10-38. 雪希と有麗、裏の22番に表の51番
ガチャ。
私が呼び鈴に手を伸ばすよりも先に扉が内側から開いて、女性の顔が見えた。有麗さんだ。
「いらっしゃい。三人目は柚葉ちゃんか。後からまだ誰か来る?」
「いえ、私が最後です」
「あら、そう。兎も角、中へどうぞ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
有麗さんに招き入れられて中へと上がる。通されたリビングには有麗さんの言葉通り、先客が二人いた。
「空いているところに適当に座って頂戴。コップはここに置いておくわね。ペットボトルはそこにあるから」
言われるがまま、私はローテーブルの空いている席に座る。そして有麗さんがテーブルの上に置いてくれたグラスを取り、自分でペットボトルのお茶を注ぐ。
有麗さんは作業机の椅子に座った。トレーナーの部屋着姿だ。この人、外出する時はお洒落を気にするのだけど、家の中では完全にラフな格好になる。頭もボサボサのままだ。
「それで?雪希ちゃんが灯里ちゃんを連れて来た時は、研究室関係かなとも思ってたんだけど、柚葉ちゃんが来たと言うことは黎明殿絡みってことよね?でも、あれ?雪希ちゃんは三ノ里の眠り姫って聞いているから良いとして、灯里ちゃんも巫女ってこと?私、聞いていないんだけど」
すると、灯里さんがテーブルをバンバンと叩いて抗議の意を示した。
「有麗さん、そんな寂しいこと言わないでくださいよぉ。この前、一緒に鯵の開きを焼いた仲じゃないですか」
「鯵の開き?ああ、あの時の裏の巫女の子、祈利ちゃんって言ったっけ?くさやの干物を持って来た子だよね。そっかー、あれが灯里ちゃんのアバターなんだ」
「え?灯里ちゃんのアバターって、あの天乃イノリに似ているってことぉ?私見たことないよぉ。灯里ちゃん見せて欲しいなぁ」
どうやら有麗さんの理解は得られたようだ。雪希さんのおねだりには戸惑っている様子が伺えたのだけど。
「雪希ちゃんに頼まれたら仕方が無いなぁ。だけど、ちょっと待って、今、何着てたっけ?あ、これ、この前と同じ服だ。ごめん、着替えさせて」
「え?灯里ちゃん、何をしているのぉ?」
「何って?だから、アバターを着替えさせてるんだけど」
「いや、灯里ちゃん。生身の体を動かしながらアバターも動かすとか、普通やらないから」
有麗さんからも突っ込みが入った。
「そうなんですか?母からは、二つの身体を動かすのなんて基本中の基本、四つ動かせて一人前だって。それで頑張って練習してるんですよ」
「何か、著しい基準の違いを感じるわ」
そうですね。私も有麗さんに同感です。
「着替え終わったんだけど、アバターもこっちに呼んだ方が良いかな?」
「灯里ちゃん、悪いんだけど、ここは少し手狭だから入れ替わって貰える?」
「オッケーです」
灯里さんは有麗さんの要望に敬礼で応じると、アバターと身体を入れ替えた。
今のためにアバターに着替えさせたので、どんな服装かと思って気になって見たのだけど、下はパンツを履いて、上は天乃イノリのキャラクタートレーナー?
「おおーっ、天乃イノリだぁ。でも、何でトレーナー?」
「雪希ちゃん、これはですね、敬愛する有田川麗先生デザインによる新作トレーナーなのですよ。販売開始前ですからね、貴重なんです」
フフンと鼻息も荒く自慢する祈利さん。
そして、呆気にとられている有麗さん。
えーと、祈利さんは分かっているんだっけ?分かっていないんだっけ?
私は口を挟んだものか思い切り悩む。雪希さんも困ったような顔をしている。
すると、有麗さんがおずおずとトレーナーの裾を持ち上げ始めた。
「実は私も、下のTシャツは有田川麗デザインのものなのよね」
「おおっ、石蕗有麗Tシャツですね。これ、売られているの見たこと無いんですけど、特別に作って貰ったとか?」
祈利さんは、有麗さんに飛びつかんばかりに近寄り、Tシャツに描かれている絵柄を確認している。
「ええ、そんなところね。ところで、貴女は有田川麗がどんな人物だと考えているのかしら?」
「どんなですか」
祈利さんは有麗さんから少し距離を取り、宙を見上げた。
「何となくですけど、私は絵柄に性格が出ているんじゃないかと思うんですよね。繊細だけど大胆。強くて芯が通っているところがある一面、優しいところもある。そして理知的で明るい人かな?有麗さんどうかしました?」
「え、いや、何でもないから」
有麗さんの顔が真っ赤だ。自分で聞いておいて、何を照れているのやら。その光景が雪希さんのツボに嵌ったらしく、一所懸命に笑いを堪えているのが微笑ましい。
この三人には一緒に崎森島に行って貰わないといけないので、交流を深めてもらうのは大歓迎ではある。とは言えだ。
「あの、そろそろ本題に入っても良いですか?」
周りが年長者ばかりで気が引けるけど、この場を設定したのは私なのだ。心に気合を入れて声を掛ける。
「そうね、そのためにここに来たのだものね」
真っ先に反応してくれたのは有麗さん。流石は大人、頼りになる。
「ごめんごめん。有麗さんと趣味が合ったので、舞い上がっちゃったよ」
「それで、何のお話ですかぁ?」
祈利さんも雪希さんも話を聞く姿勢になってくれた。
「今日集まって貰ったのは、来週にやる予定の幻獣召喚についてです」
それから私は幻獣召喚の実施方法を説明した。中央に一人、北と南の封印の地に三人ずつに分かれてチーム戦を起動し、それぞれが作動陣を描いて幻獣を呼び出した後、理亜さんが準備した封印の魔道具でその幻獣を封印して完了となる。
「それで私達三人が集められて説明を受けているってことは、私達が北か南のどちらかの担当ってことよね。多分、南の方?」
「そうです。良く分かりましたね」
「チーム戦をやるなら、気心が知れているメンバーが良いからね。柚葉ちゃんの知り合いで北の方に行きそうな人って簡単に想像が付くじゃない。花楓に愛花ちゃん、摩莉ちゃんでしょう?良いなぁ、私、花楓と入れ替われないかな?」
私に向かってにっこりと微笑む有麗さん。でも、その魂胆は見え見えだ。
「有麗さんのお目当ては、ロゼマリの二人に歌って貰うことですよね。あちらの組に入れたら、仕事そっちのけで二人に歌わせそうなんで駄目です」
「そう言われると思った。単に言ってみたかっただけよ。それに、花楓や摩莉ちゃんがあの地に思い入れあるのは知ってるから」
「分かって貰えているなら助かります」
私が微笑んでみせると、有麗さんは詰まらなさそうな顔を見せた。
「私、何で聞き分けの良い大人やっているんだろう。ここは芸術家っぽく本能の赴くまま幼稚で我儘で奔放に行くべきところのような気がするのよね」
「それ、やってみます?」
「止めとくわ。後で恥ずかしくて死にたくなるだろうから」
「ですよね。理知的で明るい有麗さん」
祈利さんは良く見ている。有麗さんには本能的に動く面もあるのだけど、本質は理知的なのだ。羽目を外すようなことはできない。例外はロゼマリを相手にした時くらい?
「まったく。大人を揶揄うのは止めてくれる?」
少し顔を赤らめて、苦言を呈する有麗さん。可愛い。
「それで、現地入りはどのようにするの?北の方は全員表の巫女だけど、こっちは私以外は裏の巫女なのでしょう?」
有麗さんが、その場を取り繕うように話題を変えて来た。でも、今日の相談事項の一つでもあり好都合だ。
「はい。だから、三人一緒に行くのは無理ですね。有麗さんは、すみませんけど、理亜さんが本部に預けている魔道具を崎森島に運ぶ役でお願いします。そうすれば、地域の担当の千景さんではなくて有麗さんが行く理由になりますから」
「荷物運びは趣味じゃないけど、今回は仕方が無いわね。それで二人はどうするの?」
「お母さんから招待を受けたと言う形を取れないかと。灯里さんはこの前も島に行ってますけど、お母さんからはまた来るようにと言われてますから。季さんと一緒に招待を受けたけど、季さんの都合が悪くて代わりに雪希さんを誘ったとか」
「私が雪希ちゃんだけを誘うってのがイマイチわざとらしい気もするけど、仕方が無いか」
肩を竦める祈利さん。
「雪希さんだけでないなら、誰を誘うんです?」
「雪希ちゃんを誘うんなら珠恵ちゃんもだよね。私達大学では三人一緒だから」
「だったら珠恵さんも誘ってみてください。実家の方は問題ないと思うので」
「分かった。そうする。珠恵ちゃんが都合悪ければ、雪希ちゃんと二人でも良いことになるし」
灯里さんが納得顔で頷く。
これで幻獣召喚の準備が粗方終わった。後でお母さんに灯里さん宛に招待状を出すようにお願いしなければ。
私も一緒に実家に行って唐揚げを食べたいところではあるけど、今回は我慢だ。




