10-44. 卒業式
「この晴れやかな日に卒業を迎える皆さんの新しい門出を祝うことができて嬉しい限りです。そんな皆さんに今日は二つの言葉を贈りたいと思います」
校長先生の式辞が始まった。いつものように長いのだろう。別に言葉は二つも要らないのだけど、一つにすれば時間も半分で済んでお得ではないだろうか。校長先生の有難いお言葉は私達のためを思っての物だろうとは思うのだけど、どうも頭に入って来ない。そればかりか、強烈な眠気を誘うのだけど。
私達は寝なくても死なない。だけど、何故こうも眠くなってしまうのだろう。高度な催眠術なのか。私たち巫女は、力押しなら負ける気はしない。でも、精神攻撃には結構弱いのかも知れない。不味い、記憶が飛びそうだ。
今日は高校の卒業式。校長先生の話の前に卒業証書の授与があった。その時は、卒業生の全員の名前が読み上げられた。当然、清華の名前も呼ばれたけど、清華はこの場にはいない。あの日からずっと理亜さんの病院のベッドで眠り続けている。
式前のホームルームで出欠の確認があった時、担任の山際先生から清華は病気で欠席すると家から連絡があったと伝えられたため、清華の不在についてクラスの中で大きな話題になることも無かった。
普通の人からすると、病気で欠席するのは当たり前のことだからだろう。私達からすれば、巫女が病気をすること自体があり得ないのだけど。
「私は、この学校から巣立った皆さんが、新しい世界へと足を踏み入れていき、この社会の中で活躍されると信じています」
あ、何かここだけ耳に入って来た。新しい世界へとか校長先生、良く分かっていらっしゃる。
と、気付いたら式辞も締めに入っていた。二つの言葉は何と何だったっけ?思い出せない。後でワリサちゃんにでも気いてみるか。
私が頭の中でどのように考えようとも式の進行には何の影響もなく、来賓の祝辞が続いていく。そして、生徒会長による在校生の送辞、卒業生である前生徒会長による答辞を経て、卒業式は恙なく終わりを迎えた。
皆の拍手に見送られながら退場すると、クラスに戻る。そこで卒業証書を入れる筒を受け取り、山際先生が最後の挨拶をして解散になった。
そして、私が教室から出ようと席を立ったところに、ワリサちゃんがやってきた。
「あの、ダユちゃん、お話があるのです」
いつになく真剣な表情だ。ワリサちゃんのことだから、清華のことに違いない。簡単に終わる話だろうか。いや、ワリサちゃんとは時間を気にせずに話をしたい。
「良いんだけど、後でも良いかな?先に用事を済ませたくて」
「用事ですか。分かりました、待つのです」
ワリサちゃんとは用事が終わった後に連絡を取ることにして、私は一人で物理科の教官室へと向かう。
教官室の扉の前で、私は軽く深呼吸してから扉を軽くノックしてから開く。
「失礼します。三枝先生は?」
先生は扉近くの自席で机に向かっていた。私の言葉に先生が反応してこちらを見る。
「ああ、南森君か」
私が返事をするより早く、先生は立ち上がって廊下に出て来た。
「卒業おめでとう。態々挨拶に来てくれたのか?」
「ありがとうございます。挨拶もですけど、これを返さないとと思って」
私は鞄から黒い箱を取り出して、先生の前に掲げる。
「これは、確か以前古物商で手に入れた物だったか」
「そうです。物理準備室に置いてあった物です」
三枝先生は私から箱を受け取ると、それをしげしげと眺めていた。
「結局、これが何かは分かったのか?」
「ええ、通信用の道具でした。二つで一組なので、これ一つだけだと使えないのですけど」
「通信用?その割には回路が見当たらないが。ん?もしかして、魔道具?黎明殿の巫女しか使えないと言う」
ふむ、私は敢えて魔道具とは言わなかったのだけど。
「先生は魔道具を知っているのですね」
「学生時代に見たことがあったんだ。古物商でこれを見た時に、学生時代に見た魔道具と雰囲気が似ていたので思わず買ってしまったのだが、本当に魔道具だったとはな。教えてくれてありがとう」
目尻を下げた表情から、嬉しいと思っていることが分かる。当然、先生には使えないのだけど、使えるかどうかは先生にとっては問題ではないのだろう。
「いえ、大したことではないので」
実のところ、調べてくれたのは灯里さんだからね。
私は二年間お世話になったお礼を言ってから、先生と別れた。
それからワリサちゃんと合流すべく、探知で探してみる。さっきまた会う約束をした時にワリサちゃんにマーキングしておいたし、校内にいることが分かっているので、見付けるのは簡単だ。正門の近くにいる。
下駄箱で靴に履き替え、脱いだ上履きは鞄の中に仕舞う。これでもうここの生徒ではなくなるのだと実感が湧いて来る。清華が一緒ならとの想いが湧いて来るけど、後悔するのは止めて前向きになるんだったと思い直す。それは兎も角と見回すと、清華の場所にまだ下履きがあったので回収しておく。教室に残っていた清華の持ち物も私が預かってきている。後で纏めて清華の家に持って行くつもりだ。
校舎の外に出た私は、探知でその所在を確認しているワリサちゃんのところへと向かう。そこへ行ってみると、ワリサちゃんはクラスメイトと一緒に写真撮影して貰っていた。
「あー、ダユちゃんが来た。こっちこっち。一緒に写真を撮ろう」
私に気が付いたワリサちゃんに引き込まれて、私も一緒に写真に収まる。それにしてもワリサちゃんは、どんな状況でも私のことをダユちゃんと呼ぶ。それは割りと最近のことではあるけれど、クラスメイトは既にそれを当たり前のこととして受け入れている。だけど、ワリサちゃんの真似をして私のことをダユちゃんと呼ぶ人はいない。私もワリサちゃんのことをワリサちゃんと呼んでいるし、私のことをダユちゃんと呼べば漏れなく素敵な渾名を進呈して貰えると認識されているのかも知れない。お望みとあらば、渾名を進呈するのは吝かではないものの、今日は高校最後の日。この期に及んで、新たな渾名を欲しがる猛者はいないようだ。
さて、先程から私はワリサちゃんと幾つかの写真に収まっている。撮影しているのは大人の男の人。もっと簡単に言えばワリサちゃんが「パパ」と呼ぶ、つまりはワリサちゃんのお父さんだ。温和で優しそうな人に見える。隣にはお母さんらしき人が控えていた。
何枚かの写真を撮り終えると、ワリサちゃんは私を両親の目の前にに連れていき、紹介してくれた。
「南森柚葉です。ワリ――理紗さんとは親しくして貰っています」
「貴女がダユちゃんでしたか。娘がいつもお世話になっています」
おいおいワリサちゃん、両親にもダユちゃんと言っているのかい。
「いえ、私の方こそ」
心の中の突っ込みはおくびにも出さずに笑顔を向けておく。
「これからも御一緒させていただくみたいで。足手纏いになりそうで心配なのですけれど、弛んでいるところがあれば、ビシッと叱ってやってくださいね」
「はい」
ん?何のことだろう。同じ大学に行くことになったのを言っているのだろうか。ワリサちゃんも清華も私も、第一希望の西早大に合格した。清華も含めて入学の手続きを取ったけど、清華と私はそれと同時に休学の手続きもしている。そのことをワリサちゃんの両親は知らないのだろう。
「ママはもう、余計なこと言わなくて良いのです」
「いえ、こう言うことはきちんとしておかないといけません」
ワリサちゃんのお母さん、しっかりとした人だな。
「うー」
ワリサちゃんは不満があるようで、頬を膨らませている。
「兎も角、私はダユちゃんと話があるので、パパ達は先に帰っていて欲しいのです」
「そうか、分かった」
ワリサちゃんのお父さんはワリサちゃんに向けて頷くと、私の方を見た。
「それでは、これからも理紗をよろしくお願いします」
そうして両親は私に頭を下げてから立ち去っていった。
「ご両親、先に帰って貰って良かった?」
「ダユちゃんとお話しておきたかったので。両親とは夜、外に食べに行くことになっていますから良いのです」
「そう、それで話って?」
話を振ると、ワリサちゃんはもじもじし出した。
「あのう、他の人に聞かれたくないので、別の場所に行きたいのです」
だとするとどうしようか。琴音さんのところでも良いのだけど、どんな話か分からないし。
「私の部屋に来る?」
「喜んで行くのです」
私達はまだ残っていたクラスメイトに手を振って別れを告げると、学校を出て私の部屋に移動した。
それにしても、ダユちゃんを一人だけで私の部屋に呼ぶことになるとは思わなかった。私はあまり他人を部屋には呼ばないし、これまで部屋に来たのは巫女仲間だけで普通の人が来たことは無いし、ワリサちゃんはいつも清華と一緒だったから。
ワリサちゃんをリビングに招き入れると、ローソファへ座るように促しつつ、冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出し、コップと一緒にテーブルまで持っていった。
私はワリサちゃんと向い合せに座ると、お茶を注いだコップをワリサちゃんの前へと置いた。そして、早速本題に入ってしまおうか、落ち着くまでは世間話をしようか悩んでいると、ワリサちゃんの方が先に口を開いた。
「清華様、今日はお休みだったのです」
当然のように清華のことだった。
「卒業式だったのに残念だったよね。病気になっちゃったみたいで」
「清華様の病気は、暫くは治らないと聞いたのです」
ワリサちゃんが真っ直ぐ私を見る。
「うん、そう。時間が掛かるだろうって言われてる」
ワリサちゃんの静かな迫力に負けて、私の方が目を逸らしてしまう。
「それでなのですが、ダユちゃん、清華様のためにやろうとしていることがあると聞いたのです」
「え?何のこと?」
あの話は内密に準備が進められていて、ワリサちゃんが知っているとは思えなかった。だから心当たりの無い振りをするしかなかった。
「清華様の病気の治療のために旅に出るのですよね?」
「どうしてそれを」
私が吃驚して尋ねると、ワリサちゃんは薄く微笑んだ。
「父が東護院の探偵社にお世話になっていて、その伝手で話を聞いたのです」
「そうなんだ」
ワリサちゃんが旅のことを知っている理由は納得した。でも、ワリサちゃんの話はそれで終わりそうには思えなかった。そして、その予感は直ぐに正しいことが証明される。
「ダユちゃん」
「何?」
私達は互いに見詰め合う。ワリサちゃんの瞳に決意の色が見える。
「私もその旅に行くのです」
「いや、あの、ワリサちゃんも行くって。危険だよ」
「清華様のためなら問題ないのです。どの道、ダユちゃん一人では清華様を連れて行けないから探偵社に協力をお願いしたのですよね?だったら私が立候補するのです」
ワリサちゃんが燃えている。水を差すのは悪いとは思いつつも、ワリサちゃんが何処まで分かっているのか心配で仕方が無い。
「ねえ、ワリサちゃん、行き先が分かってる?私達の常識が通用しない場所だからね」
私の問い掛けにワリサちゃんは大きく頷いて答えた。
「知っているのです。目的地は異世界なのです」
うん、その通り。それは正しいんだけど、本当に危ないところだって分かっている?




