10-35. 神槍
ロゼマリのライブは、結局、10曲以上歌ってから終わりになった。
終わった時には、歌っていた二人だけでなく聞いていた人達も含めて達成感と高揚感に包まれていた。
「いやぁ、良かったねー」
「うん、良かった。もっと歌えそう」
口々に感想を言い合う愛花さんと摩莉さんの二人。その二人を前にして感涙に咽んでいるのは勿論、有麗さん。花楓さん、珠恵さんと清華は比較的冷静だ。
「私も一緒に歌いたかったけど、私が入り込む隙が全然無かったよね」
残念そうに発言しているのは祈利さん。
「え、だったら今から歌おうよ」
何も考えずに誘うのは愛花さんらしいと言えばらしい。
「いや、今は止めとく」
流石に祈利さんは空気を読んでくれた。ロゼマリのコンサートの再現に、それなりにのめり込んでいた私が威張って言えることでも無いのだけど、そろそろ中央御殿に向かう時ではないだろうか。
ここで別れた時の言葉通り、扉の前は花楓さん達がすっかり片付けてくれていた。荷物は脇に纏めてある。そしてライブの時に使っていた何処から持ち込んだのか良く分からない大きなスピーカーとプレーヤーを愛花さん達が一箇所に纏めて、扉の前を開けてくれた。
準備が整うと、月夜さんを扉の前へと促す。しかし、月夜さんは扉には手を掛けずに、私達の方を振り返る。
「この扉をお前さん達も開けられるようにしておこうか」
中央御殿は巫女の誰にも開かれている。確かに月夜さんはそう言っていたし、その言葉に違わぬ提案をしてくれた。勿論、私達に否は無い。
全員の登録が終わると月夜さんは改めて私達を見回してから、一つの問いを投げ掛けた。
「それで誰が開くのだ?」
皆の目が一斉に私に向く。どの瞳にも優しい色が宿っていて、私に開けろと促している。
そうした雰囲気に押されるように私が前に出ると、月夜さんが脇へと下がり、扉の前の場所を空けてくれた。
私は扉に嵌っている透明な石に力を注いで鍵を外すと、把手を回して扉を引く。開いた扉の隙間から、その向こう側の光景が目に入ってきた。
でも、それは普通の家の中に見える。本当に月の上なんだよね?と思いつつ、扉の敷居を跨いで見えている光景の中に足を踏み入れた。
共同異空間から出た途端、探知で見えるものが切り替わる。それで、確かに中央御殿の領域に入ったと分かる。
その探知で視ると、御殿の敷地の外には何もない。御殿の敷地は結界に守られていて空気もあるけど、その外側には空気の無い本物の月面が広がっている。この御殿のある結界の内側だけが特殊な空間なのだ。
私が足を踏み入れたのは、中央御殿の横にある建物の中だった。南御殿の横にある母屋と同じ位置だ。
南御殿の場合、共同異空間に繋がる扉は御殿への出入口の脇にある納戸の中に設置されている。この中央御殿への扉も、位置関係で言えば納戸の中と言える。しかし、南御殿の納戸は、出入口との間に引戸があるのに、ここにはそれがない。私が踏み入れた空間がそのまま出入口の一部になっている。
南御殿の扉が納戸にあるのは公衆の目から隠すためだけど、ここには巫女しか来ないから隠す必要が無いと言うことだろう。
それにしても、薄暗い。灯りが点いていないこともある上に、外も暗いようだ。
私は扉を出て右にある出入口のガラスの入った引戸を開いて外を見る。
出入口の目の前には中央御殿があった。そして、その左には御殿前広場が広がっている。封印の地であれば、広場には草もなく土で覆われている。しかし、ここの広場は一面に渡って苔で覆われていた。しかも、ヒカリゴケだ。空は暗く、地面が薄く光っている様は幻想的な光景だった。
上を見上げると大きな星が見える。地球だろう。太陽がその向こうにあるため、陰になっていて地球の様子が良く分からず、残念だ。ただ、それにしても。
「太陽の光が眩しくないですね」
宇宙空間での太陽光はそれなりに眩しいと何処の本で読んだ記憶があるのだけど。
「そのまま取り込んだら暑くなり過ぎて敵わんからな、適度に弱めるようにしておる。きちんと紫外線や赤外線の強度に合わせて弱めるようにしておるから、太陽が見えぬ時の地球は綺麗なものだぞ」
「私も青い地球を見てみたいなぁ。それっていつ頃ですか?」
いつの間にか祈利さんが傍に来ていた。
「今は太陽が地球の右側にあるだろう?大体月齢で十日くらいか。だとすると、半月後程度だろうか。新月の日が一番綺麗だぞ」
「うん、分かった。新月の夜に来る」
鼻息も荒く祈利さんが決意表明する。
「あ、いや、その心意気は買うが、お前さんの住んでいる所を見たければ、昼間に来ないとだぞ。新月は昼間に昇るからな」
「おー、そっか。言われてみれば。では、今度の新月の日の昼間に来ますね」
「好きにするが良い」
話が折り合ったところで祈利さんは満足したらしく、中央御殿の方へと歩いていった。私は他の封印の地とは異なる幻想的な光景をもう少し見ていたい気もしたけど、本題のことを思い出して中央御殿に向かうことにする。
中央御殿の中は、封印の地の御殿と同様に畳敷きの広間になっていた。ただ、封印の地にはあるものがここにはない。
「像はないんですか?」
「無いぞ。そう言えば、封印の地の御殿には像があったか」
「ありますね。五体。主人らしき人と四人の従者らしき人の像が。それが何を意味しているのかについて、伝承は残っていませんけど」
「うん?そうなのか?封印の地の御殿に像を設置したのは、姿を消してしまった本来の巫女が、封印の地の巫女の上位存在であることを示し続けるためだと聞いておったのだが」
月夜さんは不思議そうに首を傾げている。
「そう言う意味では、お前さんのような封印の地の巫女と祈利のような本来の巫女が一緒におるのも想像してはおらなんだが」
「月夜さんが聞いていた計画に何か不都合が起きたんじゃないですか?月夜さんが言う『本来の巫女』って番号持ちの巫女のことですよね?」
「ああ、そうだが。それがどうかしたのか?」
「私は封印の地の巫女ですけど、番号持ちでもあるので。そんな巫女の存在も想定外なのかなと思って」
月夜さんは眉をピクリとさせたが、それ以上の反応は見せなかった。
「そうだな。母様には早いうちに一度話を聞いておきたいものだ」
そうして貰えると説明が色々と省けるようになるだろうし、私としても助かる。
さて、と御殿の中を見渡す。
ここは本当に広間だけの空間だ。柱や鴨居には細工師による華美な彫物装飾が施され、天井には金箔が貼られていて、封印の地の御殿に比べ格段に手が込んでいるのは確かではある。そこは流石に中央御殿だと言わざるを得ない。
しかし、凄いと思われるのはそれくらいで他には何もない。
「物を仕舞っておける場所も無いですね」
「収納なら、地下だな。そこの奥にある階段で下に降りられるが」
この広間の下にも空間があるのは探知で気付いていた。封印の地の御殿の地下は、封印の間への転移のための部屋くらいしか無かったけど、ここの地下はもっとずっと広そうだ。収納があるのも視えてはいて、しかし、武器が保管されている雰囲気ではない。
念のため直接確認するか、いや、聞いてしまった方が早そうだ。
「神槍は地下にあります?」
「神槍?お前さんは神槍を探しておるのか」
「はい。南と北の封印の地の幻獣を再召喚したくて」
それから私は幻獣を再召喚しなければならなくなった経緯を月夜さんに掻い摘んで説明した。
「フム、なるほど。確かにそのためなら神槍が必要だな。だが神槍はこの建屋にはないぞ。どれ、案内するかの」
月夜さんは先に歩いて御殿を出ていく。そして、共同異空間への扉があった建物に戻り、中へと上がる。
そこから廊下を進み、閂が掛けてある扉の前で立ち止まった。この閂、真ん中に透明な石が嵌まっている。
「登録した人だけが開けられる閂ですか」
「流石に備品を勝手に持ち出されるのは困るからな」
「それは分かるんですけど、これまで扉に直接石を埋め込んでいるものしか見たことがなくて、どうしてここだけ閂なのかな、と」
「埋め込み式の扉だと設置する場所ごとに扉から作らないといけないから、汎用的に使えるものとして閂を作ろうと考えるのは道理だろう?ここが閂になっているのは、最初は貴重品を入れておく予定ではなかったからと聞いている。今は貴重品があるから閂をしておるが、中にあるすべてが貴重品かと言えば、違うな。貴重品はごく一部の物だけだ」
そう言いながら、月夜さんは閂の石に手を当てて閂を外し、扉を開けてくれた。
部屋の中は灯火が無く暗かった。結界が設置されていて外からでは探知もできず、奥に何があるのかまったく分からない。ただ、私達の立っている廊下の光が入る手前だけを見るだけでも、何となく想像できることがあった。
「物が一杯ありそう」
頭の中で考えていたことが思わず口から出てしまったけど、そうなってしまうくらい入口の辺りだけでも足の踏み場の無いほどに物が置かれている。
「一応、通り道はあるぞ。変なところを触って崩すと本当に道が無くなるから気を付けてな」
中を覗いている私の後ろから月夜さんが声を掛けてきた。
「本当に、ここに神槍があるんですか?」
「ああ、この中だ。お前さんに神槍が扱えると言うのなら、見付けるのは容易いだろう」
私が困惑気味に振り返ると、月夜さんがイタズラっこのような笑みを見せる。
月夜さんとの付き合いは今日始まったばかりだけど、これまでの会話からいい加減なことを言う人には思えなかった。ならば、その通りなのだろう。例えば、探知を使うと違いが判るとか。だったら、部屋の中に入らないと始まらない。
物だらけの部屋に腰が引け気味ではあったけど、意を決して足を踏み入れる。
部屋の中に入って探知が利くようになって直ぐに分かった。この部屋には物が溢れている。設置されている棚だけでは足りずに、その前にも物が積まれている。ある物は木箱に入れられ、ある物は裸のまま、整理もせずに無秩序に放り込まれたのだろうとしか言いようのない状況だ。当然だけど、探知で視ようが物だらけなことに変わりはない。普通に探したら、どれだけ時間が掛かるか分からない。
少し工夫してみるか。
以前、藍寧さんが言っていたのは、神槍は巫女の力を注いで反応すれば扱う資格があるとのことだった。ならば、この空間に巫女の力を拡散させて変化を観察すれば見つけられるかも知れない。見付けられなければ、結局、私には資格が無いと言うことだ。
私は目を瞑って探知に集中しながら、周囲に力を発散してみる。結果、この部屋には力に反応するものが沢山あることが分かった。一見ガラクタの山のようなものが、実は魔道具の山であった訳だけど、これだけ雑然としていると、例え魔道具であってもガラクタにしか思えない。
そんな中にあって、一つ興味の惹かれる反応があった。
その一角では、力が直線的に吸収されつつも、その直線に沿って文字が浮き出ているのだ。浮き出た文字は見たこともないもので、当然、何と書いてあるかも分からない。でも、この部屋の中で、そうした特色のある反応はそれ一つしかなく、必然的にそれが神槍に違いないと思えた。
それがあるのが何処かと言えば、右側の奥から二列目の棚の最下段に並んでいる木箱の上だ。私は辺りに置かれている物に触らないようにその棚まで進み、目的とするものを見付けた。黒地に金の刺繍の入った細長い布袋に収められているこれがその神槍だ。
私は神槍を布袋ごと掴むと、慎重に棚から引き出す。長いので周りの物にぶつからないようにするのが大変だ。でも、何とか取り出すことに成功すると縦に持って部屋の入口へと戻った。
「誠に簡単に見付けたな。資格を持つのは儂の知る限りお前さんが二人目だが、どんな仕掛けがあるのやら、些か興味が惹かれるの」
「仕掛け?私の身体が作り替えられたから、と言うことですか?」
「それも可能性の一つではある。だがそのことは、今は良しとしておこう。それよりも一つ試してみないか?」
また月夜さんがいたずらっ子の顔になった。
「何をです?」
「それをお前さんの仲間に渡して、お前さんの気付いたそれの特徴に気付ける者がおるのかどうかをだ」
こういう提案を聞くと、月夜さんも理亜さんの娘だなと思う。試すことが好きなのだ。そして、そう言うのは私も嫌いではない。
私は部屋から廊下に出ると、持っていた神槍をそのまま花楓さんに渡した。花楓さんは暫く力を通して見たり、掴む場所を変えたりしていたけど、首を傾げながら有麗さんに渡していた。有麗さんは愛花さんに、愛花さんは摩莉さんに、摩莉さんは祈利さんと珠恵さんのどちらにしようか迷いを見せたけど珠恵さんが譲ったので祈利さんに。その祈利さんも「分からないなぁ」と言いながら珠恵さんに。でも、真実の目を持つ珠恵さんも、気付けないようだった。
珠恵さんから神槍を受け取ったのは順番が最後になった清華だ。清華は神槍を受け取って直ぐに困ったような表情をした。やはり私にしか分からないのかと考えたところで、清華から意外な言葉が発せられた。
「神槍の柄の表面に書いてある文字が読めません。何て書いてあるのでしょう?」
皆は、えっと驚いた表情になっていたけど、特に驚いていたのは月夜さんだった。
「まさか資格者がもう一人いるとはな。しかし、これは予定されたことなのだろうか」
私も私で気持ちの整理が付かないでいた。何となく自分だけが特別なんだと考えていたことが外れて残念に思う自分と、その一方で資格を持っていたのが親友の清華で嬉しいと思う自分と。
そうした混乱の中にいたお蔭で、月夜さんの放った言葉の持つ意味に思い至れずにしまった。




