10-24. 万葉、夏の巫女
「お婆ちゃん、どうして?」
聞きたいことは沢山あったけれど、気付いたらこの言葉を口にしていた。
「どうしてって?」
お婆ちゃんに聞き返されてしまった。確かにどうとでも取れる質問だった。
「どうして急に現れたんです?メッセージを送ってもまったく返事をしてくれなかったのに」
「柚葉がここに来てくれたからね。貴女が来た時のために準備をしていたのよ」
「準備?」
「そうよ。例えば、正面玄関が閉まるのはもっと遅くなってからだとかね。地下一階に降りた時、人が少なかったでしょう?正面玄関が閉まると、結構人が通るのよ。そうなっちゃうと細工をしてもバレちゃう危険があるからね。時間が結構重要だったの」
はい?
「面会の時間が遅くなったのはお婆ちゃんのせい?」
「そうよ。エレベーターを降りたところの看板もね。それに貴女達が乗ったエレベーター、途中で人が乗って来なかったでしょう?それも偶然ではないのよ。エレベーターの制御プログラムを少しいじって貰って、途中の階でボタンが押されていても貴女達の乗った箱は止まらないようにしてあったの」
お婆ちゃんが微笑みながら片目を瞑った。まるで悪戯が成功した子供のようだ。
でも、エレベーターはここのビルの一部だ、蒔瀬研究所は幾つかのフロアを借りているだけに過ぎないからビルのエレベーターに細工をするのは無理だろう。
「お婆ちゃんはこのビルの持ち主なの?」
「まさか、違うわよ。ビルのオーナーと少し親しいだけ。血縁の娘を驚かせるのを手伝ってくれる程度にはね」
その顔は何となく自慢げだ。確かに今の私には頼れる人脈は殆ど無いのだけど、それは私がまだ高校生で社会にも出ていないからだ。私だってお婆ちゃんくらいの歳になれば、きっと。
「へーえ、対抗心を燃やしているような表情ね。でも、そう来なくっちゃ面白くないわ。流石、私の遺伝子を受け継いでいるだけのことはありそうね」
むー。その余裕の表情が何となく腹立たしい。
お婆ちゃんと私は、暫くの間、見つめ合ったままでいた。と、お婆ちゃんは視線を逸らせ、私の隣に立っていた灯里さんを見た。
「貴女もいたのにごめんなさいね。ここで立ち話も何だから、お茶でも飲みに行きましょうか。それともお腹が空いているなら、食事でも良いけれど」
「いえ、お茶でお願いします」
「そう?遠慮は要らないわよ」
「遠慮ではないので」
灯里さんは、若干しどろもどろだ。初対面のお婆ちゃん相手に緊張しているのかも知れない。私も物心付いてからは初めてなので初対面のようなものだけど、何となく親近感があってリラックスできている。
私達は部屋を出ると、お婆ちゃんの先導で近くの喫茶店に移動した。
セルフサービスなので、それぞれ自分の好みの飲み物を買うと、店の奥の区画の丸テーブルを囲んで座る。
「さて、何の話をしましょうか」
「あの、ご挨拶を良いでしょうか。私、向陽灯里です」
「そうだったわね、私は南森万葉。万葉と呼んでくださいな。柚葉もそう呼んでくれて良いのだけど」
私を見るお婆ちゃんの目は、そう呼んで欲しいと言っているように見えた。でも、悪戯されたのだから、少し意地悪してやろうと言う気持ちが湧いてきた。
「いえ、私はお婆ちゃんで」
「そう、まあ、仕方が無いわね」
お婆ちゃんは割りとあっさりと諦めた様子で、コーヒーを飲むと私達を見て微笑んだ。因みに、灯里さんもコーヒー、私はレモンティーだ。
「灯里さんは、時乃さんの娘さんなのよね」
「母をご存じなのですか?」
「ええ、少しね」
お母さんと同じく、お婆ちゃんも季さんのことを知っていた。しかも、お母さんは季さんの昔の名前しか知らなかったのに、お婆ちゃんは今の名前を知っている。最近も交流があるのだろう。
それがどういう交流なのか気になるところではあったけれど、私はそれよりも気になることがあった。
「あの、お婆ちゃん。会話結界は使わなくて良いの?」
「結界?そうね、それなりに警戒はしているつもりですけど、使った方が安心するなら使いなさいな」
私は鞄の中から薄い円筒形の白色の容器を取り出した。会話結界の魔道具の容器だ。中に魔道具が入っているけど、容器自体も魔道具になっている。ここならテーブルを囲めば良いので容器の側の魔道具に力を注いで起動し、その容器をテーブルの真ん中に置いた。
「それで安心できた?」
結界を設置して満足した私に、お婆ちゃんが問い掛けて来た。
「はい。でも、余計なことでした?」
私はお婆ちゃんの言い方が気になった。その口調から、お婆ちゃん自信は結界の必要性を感じていないように思えたためだ。
でも、私がその質問をすると、お婆ちゃんの目が少し真剣味を帯びた。
「私が不要だと言ったら、貴女はどうしたかしら?」
「そうですね、止めていたでしょうね」
「だけど、心の中ではモヤモヤしたのではなくて?」
言われてみれば、確かにそうだ。お婆ちゃんに言われて止めれば、それで本当に良かったのかと不安な気持ちになりそうだ。
「だから、お婆ちゃんは止めなかった?」
「それもあるのだけれど、私としては貴女の判断を尊重したかったのよね。モヤモヤが残ると言うことは、貴女が自分で判断している証拠。そういうモヤモヤを押し殺し続けていると、いずれ自分で判断しなくなってしまうかも知れない。私は柚葉にそうなって欲しくないから。貴女はきちんと自分で考え判断する人になりなさい。他の人の言うことに惑わされては駄目。そのためには実際に自分の目で見て確認することが必要よ」
「はい」
お婆ちゃんが私に大切なことを伝えようとしている。そう私には感じられた。自分の目で見て考え判断すること、それが黎明殿の巫女として力を得たものの責務なのだと。
「だから、この後、貴女は私に質問して答えを引き出すでしょうけれど、それですら鵜呑みにしてはいけませんからね」
「え?それはお婆ちゃんが嘘を付いているかも知れないから?」
「その質問にだって私がイエスと言おうがノーと言おうが、貴女はよく吟味しないといけないと言うことよ」
何だか禅問答っぽい答えで誤魔化された気がしなくもない。
なので、目を細めてみる。
「何よ、その眼は。私は間違ったことは言ってませんからね」
お婆ちゃんが少し狼狽えている。面白い。
「それで。柚葉は私に聞きたいことがあったんじゃないの?」
動揺を隠そうとしながら、私に質問を促してきた。
でも、確かにそうだ。私はお婆ちゃんに聞きたいことが色々ある。ただ、今さっきお婆ちゃんから言われたことを思い起こすと、根掘り葉掘り聞きまくるのが良いことだろうかと悩む。まずは優先度の高いものを聞いてみようか。
「うん。封印の間の封印は、ワザと壊されたのか、自然に壊れたのかどっち?ワザとだと、私達が封印を元通りにした時にまた壊そうとされないのかが心配なんだけど」
私の問いに、お婆ちゃんは顔を顰めた。
「その封印については、私は関わってはいないんだけど、少なくとも崎森島のは意図的に壊したのだろうと思うわ。だけど、二度目は無いんじゃないかしら」
「どうして?」
「そこは自分で調べて、と言いたいところだけど、それだけだと流石に情報が少なすぎるわね。崎森島の封印が破られたのは、柚葉の実力を試すためだったと聞いているわ」
私は思わずテーブルを突いて立ち上がってしまった。
「私の実力を試すって、そんなことのために島の人達を危険に晒したの?」
あの火竜と戦っていた時の気持ちを思い出して、私は叫んでしまう。私があの時、どんな想いで戦っていたか知っているのだろうかと。
「島の人達は大丈夫よ。火竜が斃せるのは柚葉だけではないのだから。貴女が失敗した時のために、バックアップ体制は敷かれていたのよ。そこは心配するところじゃないわ」
私は力が抜けてしまった。あの時、自分が敗れたら後が無いと必死の想いで戦ったのに、実は私では斃せなかったときのための対策もされていただなんて。
「柚葉ちゃん」
項垂れたまま席に座り直した私に、灯里さんが心配そうな声を掛けてくれた。
「灯里さん、ありがとうございます。でも、大丈夫です」
傍から見れば、あの時の私は一人で空回りしていたのかも知れないけど、だからこそあの時大きな力が出せたのだし、恥ずべきことでも何でもない。そう思い直すと元気が戻って来る。
私は顔を上げてお婆ちゃんの顔を見た。
お婆ちゃんもまた私を見ていて、その瞳は優しい色で染まっている。その眼を見て、お婆ちゃんは口ではあれこれ言いながらも、私のことを想ってくれているのだと信じられた。
「ねえ、お婆ちゃんは封印の地の巫女なのに、どうしてそんな裏の話を知っているの?そしてそれをお母さんや私に教えてくれていないのは何故?」
それは以前から思っていたことだった。ここまでのことをお婆ちゃんが知っているとは考えていなかったけど、お母さんが知らないことをお婆ちゃんが知っているだろうとは想像していた。その理由を聞いたところで何かが変わる訳ではないだろうとは思いながらも、一度は聞いておきたかったことだ。
お婆ちゃんは目線を下げ、伏し目がちになった。
「封印の地の巫女は封印の地のことに専念する。それが役割だから、紅葉には言えなかった。そして柚葉にはさっきも言った通り、自分の目で見て考えて欲しかった。それに、私が裏を知っているのは、昔のことがあったから。まだ巫女になる前のことがね」
そこでお婆ちゃんは言葉を切ったけど、灯里さんも私も黙っていた。お婆ちゃんの目が遠い昔を見ているような、そんな雰囲気が漂っていたからだ。
それは間違っていなかったようで、少ししてからお婆ちゃんはぽつりぽつりと話し出した。
「蒔瀬研究所を設立した蒔瀬さんは、私の知り合いの友人で優秀な研究者だったの。彼は最終的にはダンジョンを無くしたいと考えて、ダンジョンの研究をしていた。そんな彼の心意気に共感して、私も知人も彼の研究を手伝ったの。だけど、彼がダンジョンが異世界ではないかという論文を発表すると、それまでの常識から大きく外れているって周りから叩かれて学会から追い出されてしまったのよ。そこに手を差し伸べてくれたのが黎明殿の巫女達。表じゃなくて裏の方のね。私達は互いの目的が同じであると知って、協力し合うことにした。表向きは東護院からの支援をして貰うことになって、研究所の経営は安定したし、研究に専念できるようになった。そんな時、ある事故が起きて私は死にそうになり、巫女の力を得ることで何とか生き永らえることができたの。そして丁度その頃、南の封印の地の巫女の跡継ぎの不在が問題になっていて、元々南森の分家の血筋だった私に跡継ぎになるようにとの話が来て。それで私は研究の手伝いのことは一旦諦めて南森の家に入った。それから紅葉や若葉を産んで、柚葉や瑞希が生まれたところでこっちに戻ることにしたのよ。それだけの話」
そこでお婆ちゃんは顔を上げて微笑んだ。私達に話をしたことでスッキリしたのか、爽やかな笑顔だった。




