3-1. ヒロイン願望
私は中埜姫愛。専門学校を卒業して声優になり、3年の月日が経った。ともかくチャンスは逃さないとばかりにオーディションを受けまくり、バーチャルアイドルの仕事を手に入れた。バーチャルアイドルユニット「ロゼマリ」のロゼというキャラクターを演じている。まったくの無名のところから始めたので最初のころは辛かったけれど、最近は固定的なファンも付いて仕事も忙しくなってきている。そうした上り調子の中、充実感を味わっているものの、時折り物足りなさを感じてしまうこともある。バーチャルアイドルとしての活動は、それはそれで楽しいのだけど、自分が本当にやりたいことが他にあったからだ。
私にはヒーロー願望、いや女だからヒロイン願望?があった。他の人を護って戦う存在に憧れていた。声優になって、戦うヒロイン役のオーディションをいくつも受けたのだけど、残念ながらすべての選考に漏れてしまっていた。
その昔、まだ小学生になり立てのころ、同級生に気の小さい女の子が居て、良く男子たちにからかわれたりしていた。私はそれが許せなくて、いつもその子を庇って、男子たちと喧嘩をしていた。まあ、小さいころは女子でも負けなかったんだけど、学年を経るとともに男子の方が強くっていき、私は全然勝てなくなってしまった。力で勝てなければ、他の方法を考えれば良かったのかも知れないけど、考えても良い知恵が思い浮かばなくて、結局いつも力押ししようとして負けていた。そうしている中、その子の父親が転勤になり、家族揃って引越してしまい、私が戦う理由がなくなった。そして、理由が無くなったのを良いことに、私は戦うことを止めてしまった。実際には、男子には体力的に勝ち目が無いからと諦めてしまっていた。
それから中学生になり、高校生になったときも、戦うヒロインへの憧れは持ち続けてはいたものの、その一方で諦めに似た気持ちが心の中で同居していた。そして、声優になったとき、戦うヒロインのキャラクターを演じられればと思ったのだけど、実現しないままの日々が続いていた。
そんなある日、そうした鬱々とした感情の中にいた私を揺り動かすような出来事に遭遇した。
3月下旬の日曜日、私は仕事のために秋葉原に行った。駅から仕事場のあるスタジオに向けて歩く途中、歩行者天国の中を通ろうとしたときのことだった。歩行者天国に使われている車道の真ん中で、突然小さな竜巻のようなものが巻き上がった。そして、それが消えたと思ったとき、そこに魔獣が一体いた。その魔獣はクマのような姿をしていた。魔獣のことは学校で習っていたが、見たのは初めてだった。
「きゃー」
私の周りの人たちは、叫び声を挙げると、一斉に逃げ始めた。私も逃げなければ命が危ないとは分かってはいた。しかし、その場から動くことができなかった。決して恐怖したのではない。敵う筈もないにも関わらず、自分の宿敵に会ったかのような高揚感を覚えていた。だから冷静に魔獣のことを見ていたのだ。
そうしていたら、魔獣が私の方を見た。そして、獲物を見つけたかのように私の方に近づいてきた。流石に不味いなと思いつつも、変に魔獣を刺激して、周りに被害を及ぼさないようにしたいと考えている自分を感じていた。
そのとき、道路沿いのビルの上に光るものがあった。見上げてみると、髪は白に近い銀色、目は黒に近い銀色に輝かせた女性がビルの上に立っていた。ところどころに銀の筋の入った膝上丈の白い和服を着ていた。髪の毛は後ろでまとめていて、簪を挿している。光を感じるのは何故かと良く見ると、髪が銀色なだけでなく、体全体が銀色の光に包まれているようだった。彼女は右手に剣を持っていたが、その剣の刃も銀色の光に包まれていた。
彼女は黙ったままビルの上から飛び、魔獣と私の間に降り立った。そして、魔獣と相対すると、剣を構えて魔獣に向け走り出す。魔獣は、前足を上げて後ろ足だけで仁王立ちになり、彼女が間合いに入ったのを見極めると右の前足を振り下ろした。彼女はその攻撃を余裕で躱し、剣を振りかぶって、魔獣の右側から首筋に向けて剣を振り下ろした。そしてその剣が魔獣の首筋に触れた瞬間、剣を包んでいた銀色の光が、魔獣の首深くに突き刺さったように見えた。そして魔獣はそのまま道路に倒れこんで、動かなくなった。
それはあっという間のことだったけど、私の目の奥に深く焼き付いた。魔獣を一撃で斃した彼女は、一瞬振り返り、ちらりと私のことを見て軽く微笑んだ。そして前に向き直ると、歩道の方に走り始め、しかし歩道に到達する前に上にジャンプしてビルの上に上がると、裏手の方へ行って見えなくなってしまった。
それは私が憧れていた戦うヒロイン像をまさに実現したかのような光景だった。普通にはあり得ない筈なのに、なぜだろう現実のものとして違和感なく受け入れている自分がいた。
それからというもの、彼女のことが頭から離れない。もちろん仕事はきちんとやっていたが、時間に余裕ができると彼女のことを思い出して感動を反芻してしまうようになっていた。
「あー、彼女、凄かったよなぁ」
「ん?姫愛、またその話?」
その日の撮影が終わった後の控室で、バーチャルアイドルユニット「ロゼマリ」のマリを演じている相棒の陽夏にいつものように話しかける。撮影中まではコンタクトをしていたが、疲れてくると眼鏡にしたくなる。撮影後の控室では眼鏡に替えていた。
陽夏は私の言葉に呆れた顔をしている。もう、この会話も何回繰り返されたか知れない。
「あなたの巫女様熱も全然下がらないわね」
そう、彼女は、その出で立ちからネット上では白銀の巫女と呼ばれる様になっていた。目撃されたのは、秋葉原の一回だけだが、その動画を撮影してネットで公開した人がいたらしく、話題を呼んでいた。私もその動画を何回再生したか知れない。
「私もあんな風になれないかな」
「あなたがどうやってなるのよ?現実逃避はやめなさい」
「うーん、陽夏のいけず」
私だって頭では分かっているのだ、それが現実的な願いではないことを。でも、子供の頃からの憧れ気持ちは膨らんでいて、なかなか抑えることができないでいた。
そして一か月を過ぎたころ、二度目の出会いがあった。
それは4月も下旬に入ったあとの水曜日のこと。その日は新宿での仕事の日だったので、いつもの時間に電車に乗り、新宿で下りて東口に向かった。そして、東口の北側の広場に出ようというところで、秋葉原のときと同じような小さな竜巻が発生した。その竜巻は一瞬で消えたが、そのあとに魔獣が一体出現していた。それはトラのような魔獣だった。
魔獣の出現に気が付いた人々は、一斉にその場から逃げ出し始めた。私は以前と似たようなその様子を眺めながら、もしかしたら、また彼女に会えるかも知れないという期待感を持ち始めていた。
とは言え、目の前には魔獣がいて、私の方を向いて近づいて来ようとしていた。今回も私は微動だにせず、魔獣が近づいて来るのを見ていた。そして、私が魔獣の間合いに入ってしまいそうになったところで、魔獣の鼻先を光が掠めた。よく見ると、ナイフが地面に突き刺さっていた。まだ姿は見ていないが、そのナイフを見て、私は彼女が今回も来てくれたのだろうと思った。
前回よりも余程魔獣が近くにいる状況で、流石に顔の向きは変えられなかったけど、魔獣の注意が私から逸れて、私の右後ろに向いたので、たぶん、そこに彼女がいるのだろう。
「魔獣から目を逸らさずに立っていられるなんて、肝が据わっているんですね」
冷静で、知性を感じる声だった。鋭さも持ち合わせているけど、同時に温かみも感じられる、そんな声色に聞こえた。
歩いて私の横に立った彼女は、私の返事を待つことなく魔獣に斬りかかる素振りを見せたと思うや否や、次の瞬間、魔獣のすぐ脇にいて、剣を魔獣の喉元から突き刺していた。そして彼女が剣を引き抜くと、魔獣はその場に倒れた。
またしても魔獣を一撃で斃した彼女は、剣を一振りして付いた血を吹き飛ばすと、かがんで地面に突き刺さったナイフを拾った。そして立ち上がると、目の前のビルの方に走り出す。彼女はビルに近づいたところで飛び上がり、ビルの屋上に降り立ったかと思うと、その向こう側に移動して私の視界から消えた。
彼女の力がどういうものかは分からないけど、二度まで見たその強さは本物だった。私の彼女への憧れは、強くこそなれ弱まることはまったくなかった。
第三章の始まりです。
3/18が何の日か、お心当たりのある人は同好の士かも知れません。
そうであっても、そうでなくても、楽しんでいただければと思います。




