10-16. 微かな手掛かり
「ふぅ」
私は溜息を吐いた。溜息を吐くと幸せが逃げると言われることもあるけど、何となくそう言われる理由も分からなくはない。実際のところは、溜息を吐くのは健康や美容に良いそうなのだけど、今私が溜息を吐いたのは、健康のためではない。
「柚葉さん、元気がありませんね。どうかしましたか?」
カウンターの向こう側から琴音さんが声を掛けてきた。
「探し物の手掛かりが見付からなくて」
「ああ、昨日の話ですか」
「ええ」
琴音さんとは昨日も話をした。その時に、封印の魔道具に細工をした犯人捜しをしていることを伝えて、封印の間への侵入者の痕跡が無かったか改めて蹟森に尋ねて貰った。結果はまあ予想されていたことだったが空振り。琴音さんには恐縮されたけど、諦めずに他を当たってみると元気良く答えた。
なので、私が肩を落としている理由も簡単に察することができている。
そしてそれはまったくその通り。私は困っている。
一昨日、チーム会議をして以降、自分として当たれるところは当たったのだけど、犯人の手掛かりなし。いや、一ノ里から五ノ里までのどこにも封印の地への潜入の指示は出されていないらしいことだけは分かった。それによって候補はかなり絞られるものの、どこにいるかも、どうコンタクトしたら良いかも、何を考えているかも分からない人達ばかりだ。今のやり方ではこれ以上調査を先には進められそうになく、行き詰まりを感じていた。
と、そんな私の横に人が立った。
「お待たせしました。ご注文のカモミールティーです」
このお店のアルバイトをしている巴さんだ。
今は火曜日の午後の昼下がり。巴さんがまだ働いている時間。学校では今、三者面談のために午前授業になっている。だから昨日も今日も、昼過ぎの時間帯にこの店に来ている。
「ありがとうございます、巴さん」
「どういたしまして。でも、どうかした?浮かない顔をしてるよ」
琴音さんに続いて同じ指摘を受けてしまった。
「まあ、そうですね。人を探しているのですけど、見付けられそうになくて」
「人探し?それなら探偵社に頼んでみるとかは?」
探偵社か。巴さんの頭にあるのは東護院探偵社のことだろう。巴さんには探偵社の十郷さんと付き合っているという噂があるからね。
「はい、清華とは話をしていて、必要なら東護院の方から話を通して貰うことにしてます」
何しろ東護院家は探偵社の経営主だ。私の依頼よりも東護院家からの依頼の方が探偵社にとっては何倍も重みがあるのだ。
「あ、もう話していたんだ。大きなお世話だったね」
「いえ、気にしていただいて有難いです」
「そんなんじゃないよ。ちょっとお節介なだけ。じゃあ、ゆっくりしていってね」
常連の私とは十分顔馴染みではあるけれど、巴さんは店員らしく、軽くお辞儀をしてから下がっていった。
さて、探偵社の利用については巴さんに話した通り、清華と一度話をしている。
東護院探偵社の調査能力は高い。ただ、今回の件について依頼を躊躇する理由が二つあった。
一つは、黎明殿内のことなので、一般社会の中に情報が落ちているとは思えないこと。
もう一つは、担当領域の問題。東護院探偵社の担当領域は東側の地域だけだ。蹟森は含まれるけど、崎森島は対象から外れる。崎森島を含む西側の地域は、秋の巫女の西峰家傘下の矢内の担当領域だし、両方同時に調査可能なのは博多矢内になる。その博多矢内、西の封印の地を出て独立系となっていたのだけど、最近、珠恵さんと繋がっているらしいと探偵社から東護院家に情報が上がって来たそうだ。となると、博多矢内に頼むより珠恵さんに尋ねた方が話が早い。いや、珠恵さんを頼るのは最後の手段だ。
まあ、それは兎も角、そうしたことから、探偵社に依頼するのは見合わせることで清華とは一致した。
それで必然的に自分達の足で調査を進めるしかなかったのだけど。ふぅ。
私はティーカップを手に取り、カモミールの香りを楽しみながらお茶を飲む。爽やかな香りで心が洗われる。くよくよせずに、次の手立てが無いか頭を使わねば。
そんな時、カランコロンと扉のチャイムが鳴る音がして、客が入ってきた。
「いらっしゃいませ。あ、こんにちは」
巴さんの声の調子から、常連の客だと分かる。私は振り返ることなく探知で店の入口の方を視る。
その客は、私がカウンターに座っているのを認めると、真っ直ぐ私の方に歩いて来た。
「柚葉ちゃんじゃない。今日は早い時間にいて珍しいね」
「ええ、面談期間は午前授業なので」
そこで漸く私は声のする方を向いた。流石にそっぽ向いたままでは失礼だから。
私が顔を向けると、笑顔の風香さんがいた。その後ろには麗子さんの姿が見える。麗子さんは有田川麗のペンネームで活動しているイラストレーターだ。この店の装飾にも関わっていたと聞く。と言うか風香さんと麗子さんは高校時代からの知り合いで、風香さんが麗子さんをこの店のことに巻き込んだそうだ。そうしたこともあって、この二人はよく一緒にこの店に来るし、特に驚くことでもない。
「面談って個人面談?」
話しながら、風香さんは私の隣に座る。
「そうです。受験前最後の三者面談」
「三者ってことは親御さんも?柚葉ちゃんはどうするの?」
風香さんの向こう側の席に着いた麗子さんが声を掛けてきた。
「うちの場合は、お母さんが島から遠隔会議で参加しました」
「あー、そうか。今は遠隔会議が使えるのか。私達が学生の頃とは違うんだね」
麗子さんに感心された。私の場合、編入当初から三者面談では親は遠隔参加が当たり前だったので、そんなに感心されるものでもないと考えていたのだけど、麗子さん達の年代からすれば珍しいことなのだろう。
「|ジェネレーションギャップ《世代間格差》ですね」
「ん、聞き捨てならないなぁ。柚葉ちゃん、私達のこと小母さん世代だと言いたいのかな?」
風香さんが目を細めてこちらを見る。
「い、いえ、そんなことはないですよ」
決して風香さんの威圧にビビったのではない。その気になれば、風香さんは小母さんどころではないでしょうと言い返すこともできるけど、この場にはそぐわないと判断しただけだ。
ともあれ、風香さん達に対して年齢に関する話題は適切ではない。可及的速やかに進路変更をするのが吉だ。
「あの、風香さん、また新しいメニューを考えているんですか?この前、汁なし担々麺風スパゲッティをいただきましたけど美味しかったです」
「そう言って貰えると嬉しいよ。まあ、私もあれは気に入っていたんだけど。そうだね、それで次のメニューだけど、長崎ちゃんぽん風スパゲッティはどうかなって思ってる」
「え」
他の麺類を参考にするシリーズはまだ続いていたようだ。
「ん?どうかした?」
「いえ、長崎ちゃんぽん風も良いのですけど、他のパターンのものは無いのかなと」
「他のパターン?」
風香さんが眉間に皺を寄せた。どうやら私の言いたいことが伝わっていないようだ。
「例えば季節の食材を使うとか。今なら、鱈とか牡蠣とか小松菜とか」
「ああ、そう言うのね。勿論考えるけど、このお店出してから随分経つからネタ切れしてきちゃってさぁ。柚葉ちゃんは何か好きな食材ある?」
「私ですか?そうですね、鳥の軟骨かな」
私の答えを聞いた風香さんは腕を組んだ。
「鳥の軟骨ね。確かに使ったこと無いわ。やっぱり塩味が良いかな。薬味を利かせるのも良さそうね」
ブツブツと考え始めてしまった。風香さんがこんな風に考えることに集中する姿は初めて見たかも知れない。
「柚葉ちゃんは人探ししていたわよね。探し人は見付かりそう?」
考え込んでいる風香さんを差し置いて、麗子さんが話し掛けて来た。麗子さんには一昨日話をしたので、私の事情を知っている。
「いえ、駄目です。証拠が何も見付からないので手掛かりが無くて」
「あら、そう」
少しの間口を噤むと、麗子さんは再び口を開いた。
「柚葉ちゃんは近くに寄り過ぎているんじゃないかな。もう少し離れて周りを見回してみたら?そしたら見えて来る物があるかも知れないから」
麗子さんがイラストレーターだからなのか、大人だからなのか、物事を離れたところで見るという視点は私にはなかったものだ。
兎も角、当時のことを思い出してみる。崎森島に火竜が現れる前には、魔獣が沢山出て来た。それからサングラス越しであっても優しい感じのした女の人に出会った。あと、愛子さんと陽夏さんが島に来ていた。
蹟森の時はどうだったか。あの時は予告があった。私のお婆ちゃんである万葉さんがこの店に現れて琴音さんに伝えたのだ。確かお婆ちゃんは長老会の代表で来たとのことだった。だとすると、長老会にその情報を齎した人が怪しい。
いや、待った。愛子さん達が崎森島に来るのにも、お婆ちゃんが関係していた。愛子さん達は火竜には無関係だったと考えるにせよ、愛子さん達が島に来た時期と火竜の封印が破れた時期が重なったのは偶然だったのだろうか。それが意図したものだとするならば、どちらの件にもお婆ちゃんが関係していたことになる。
「麗子さん、ありがとうございます」
光明が見えた気がした私は、元気よく感謝の気持ちを伝える。
「どういたしまして。少しはお役に立てたのかな?」
「ええ、きっと」
となると、次にするべきはお婆ちゃん探しだ。誰だか分からない人を見付けようとするより、よほどやれそうな気がする。
「うん、大体決まった」
それまで考え込んでいた風香さんが顔を上げて私を見た。
「鳥の軟骨を使ったスパゲッティ、今度材料持って来て試作してみるから、柚葉ちゃん食べて貰える?」
「はい、是非」
風香さんが考えたスパゲッティがどんなものか、食べさせて貰うのが楽しみだ。
「それじゃあ、柚葉ちゃんが大学に合格した時にね」
ああ、そう言えば、私はそっちもやらないといけないのだった。




