10-43. 癒しの手立て
「清華はどうですか?」
大会議室の床に横たえた状態で、理亜さんに清華を診て貰っていた。
「外傷は無いな。身体は完全にアバター化しているし、異常も見られない。となると、精神的な要因が疑われるが」
理亜さんも困惑した表情を見せていた。
「状況からすれば、四百年前の幻獣召喚時と似ているのだが、症例が少な過ぎて判断が付かない。どうしたものかな」
「理亜さんも分からないとなると、困りましたね」
素直な感想を述べただけなのだけど、理亜さんに苦笑された。
「私も随分と買われたもんだな。だが、この件に関しては私は素人だ。診て貰う適任者は他にいる」
「誰です?」
「余り頼りたくない奴だ」
理亜さんの頭の中にはあるであろう、その具体名は教えて貰えなかった。
「ともあれ、まずは新宿に移送しよう。細かいことは、それからだ」
周りに立っていた人達も、理亜さんの号令を機に動き出そうとする。
「救急車を使いますか?」
問い掛けたのは詩さんだ。理亜さんは少し考えてから首を横に振る。
「いや、いい。篠の車で行こう。頭をクッションか何かで支えてシートベルトをしておけば大丈夫だろう。詩は清華を運んでくれるか?柚葉は悪いが二人分の荷物を纏めて来てくれ」
「神槍はどうします?」
「私が預かっておこう。当面必要となることも無いだろう」
私が床に放ってしまっていた神槍を取り上げて理亜さんに渡すと、理亜さんはそれを何処かへと転送した。
「一応教えておくと、三ノ里の私の部屋だ」
説明が無かったけど、神槍の保管場所のことだろう。
「分かりました。荷物を取ってきます」
詩さんが清華の頭を持ち上げていた。清華のことは任せておけば良いだろう。私は荷物を取りに昨晩泊まった部屋へと向かう。
帰りの車内は、往きにも増して静かだった。私は清華と共に後部座席に座り、清華の頭が変な方向に傾かないよう、ずっと見張っていた。そして、どうして清華がこんなことになってしまったのかと考えるのだけど、思い付くことは何も無く、思考が空回りしていた。
それから何時間かして。
篠さんの車は、夕方早くに新宿の卯月クリニックに到着した。
看護師さんがストレッチャーを持って来てくれたので、清華をそれに乗せ病室まで運んだ。清華が病室のベッドの上に横たえられると、私はその横に付いて座っていることしかできず、しかし、理亜さんは篠さんに東護院家への連絡など指示を飛ばしていた。
清華のお父さんが病院に来たのは夜になってからだった。
私は黙ってお辞儀をするくらいしかできず、説明は理亜さんに頼ってしまった。理亜さんは、自分がその場にいなかったかのように「聞いた話を総合すると」と前置きしてから、黎明殿の巫女としてのお役目を果たす中で、清華が眠りに就いてしまったことを尤もらしく説明してくれた。
その説明を清華のお父さんがどんな顔をして聞いているのか、私は怖くて見られなかった。ただ、「巫女としてのお役目であれば、仕方が無いですね」と諦め交じりの口調で言ったのを聞いただけだった。
その日の夜は、そのまま清華の病室で過ごした。清華のお父さんが帰ってから、篠さんがサンドイッチを差し入れてくれたので食べた。思い起こせばお昼も食べていなかったのだけど、まったく忘れていた。まあ、この体なので食べなくても死にはしないものの、食事をしているときは食べ物の方に思考が流れて少し気が紛れた。
さて、私はずっと悲嘆に暮れていた訳ではない。勿論、清華が倒れた当初は何故そんなことになったのかを考えていたけど、分からないとことについて一人で考えていても答えが出て来る筈も無く、私は早々に考えるのを諦めていた。
その代わり、清華が良くなるためにできることはないかと考えていた。清華の身体を変えてしまったように、巫女の力で治癒し続ければ治ると言うのなら喜んで治癒するのだけど、巫女の力が精神に影響を及ぼすことがあるとは聞いたことが無かった。
あの靄の空間に行けばどうだろうか。精神と魂は大きく関係しているように思える。しかし、少し考えて、使えない選択肢だと結論付けた。あの空間なら魂に触れることはできるだろう。でも、あの空間にいたとき、魂は物凄く脆い物のように感じていた。私が少しでも触ったら、修復どころではなく壊してしまいそうな、そんな儚さがあった。単なる印象でしかないけれど、それは間違っていないような気がする。それに、あの空間には私一人ではいけない。清華がいなければ、私はあそこには辿り着けない。
精神を直接治癒するのが駄目ならば、間接的にはできないだろうか。巫女の力でマッサージして、リラックスして貰えれば精神も良くなったりするとかそういう方向性だ。もっと簡単には手を握る、声を掛ける、音楽を聴かせるなどで、実際、手を握ったり声を掛けたりはしていた。逆に言えば、それくらいしか清華にしてあげられることが思い付かず、不甲斐ない自分に腹を立てていた。
そう言えば理亜さんが適任者に頼らないとみたいな発言をしていたのを思い出したのは、翌日の午前中に理亜さんが病室に見舞客を伴って来た時のことだった。その見舞客とは珠恵さん。顔を見た瞬間に、ああそうかと思った。紅の御柱の力の一つである真実の目は魂を映すと伝えられている。ならば、その力を持つ珠恵さんなら清華の状況が分かるかも知れない。
「やあ、柚葉ちゃん、大変なことになっちゃったね」
病室に入りながら、手を挙げて気さくに声を掛けてくる。いつも通りの珠恵さんだ。
「あの、お願いします。清華を視てください」
私は椅子から立ち上がり、心を込めて深く頭を下げる。
「視るのは良いんだけど、私に何処まで分かるかは―――」
と、珠恵さんの声が途切れた。珠恵さんは清華の方を向いて固まっている。
少ししてから動き出した珠恵さんは、私を見た。
「柚葉ちゃん、何があった?どう見ても清華ちゃんの魂が凹んでいるんだけど」
え?凹んでいる?
「私、清華には何もしてませんよ。清華は直前まで笑顔で話をしていて、落ち込んでもいなかったし」
「あー、いや、落ち込むことを凹むとは言うけど、今の清華ちゃんの状態はそれとは違うから。柚葉ちゃんも魂の地平で見たんだよね?魂は皆、丸くなかった?だけど清華ちゃんの魂は、その一部が何かに押し潰されたように凹んでいるの。それって普通には起きないから」
魂は丸い。正確には球形だけど、確かに靄の掛かった空間で見た魂は、大きさは大小様々で不揃いだったにせよ、形はすべて丸かった。
「でも、私は清華の魂には触ってないですよ」
「本当に?じゃあ、清華ちゃんと最後に話をした時からのことを、順番に思い出して教えて貰える?」
珠恵さんがグイグイと迫って来る。まあ、あの時一緒に幻獣召喚をしていた私が怪しいと言うのは分かるけど。
私は清華の身体をアバターにした後のことを思い出そうとする。
「清華が力を同調させたら、靄の掛かった空間にいて」
「魂の地平ね」
「魂の地平って言うんですか?あの空間のこと」
確認すると、珠恵さんは軽く肩を竦めてみせた。
「そうらしいよ。でもごめん、話の腰を折って。魂の地平に行って何をした?」
「魂を二つ選んで、器を調整して、器に繋がっていた管を通して魂を入れました」
「それだけ?魂を器に入れるところで何かしなかった?」
何だろう。やけに突っ込んでくる。
だけど、聞かれたことにはきちんと答えないとと記憶を漁る。
「えーと、そう言えば、管の途中が出っ張っていたので滑らかにしましたね」
「どうやって?」
「どうやってって、勿論、出っ張ったところ押してですけど――」
ん?私、「押して」と言った?血の気が引いた感じがする。
「だから器に繋がっていた管ですよ」
半分は自分に言い聞かせるように主張した。
「それって魂の地平での視点で言っているよね」
イエスかノーしか許されない質問だ。
「はい」
「その器って幻獣創造陣で創られた物じゃないのかな?」
「そうです」
「幻獣創造陣でやることは器を創るだけじゃなくて、そこに魂を入れることも含まれているよね?」
「はい」
「じゃあ聞くけど、幻獣創造陣で創った器に魂を入れるための管って何だと思う?」
珠恵さんの言葉に追い詰められた私は、観念するように答えた。
「幻獣創造陣を起動していた清華と私の力や魂の一部ではないかと」
「そう言うことだね」
私に同意を示した珠恵さんは、真剣な表情のまま腕を組んだ。
「やってしまったことは今更無かったことにはできないし、後悔しても始まらないからね。兎に角、これから魂の地平で何かに干渉する時には本当に慎重になるように」
「はい、そうします」
二度とこんな過ちは犯したくない。いや、今回だってやってはいけなかったのだ。後悔先に立たずとは言うけれど、間違える前に何か気付けても良かったのではと自分を責めたくなる。
「それで清華ちゃんだけど」
項垂れたまま顔を上げない私。それでも、珠恵さんは話を続ける。
「聞いた限り、魂の一部が欠けたようなことは無いみたいだから、時間が経てば治ると思う。だけど、今は魂が変形してしまっていて、器である身体と魂との間に隙間があるような感じになってる。魂の形が戻ってその隙間が無くなれば、清華ちゃんは目覚める」
時間が経てば清華は治る。その言葉が私の救いになった。
私は顔を上げて珠恵さんを見る。
「清華は後どれくらいで目覚めますか?」
「それなんだけど」
今度は珠恵さんの方が目を逸らせた。
「正直良く分からないんだよね。魂って弾力がとても弱いから本当に少しずつしか治らないって聞いてるんだ。だから、年単位で掛かるんじゃないかって」
「そうですか」
年単位か。幸いにと言うか、清華の身体はアバターなので、このまま何年放置しても死ぬことは無い。だとしても、眠っている間に長い時間が経ってしまっていたとしたら、清華もショックを受けるに違いない。
再びガックリと肩を落とす。
「あのさ、柚葉ちゃん」
そんな時、迷いのある自信無げな口調で珠恵さんが声を掛けて来た。
「清華ちゃんの回復に役立つかもしれない伝承があるんだけど、試してみる気はある?」




