの特権階級の印だ。寒い地方だからオレンジはあこがれの、温かい土地の象徴。
夏場は鉢植えにして、冬場はオレンジの鉢を大きな建物の中にしまう。
『ウチにはオランジェリーがあるのよ』といえは、お金持ちという証拠だ。
「じゃあ、北海道の人が、うちには、みかんの鉢植えの温室があるのよ! って言うのと同じなんだ」
杏珠が面白そうに言った。
「イギリスには…」
杏珠のパパさんが語りだした。
杏珠がまた始まったという顔をした。
「王立のキュー植物園があって、大きな栗の木や、ヒイラギの高木の並木があった。
昔、『プランツ・ハンター』なる者が命をかけて熱帯の植物、珍しい植物を採取したんだ。凝った造りの温室があって、入ってみたんだ。
で、ヒョウタンとか、バナナ、極楽鳥花とか、今じゃ珍しくも無いんだよな、ハハッハハ」
杏珠のパパさんは、話を盛り上げといて落とす。
自己完結型で自分が受けていた。
「アジサイとか、ツツジとかは、日本から入って、向こうで品種改良されて、逆輸入。
でもね、アジサイにあんまり花が付きすぎるのもね、あれ、鎌倉のお寺の庭に咲いている分には良いけど、一輪挿しにして部屋の中に挿してみたら、何か風情がないのよね、笑っちゃうわよ」
杏珠のママさんも負けじとしゃべる。
西洋人は花が大きくて、八重で、色が鮮やかなのが好みらしい。
「アジサイを、海外に紹介したのは、シーボルト、妻のお滝さんの名前をつけてね、なんたらオタクサって学名がついてる」
「シーボルト?」
「そうよ、なぎさちゃんも、大人になったら、日本のガクアジサイの良さが、わかる日が来るわよ」
「ごめんね、二人ともひけらかして、うるさかった?」
杏珠はあれが親の難点なのよ~こっそり打ち明けてくれた。
なぎさは、よってたかって教えてくれるなんて、嬉しいのにと思った。
「過保護すぎると、大変なのよ」
杏珠が言った。
杏珠は杏珠なりに、親離れの時期を向かえようとしているのかも知れない。
でも、なぎさのように、物心ついた時にはいなかったよりはずっといい…。
夜は、立ち寄り湯へいった。
伊豆半島は静岡県の中でも温泉が集中している。
杏珠のパパと光治君のパパはこの夜したたかに、酔っていた。
世界は一握りの大金持ちに牛耳られていて、庶民はまるで奴隷に聞こえた。
「また、始まった~」
杏珠は言って、レンタルCDをみんなで見ていた。
次の日は、大室山のふもとにある、『桜の里』でピクニックをした。
バトミントンや、バレーボ―ルを持っていって、夕方に市内の
銭湯に入った。たったの『二百円』これも天然温泉百%のかけ流しだった。湯水のごとく使うって意味が、これならわかる気がした。
「さて、汗を流した後は、シメといこう!」
みんな、それなりの、洋服に着替えて、高級そうなステーキハウスにはいった。
「田舎だから、緊張しなくていいよ」
それでも、なぎさは、こういうおしゃれな店に物怖じしないで入っていく杏珠を見て、『お嬢様と貧乏娘』の差をしみじみと感じた。
「慣れだよ、慣れ、気にしなくていいよ」
遊び放題も飽きる頃、なぎさが本を書いて頑張った、『ごほうびの旅』から埼玉に帰って来た。
いつか夢の中で見た、別荘。
それは、少し違う形で叶った。
お金持ちの波動?
今まで感じたことのない、心から満ち足りた幸福で安心な気持ちでいっぱいになった。