親の知らないスーパーキッズ
なぎさは、作文でいい出来だった。
「この宿題は、日常の感じたことでしたね。ウソはいけません。海…ここは、埼玉です」
恥をかいたまま、傷心のままトボトボと歩いていた。
本当の日常なんて、とても書きたくない。ウソを書くしかなかった。
そこで、不思議なお婆さんに声をかけられた。
きれいなオーラをしていると。
「すると坂の上にある小さな家の庭に、真っ黒い猫がするりと降りてきて、海の方をしばらく眺めていました。
その猫はずいぶん年を取っていて、人間のお婆さんそっくりなしぐさで伸びをしました。
ミューとなくと、その家の小さな猫用のドアへするりと入って行きました。
晴れ渡った空と青の濃い海は、強い風のせいで、白波がたくさん見えていました。
…おしまい」
小学校の最後の国語の授業で、担任の坂崎先生は教室で特別に、波多野なぎさの長い作文を読み上げた。
読み終えると、ほーっとため息をついて、ふたこと言った。
「この宿題は、日常の感じたことでしたね。ウソはいけません。海…ここは、埼玉です」
クラス中がどっと笑った。
なぎさは、坂崎先生の横に、ずっと立たされたまま、真っ赤になってうなだれていた。
「でも先生の目にも見えるように、情景が浮かびました」
それって、ホメラレたのよね。
なのに、まるで叱られた気分だった。
校庭に咲く沈丁花の香りに包まれ、サラサラのオカッパ頭を揺らしながら、なぎさは一人でトボトボと帰った。
でも、本当のことなんて、とても恥ずかしくて書けやしない。
家の中がメチャクチャだから…。
☆
母さんは離婚して、姉の美里となぎさのふたりの女の子を引取った。
ボロアパート住まいだったけど何回目かの抽選でやっと、古い公団住宅が当たった。
「一部屋分だけ、広くなったね」
喜んだのもつかの間、姉貴が今年高校受験を控える。
ウチは貧乏なので、絶対、公立でなきゃダメなのだ、学費が大変だから。
姉貴の成績では難しい、ギリギリだと担任に言われていた。
狭い団地の波多野家では、神経ピリピリだ。
おまけに今度、母さんの父さん、つまりお爺ちゃんも、やって来る。
とても厳格な人らしい。
ウチはどうなってしまうんだろう…。
「非常事態宣言だワョ。しかもずっと居座るんだって…」
姉貴が言う。
「お爺ちゃん、いつから来るの?」
「さぁ~ね~」
そんなこと言われたって、なぎさが一番に帰ってきて、鉢合わせになったら、どう接すればいいんだろう?
足が重くなって自然と止まった。
なぎさはくるりとあらぬ方を向くと、当てずっぽうに歩きだした。
時間稼ぎだ。
ほとぼりが冷めたら帰ろうと思った。
なぎさはこんな時に頭の中で、もう一人の自分と、おしゃべりをする。
よくやる一人遊びだ。
「最近、どう?」
「どうって…何かね」
「ねぇ、さっきの先生の態度ひどくない?」
なぎさはさっきの恥かしかったことをまた、思い出した。
あの先生は、なぎさをほめない。わざとなぎさに意地悪をすることがあった。
「そう、子供だって、人間なんだぞ」
「悪いことしたみたいに、立たせなくてもいいのにね、だったらご褒美とかね」
「ご褒美か、だったら図書券がいい!イギリスの田舎の写真集を買う。なんか、もうウットリ…」
ヒースの花の丘とか、寒々とした海岸線を思い浮かべてみる。
BGMはエンヤがいい。
なぎさは私って変かなぁって思う時がある。
その時だ!
カッカッカッカッ
乾いた笑いが後ろから聞こえて来た。
振り向くと小さいお婆さんが立っていた。
車のついたショピングカートを杖代わりに使っている。
身長は百三十cmぐらい、腰もひどく曲がっている。
顔はシワシワだし目が落ちくぼんでいて魔法使いみたいで怖かった。
「あんた今、とてもええ感じじゃったわ、ごっつう、きれえな色しょるけん…」
「しちょる・・けん?」
お婆ちゃんの顔は喜びに満ちて目が、キラキラと光っている。
よく見ると黒目のふちが灰色で、外国人みたいだ。
服は、濃いグレーに水玉もようのワンピースを着ている。
おしゃれだと思った。
「今、ごっつうええこと考えておったじゃろ?」
「は?」
ごっつうって、とってもという意味だろうか? 流れでいくと…。
「あの、ごっつうきれいなって何が?」
「オーラ!…じゃ」
ちょっと危ない人かも知れない…なぎさは固まった。
「チョッと、お話してもええカイナ?」
一瞬どうしょうかとあたりを見回した。
誰もいない。
「フン、じゃあそこの公園のベンチに」
たまたま、三mと離れていないところに公園のベンチが見えた。
ふと、最近の小学生の連れ去り事件のことが頭をよぎった。
知らない人には、ついていかないよう、学校からさんざん言われている。
☆ ☆
「う…ん」
しかし十分後に意志薄弱児のなぎさは、お婆さんと笑顔で、さよならを言っていた。
三十㎝ぐらいの細い銀色の杖をもらって…。
それが、アニメのセーラームーンに出てくるのとそっくりだった。
あの翼のついたやつ。
ただ天使の翼ではなく、妖精の羽をしていた。
柄全体はねじり模様がついている。
杖の先は透明の水晶、反対側は紫水晶がついていて、オニキス、ムーンストーンもある、おしゃれだ。
見るからに高級品なのは、小学生でもわかる。
姉貴に見られたら絶対に、あやしまれる。
理由を言っても信じて貰えない。
「痴呆症のお婆さんじゃないの?」
と言うに決まっている。
母さんも問い詰めるだろうし、知らない人についていってと、責めるし、返して来なさいと言うだろう。
なぎさは、ハナ曇りの空をあおいだ。
お婆さんは、正気なのだとなぎさは思う。
『これは、魔法の杖での。三つの条件がないと持てないんや』
三つのものが一つでもなくなれば、どうなるんだろう。
持つことも勇気がいる気がした。
『いざと言う時に、勇気を出すこと』、『誰かのために生きること』、『正義のために使うこと』
正義?これが一番難しい気がした。勇気もないし、誰かのために生きてないしどれもなぎさには、難しかった。
第一、こんな大事なものを保管できるような自分の部屋がなかった。
何かやる時は、みんなに見られていた。
なぎさは鍵のかかる引出し一つ、無かったのだ。
「あぁ…。ひらめいた!」
突然立ち止まった。
なぎさはもう一度方向を変えて、駅前にある百円ショップに行った。
なかなかぴったりの箱がないから、少々大きめになってしまったけれど、これで何とかごまかすことができる。
その場で、ボール箱に包装紙をくるんでリボンも結びつけると…とてもステキなプレゼントに見える。
「ねっ、やってあげようか? 私、ラッピングのプロなの」
見知らぬ女の人が、手馴れた手つきで箱に十字にリボンを結んでくれた。
きれいなリボンが箱の中央にきて、完ぺきだ。
「ありがとうございました」
なぎさは、ドギマギしながらお礼をいった。
「どういたしまして、じゃあね」
なぎさは、女の人の去り行くのをぼう然と見送った。
あのおばあさんが差し向けたのかな? と周りをさがした。
できすぎた偶然?
それともこれも魔法だろうか?
あれこれ考えながら家路に向かった。
ともかく、ステキなプレゼントに見える。
「姉貴と母さんは冬に生まれたから、まだあげなくていいし、おじいちゃんは? 知らない。まあ、その時になったら、考えましょう」
わたしがもらったことにすれば?
悲しいかなそれは絶対にありえない。
それに、もらって開けないのは変だョ。
『好きな人がいるけど、なかなか渡せない!』
これでいくことにした。
バレンタインデーもとっくに過ぎたし…。
「ただいま~」
返事がない。
いつもよりすいぶん遅いけど、それでもなぎさが一番早く帰って来た。
「ラッキー!」
姉貴も、もう帰ってくるかもしれない。
心臓がドキドキしている。
ジャマの入らないうちに!
必死になって押入れの前の荷物をまず、どかした。
押入れの中に、顔をつっこんで押し入れダンスを引っ張りだして
奥の奥の壁ぎわに『魔法の杖』のはいった箱を立てかけた。
それをふさぐように、押入れダンスをつっこんだ。
記憶をたどって元の通りに荷物を並べると、これで、とりあえずひと安心だ。
汗が出てぐったり疲れた。
そして、『あの三つのこと』を決して忘れないように、心に誓った。
☆☆☆
今晩のおかずは、時間がないので手を抜いた。
油あげの味噌汁とアジの干物をただ焼いて、キムチ、納豆、佃煮のびんをただ並べただけ。
食卓はいつもより質素で、それぞれが考え事していたから、静かだった。
お爺ちゃんは、母さんが二十歳で結婚する時、猛反対した。
それは、正解だったかもしれない。離婚したから。
父さんは職を転々とし、借金をし、とうとう働かなくなった。
毎日のケンカの嵐のあと、離婚した。
そんな母さんが大変な時、お爺ちゃんたちは、助けてくれなかった。
ところが『勘当』とまで言った、あのお爺ちゃんが十年後には、その娘に頭下げて世話になるなんて、筋が通らない。
「生き方、間違っていると思わない? しかもずっとだよ!ずっ~と!かっこ悪ぅ~」
姉貴が息巻いた。
なぎさも、姉貴の意見に賛成だ。
なぎさと母さんの使っている四畳半の部屋をお爺ちゃんに明け渡すため、なぎさの物を片付けた。
なぎさは中学生になろうとしているのに、みんながごはんを食べるダイニングテーブルのわきにあるカラーボックスのみが、専用スペースになってしまったのだ。
もちろん、姉貴の部屋に服とかは置かせて貰う。
『小さな引越し』をしながら、これじゃ宿題もオチオチできないと思った。
母さんは、仕事を掛け持ちしている。
朝から昼過ぎまでとんかつ家の『とん平』で、料理を出したり、お皿を洗う。
そこでまかないを食べて、三時からはスーパーのレジ係だ。
そして閉店間際の三割引や半額になった食材を買って帰る。
疲れきった母さん。
なぎさは、自然と手伝うようになった。
何となく家にいて、みんなの分の夕食を作るようになった。
冷蔵庫の残り物を見て、メニューを考え、材料があれば、何だって作れちゃう。
主婦向けの分厚い料理辞典が前から一冊あって、本はなぎさの友だち、そしてお師匠さんだった。母も姉貴も料理には興味なし、どっちかと言えば、父さんが料理好きだったらしい。もちろん、口が裂けても父のことを聞いたりしなかった。
この前、砂糖一袋使ってバターとピーナッツを刻んで、キャラメルヌガーを作った。
母さんは、とてもびっくりしていた。
秘策は水あめを入れることだったけどそれは内緒にすることにした。
◇ ◇
あれから本当に色んなことが起こった。
なぎさも人間的に成長した。
愛も知った。
自分を信じるって、とても大切なこと。
それを、周りの友達から、教えて貰った。
お婆さん、ありがとう。
みんな、ありがとう。
人生って、もう、感謝しかないのです。