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銀の魔法の杖  作者: はるのいづみ
7/24

応援してくれる協力者が現れた

きっかけは、小さな消しゴムだったけど…。

心からなぎさを信頼してくれる人が、なぎさをジェットコースターに乗せた。

アパートが火事になって、全焼した。

権藤桃代さんが病院に担ぎ込まれ、腕に全治一か月のケガ。

財布に波多野新蔵さんの住所と電話番号のメモがあった。

至急連絡されたし。


お爺ちゃんのガールフレンドだ。

権藤桃代さん。何だか、いかつい名前だ。

木下晴海さんという名ではなかった。


次の日、お爺ちゃんは、花束を持ってお見舞いに行った。

それからその次の日には、桃代さんは退院して、お爺ちゃんがこの団地に連れて帰った。


「えぇ~」


三人とも驚いたが、来てしまったから、後の祭りだった。


「公営住宅って、そんなに追加で人が入れるんだっけ? 」

母さんがつぶやいた。もちろん、見つかったらまずいらしい。


「入院費はお爺ちゃんが支払った。何もかも焼けた、桃代さんにどうしろと言うんだい。戦争中を、思えば、できないことはない」


仏頂面のお爺ちゃんは説教でもするみたいに、偉そうにしゃべった。これが、お爺ちゃんの説明の全部でもある。この前、本を買ってくれたお爺ちゃんと別人みたいにぶ然としている。


「ケガは、大丈夫ですか? 桃代さん。イスももう一つ買わなきゃね」


母さんは頭の中で、もう一つ増えたイスをダイニングにどう並べようかと考えながらしゃべった。


色んなものが所狭しと並べられ、突き出して、部屋の通路は横歩きしないと通れない。

なぎさは、目をキョロキョロして絶望的になった。


「四畳半にお爺ちゃんと桃代さんでしょ、六畳に受験の姉貴でしょ、ダイニングキッチンに私と母さん。だんだんスゴイことになって来ている」

小さい声のつもりだったが、しっかりみんなに聞こえてしまった。


「こら…」

母さんがなぎさをキッと睨んだ。


「だから、波多野家は、波が多いと書くんだ」

姉貴の言葉に、空気が柔らかくなって母さんとお爺ちゃんは苦笑した。


「ふふふふ、あら、ごめんなさい」

そして、そのジョークに一番受けたのは、腕の包帯も痛々しい桃代さんだった。


その夜、遅くまで母さんとお爺ちゃんと、桃代さんは話し合っていた。


なぎさは、姉貴と一緒の部屋で寝ていた。

二人っきりになると姉貴は本音を吐いた。


『いくら、生きている先祖だって、横暴すぎるよ、お爺ちゃん!

相談ぐらいできるでしょ。口があるんだからねえ』

要領のいい姉貴の陰口だった。


でも、その通りだと思う。

母さんはお爺ちゃんのやる事成す事に不思議と、文句は言わなかった。


その夜は宴会になって、時々笑っているのが、わかった。

「ブレーメンの音楽隊よ」

珍しく母さんが、大声でしゃべってる。


♪「そのうち、なんとか・な・るだ・ろ~う」

三人とも酔っ払って歌ってる。うんと古いフレーズだ。

すご~い、羽目のはずしよう。


母さんが布団にもぐり込んで来た時は真夜中の二時を過ぎていた。


翌朝、母さんからの発表があった。


「さ来週の日曜日、お爺ちゃんと桃代さんの結婚披露宴を行います。と言ってもお食事会だけど」


やっぱり。素早い対応だ。

「式はどうすんの?」

姉貴が、聞いた。


「もう、婆さんだから、しないって」

お爺ちゃんが何気にいった。


「なぬ!」

それを、母さんと姉貴となぎさで聞きとがめて三人で抗議した。

「新婚で婆さんは、ないでしょう!」


「ス・ス・すまん」

おじいちゃんは、平謝りだ。

みんなの呼び方は、『桃代』さんで落ち着いた。


「待って、桃代さん、ほんとは、したいんじゃないの?」

と姉貴。


桃代さんが、遠慮がちに小さい声でいった。

「もう、六十五才のお婆ちゃんだし、

でも記念写真は欲しいね」

姉貴は得意そうに、鼻をふくらませた。


「ほらね、わたしの友だちの家、レンタルドレス屋さんだから、聞いといてあげる。確か隣が写真館だったわ。ウエディングドレスで、いいよね」


お爺ちゃんは、桃代さんの顔をまじまじと見ていった。

「まさか、あんなの着る気か!」


お爺ちゃんの意見が通らないうちに、なぎさも加勢した。

「お爺ちゃんも、タキシード着るんだよね」


なぎさは、ひらめいた。

「そうだ!じゃあ、わたしが、ウエディングケーキ焼く!母さんケーキ型二つ買っていい? 二段にするから。それと、手巻き寿司にしようよ。私作るから」

母さんは、予算を一万円出してくれると約束した。




「お料理作るの、大変よ~作るの。私も手伝います」

桃代さんが、申し出た。


主役は、ジッとしてなんて言いたいところだけど、この際お寿司は、お任せすることにした。

二つとも本を見ながら作るとしたら…。無謀過ぎるかもしれない。


お爺ちゃんは、『婚姻届け』の用紙を、市役所から、もらって来た。

色々と、本人以外にも、書き込むところがあって、母さんも書き込んだ。

当所、これだけで、充分だと思っていたらしい。


なぎさが、学校へ行って、杏珠に

「私にケーキ焼けるかな~。どう思う?」

と不安をもらして、ため息をついた。

話を聞き終わると、言った。


「きっと、できるよ。ふふふ」

杏珠はすごく興味をもった。


「ママが、たぶんブーケ作ってくれるよ。

 今だったら、マーガレットかな?」と杏珠が笑った。



「何々、何の話?」

香奈たちが話に、割り込んできた。


「なぎさのお爺ちゃんが結婚するんだって」

 杏珠が、ニコニコしていうと、みんなは、乗ってきた。

「なぎさが、ケーキを焼いて、貸衣装で、写真撮るんだって。ウエディングドレスで」


「式は?」

と万理。


「やらない、みたい」

となぎさ。


「教会であげれば、いいじゃん。簡単よ」

遥香が、得意げにいった。


「えっ、ほんと?」

結局、母さんの働いているとんかつ屋さんの好意に甘えて、披露宴は、お店を貸してもらえることになった。


「え~~」

お爺ちゃんは、え~が長かった。


「行動を起こせば、みんなが味方してくれる。

トントン拍子にことが運んで、魔法のようだった。

わしたちは、神さんに祝福されとるようじゃ。みなさん、ありがとう!」

これが、披露宴でのお爺ちゃんのあいさつの言葉となった。


前の日、桃代さんの赤飯とお寿司を手伝う時、桃代さんの無駄のない動きになぎさは見とれていた、二十年も給食の調理の仕事をやっていたらしい。


「やっぱしなぁ、そうじゃないかなと思ったよ!」

様子を見に来た店の主人も、うなったほどだ。


なぎさのケーキは少し固めだったけど、成功した。イチゴをたくさん載せて、またスポンジを載せた。生クリームをパレットナイフで分厚く塗りたくって、金口で飾った。イチゴをまた載せて、銀色のアラザンを品よくトッピングした。最後にスワンの首を盛り付けた。シューの白鳥も美しかった。店主のおじさんが冷蔵庫に用心深く運んでくれた。

失敗を想定して、首の部分を、いっぱい作ったけど、それは内緒で全部食べた。


なぎさはもう一つの世界の、晴美さんのことを思い出した。

海外旅行して、銀座で絵の個展を毎年やる、晴美さんもステキだけど、庶民派の桃代さんもやっぱりいいなぁ~。



結婚式は、そこいら辺にあるごく普通の教会で行った。

ごくごく少数の参列で、なぎさのクラスメイトたちがかわいいドレスを着て来て花を添えた。


「お爺ちゃん、かわいい~」


「桃代さんきれ~い」


照れて下を向いている。

遥香の大学生のお兄ちゃんがカメラをいっぱい撮ってくれている。


教会の中で、痩せた白髪の真っ白いタキシードを着たお爺ちゃんと、背が低くて、ちょっぴり太めの桃代お婆ちゃん、「そういうのを昔の人は『団子と串』というんだって」母さんが笑って言った。


司祭さんは、日本語のたどたどしい白人だった。

健やかなる時も病める時もの誓いは、二人とも耳を澄ませてないと聞こえないくらいの小さな声だった。


誓いのキッスは、なかなかできなかった。


「やぁーれ、やぁーれ!」


みんなのヤジと拍手がだんだん大きくなって、やるまで終わらない。

とうとうやらざるを得なくなった。やじるって超楽しい。


「やったー」

「ひゅ~ひゅ~」


お米の雨の中、マーガレットとバラのブーケはジャンプして、母さんが勝ち取った。

一番背が高いから、当然と言えば当然の結果だ。


「母さんも、二回目は、成功するからね!」

「なんか、鼻息荒くない?」

と姉貴が、なぎさにウインクする。


「ふふふふ」なぎさも笑った。


「ドンと来い。母さん」

なぎさは小さくつぶやいた。


自分だって母さんの子なのだ。何があっても大丈夫じゃないか。

実際なぎさも前みたいにクヨクヨしなくなった。

なぎさが心配したようには、現実に決して起こらないのだ。


なぎさのクラスメイトも約束どおり来てくれて、全員話そっちのけで、手巻き寿司に夢中になった。

もちろん、カリフォルニアロールも大好評だった。

女の子のぺちゃくちゃ話しや、さざめくような笑い声はどんな花よりも、華やかだった。

手巻き寿司は話題性といい味といい、これ以上のものは考えられない。


桃代さんの赤飯と花のギフトカードが引き出物になった。

お爺ちゃんたちは、昔、新婚旅行と言えば熱海しかないほどの大ブームだったらしい。

お爺ちゃんは二度目の熱海に張り切って出かけた。

それは、桃代さんたってのリクエストだったらしい。


「えっ、また熱海?」

母さんがつぶやいた。



☆☆☆☆


お爺ちゃんの部屋にパソコンが届いた。

取り付けには、業者が来ていた。

料理は、桃代さんにまかせば、何も作らなくてもよくなった分、なぎさは、パンやケーキ作りに熱中した。桃代さんは、手早く料理を作った。ギョーザの皮も手作りだ。

小さな棒で伸ばすのをなぎさは手伝いながら桃代さんは色んな話をした。


「一蔵さんのイビキにはびっくりしたわ」

桃代さんは、丸顔でコロコロと笑う。人懐っこい性格だった。

なぎさもだんだん打ち解けて、ポツリポツリと自分ことを話した。


「ほんとうは、あんな立派な家に住む人だと思ってたから…。お付き合いも考えたわ。

でもまさか、子ども達に、追い出されれるなんてね、びっくりしたわ。

私はね、近所の手前ね『もうじき結婚するの』って言ちゃったから、引っ越すつもりだった。ところが急に一蔵さんが、転がり込んで来るのはね。嫌だって言ったら、大ゲンカになってね。もう終わりだと思ってね。色々あって落ち込んでいたわ~」


私の母が死んでから、長いこと一人だったでしょ? 

それでも、結婚してよかった。家族ができるなんて想像もしなかった。

初めて知ったことがた~くさんあるのよ」

桃代さんは、お茶をグィ~と飲んだ。


「ほら」


右手の袖をたくし上げた。まだ、火傷のあとが痛々しい。


「変な話だけど、火事になって、全財産失って、かえって良かったなんてね。人生万事塞翁馬ってか」

桃代さんはチャキチャキしている。


そう言えば、お爺ちゃんもそんなこと言ってたなあ。長男夫婦に、家を追い出されて、財産も置いてきて、かえって良かったって。母さんとも和解できたし。

イライラしていた母さんも、お金にゆとりができて人間が丸くなったし。姉貴も前よりピリピリしていない。


「もう受験、諦めた~」

本人はそう言っていたけど。


なぎさにも、劇的な変化があった。親友に恵まれて、自分に自信ができた。杏珠とは、一生付き合えるし、お互い尊敬してるって、感じるし。


これって、魔法の杖のおかげなのかな?


母さん達三人で「ブレーメンの音楽隊」って笑っていた夜があった。

ブレーメンて年をとって、もう役に立たなくなった老いぼれロバやニワトリや犬と猫が、力を合わせて、泥棒を退治して、ブレーメンの家で楽しく幸せに暮らす話だ。


尊敬されるとか、何が得意だから役に立つとか、じゃないみたい。

ミジメで、カッコ悪いただの人なんだけど、自分の存在が、許される。居てていいよ~ていうか、当たり前に自分の安全な居場所があってみんなもいて、気に掛け合ってこれが、幸せなのかな?みんなと、つながってる~って感じなのかな?


「うちって、台所と押入れいれて、一人に付き二畳の面積なの。知ってた?」

姉貴が言った。

「もっと無いと思ってたよ」となぎさ。

「でもね、大きな家にポツンと一人暮らしよりは、小さい家でたくさんにぎやかに暮らしていた方が、家相がいいんだって」

姉貴も桃代さんと話したみたいだ。




◇◇




なぎさは、杏珠の家にまた遊びに行った。


「パパの部屋のパソコン、チョッと借りて遊ぼう。使い方知ってる?」

と杏珠。


「いいえ、お爺ちゃんは持ってるけど、触らせてくれないし…」


「プリンターは?」

「見てない、買ってないのかも」


「インターネットとか?」

「さあ、そこまでは、やってないみたい」

「じゃあ、無用の長物ね」


「ほんとは、なぎさみたいな子に一番必要なのにネ」

杏珠はため息をついた。


「必要って?」

「なぎさって文章を書く才能あると思うのよ」

「ハア~」

「それに、言っちゃ悪いけど、字下手だよね。それに誤字脱字あるよね」

「誤字?そんなにあった?」


言ってくれればいいのに。この前の作文を見せた時だ。

「まぁ、本人が気づかないものだから、あるのよ」

それは、あるかもしれない。


というわけで、コンピューターの立ち上げから始まって、ファイルの出し方、メモリーステッィクの使い方。電源の切り方まで丁寧に教えてくれた。


「ほ~らなぎさ、一回で、覚えちゃった」

「…」


杏珠のパパはどんな仕事をしているんだろうとは思ったものの、聞かなかった。


「あとは、指の位置を覚えて、ブラインドタッチで、ああ、見なくても打てるようになることね、そしたらいない時使っちゃえばいいのよ、メモリーステックに入れて、自分で持ってれば、中味覗かれなくて済むし、プリントアウトは、印刷のことね、うちに来てやれば、いいじゃん」

杏珠はなんて、知恵が働くんだろうとなぎさは感心した。


「それに、なぎさが、すごいスーパーキッズってこと家の人、誰も知らないなんてね。ちょっとくやしいじゃない」


杏珠こそ、何もかもどんどん理想を現実に実行してくれる魔法の杖だ。

二人でコンビニへいって、杏珠のパパのコンピューターのキーボードそのまんまひっくり返してコピーした。そのコピーしたのを、ダンボールにはりつけ、なぎさは炎天下の公園のベンチで密かに練習をした。



ボロボロになったダンボールのキーボードの一代目と二代目は、コンビニのゴミ箱に捨てた。その間に浮かんだ童話のストーリーのアイデアは、ノートの端にメモして置いた。


杏珠は一人っ子で、自分の部屋がある。

しかし、なぎさは、自分のスペースがない。コンピューターのある部屋には桃代さんがいつもいたし、桃代さんは台所もよく使うので、スーパーに買い物に行くときしか一人になれない、困ってしまう。


でも意外な助っ人が現れた。



職員室にプリントを取りに行った時、担任の数学の、吉川先生の机にノートパソコンがあった。なぎさのカバンの中にはいつもメモリーステックがある。こういうのがあれば便利だよな~。

なぎさは、じっと見いていた。きっと物欲しげな表情だったにちがいない。先生は何気にいってみた。


「どうだ、ちょっと触ってみるか?」

なぎさは指を伸ばそうとして、急にひっこめた。


「でも先生、壊すといけないから…」

「アハハハハ」


先生は、姉貴も受け持った事もある。なぎさの家は狭い団地で、五人が片寄せあって、住んでいるのをもちろん家庭訪問で知った。

お邪魔するのが申し訳ないほど狭かった。五人、はた目には悲惨に見える。

先生は口には出さないけれど涙がでるほど、同情していた。


なぎさは、真面目な真っ直ぐな生徒だった。数学ができないのは、貧しいから塾も行けず、大勢で暮らしていて、勉強する部屋もプライバシーもないせいもあると想像がついた。


コンピューターに興味があるのだったら、その芽を伸ばさせてあげたい。まさか、児童文学を書く、そんな大それた事を企んでいるとは思わない。


「三年生になったら、少し習うんだけど、コンピュータールームに十二台あってね。早朝なら使えるよ、鍵の管理は、僕がすることになっていてね。

このご時世だから二人っきりとかはまずい。

先生も、行かないから、独力で練習しなさい。使い方はわかるか?」


「先生、ありがとう一人で、大丈夫です」

「でも、みんなには内緒だよ」


 びっくりした。熱中してると追い風が吹くんだ。

「はい!」


なぎさは、毎日一時間早く出て、文字を打ち込んだ。

メモリーステックに、たくさんの文字がつづられていく。


頭の中でストーリーの大筋が出来上がれれば、家でも少しは打ち込めた。

誰もいないほうが落ち着くので、細切れの時間を見つけては、少しずつやり通した。

桃代さんは、気づいたみたいだけどみんなに黙っててくれた。


それに、桃代さんは、私が壊したからと全自動の洗濯機を買った。

母さんもお金を出すと言ったけど、受け取らなかった。

ケイタイは、お爺ちゃんが、一つ買ったので、母さんももう一台、古いバージョンのを買った。


波多野家はギュウギュウ詰めのおもちゃ箱みたいに、狭いながらも少しずつリッチになって来た。


◇◇




なぎさがスラスラと打てるようになって、頭で思い浮かべられる速さと同じ位自由になった時は、もう落ち葉が舞う季節になっていた。


「できた!」


とうとう叫んだ。あれから半年は経っただろうか。


杏珠のところでパパに手伝ってもらいながらプリントアウトして、その作品の束を手に持った。ズッシリと重たい。

「さて、どれどれ」

杏珠が待ち切れないで読んでいる。

だいたいの内容は、こうだ。


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新聞配達の、少年が白い息をはずませながら、新聞を差し込みました。

ハアハア息を整えると、そこは絶景の高台でした。広く海が見渡せる、とても急な坂の丘の上に、小さい洋館が昔から立っていました。


ある夫婦がこの家を気にいり、住み始めました。長い年月でこの仲のいい老夫婦のところに、いつのまにか黒猫が居つき、おばあさんは「タマル」と名づけてとてもかわいがりました。


おじいさんは先に死んで、独りぼっちになると、海のよく見える日当たりのいい庭に籐のイスを置いて、おばあさんの膝の上に抱かれながら、黒猫に「タマル」にいつも遠い外国に行ったきりの、独り息子の話をしていました。


小さいながらも牧場で、成功して忙しく暮らしているらしいのです。


けれども、娘が生まれたという便りが一度あったっきり、何の音沙汰も住所もわかりませんでした。


「もう一度だけでもいいから、会いたいもんだね。タマル、寂しいね~」

おばあさんは、毎日毎日タマルにいって聞かせました。


タマルはやがて、年をとってどこかに死に場所を探しにいったのか、行方知れずになりました。


お婆さんの寂しさはいっそうつのり、もういつ死んでもいいわと投げやりになっていきました


桜の花が満開のある日、成長した孫娘が突然、訪ねてきました。


「パパは、とても苦労しました。長い間、下働きで、農場を買うためにお金を、貯めていましたが、ボスのお金を盗んだという疑いをかけられて、仕事はクビになり、お金をとりあげられて、私たち親子は小さな町を出ました」


長い間手紙をかけなかったのは、成功したと、思わせたいためだったのです。

「本当のことを言ってくれてたら、何か助けて上げられたかもしれないのに」

お婆さんは、涙を流しました。


「それが、ある人に助けられたのです」

孫娘の、アパートに警察から電話がかかってきて、お金がそっくり返って来たんです。

不思議な黒い背広を着た紳士で、町のみんなが集まる、ドライブインのレストランで

突然、隣の人にしゃべりかけたそうです。


「ここは、昔と少しも変わっていない。木苺の茂みが、無くなったほかは、ところでデージー夫人は、元気かね?」

よそ者のアクセントでした。


たまたま、そのオーナーの亡くなったお母さんのことです。

「何年も前に心臓麻痺で、亡くなりましたでさあ」

と見知らぬ紳士に答えると

「じゃあ、あの晩お店のヒツジの毛を売ったお金は、デージー夫人が、用心のためにタンスの床下に移し換えたまんまかい?」


その人はびっくりして、店を出るとその家のタンスの床下を剥がしました。


町の人もその話を聞いて、大勢ついて見ていましたから、本当です。

「その、不思議な紳士はいつの間にかいなくなっていました。車に乗せた人も誰もいなかったったそうです」

おばあさんには、その黒い背広を着た紳士、っていうのが以前家で飼ってた黒猫の『タマル』としか思えませんでした。


パパは、長い間病気をして、日本に行けないけれど、代わりにおばあさんに、よく謝ってくるようにと言われました。これパパの写真です。そして、お婆ちゃんの様子を見てきてほしいと言われたのでした。

「ああ、ありがとうね。わざわざご苦労さんだったね。うれしいよ」

お婆さんは泣きくずれました、心の中で、タマルにうんとお礼をいいました。


『猫は魔の王』といいます。あの世をも乗り越えてお婆さんの切ない願いを聞いてくれたのでしょうか。

孫娘は、国に帰って行き、お婆さんも、安心してやがて亡くなると、家は売りに出されました。


これも一つの人生です。

秋の風が吹いて、その籐のイスに黒猫がやってきました。うたた寝して、夢を見ました。

昔々のことでした。この家が建てられた時、若い夫婦が、引越しをして来ました。やがて、女の子が生まれ、その子が大きくなると、黒い子猫を拾ってきました。


その女の子は黒猫を「ミュウ」と名づけました。ミュウとなくからです。女の子に抱きかかえられて、ミルクを飲ませてもらって、どんなに嬉しかったでしょうか。幸せな時の思い出でした。


晴れ渡った高い空と、青い、青い海は強い風にあおられて白波が立っています。

黒猫は、秘密のドアの入り口からすっと家の中にすべりこんでいきました。

            おしまい


------------------------------------------


「うーん、ちょぴり切なくて、心に残るね」

杏珠の感想だった。


パパさんは、次に受け取ると、こう聞きました。

「読ませてもらっていいかい?」

「どうぞ」

「じゃあ、二部プリントアウトしよう」

プリンターがひっきりなしに動く中、杏珠のパパがじっくりと読みふけっている。

あんまり黙り込むんで、なぎさたちが不安になるほどだった。


「しばらく、下に下りて、ホットケーキでも食べてようか」

ママさんがきれいに焼いてくれた。メイプルシロップがけのアツアツを二枚ずつ食べてしまった。この家はどこまでも本物にこだわる。それでも、まだそわそわして時間を持て余した、二人。


「そうだ、今日はいるかな?お隣さん」

と杏珠が思いついたように、電話をかけた。

「来るって、いいでしょ?」

「え?うそ!」


ママさんが、うす型テレビをつけた。雪国の寒波の被害をアナウンサーが説明していた。今年の冬は、日本海側は特に、三メートルの積雪で、真っ白な世界が寒々しく広がっていた。なぎさの頭の中も真っ白になった。




なぎさが、初めての長い童話を大人の人に読んでもらっている『心臓ドキドキ』の時にまた輪をかけて、もっとドキドキのことが起こった。

杏珠は、幼なじみで兄弟のようなものだけど、なぎさは、全く男の子と口を聞いたこともないタイプの女の子だった。


「お爺ちゃんで少し慣れたでしょ?」

杏珠がいたずらっぽく笑う。

「でも杏珠、それは別ものだよ。全然!」



トントン拍子にうまく行く!

こんなことって、アリなの?

なぎさだけに波に乗っちぁえ!

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