2-16. 本部の巫女
遠足の翌日の木曜日、部活の訓練は柚葉さんにお願いして、私は黎明殿本部の事務局に向かいました。調査は今日の午前中とのことだったので、放課後には報告が届いているかも知れないと考えたからでした。それに、報告はメールなどでの提出かも知れませんが、もしかしたら本部の巫女に会えるかもという期待もありました。
地下鉄の出口から歩いて行くと、事務局の建物の入口付近に人が集まっているのが見えました。年代としては、高校生から二十代でしょうか。男性も女性もいます。特に何をするでもなく、立ち話をしているようです。このままだと、建物に入るときに退いて貰わないと入れないのだけど、と思いながら近づいていくと、その集団の中にいた頭に鉢巻をした男性が私に気付きました。その人は、TシャツにGパンを履いて、法被を着ています。何やら危なそうな人に見えて、方向転換しようかと思いました。そのとき彼が声を上げました。
「皆さん、人が通ります。道を開けてください」
その男性が声を掛けると、そこにいた人たちが左右に分かれて私の通り道を作ってくれました。
「ありがとうございます」
私は男性にお辞儀をして通り過ぎようとしました。
「いえいえ、私たちは他の人の迷惑になってはいけないと思っていますので、何かあれば言ってください」
物凄く常識人っぽい物言いと、見た目とのギャップに驚いてその男性の顔を見てしまいましたが、彼は私に向かってにこやかな笑顔を見せた後、優雅にお辞儀をしました。
「どうも」
続ける言葉が見つからずに、若干の居心地の悪さを感じながらも、作って貰った通り道を通って建物の中に入りました。
そこから先はいつもと変わることなく、エレベーターで事務局のあるフロアまで昇り、事務局の扉横の認証端末で認証を済ませて扉を開けました。
「こんにちは」
挨拶しながら中に進み、周りを見渡しました。事務局の中もいつも通りのようです。
ホッとしながら円香さんの隣の机の下に鞄を置き、席に座りました。
「こんにちは、清華ちゃん。何かあったの?」
円香さんが尋ねてきました。ここに何度か来ているうちに、円香さんや希美さんとも名前で呼び合う仲になりました。
「何かって、どうしてそう思ったのですか?」
「だって、あなた、自分では気づいていないかもしれないけど、席に座るなり溜息ついていたじゃない」
「え、ああ」
どうやら知らないうちに溜息をついてしまったようでした。
「ここの建物の前に人が集まっていたから何かあったのかと思って。でも、中に入ったらいつもと同じだからホッとしたのですけど」
「入口の人だかりに吃驚しちゃったのね。ああ、そうか、今日は来る日だからか」
円香さんは、一人で納得しているようでした。
「来る日って何がですか?」
「有麗ちゃんよ」
「有麗ちゃん?」
「そう、有麗ちゃん。石蕗有麗。本部の巫女よ」
私はまだ円香さんが言いたいことが理解できていませんでした。
理解が追い付かずに呆然としていた私を見かねたのか、円香さんはさらに言葉を重ねました。
「だから建物の前に集まっていたのは有麗ちゃんのファンな訳」
「ファンですか?黎明殿の巫女に?」
「そうなのよね。最初は軽い気持ちで広報誌のイメージガールやって貰ったんだけど、いつの間にかファンクラブもできちゃって。まあ、その方が都合が良さそうだけどね」
「都合が良いですか?」
「ほら、黎明殿って力を持っている巫女がいるじゃない。何も分からないと危ない奴らって思われてしまって、叩かれる可能性が高くなるのよ。そういう意味ではファンを作って交流して、味方を増やした方が良いでしょう?」
「それは、そうですね。有麗さんは大変そうに思いますけど」
「有麗ちゃんは、満更でもなさそうだから良いんじゃない?裏方も結構面倒なのよ、ファンクラブを運営したり、巫女になりたいって女の子を宥めたり。まあ、黎明殿の有名税みたいなものとして諦めてるんだけど」
ファンクラブの運営まで事務局の仕事になっているとは考えていませんでした。円香さんたちも大変そうです。
「清華ちゃんもアイドルやってみる?」
「いえ、私は遠慮します」
私は首をふるふる振りました。アイドルなんて出来ません。
「ファンの人達って、今日有麗さんがここに来ることを知っているのですか?」
「そうね。有麗ちゃん自身がリークすることもあるみたいだけど、彼らなりの情報網があるみたいよ。今日のは何処からかダンジョン調査に行く話が流れたのかも知れないわね」
ファンの人達は、何処からそう言う情報を手に入れるのでしょうか。侮りがたい感じです。
「ファンの人達も凄いですね。それで、有麗さんはいつ頃来るのですか?」
「そろそろだと思うのだけど」
私は有麗さんに会ってみたいと思いますが、ただここに座ったまま待っていてもと思い、資料の整理の続きをしていようと思いました。
「私、資料室で整理の続きをやっていますね」
円香さんに言い置いて、資料室に入りました。
資料室に入った右側の棚の並びの中で、手前の方の棚の前の通路には、段ボールが重ねられて置かれています。たまに円香さんも箱詰めをやっているみたいですが、大体は私が整理しながら詰めた箱です。入り口に近い方の棚から始めて半分くらい終わったでしょうか。事務局の引っ越しは5月の終わりと聞いているので、それには十分間に合いそうです。
前回止めたところから続きを始めて何箱か詰めたところで、資料室の扉が開きました。誰が来たのか扉の方を向くと、見知らぬ女性が立っていました。髪は丸みのあるショートボブ、アクセントか右側に銀のヘアピンをしています。男装ではないのですがパンツを履いていて第一印象が格好いいと感じる立ち姿です。
「初めまして。貴方が東護院静華さんね?」
「ええ」
何と答えて良いのが少し躊躇しながら、肯定の返事をしました。
「あら、ごめんなさい。自分から名乗らないといけなかったわね。私は石蕗有麗、有麗で良いわ」
「はい、初めまして、有麗、さん」
少し有麗さんの迫力に圧されながら返事を返しました。巫女の力ではない別のオーラを感じ、こういう人ならファンになる人がいるだろうと思いました。
有麗さんは回りを見渡し、積まれた段ボール箱と、私が資料整理して積めている最中の段ボール箱を眺めました。
「ここにある段ボールは、静華さんが詰めたの?」
「はい、一部円香さんが詰めてくれましたけど、大体は私が詰めました」
「これだけ詰めるの、大変だったんじゃない?」
「はい、でも、黎明殿について、色々な資料があるんだなってことが分かって楽しいです」
「そうね、だけど――」
有麗さんは何かを言おうとして言い澱み、顔を伏せがちにしました。
「だけど?」
私がそんな有麗さんの顔を覗き込むと、有麗さんはハッとして顔を上げました。
「ううん、何でもない。でも、全部箱に詰め終わったら、ご褒美をあげようかな」
「ご褒美ですか?」
「そう。良いものを見せてあげる。それが何かは見るまでのお楽しみね」
「はい、楽しみにしています」
どんなものを見せて貰えるのか見当もつきませんけど、どのみちやらないといけないことですし、楽しみにさせて貰いましょう。
「ところで有麗さん、聞いても良いですか?」
「何かな?」
「今日、未確認だったダンジョンの調査に行ったのですよね?」
「行ってきたよ。小型のダンジョンだった。多分だけど、出来てからそう時間が経っていないと思う」
「分かるのですか?」
「簡単に消滅させることができたからね。時間が経つほど消滅させるのが難しくなるから」
そう、お母様に聞いたことがあります。本部の巫女はダンジョンを消すこともできるのだと。東の封印の地の巫女にはダンジョンを消す方法は伝わっていないのですが、それは封印の地の巫女にとっては危険な方法だからとのことでした。
「ダンジョンを消すところを見たかったですね」
「そう?大したことはしてないんだけど。でも、都合が合えば一緒に連れて行ってあげるよ」
「ありがとうございます。お願いします」
新しいダンジョンは、そう頻繁に出現するものもないですが、楽しみにしておきましょう。
「うん。それじゃ、私行くね」
「はい、また」
有麗さんは爽やかな笑顔を残して資料室から出ていきました。私は整理中の資料の山のところに戻り、作業を再開しました。有麗さんと会えたので少し上機嫌になって、せっせと資料の分類と箱詰めをしていきました。




