10-23. 蒔瀬研究所
灯里さんのお父さんが蒔瀬研究所の人との面会の約束を取り付けてくれた。日取りは12月27日。蒔瀬研究所の仕事納めは28日だそうだから、予定が合わなければ年明けになっていた可能性も十分あったところだ。ただ、急なお願いだったので昼間の時間は都合が付かないとのことで、面会は夕方の5時開始で設定された。訪問メンバーは、役場に行ったのと同じで灯里さんと私の二人だ。
蒔瀬研究所は、大崎の駅前ビルの中にフロアを借りているそうで、駅から五分もあれば到着できそうだった。でも、余裕を見て十五分前に大崎の駅の改札口で待合せにした。
服装をどうするかは悩んだ。灯里さんとも相談したけど、何となくお堅い会社の印象があったので、キチンとした格好で行くことにした。高校生の私のキチンとした格好と言えば、制服しかない。暑い時なら上着無しでも何も問題はないのだけど、今はもう十分に寒い季節になってしまった。気乗りはしないながらも、通学時と同様に上着を着て出掛ける。
私の乗った電車は、集合時間よりも少し前に大崎に到着。ホームからエスカレーターで上のフロアへと移動して、そこからは歩いて改札口を目指す。
歩きながら確認していると、改札口の向こうに待ち合わせの相手がいるのを見付けた。
「灯里さん、お待たせしました」
「待ってないよ。と言うか、丁度待ち合わせの時間じゃない。それよりさぁ、私、変じゃない?」
灯里さんは、リクルートスーツで身を包んでいた。紺のタイトスカートに紺の上着。頭がポニーテールなのは何時もなのだけど、どうも雰囲気がチグハグした印象が拭えない。
「変ではないですけど、着なれていない感じがしますね」
「そうだよね。これ着たの、大学の入学式以来かなぁ。着こなせている気がしないんだよね」
「仕方がないんじゃないですか?着なれたものなら、高校の制服はどうです?私とお揃いになりますけど」
と、手でスカートを摘まんで開いて見せる。
「いや、良い。高校の制服は不味いって。大学生が着たら芸のネタレベルだから、それ」
「そうですか?灯里さんなら、高校生って言い張れそうですけど」
「駄目だから。と言うか、私ってそんなに子供っぽく見えるの?」
「んー、そうですね。大人になりきれていない子供?本当の大人なら、そのスーツを着こなせていますよね」
「それを言われてしまうと反論できない」
「でも、大丈夫ですよ。普段の灯里さんを知らない人が相手なら、澄ました顔をしていれば変には思われません」
「うーん、そのアドバイスの根拠は何だろう?」
「気にしないでください。行きますよ」
首を傾げている灯里さんを放っておいて、先に目的のビルに向けて歩き出す。慌てて灯里さんが、早足で追い付いてきた。
ビルに入ってエレベーターに乗り、受付のある階で降りる。目の前の廊下の突き当たりに、蒔瀬研究所と壁に表示のある入口が見えた。
「あそこが受付でしょうか?」
「それっぽいね。柚葉ちゃん、行ってみよう」
入口に着いたところで、そこが受付だと分かったけど、受付の人はおらず、連絡用の電話機が置いてあるだけだった。
脇にタブレット端末が設置されていて、それで通話先を選べるようだ。
「えーと、何処だっけ。ああ、事業計画部だ」
スマホのメモを確認して、灯里さんは通話先を指定する。すると、相手先に繋がったようで、私達の来訪を告げていた。
「ここに来るから待っててだって」
話し終えた灯里さんが、受話器を置きながら、そう伝えてくれた。
それから待つこと数分、一組の男女が受付にやって来た。男性はお父さんと同じか少し年上だろうか、背広姿でお腹回りに貫禄がある。一方、女性は三十くらい、カジュアルな出で立ちで物腰は柔らかそうだ。
「向陽様でしょうか?」
先に声を発したのは男性の方だった。
「はい。私が向陽です」
「左様ですか、お待ちしておりました。ささ、こちらの方へどうぞ」
良くわからないけど、凄く丁寧な対応だ。
私達は男性の案内で応接室に通され、そこで二人の名刺をいただく。男性は事業計画部部長の藤崎さん、女性は同じ事業計画部の庶務課主任の涼風さんであると知る。
私達が席に着いた後、歓迎の言葉と面会の時間が遅くなったお詫びを聞いている間にお茶が配られた。この場合、好き勝手にお茶を飲んでしまって良いのだろうかとマナーについて悩んで手を出さずにいると、どうぞどうぞと藤崎さんに勧められたので、軽く喉を潤わせて貰う。
それから今度は灯里さんが挨拶をして、面会に応じてくれたお礼を伝えると、私にバトンを渡してきた。なので私から今回の訪問の目的、すなわち、二年前に山田動画技術に対して崎森島でロゼマリのロケをするよう指示した経緯と、半年前に時鳥詩暢さんが長老会に参加した経緯の二つについての情報開示をお願いした。
「お話しいただきありがとうございます。確かに承りました」
藤崎さんは軽く頭を下げた。
「お返事の前に、まず組織的なことからご説明させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「はい」
答えるのに順番があると言うのなら、従うしかない。
「私ども事業計画部は、研究所の中の事務的な業務に携わっております。そして、この涼風は庶務課の所属なのですが、実はもう一つ、特別対策室を兼務しています。その特別対策室ですが、兼務者ばかりの仮想組織でして対応が必要な事案が発生した時だけ稼働する特殊な部署となっております」
「はぁ」
話の脈絡が掴めず、相槌も中途半端なものになってしまう。
「それでこの面会の依頼をお受けした際に本研究所内で確認したところ、二つとも特別対策室が関係していることが分かりました。ですので、お問合せいただいた二件については、涼風の方からお話しさせていただきます」
ここで藤崎さんは言葉を切り、涼風さんを促す素振りをみせた。それを受けて涼風さんが一度お辞儀をしてから話しだした。
「最初に半年前の黎明殿長老会への参加の件ですが、研究員である時鳥の所属する第三研究グループから申請が出ていました。第三研究グループは、黎明殿本部から研究委託を受けていまして、たまに長老会などで研究成果の報告をすることになっています。半年前の報告も、その一環だと申請の中で説明がありました。更に言えば、半年前に報告された研究成果は、二年前の長老会で研究テーマとして選ばれたものです」
「そうだったんですか」
涼風さんの説明には、疑問を差し挟む余地が見えなかった。
それにしても、蒔瀬研究所が封印の間の封印に関する研究に取り組んだ経緯については初耳だった。報告内容については事務局で莉津さんから見せて貰っていたのだけど、正直理解できなかった。しかし、二年前から調査研究していた結果なのであるならば、少なくとも北の封印の地については、誰が細工したものでもなく、本当にただ封印の間の封印が耐えきれなくなっただけなのかも知れない。
「半年前のことは分かりました。では、もう一つの崎森島のロケのことについては、どうですか?」
灯里さんも質問は無さそうだったので、さっさと次の話題へと移ることにする。
「その件ですが、黎明殿本部から依頼があったとなっています」
「黎明殿本部ですか?事務局?誰からかは分かりますか?」
黎明殿本部の名前が出て来て思わず勢い込んでしまった。
しかし、涼風さんは気にする素振りを見せない。淡々と返事を、いや、少し困った表情になっている。
「申し訳ないのですが、詳細は分かりかねます。実を言えば、この話は室長から降りて来たもので、私の役目はそれを広報部に伝えることでした。黎明殿本部からの依頼であることも室長から聞いただけなのです」
伝え聞きでしかなければ分からないのは道理だけど、黎明殿本部の名前が出された以上、具体名が聞けないと胸のモヤモヤが収まりそうにない。
「その室長さんにお話を聞くことはできませんか?」
「それが生憎と本日は不在でして」
そう言いながら、涼風さんは上司の藤崎さんの顔色を窺っていた。その視線に気が付いたのか、続けて藤崎さんが口を開く。
「申し訳ありません。室長は崎森と言うのですが、非常勤なこともあってなかなか掴まりませんので」
「崎森?下のお名前を聞いても?」
「はい。崎森万代です」
え?お婆ちゃん?と思わず言いそうになるが、何とか堪えた。研究所の職員として紛れ込んでいるのだろうか?
私は急いで鞄の中を漁り、ファイルに挟んでおいた写真を出す。
「崎森さんは、この写真の女性ですか?」
最近、どこでも見せている気がするオジサンの小屋で見付けた写真を目の前の二人にも見て貰う。しかし、二人の反応は芳しくない。
「いえ、この方ではありません」
藤崎さんの見解に、涼風さんも頷いている。
「違うのですか」
うーん、同姓同名の別人がいると言うこと?可能性は無くは無いけど、でも、本当にそんなことがあるのだろうか。
「崎森さんの写真か何か見せて貰えたりしますか?」
「少々お待ちください」
涼風さんが持って来ていたノートパソコンを操作し始める。そして、若干の間待たされた後、ノートパソコンの向きを変えて画面を見せてくれた。
画面に写っていたのは一人の職員の顔写真付きの情報画面で、名前は崎森万代とある。でも、顔は確かにお婆ちゃんとは全然違う、四十歳前後に見える女性のものだった。
「これが室長の崎森になります」
「ありがとうございます」
写真を見せて貰っても、それで私の疑念が完全に晴れはしないけど、そうは言っても今はこれ以上深堀りできなさそうだ。
「どうする、柚葉ちゃん。今度、この人に会わせて貰う?」
順番からすれば、灯里さんの提案を採用するのが良さそうではあるけど、どうしようかと頭を巡らせる。
「いえ、今は止めておきます」
もう年末だ。次の面会はどう考えても年が明けて暫くしてからになるだろう。ならば、当座は別の方面から当たってみよう。こちらからの調査は急ぐ必要は無い。
「柚葉ちゃん、他に訊きたいことはある?」
「いえ、無いです」
その灯里さんの確認で、面会は終わりとなった。私達は改めて面会に応じて貰ったお礼を言うと、応接室を出る。
待合せた受付のところで別れるのかと思っていたが、藤崎さん達は私達をエレベーターホールまで見送ってくれた。
エレベーターが到着して私達が乗り込む時、藤崎さんは申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「すみません、この時間になると正面玄関が閉まっています。ですので、地下一階まで下りていただけますでしょうか。エレベーターを降りると出口まで案内の表示が出ておりまので、それに従っていけば通用口のある守衛室の前まで行けるでしょう。それでは我々はここで失礼させていただきます」
「ありがとうございました」
それからエレベーターの扉が閉まるまで、藤崎さん達は頭を下げたままでいた。
なので、私達も同じようにお辞儀をしたままエレベーターが動き出すのを待った。
「緊張したなぁ」
エレベーターが下に降り始めた時、灯里さんがぽつりと呟いた。
「灯里さんでも緊張するんですね。生配信とか何度もやっているのに」
「まあ、それはそうだけど、それとは違う緊張感があるとは思わない?」
「私は生配信をやったことがないので。でも、もしかしたら、そうかも知れませんね」
実際、私も少し緊張した。相手は年上のれっきとした社会人だし、失礼のないようにと思うと、無意識のうちに硬くなってしまう。
そんな緊張感から解放され、ホッとした空気が流れる。私達がにこやかに話をしているうちに、地下一階に到着した。
エレベーターを降りると、目の前に「出口」と矢印が描かれた立て看板があったので、それに従って歩いて行く。そして迷いそうなところにまた立て看板が置いてある。なので、その標識に従って進んでいったのだけど、三つ目の看板を過ぎた辺りで可笑しいなと思い始めた。
「この先に出口があるのかなぁ」
灯里さんも私と同じように感じているみたいだ。人通りが無いので判断が付け難いが、何か変な気がする。
そんなところに一人の女性が通り掛かった。
「どうかされましたか?」
立ち止まってキョロキョロしている私達が、困っているように見えたのだろう。親切にも声を掛けてくれた。眼鏡をした三十代くらいの女性だ。
「ビルの出口に向かっていたつもりなんですけど、何か違う気がして」
「出口ですか?こちらではないですね。ご案内しましょうか?」
「お願いします」
私達は女性の先導で、通路を歩いていく。暫く進むと、女性が扉の前で立ち止まった。
「この部屋を突っ切った方が早いので入りますね」
そう説明して、女性は扉を開けて中へと入って行った。灯里さんと私も後に続く。
そして、反対側にあるもう一つの扉まで部屋を歩いたところで、再び女性が立ち止まる。しかし、扉のノブには手を掛けずにいる。
ん?どうしたんだ?
私が怪訝に思っていると、女性が私達に背中を向けたままウフフと笑う声が聞こえた。
「ごめんなさい。私ったら駄目ね。このまま出口まで送り届けても気付かないんじゃないかと思うと可笑しくなっちゃって」
私達はこの人に悪戯を仕掛けられたのか?
唖然としていると、女性は右手を口元に持っていきゴソゴソと何かをしている。それが終わると今度は左手で眼鏡を持ち、こちらに振り返りながら眼鏡を外した。
「かくれんぼはこれくらいで良いわよね」
ずっと探していた顔が目の前にあった。




