10-3. 琴音、冬の巫女
金曜日の放課後、私は喫茶店のカウンター席で一人、カモミールティーを飲んでいた。
放課後とは言っても学校帰りではない。いつものように一度学生マンションの自室に戻って私服に着替えている。勿論、ミステリー研究部の部員達と学校から直接来ることもあるし、そういう時は制服のままだ。だけど、一人の時は鞄を持ち歩きたくないし大抵は一旦家に寄る。何も持たずに喫茶店に入り、紅茶を飲みながらゆったりまったりできると幸せを感じられるから。
「ねえ、柚葉ちゃん、最近耳にしたことがあるのですけど」
カウンターの中にいる琴音さんから声を掛けられた。
ここは喫茶店メゾンディヴェール、琴音さんはここの店長さんだ。
「何ですか?」
琴音さんが持ち出して来そうな話題に心当たりがなかったので、素直に尋ねてみる。
「先日、母が寄り合いに行ったら、この前の八月に柚葉ちゃんの実家で事件があったから他のところでも注意するようにとの連絡を受けたのですって。柚葉ちゃん、何のことか知ってる?」
ぶっ。心の準備も無くハーブティーを飲みながら聞いていたため、思わず吹き出しそうになった。これって異世界からの襲撃の件だ。
取り敢えず落ち着こうと、ティーカップをソーサーの上にゆっくり戻して時間を稼ぐ。
「はい、聞いています。私は行かなかったので詳しいことはまだ教えて貰えていませんが」
そう、あの時、南森柚葉は崎森島には帰らなかった。顔を変え、事務局員の御園論子として、地区担当の本部の巫女である千景さんと島に入ったけど、あれは私ではないことになっているのだ。論子として行くにあたり、事情を説明したので千景さんと珠恵さんは知っていたし、何故かお母さんにも瑞希ちゃんにもバレていたけど、その場にいた巫女以外は知らない話。なので、ここは知らぬ存ぜぬで通さねば。
目が泳がないように気を付けながら返事をした後、琴音さんの様子を注意深く観察する。おっとりした様子の琴音さんは、考えていることが今一つ掴み難い。
「そう、それは残念ねぇ」
琴音さんは頬に手を当てて詰まらなさそうな表情をみせた。
「ほら、柚葉ちゃんは私の実家の時には二度とも来てくれたじゃない?だから、自分の実家なら行かないことはないだろうし、話を聞けるんじゃないかって期待していたのよね」
「そ、それはごめんなさい」
うん、琴音さん、大当たり。篠郷と同じように時空の狭間から何かが崎森島に来ると言う話を聞いた時、私の中で行かないという選択肢は、まあ、無かったですよ。だけど、東京に来て何の進展もないまま実家に帰るのも気が引けて、他人の振りして行ったのですよね。もっとも、その努力は殆ど無意味な結果に終わりましたけど。
表面上は取り繕うように謝りつつ、心の中は冷や汗で一杯だ。
「風香さんは何か言ってませんでしたか?あの人、いつも妙なルートで情報を掴んでいたりしますよね?」
風香さんとは、獅童風香さんのこと。高円寺にある獅童道場と言う戦武術の道場の道場主の娘さん。娘さんと言っても私より一回り半くらい年上だ。どうしてかは知らないけど、獅童道場は東護院と関係があるらしく、そのために風香さんは黎明殿関係の情報通と言うことになっている。実際にはもっと直接的に関わっているんだけど、それは内緒のお話。
そんな風香さんでも、八月の崎森島に異世界人が来た話を知っているかは、まったく分からない。だけど今、それは重要なことではないのだ。私のことから話を逸らせればと、風香さんをネタにしてみたのだ。
「そうですね。八月には何も言ってなかったですし、私の方からはそういう話はしないようにしていますから。いくら風香さんが東護院に関係のある道場の娘で情報通とは言っても、一般の人ですしね」
とても冷静な琴音さんの反応。
うーん、この人は本気で言ってますね。風香さんと琴音さんは、それなりに長い付き合いでしょうにと、澄まし顔の琴音さんを見て私は思う。
いや、それよりも今はこのまま話題をすり替えてしまおう。
「そう言えば、風香さんは最近も来ているんですか?暫く会っていないような」
「風香さん、来ていますよ。少なくとも週に一度は。大抵は今より早い時間ですから柚葉ちゃんと会うことがないのですね。風香さんに柚葉ちゃんが会いたがっていたって伝えましょうか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
別に風香さんに会うのは嫌ではないけど、わざわざ呼び出すほどの用事が今ある訳でもない。
「そう言えば、風香さんの新メニューってあるんですか?」
風香さんの職業はフードコーディネーター。このお店の立ち上げにも随分関わっていたと聞いている。その後も、偶にメニューを持ち込むことがあるのだと、以前会った時に当人が言っていた。
「そうですね。この前の夏には冷やし中華風の冷製パスタを提案してくれました」
「フムフム」
夏の暑い時に喜ばれそうなメニューだ。
「それから、つけ麺っぽく濃いめのつけ汁に通して食べるスパゲッティに、油そば風のスパゲッティ」
「何だかラーメンから離れませんね」
「そうなの。でも、結構ノリノリで考えてくれているから止められなくて」
琴音さんは頬に手を当て困った顔をしている。
「美味しければ良いんじゃないですか。だけど」
と、ここで頭を巡らせて思い出してみる。
「今までそうしたパスタってメニューに出たことありましたっけ?」
私自身がこの店でパスタを食べることは余りないものの、日替りパスタのメニューは見ていたから、あれば気が付いた筈。私の記憶違いか、いや、こんなネタものみたいな面白いメニュー、見たら忘れることは無いだろう。
「冷やし中華風の冷製パスタは出したことありますよ。金曜日ではなかったと思うので、柚葉ちゃんが来なかった日だったのではないでしょうか。お客様の反応は悪く無かったです。ただ他のは、試作はしてみましたけど、出すのは止めておきました」
「どうして止めたのです?」
「何となく、ですけど、改善の余地があるような気がして。そう風香さんに伝えたら、また考えてみますって」
琴音さんはニッコリと微笑んだ。
「あ、そうそう、風香さんが最近出してくれたアイディアに、汁なし担々麺風スパゲッティがあるのですけど、それは美味しかったですよ。材料が残っているので作りますから、試食してみて貰えますか?」
風香さんのラーメンネタは、まだ続いているらしい。でも、琴音さんがお勧めなら食べてみたい気がする。
「はい、私で良ければ。でも、今すぐでなくて良いですか?」
「え?ああ、そう言うことですね、構わないですよ。もう少ししてからにしましょう」
調理に取り掛かろうと厨房の方に体を向けていた琴音さんだったが、私の意図を理解してくれたようで、また元のように私の方に向き直った。
「そうそう、母の寄り合いの話に戻るのですけど」
「はい?」
あれ?頑張って風香さんの方に話題を振ったのに、元に戻って来てしまった。いや、落ち着こう、きっと別のことだ。
心の動揺が顔に出ないように、すまし顔でカップのお茶をすする。
「柚葉ちゃん、新しいチームを作ったそうですね」
ああ、そのことでしたか。
「はい、私が作ったと言うより、作りなさいと言われたのですが」
「愛花さんや摩莉さんも一緒なのですよね?」
「ええ。担当地区もないから丁度良いって」
本部の巫女は、それぞれ担当する地域を持っている。けれど、最近本部の巫女となった愛花さんと摩莉さんは担当する待機を持たず、支援要員となっていた。その二人とチームを組むようにと言われたのだった。
そのチームには後から祈利さんも加わったけど、彼女は裏の巫女なので、いまここで話題にするのは止めておく。琴音さんも敢えて口にしなかったのだと思うし。
「それで、柚葉ちゃんのチームは、これから何をするのですか?寄り合いでは、これから私の実家などで大きな脅威がある時は、柚葉ちゃんのチームが担当することもあるからって言われたみたいですけど」
「今のところは、決まった役割は無いですね」
七月に篠郷に出動を求められたけど、あの事もどこまで話して良いのか分からない。
「そうなのですか。どうしてチームを作るように指示したのでしょうね」
その言葉は問い掛けにはなっていたけど、私に答えを求めている感じではなかった。私も答えを持ち合わせているものでもなかったので、黙ったままでいた。
二人の間に沈黙が訪れたけど、居心地が悪くなりはしない。私がこの店に来たとき、常に琴音さんと話し続けているでもなく、黙ったまま寛ぐ時間もある。
だけど、そんな時間も長続きはしない。
「こんにちはー」
店の扉の鐘の音と共に、挨拶しながら入ってきた客がいた。
私がそちらに顔を向けると、その人は笑顔で近付いてきた。
「お師匠様、隣、良いですか?」
愛子さんだった。




