10-5. 陽夏、一応内緒の57番
私は玄関の前に立っていた。ここに来るのも久しぶりだ。
玄関の扉は開いていた。扉の脇には小さな呼び鈴が付いていて、その上には来客は呼び鈴を押すようにと書かれた紙が貼ってある。
空いている玄関から中に入るのは容易いのだけど、まずは紙の指示に従い、呼び鈴の釦を押してみる。すると、家の中にベルの音が鳴り響いているのが聞こえてきた。
「はーい、お待ちくださーい」
家の中の方から女性の声があった。
少しして、エプロン姿の女性が、エプロンで手を拭きながら玄関に出て来た。
「おはようございます、柚葉さん。陽夏さんから聞いていますよ。どうぞ上がってください」
「はい、ありがとうございます。お邪魔します」
私は家に上がると、食堂に通された。そして、私を出迎えてくれた女性がお茶を淹れてくれた。
女性の名は妙子さん。この星華荘の管理人だ。星華荘は賄い付きの下宿で、住んでいるのは六人。その面倒を妙子さん一人でみている。住人は皆、彼女のことを妙子さんと名前呼びするので、私も同じように妙子さんと呼んでいる。はて、苗字は何だったか?
「それじゃあ、陽夏さんに声を掛けてきますね」
向きを変えて出ていこうとする妙子さんを私が呼び止める。
「いえ、大丈夫です。部屋を出てきたみたいですから」
そしてすぐに階段を下りて来る音が響いて来た。
「あら、本当。だったら後は陽夏さんにお任せして、私は仕事に戻りますね」
妙子さんは会釈をすると、食堂を出ていった。
入れ替わるように入ってきたのは陽夏さん。
陽夏さんは喫茶店をやっている琴音さんの妹だ。琴音さんと同じように巫女の力を持っていて、北の封印の地の出身、つまり、冬の巫女だ。事情があって、この星華荘で一人暮らしをしている。
「いらっしゃい、柚葉ちゃん。でも、どうしたの?呼んでくれれば私の方から行くのに」
「私がここに来たかったんです。暫く顔を出してなかったですし。ただ、折角の陽夏さんのお休みの日だったのに、申し訳ないです」
「いや、それは全然問題じゃないから」
今日は土曜日。月曜と火曜が基本オフの陽夏さん達は、週末は仕事が入っていることが多い。でも、今日はお休みなのだ。
「それにしても、誰もいませんね」
「そうだね。先生達は最近、出掛けていることが多いし、巖さんも忙しそうにしてる。でも、舞依ちゃんや細波さんは、いつも通りじゃないのかな?」
「いつも通り?」
「舞依ちゃんは、大抵、友達と遊びに行っているし、細波さんは時間があれば碁会所だから」
「なるほど」
ここの人達はお互いの行動を良く把握している。先生達とは先生と美鈴さんのことだ。美鈴さんはフリーターだけど、先生と行動を共にすることが良くある。
巖さんは、と、玄関から誰かが入って来たらしい。廊下を歩く音がしたと思うと、食堂の扉が開いた。
「ただいま、ってあれ、夏の嬢ちゃんじゃないか?珍しいな」
「こんにちは、お邪魔してます。お仕事だったのですか?」
噂をすれば影、巖さんが帰って来た。
「ああ、あの話が広まっているからな。統率が取れていない今が狙い目と不穏な動きをする連中が後を絶たないんだ。嬢ちゃん達も気を付けろよ。じゃあ、悪いが俺はシャワーでも浴びて寝るわ」
巖さんは手を振ると、そのまま扉の向こうへ消えた。
「え?どういうこと?」
陽夏さんは、巖さんの話に付いていけなかったようで、テーブルの上に身を乗り出して私に尋ねてきた。
「あの話と言うのは、この前、崎森島に住んでいたある人が亡くなった話のことです。それで、どうも以前からその人が裏で黎明殿を統率しているんじゃないかって噂があったらしくて、その人が亡くなったので今なら指揮系統が混乱している筈とちょっかいを出そうとしている人達がいるようですね」
「え?そんな話だったの?」
私の説明に、陽夏さんは目を丸くしている。そんな陽夏さんに肯定の意を示すべく、真剣な表情を作って頷いてみせた。
「そう言う話なのです」
返事をした後、じっと陽夏さんから目を離さないでいると、陽夏さんは溜息を吐いて椅子に深く座り直した。
「ごめん、聞きたいことが沢山あるんだけど、どこから聞いたら良いのか分からない」
陽夏さんは腕を組んで考え込んでしまった。
ここで何か言ったところで混乱させるだけに思えたので、黙って陽夏さんの様子を伺う。
暫くすると、陽夏さんは顔を上げた。私はどんな質問が飛んで来るのかと身構える。
「柚葉ちゃんて、ここで巖さんに会ったことあったっけ?」
「無いですね」
「だよね」
陽夏さんは、頷きながら確認した。
「それじゃあ、どこで会ったの?」
「琴音さんの喫茶店で」
「お姉ちゃんのところ?でも、どうして?」
あれ?
「偶に巡回されているからですけど」
「巡回?」
この反応は、もしかして。
「陽夏さん、山野さんのお仕事のこと知らないのですか?」
山野は巖さんの苗字だ。私の問い掛けに、陽夏さんは首を横に振る。
「知らない」
やっぱり。
「山野さんは、警視庁の特殊案件対策課の課長さんですよ。つまりは警察の人です。特殊案件対策課は、黎明殿に関係する案件に対応するところで、日頃も何か問題がないか関連施設を巡回しているんです。それで、琴音さんのお店も巡回先の一つになっているんです」
「へー、そうだったんだ。お酒を飲むのが好きな小父さんだなって思っていたけど、警察の人だったのかぁ」
どうやら合点がいったようです。
「さっきの話のことも、喫茶店で会った時に聞いたんです。丁度、山野さん達が崎森島でのお葬式から帰って来た直後だったので。これから何かあるかも知れないって」
「その亡くなった人って本当に黎明殿の巫女達を統率してたの?」
「さあ、分かりません」
私は首を横に振る。
「今までその人から直接指示を受けたことなんてないですし。後ろで糸を引いていたのかも知れませんけど、私達に見えていなければ、いてもいなくても変わらないですよね?」
「まあ、それもそうか」
陽夏さんは納得したのだろう、私の言葉に頷いて同意を示した。
そんな陽夏さんに対し、私は心の中で謝っていた。
ごめんなさい、私は貴女に言っていないことがあるのです。あの人は、オジサンは、死んではいないんです。実際に死んだのはオジサンの影武者で、しかも精霊という魂の抜けたただの抜け殻、巫女の力によって生み出された人間に良く似た嘘の肉体。本当の意味で死んだ人はいないのです。
私はそのことを瑞希ちゃんから教えて貰っていた。
山野さんが知っていたのかは分からない。けれど、喫茶店の中で崎森島に行った話を自分から切り出していた。その行為には、話をわざと拡散させる意図があったのではないかとも思わせる部分があり、となると何かを知っているのかも知れない。
そうしたことすべてを陽夏さんに話してしまうのは得策とは思えなかった。敵を欺くにはまず味方から。誰が敵なのかも、そもそも敵がいるのかも分からないのだけど、それが狂言だとするのなら、本当のことを知る人は少ない方が良い。だから、自分のチームのメンバーであれ、態々教えようとは考えていなかった。
もっとも、知っていることを話していないだけで、嘘は吐いていない。オジサンが黎明殿にどう関わっているのかは知らないし、知りたいとも思っていない。私は自分の目標に向かって進むだけ。その途中で本当に必要な時が来れば、いずれ再会することもあるだろう。それだけのことだ。
「私達の周りで何かが起きるのかな?」
「どうでしょうね。今回のことは、黎明殿の本部の側の話みたいですし、封印の地は本部からは独立していることになっていますし」
陽夏さんも私もアバターの身体を持っているものの、名目的には封印の地の巫女だ。
「それに」
と付け足す。
「封印の地の巫女はそれなりに管理されていますから、そう簡単には手を出せないんじゃないですか?」
「でも、私は封印の地の巫女は止めたんだよ?」
惚けた表情でいる陽夏さんに、しかめっ面を向ける。
「あのですね。封印の地の巫女は、自分で止めたいと言って止められるものではないですよ。陽夏さんだって、まだ冬の巫女の扱いのままなんです」
「え?そうなの?最近になってお姉ちゃんには会ったけど、こっちに来てから誰も何も言って来ないから、てっきり私は冬の巫女から外されているんだと思ってた」
私は下を向いて軽く溜息を吐くと、上目遣いに陽夏さんを見る。
「それは、深く傷付いて蹟森を出ていった陽夏さんを温かく見守ろうっていう周りの人達の優しさなんですよ。琴音さんから聞きましたけど、陽夏さんが蹟森を出た時は大騒ぎだったって。警察にも連絡したって言ってましたから、山野さんも陽夏さん探しに駆り出されたんじゃないですか?」
「そーかぁ。巖さん、そんなこと何も言ってなかったんだけど。って、あれ?何?巖さん、私がここに来る前から、私のこと知ってたってこと?それで巖さんが住んでいるところに、私が来たんだ。それって、凄い偶然だね」
「そうですね」
これだけ話をしても偶然で片付けちゃうなんて凄いなと思いつつ相槌を打つ。まあ、当時の詳しい話をするのは私の役割ではないだろう。琴音さんか山野さんが直接教えてあげれば良いのだ。
「警察の人が一緒に住んでいるのなら、私も安心だね」
無邪気に喜んでいる陽夏さんに、少しは警戒心を持って欲しいと口を開く。
「この辺りには黎明殿一ノ里の隠れ家があると言う噂もありますよ。なので、変な人達がうろついているかも知れませんし、気を付けてくださいね」
「え?そうなの?そのアジトってどこにあるの?」
驚いた陽夏さんは、姿勢を正して左右を見渡すが、それで何が見付かる訳でもない。
「噂ですよ、噂。本当にあるかすら知りません。でも、気を付けるに越したことはないということです」
「ああ、そういうこと?うん、分かった、気を付ける」
これで少しは注意深くなってくれるだろうか。
陽夏さんはしっかりしてそうに見えて、意外と世間知らずのようだ。




