おじさんは心配ない。
もっと小さい時、母さんは私たちを育ててくれている。
そしてそれが世界のすべて…。
なぎさは夢を見た。
まわりはマーブルケーキのように、今までの風景と闇の暗さが入り混じって、目まいがした。
ドンとしりもちをつくと、ふいに引力から解放された。
何者にも触れない闇の中で、ひとりぼっちで意識だけの世界のようだ。
手も足も空を切る。
「光治君、お婆ちゃん」
叫んだけれど、なぎさは自分のの声さえ聞こえない。
「三人で冒険」と思ったら一人っきり。
頼りなさで、泣きそうだった。
闇の中から、何かがきらめいた。
大きな氷の塊が宙に浮いている。
その、九十パーセントが、海水の中に沈んでいる。潜在意識の中に入ろうとするかのように、小さな無数の泡になぎさは包まれた。
海中のアザラシのように、泡はなぎさごと中に運んだ。
「なぎさ なぎさ」
泡は、ささやくようになぎさの名前を呼んだ。
誰かが通信してきた。でもおばあちゃんでも光治君でもない。
「誰?」
お父さん? もしかして死んだの? 何も言わない、ただ佇んでいる。
その人の顔はおぼろげながら記憶にあった。
すまなそうな気持ちが伝わった。
なぎさの目から涙があふれてきた。
「父さんなの?」
「わたし、ずっと待ってたのよ~。迎えに来てって、働いて、お金貯めて、家族が住める家を建ててくれるって、ずっと待ってたのよ。
なのに、一人で死んじゃって、死ぬ前に少しは、わたしたちのこと想ってくれた?」
やせた相手はなにもいわない。首をうなだれて横に振った。
なぎさの右手に、いつの間にか、大きなグローブをはめていた。
父さんにカウンターパンチを食らわせた。
爆発した、怒りの噴火はとどまることを知らず、何回も何回も、ボコボコになぐり付ける。
段々になぎさの方の力が強くなった。
父さんは黒く小さく痩せていって、「ごめんな」土下座じて謝った。最後に空中分解して光を放った。
そして消えた。
「もう、とっくに許していた…」
目が覚めた。
新しい朝がやって来た。
母さんくらいたくましい、さばさばしたなぎさが…。
泣いたから、目やにがいっぱいくっついていた。
話は早い方がいいというので、さっそく母さんと、おばさんと三人で、銀行に行くことになった。
なぎさは学校のお昼時間に抜けるのだ。
午後の授業に遅れるかもしれないけど、お家の一大事なのだから仕方がない。
通帳は、家に置いてあるけど、ハンコは光治君の家に置きっぱなしになっていた。
あわてて電話すると、光治君のパパが学校まで届けてくれるという。
イラストレーターの大先生が…。
「申し訳ないです!ありがとうございます!ハンコを預けてたこと、内緒にお願いします!」
なぎさは、汗をかきながら何度もお礼をいった。
振り向くと、母さんがおばさんといっしょに立っていた。
「もう?」
「何してんの? なぎさ、その先生は?」
こんなことで大人を使って怒られる~。ハンコを、他人に預けていたのがバレル!
なぎさの首が、すくんだ。
「いやあ、この人がぼくの財布を拾ってくれてましてね~。
お礼をいいに来たんですよ~これ少ないけどお礼!」
光治君の父さんが、おっとりと、うまく芝居をしてくれて、財布を開けて二千円なぎさに渡した。
「いいえ…いいんです。困ります!」
「なぎさ、お礼をいいなさい!」
あんな、善人そうな人が、人を担ぐはずがないと思ったのか、母さんはすっかり、本気にした。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます。この子の母です!」
光治君の父さんは、親切過ぎて、銀行まで車に乗っけてくれた。
「え!イラストレーターなんですか?すっごい!」
母さんは、なぎさも実は、本を出しまして、なんてしゃべり出さないか、ひやひやした。
支払いを全部終わると、三人は力が抜けてしまった。
おじいちゃんは、母さんに一任していた。
特になぎさは、風が吹いてもよろけそうなぐらい。
確かに、お金がないと、人って力が抜ける。
不安に陥る。
大人って大変だ。
子供を一人養うのに、一人一千万円かかるという。
母さんはそんな中で、一人頑張っていたんだ。
偉いと思った。
「なぎさ、タクシーで学校に帰って、今日は本当にありがとうね!」
タクシーに乗ると、二人は車を見送った。
「なぎさちゃん、ありがとうございました」
おばさんも、深ぶかと頭を下げた。
おじさんからは、まだ連絡が来なかった。
「警察に電話した方が、良くない?」
母さんは、一日に一回ぐらいはそういった。
「大丈夫だって、明るかったもの」
おばさんは心配どころか、取り合わない。
姉貴が、なぎさにこっそりいった。「死んでくれた方が良かったのかしら」
「う…ん」
なぎさにも、おばさんのあの明るさが、分からなかった。
十日くらいして、一枚のポストカードが届いた。
ピンクの富士山の写真。おじさんからだ。
お元気ですか?
ぼくはすっかり生まれ変わって、富士山の写真撮り続けています。
ケイタイの、伝言聞きました。
何から何まですっかりお世話になりました。
父さん、なぎさちゃん、ありがとうございました。
凛子、子供にも心配かけてすまなかった。
正美すっかり世話になってしまいました。
近いうちに落ち着き先が決まったら、連絡します。
波多野博之
「よかった、生きてた。一安心だわね~」
おじいちゃんは、何も言わない。おばさんはもちろん、うれしそうだった。
母さんはほっとしていた。
本当になぎさはクラスメイトから、リッチだろうと思われていた。
税金もいっぱい納めていた。
でも、ふところ具合は木枯らし状態だった。
前にもまして、つつましく暮らしていた。
ノコからは、
「あの本、買いなよ、面白いよ!」
色んな本をいっぱい紹介してくれるけど、貧乏で買えなかった。
ノコにはそれがわからない。
光治君の父さんにもらったお金は、「財布と相談をして…」ありがたく、もらっちゃうことにした。
子供は親の保護の元で、安心して生活できる。
はずである。
でも、大人の事情で、そうとは限らない、こともある。