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銀の魔法の杖  作者: はるのいづみ
6/24

杏珠の家

すっご~い可愛い子 杏珠

なぎさのあこがれがすべてあった。

挿絵(By みてみん)


それから間もなくなぎさは、杏珠の家に招待された。

朝からずっと雨の土曜日、傘をさして渡された地図を見ながら歩いた。

片手には、お小遣いで買った、ピンクの笹百合の花束を持って…。


「北原。あった!」

まるで、四角いショートケーキでできているみたいなおしゃれな家だった。

やっぱり、杏珠はお嬢さまだったのだ。

チャイムを鳴らすと、とびっきりの笑顔の杏珠が出てきた。


「いらっしゃい。どうぞ奥へ」

「おじゃまします!」

なぎさは、深々とおじぎをした。

「いらっしゃい、お噂はかねがね伺っています。娘がいつもお世話になって~」

圧倒的な明るさで、杏珠のママが出迎えてくれた。


『別世界!』

なぎさの家にはない、きめの細かい何かに、包み込まれそうだった。たとえて言うと、バラの香りのような安心感というか。

なぎさの家との違い気がついた。なぎさの家は、殺ばつとしているのだ。

応接間のどっしりとしたソファーに座ると、革張りのキュウキュウ鳴る音がした。ちょっと席をずらしても、やっぱりキュウキュウ鳴る。


「ふふふ」

ピアノもある! 大画面の超薄型テレビもある!キョロキョロ家の中を見回した。


「かわいいお花どうも、ありがとう」

杏珠のママが笑いながら、大きなイチゴのロールケーキとプリンアラモードとかわいいティーカップにはいった紅茶を持って来てくれた。


「雨で大変だったでしょう? 」

「平気です。雨の日も、学校へ行きますから」

「ふふふ、それもそうね」

ママが受けて、明るく笑った。


やがて、杏珠の部屋に移動した。

パステルカラーに彩られた、メルヘンの世界へ飛び込んだようだった。

ベッドの脇は翼のついたくまのぬいぐるみ、本棚には、絵本やシャガールや、ゴッホの画集、児童文学の本がずらっと並んで、星の王子様の置物もある。

杏珠の好きな銀色の天使が窓に吊ってある。

かわいいレースのカーテン越しに見える庭には、姫しゃらの木が風に揺れ、マーガレットやラベンダー、ゼラニュームの花が咲き乱れている。


 杏珠のアルバムも見せてもらった。

ご両親の愛情とおもちゃの中に囲まれている。


幸せを絵に描いたよう!なぎさと全く別世界の住人だった。


「杏珠、お姫様みたい~」

「まさか!」

波多野家には、父さんの写真は一枚もなかった。


「この男の子、知ってる?」

ふいに、杏珠が現実に戻した。

十才ぐらいの杏珠と男の子が、動物園で仲良く手をつないでいる。

「さあ? 」


「小学六年の時なぎさと同じクラスだった、澤井くんよ、なぎさの作文にいたく感動したって。何回も聞かされているのよ」


「ああ。そういえば…面影が、少し」

澤井君は、勉強もスポーツもできる子だった。

中学は、なぎさよりランク上の進学校に進んだ。


「あらら…、澤井さんち。実はお隣さんなの」


窓の反対側を指さしていった。


だから、杏珠は作文のことを知っていたのだ。

「ね、今から行って見ない?」

「えっ!」


杏珠が電話をかけてみると、留守だった。


良かった。心の準備ができてない。

帰りぎわ、見送りながら杏珠がささやいた。


「ゴールデンウィーク、何か予定ある?」

「えっ? 特に、ないけど…」

「じゃあ、もしよかったら、私んち伊豆高原に別荘があるんだけど、一緒に来ない?」


「えっ!別荘いいなぁ!」

「海が見えるわよ!」

「えぇっ!行きたいなぁ!」


「ママにはちゃんと了解取ってあるの。ねっママ!」


信じられないことに杏珠のママはニコニコしてこう言った。


「ええ。ぜひ、いらしゃい!」


「すっごく行きたいです。母に聞いてみます」


ゴールデンウィークが、もうそろそろやって来る。

毎年、波多野家では、始めっから終わりまでどこにも行かないと決まっていた。

「ウチは貧乏だから」と母さん。

それが、今年は海の見える別荘だ!



でも、母さんの答えは「ノー!」だった。

「行かせてあげたいけど、美里は?かわいそうじゃない」

と母さん。


でも姉貴とは関係ない、なぎさが招待されたんだから…。


「家族中でお付き合いしていたら別だけど、まだ友達になってすぐじゃない。行けばこの団地にも呼ばなきゃならないでしょ」


「そんな~」


確かに姉貴は、ここには友達を一度も連れてきたことがなかった。

なぎさの部屋らしき物は、ダイニングテーブルとカラーボックスだけだとしても関係ないと思う。


 また、ハウス状態。

トイレにこもってさめざめと泣いた。

泣いて、気持が落ち着いてから、杏珠に電話をかけて断った。


「お姉さんも一緒にはどう?」

と言われて、また心が揺れたけど。


「母さんがまだ付き合いが浅いし、ダメと言ったから…」

と力なくいった。


電話の向こうの杏珠もガッカリしていた。


(母さんのバカ)

心がどんどん汚れていく。いつまでも、天使でいられない。

でもなぜだろう、なぎさの心の隅っこでは、ダメだろうって知っていた。

 

 ◇◇


次の日曜日、めずらしくお爺ちゃんが家にいた。


「あれっ、お爺ちゃん、今日は出かけないの?」

「ああ」

お爺ちゃんがしんみりといった。


「あぁ、ごめん」

悪いこと言ったかな、ケンカ中だったよね。


しかも、それは知らないことになっているし…ややこしい。


「なぎさちゃん、今日は、時間あるかね?」

「エ?」


「実は、今日はなぎさちゃんに付き合ってもらいたいんだが…」

「いいよ」

「新宿にでも行くか!」


そんなに、遠出しなくっても! と思ったけど「たまにはいいかも」

素直に賛成した。

お昼を食べて、行きがけに母さんの勤めているとんかつ屋『とん平』に、ちょこっと顔をだして、了解をもらった。

油と肉の食欲をそそる匂いでいっぱいだ。

母さんは、お爺ちゃんからのお誘いに、とてもびっくりしていた。


「なぎさちゃんは新宿の、どこに行きたい?」

お爺ちゃんが優しくいった。

「本屋!」

ということで駅の東口にあるビルごと本屋になっている、大きな本屋に行った。

爛々と輝く瞳のなぎさは、エスカレーターを乗るのももどかしい。


「日頃、おいしい晩ご飯を作ってくれて、ありがとう、何か、欲しい物があったら、遠慮なくいって、くれ…」


「うん!」


お爺ちゃんは、行ったことを後悔しただろう、その時はすでに、なぎさの目は本に、釘づけになっていた。


たかが、子供の買い物では済まされない。

本当に遠慮なく、諦めていた、『タシャ・チューダーの庭』の写真集、『不思議の国のアリス』のポップアップ絵本の英語版、『イングリッシュガーデンとローズガーデン』の写真集をかかえた。英語は何を書いているんだかわからないけど、そっちの方がおしゃれだ。

もっと、欲しかったけど、お爺ちゃんが可哀そうになったのでやめた。洋書ってうんと高いのだ。円高なのに。



お爺ちゃんが提案した。

「お茶でも飲もうか、おいしいコーヒーの店、知ってるんだ」

「うん」


駅の裏通り近くの白い壁とコゲ茶色で飾られた落ち着いた雰囲気の、喫茶店に入った。

店の外まで何とも言えない、コーヒーのいい香りが漂っていた。

さっそく開いて眺める。

家にこれだけの庭があって、四季折々の花が咲いてたら、いいだろうな~。家の花瓶に差せる花が一年中タダだし。


お爺ちゃんのおすすめで、コーヒーを飲むことにした。

濃い色のコーヒーに、砂糖を入れかき回してから白い生クリームを浮かす。お爺ちゃんのこだわりになぎさは笑った。


白いクリームは一緒に回ってゆっくりとコーヒーに混ざりあっていった。


「うん、香ばしくて、美味しい。何て言うか、リッチな気分! 」


「ホウ~わかるかね」

お爺ちゃんは、うれしそうにそこで煙草を取り出した。

「いいかね?」

「どうぞ」

あの、嫌な匂いがして白っぽい煙がだだよう。


そういえば、最近お爺ちゃんは、家で煙草を吸ってなかった。

ガマンしていたんだ。


「外国の写真の本が多かったね。外国に興味があるの?」


「うん、色がきれい! だから…大好き! お爺ちゃんは、どこの国に行ったんですか?」


こういう話題なら、なぎさは得意だ。いくらでもしゃべれる。聞きたい!


「いや、一度もないんだよ」

とお爺ちゃん。


「えぇ~一度も?」

大きな声で叫んでしまった。


「…」

それで、話がぷっつり、とぎれてしまった。


お爺ちゃんは真面目に仕事一筋、と聞いていたけど、昔の日本男子って旅行も楽しまなかったのかな?と思った。


長い沈黙のあとに、お爺ちゃんは、急にソワソワしだした。

「ちょっと、会わせたい人がいるんだよ」


電話をかけにいって、五分程で、例の図書館で見たお婆ちゃんがやって来た。

背筋がしゃんとしている。リッチそう…。

はじめから、そういう計画だったんだ。


なんかずるい。ちょっと言ってくれればいいのに。お爺ちゃんはいつも言わない。

心構えができてない…。


「エスプレッソ下さい」と言うと、その人は自分のことをゆっくりと、話し始めた。

名前は、木下晴海さんという人だ。


「お待たせしました」

店員がエスプレッソを運んできた。

「ハア…」

コーヒーカップの小ささに驚き、中身が少ししかはいってないので、思わずなぎさは、身を乗り出し、のぞきこんでしまった。

それを見て、晴海さんは、大笑いした。


晴海さんは、ずっと独身でキャリアウーマンのはしりだった。

タイプライターを打っていたそうだ。

「今で言うと、ワープロね」


一人で都心のマンションに住み、海外旅行は十数回行き倒し、おいしいレストランを見つけては友達と食べに行き、優雅な生活を送っている。


そんな時、『インターネットでもしてみようか』

と思ってパソコン教室でお爺ちゃんと、出会ったのである。


「晴海さんは、毎年銀座で個展やるんだよ」

お爺ちゃんが自慢気に口をはさんだ。


「えぇ~!」

なぎさの興奮度は頂点に達した。

「油絵?」

「いいえ、水彩画、リキテックスと言ってポリマー系の絵の具なの。すぐ乾くの。プロのイラストレーターは、みんな水彩画なんだけどなあ」

少し、残念そうに言った。


「見た~い! 見たい! みたい!」


「そうぉ?」


まんざらでもない、晴海さんの満面の笑顔。


歩いてすぐ近くの、マンションに移動して、大盛り上がりだった。

晴海さんのパリでの失敗談に涙を流して、大笑いした。

枕の下のチップが半分になっていたというのだ。

原因がわからずなんでだ? で大騒ぎ。

あらっ、そういえば…部屋番号を忘れて、フロントでもらった鍵が合わなくて、清掃の係りの人に部屋を空けてもらったのを思い出した。


いくら日本式に「メルシー」と笑顔でお礼を言ってもだめなのだ。給料がなく、チップのみで生活しているから、お金じゃないと通用しない。


なぎさはお爺ちゃんのいることも忘れて、二人でずっとしゃべりっ放しだった。


本当にステキな人、晴海さんって。

お爺ちゃん仲直りしたんだね、よかった。

お爺ちゃんのあんな笑顔、はじめてみた。


「えぇ~。なんでなぎさばっかり、ずる~い!」

姉貴が悔しがった。

大量の洗濯物を頼まれた。


姉貴には、何も買ってあげられなかったから、ペナルティーだって。まだウチは、二層式を使っている。



あとで知ったけど、お爺ちゃんが誘ったのは、なぎさならお爺ちゃんの恋心をわかってくれそうだからだって。姉貴のウソが一人歩きをしていた。



本当は母さんも全自動が欲しいに決まっている。

「壊れないうちは、もったいないでしょ!」

でも、ちょくちょく見てなきゃならないから、面倒くさい。


環境のことを考えると、節水式の塩でイオン分解するのがいいなと思う。洗剤も環境に優しい石けんの方がいい。

でもウチは母さんの勤めるスーパーの『広告の品』を買ってしまう。


流れていく汚れた水を眺めながら、少し後ろめたい。


「でも、水はすごいよね。どんなものでも、溶かして、洗い流すもの。海は大きな洗濯機だ。


浄化して、あらゆる生命をただで養ってあげて」

「気づいてくれた?」

水のつもりだ。なぎさはまた、独りごとを言う。


◇ ◇


その時だった。

軽い目まいがして、突然まわりの空気がかげろうの様にゆれた。

うすい壁紙の向こうに、もう一つの風景が見えた。白昼夢だ。桜吹雪のように、雪が降っていた。


そこは、行ったこともない、大河の上流にある寒村だった。

太陽が顔をのぞかせて、春になった。


「雪どけしたから、畑に除草剤を撒いた。春はもうすぐサ」

太った農家のおばちゃんが笑っている。


雨が降ってしみ出た水は、少しずつ少しずつ谷に集められて、川に流れこみ、ダムに溜まった。

大雨の日にダムは放流されてまた川へと流れていく。川漁師が網を投げた。


そう遠くないの農家の庭先で、ゴミを焼いていた。

発砲スチロールが焼け、真っ黒い煙が立ち昇った。

その煙の向こうに砂利を満載した大型トラックが、重そうにうなりを上げて通り過ぎた。


また、雨が降って来た。

雨は空中で黒い煙の一点一点を包み込み地面に叩きつけた。

また土に染み込み、川に流れていった。


ドブ川は、捨てられたゴミが浮かんだ。


人がだんだん多くなる所では、てんでばらばらの小さな家が建てられていく。

土をコンクリートで覆い、ライトアップされた街路樹は

昼も夜も眠ることを許されない。緑が勢いを失った都会。

無意識に、なぎさは祈っていた。


『川や海が、きれいになっていろんな植物、動物たちが元気に、生きられますように…』


「この辺の下水道は、浄化槽に集められている」

母さんから聞いた。


なぎさの心臓あたりから、ドックンドックン音がして、暖かいものがあふれ出し、手から洗濯機の水に溶け込んだ。

最後のすすいだ水を流すと、水は、すべてのものを清めながら、広がって行く。


汚染物質が分解され、土が浄化され、この地上の空気がしだいにきれいになっていった。


なぎさの言葉で、傷ついた地球が少し元気になった気がする。

さっきより、まわりのものが一つひとつ鮮やかに光っている。


きれいなメロディーの歌が小さなささやきのように聞こえてきた。



街路樹の木々が、祝福しているみたいにみんな優しく歌っていた。

なぎさの目からあたたかい涙が、あふれてきた。もう大丈夫。

なぜかそんな気がした。

  


波多野家では、ゴールデンウィークには、どこへも行ったタメシがない!

今年もどうせそうでしょうヨと、姉妹はタカをくくっていた。


ところが今年は奇跡だ、お爺ちゃんがどこか遊びに連れてってくれるという。

母も三日間、休みをもらえた。


「どこに行きたい?」

「海~!」

と条件反射的に叫ぶのは、海を久しく見ていない埼玉県人の悲しいサガなのか?


「そう来ると思ったよ」

お爺ちゃんはほほ笑んだ。


「実はずっと昔、景気の良かった頃、社の仲間で別荘を共同購入しててな。聞いてみたんじゃが、もう何年も行ってないそうだ」


「別荘!リッチ!」


カレンダーを、見ながら姉貴がつぶやいた。

「中、三日出るのも面倒ね、休んじゃおうか?」


「うん!」

と、即答のなぎさ。


「見て見て見て!十連休になるよ姉貴、すっご~い!」

「十日か、なあ伊豆高原なんじゃけど、どうだろうか?」

「伊豆高原て、熱海の近くの?」

「そうだ!熱海のもうちょっと先だ。海も見える。」

「いい、いい遠くへ行たって気がする~。」

姉貴も、大はしゃぎだった。


お爺ちゃんと住むってことは、つまりこういうことなんだ。

母さんが、穏やかになったわけだ。


「その代わり、手入れしてないからボロだよ」

「ぜ~んぜん、気にしない。贅沢なんか言わない」

「本当にボロなんじゃ。

十年間、誰も使っていない」

姉妹はめげずに、言い放った。

「それでも、行きたい!」


あとで母さんがお爺ちゃんに聞いた。

「晴海さんも、来るんでしょ」

もうそろそろ、紹介してもらってもいい頃だ。

「よいかな?」  

実は、そう言ってくれるのを、待ってましたという顔の、

お爺ちゃん。


「いいに決まってるじゃない。

なぎさの話だとステキな人みたいね。

それはさておき、ああ、わたしも三連休で、海なんて久しぶりだわ~何て幸せ!ありがとうお父さん」

本当にうれしそうだ。


働きずくめの母さんも、休みたかったのだ。それぞれみんな、その至福の時を待ちわびた。

    ◇◇

 晴れ渡った青空の朝、波多野家はあわただしく、列車に乗り込んだ。

母さんが 東京駅のホームまで見送ってくれた。

下田行き『踊り子号』で行く。

「伊豆高原で降りるのよ、わかった?」

「うん」

「忘れ物、ないわね?」

「ない」

「何持ってるの?こんな大荷物」

「えっと、昼間のお弁当に、おはようセットに勉強道具」

「新聞?ろうそく?キャンプじゃないんだから」

「だって、ボロで汚いって!布団あるのかな?」

「そうね、ないかもね」

三人で大笑いした。

座席はなぜか長いベンチ風にホームに向いている。

「気をつけるのよ!」

「わかってるって」


 時間が来て、列車は滑り出した。

母さんの姿が遠く小さくなった。


お爺ちゃんは、「先に片づけ物をする」

と、三日前から行っていた。


ゴミゴミした都会のけんそうから抜け出して、過ぎていく風景を見送り、向かって来る自然を受けとめる。二人とも急に無口になる。


日頃慣れ親しんだ看板や、ビルが、飛びのいて行く。

それが、過去が飛び去っていくみたいで面白いのだ。


「いかが?」

姉がイチゴポッキーを差し出した。

「サンキュー。」

せんべいに、ポップコーンに、りんご。

それを食べ尽くした頃には、だんだん緑がこくなって、家々が緑に囲まれてくる。


「あっ、山」

埼玉も自然がいっぱい残っているところはある。

でも、なぎさのいるところは、市街地のど真ん中で、交通量が激しい。

重々しく大型トラックが、列をなしてひっきりなしに通るのだ。


「ほら、見て、海よ!」

「あぁ~海」

お爺ちゃんのアドバイスで海側を向いた席に座ったのだ。特等席だ。


空の青さが海にはえ、遠くの水平線がパステル画のようにかすんでいる。白い波間が遠くからでも見える。思っていた通りだ。


坂の上の小さな家、空想の世界でつくり続けた家が、小さな小さな核を見つけた。


それでも、まだまだ思い続け、長い時間思い続けた結晶が、だんだん大きくなって来た。


そして、もうじき、その現実の世界にあらわれたその家に、ご対面するわけだ。


なぎさの心に浮かんで来た。

この感じは、誰にもしゃべったことがない。

夢の溶液で培養して結晶、時間が来れば向こうからやって来るのだ。


なぎさは、黙って海を見つづける。

やがて、お昼になった。

列車の中のおにぎりって、どうしてこんなおいしいんだろ。

そしてずっと食べ通しだった。


「どうしよう、帰る頃には、すっかりブ~ちゃんになってたりして…」となぎさ。

「それは、ありえる」

姉貴がウケる。


「あっ、また海」

それは、さっきの海と違う。

うんと間近に感じる海だ。

海に突き出た岬と山に点々と見える洋風の家々。

なぎさの見た夢とそっくりだった。

山肌を列車がスリリングに走り抜ける。

海まで、一面濃い緑におおわれて自然のまんま。

ここは、日本か?


「さて、もうすぐよ」

と姉貴はリュックサックをまとめだした。

「うん」

なぎさも後に続いた。


伊豆高原駅に着いた。

ゾロゾロと大勢が降りる。空気が何だか違う。ゴミゴミ感がない。

「埼玉と違って、涼しい~」

なぎさと姉貴はびっくりした。


世間一般の人はは、いつもこんなにレジャーを楽しんでいたんだと二人とも感心した。

お爺ちゃんが、迎えに来てくれていた。


小さな赤い車を運転している。

「お爺ちゃん、その車どうしたの?」

「ああ、隣の家の人に、チョッと借りた」

二人とも驚いた。


「貸してくれる、もんなの?」

「ああ、そうだ」

すぐ、出発して、桜並木を登って行った。


ずいぶんデコボコ道を揺られながら右に折れると、一軒の大きな、ログハウス風の家の前庭に車を止めた。

「ここなの?お爺ちゃんの別荘?」

姉貴は感心していった。


「いや、違う。あっち」

お爺ちゃんが、あごをしゃくって、あっちの方を差した。

「あっち?」

小道を登り切った所に、草ボウボウの家があった。


青い屋根、かつては白だったただろう壁に窓の縁は、水色のペンキで塗ってある、かわいい平屋の家だ。


ペンキははげて、門の扉はサビだらけの、忘れ去られた家だった。

でもまぎれもなくなぎさのイメージ通りだった。家の形だけは。


「まさに、ボロ家!」

お爺ちゃんと、姉貴がはじめて同じセリフを、叫んだ。


声を、聞きつけて晴美さんが、飛び出してきた。

「まあ、いらしゃい。長い時間、

ご苦労さんだったわネェ」

「はじめまして、よろしくお願いいます!」

さっそく姉貴がいった。


「はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。なぎさちゃん、お久しぶり」

「お久しぶりです。お世話になります」

ちゃんと大人扱いで接してくれる人! 

姉貴も一目で好きになったみたい。


「まあ、重い荷物。送ればよかったのにねぇ」


ウチはそんなお金も、もったいないのだ。

何でもお金で解決できる家ではない。

「これぐらい、平気です」

「まあ、まあ、お入りになって」

晴海さんこそ、ボロボロに疲れていた。


中は、パステルカラーのカントリー調でかわいい部屋だ。

きれいにそうじをしてあった。すごく、大変だったと、思う。


「二人とも必死で、大そうじしたけど、庭まで手が回らなかった。ガマンしてくれ」

お爺ちゃんは、午後中、真新しい芝刈り機で奮闘していた。

地上五㎝で、雑草を刈り揃えた。


明日、ハーブの苗を植える計画だ。

ハーブは野生種のようなものだから、植えとけば勝手に育つ。晴美さんに苗を見せてもらった。


レモングラス、ラベンダー、ヤロウ、セージ、カモマイル、ワイルドストロベリー、匂いゼラニュウーム、イタリアンパセリ、バジル、アップルミント、中国原産のモッコウバラ、ほんとにいっぱいある。


「汗をかいただろう、温泉にお入んなさい」

長い間、使わなかった温泉の手続きをしたそうだ。無色透明の、肌にすいつく感覚。顔を真っ赤にしてあがった。


「明日、母さんもやって来る」


晴美さん特製のインド風ミルクティーのチャイをごちそうになった。

甘くて、シナモンの香りが疲れをとってくれる。

こんなに濃厚なミルクティーは、初めてだった。インドも行ったことあるって。すごい!

四人はそのまま、ソファーベッドに寝てしまった。



ガチャ


ふと、汗ばんでなぎさは、目を覚ました。

姉貴が、疲れた目で、麦茶を飲みにやって来た。

なぎさは、冷蔵庫のドアを閉める音で目を覚ましたらしい。


「おはよう、朝から、お勉強ご苦労様」

姉貴が、あきれていった。


「なに、寝ぼけてんのなぎさ、夕方の六時だよ」


「えぇ…っ!」

もう一度叫んだ。


「えええええ~っ!」

気が付くとこんな時間まで寝ていた。あれ? 

今のって長い長い夢? すごいリアルだったんだけど。


受け入れたくない現実に、姉貴が突っ込みを入れる。

「ほら、テレビ見なよ、夕方のニュース」


スイッチを入れるといつものアナウンサーが、各地の行楽地の様子をレポーターとリレーで紹介している。彼らも因果な商売だ。


「ほら、新聞。四月二十九日、ゴールデンウィーク突入」

姉貴はサバサバしてる。


「じゃあ、今のは夢?」

ウソ~~~。心の中で絶叫していた。


ここは、なぎさの埼玉の団地だった。

あまりにも行きたかったので、夢の中で願いを叶えたのかな? 

そうとしか思えなかった。


なぎさは、ダイニングテーブルに、両腕の上に顔を突っ伏して眠っていたのだ。


どうりで、何もかもが、順調過ぎると心の片隅で…思っていた。


でも、夢にしてはハッキリ覚えている。

色まで鮮やかだし、ハーブの苗を確かに触った手の匂いをかぐとほのかにモッコウバラのいい香りがする。

これが気のせいなのかな? 夢の中で一週間分のレジャーを見ることがあるのかな?


「あたし、晴美さんの…」


「誰それ? なぎさ、ほんとに大丈夫?まだ寝ボケてる? 」

頭の回転の速い姉貴が、矢継ぎ早に突っ込む。

そんな時、なぎさは何も答えられない。


なぎさは、カラーボックスに並んだ本にそっと目をやった。

あった、ほっとした。確かにおじいちゃんと、新宿に行って写真集とか、いっぱい買ってもらった。

それは、夢じゃない。

だけど、それからすぐ帰って来た???


「なぎさったら、洗濯しながら寝るから、私が、仕方なく干してあげたわよ。家だと、勉強、やっぱりダメね。雑用ではかどらないわ」  

姉貴が不平をもらした。

受験でなくても家事はあまりしないけど。


「ありがとう、ごめんね」

「今日何だか暑いね。図書館休みだと夏になったら悲惨だわ~。今度はファーストフードの店でねばるか?」

波多野家のたくましい姉貴のセリフだ。 


「ウチ、クーラーないもんね」

「なぎさ、ごはんの支度しなさいョ。昼、焼きそばだけだったからお腹すいちゃった」


「うん」

姉貴の話から推測すると、本屋から出て、お爺ちゃんとはパソコンを見ると言って別れたらしい。

だからなぎさは喫茶店には行かなかったし、美晴さんとは会っていない。


変だ、なぎさの記憶には、二通りある。

本物みたいにリアルな幻と、みじめな現実。


何でだろう? 


もうろうとした頭を乗せたまま、体はノロノロと冷蔵庫を開け、ピーマンとニンジンと半分の玉ねぎ、鶏肉を取り出した。


「今日は、何にしようかな。チャーハンでいい?それと中華風ワカメスープ…」

ぼう然としながら、姉貴に聞いてみる。


「うん、上等、上等。じゃあもうひと頑張りするか」

姉貴には悲壮感がない。


この環境での受験モードを受けいれている。

たくましい姉貴は勉強部屋に消えて行った。


「どうせ夢なら、母さんに別荘で、くつろいでもらってから、覚めたかったなぁ」

なぎさは、気分は、もう別荘に行って思う存分楽しんだ、そんな確信があった。休みの度に、また向こう側に行きたいな。


でも、どうやったらまた行ける?

 方法は…?


「魔法の杖さん、ドラえもんのどこでもドアを私にください。お願いします」


なぎさは正しい願いかどうかは、わからなかった。

押入れの奥にあるあの銀の杖を、思い浮かべて祈った。


ゴールデンウィークはなぎさに急接近したと思ったら、大きくよけて通り過ぎた。

そして、いつまでも余韻を残した。

こんな話をしたら学校の友だちは大騒ぎになっていつまでも盛り上がるのに、ここではバカ扱いされるんだよね。

それが悲しいのと、友情というものがいかに貴重かがわかった。なぎさは得たのだから。



杏珠は、それからすぐなぎさの家に遊びに来た。

伊豆高原のお土産を持って。


海沿いの大きな道の駅のマリンタウンで見つけた『イルカの風鈴』、音がきれいだ。

『川奈』というイルカの集まるポイントがあるらしい。

みんな出かけている日曜日の午後、ゆったりした時間だ。


なぎさの居場所であるダイニングテーブルとカラーボックスのある所に通した。


杏珠は、話に聞いているなぎさの作文を見たいと、真っ先にリクエストした。

読み終わると、ため息をついた。


「ステキ、でその家はどうなるの? 猫が主人公のようで、本当は、この家の使いね」

そう言われてみるとそうかもしれない。


杏珠も本が大好きだった。

だから、ストーリーも、文面以上に深く理解してくれているのかもしれない。


「今度、住んでくれる人が現れるまで、イバラ姫みたいに草ボウボウで、待ってるの。ずっとよ」

この前うたた寝の時行った、もう一つの世界のリアルな夢の中の白いペンキの家のことを思いながら言った。


「それ面白いわ。続き、書いてみたら?」

杏珠が、目を見張りながら言った。


「それだったら、ゴールデンウィーク前にいって欲しかったなァ。

ヒマをもてあましてたのに」

「ごめんごめん」

二人笑いあった。


お爺ちゃんがこの前買ってくれた「不思議の国のアリス」と、「タシャ・チューダーの庭」の写真集、「イングリシュ・ガーデンとローズ・ガーデン」を二人でじっくりながめた。

大自然の別荘の中に居るぐらい、豊かな時間を過ごした。


「ハーイ、お待たせ」


なぎさが特製のチャイ(シナモン入りミルクティ)を作ってマグカップでもてなした。


「やっぱり、なぎさって天才。すっごい!おいしいよ」


ホメちぎられた。顔がほころんでしまう。

ウチでこんなにほめられた事なんか、一度もなかった。


「杏珠こそ、最高~の感性の持ち主だわ!乾杯」

カチッとマグカップ同士を鳴らした。


カラーボックスの本とダイニングテーブルの片隅で、なぎさは杏珠に極上のおもてなしをしたのだった。


チリロ~リリーン


その時、風が吹いてベランダにつけたばかりのイルカの風鈴がきれいな音を鳴らした。

杏珠は、枯れたベランダの鉢植えを見つけた。

 「今度、ハーブの苗をママに言ってもらってきてあげる。増えて、増えて困るって言ってるから」


「ありがとう。うれしい」

数日後、ラベンダーとローズマリーと、ピンクのゼラニュウームの寄せ植えの、白いプランターが玄関に置いてあった。

メモにはキチンとした字でこう書かれてあった。


―――――――――――――――――――――


ママが水やりは少々忘れても大丈夫なように、

鉢じゃなくプランターにしました。

冬の寒さも大丈夫ですと言ってました。

パパが、運ぶのを手伝ってくれました。

この前、来てくれてすっごく楽しかったです。


ありがとう。         杏珠        


――――――――――――――――――――――


大急ぎでベランダに持って行った。

魔法の杖のおかげかな?

あの家の庭先の花だけが先に届いた。

幸運の兆しだ。



リリリ~ン


数日後、病院からお爺ちゃんあてに、電話がかかってきた。

なぎさは、不審に思いながらも留守ですと言うと、病院から、伝言を頼まれた。



なぎさはそこで、一人前のレディ扱いされた。

びっくり!

それがこんなに、当たり前のようにここにはあった!

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