9-37. それから
あれから三ヶ月が経ちました。
私は南御殿の母屋の納戸に入り、そこから島の北側の小屋の前に転移しました。オジサンの小屋です。
以前は、一旦山頂に転移してからもう一度転移して来ていたのですけど、探知できる範囲が徐々に広がっていて、今はもう島の中なら何処にいても島全体が探知で見渡せるまでになりました。
そうなったのには理由があります。珠恵さんがお守りだと言ってくれた透明な石です。あの後から、胸の辺りの力の通りが良くなったように感じていました。そして、その力の通りの良い領域は、その気になれば広げられることに気付きました。その切っ掛けになったのが探知です。
私は日頃、巫女の力はほとんど使わないのですけど、探知だけは別です。島を外敵から護るためには、何処で何が起きているかは出来るだけ知っておきたいものです。なので、以前から探知の範囲を広げられないかと考えていました。
私達の身体はアバターではないので、力の通りが悪く、そのために使える力の技にも制限があることは聞いていました。なのでそれと同じように、探知範囲も制約を受けているだろうことは容易に想像できました。
けれど、体の一部の力の通りが良くなったのであれば、そこに力を通す技は制限なく使える筈です。逆に、探知の時に力が通る箇所の通りを良くできれば探知範囲も制約がなくなって広くなるのではと考えました。
それで、探知の時にどの辺りを力が通っているか、注意深く探ってみました。結果は後頭部。なので、後頭部での力の通りを良くできないかと考えていたら、胸の辺りの力の通りの良い領域を後頭部にまで伸ばせそうな気がして、実際にやってみたらできました。その結果、探知範囲が格段に広がったのです。
私はその結果に喜びつつも、不安になりました。
その気になれば、身体のすべてについて力の通りを良くできそうです。でも、もしかしたらそれは身体をアバターにすることと同じではないかと思ったのです。封印の地の巫女は、巫女として力がそれほど強くなく、それは人間社会と上手く付き合うためだと母から聞いていた万葉さんの話。今ここで強くなり過ぎてしまっては、封印の地の巫女の役目から外れてしまいそうで、怖くなったのです。まったく珠恵さんもトンでもない物をくれたものです。とは言え、探知範囲が広がったのは助かっていて、自分でも矛盾しているなと自覚しています。
兎も角、探知範囲が広がってからは、南御殿から直接小屋を囲む結界内に転移するようになりました。あの結界には普通には人が入れませんから、転移を使っても誰にも見付かる心配がありません。
けれど、影武者のオジサンにあまり近寄らないようにと言われていましたので、出入りはごく偶にです。
そして九月も終りに近付いた頃、あの日がやって来ました。
それは週末のこと。私は朝食後に陽鞠と暫く遊んだあと、自室の勉強机で問題集に取り組んでいました。そんな時、何処からか声が聞こえてきたのです。でも、一瞬のことで空耳かと思い、契約精霊に尋ねたのでした。
『ツェッティ、今の聞こえた?』
『聞こえたよ。「さようなら」って言ってた』
『やはり別れの言葉だったのですね』
私は即座に探知を発動して、島の中で起きた変化を調べ、そして結果を確認すると直ぐに紅葉さんに連絡を入れました。その紅葉さんの判断で、何人かでその変化の調査に赴くことが決まりました。目的地はオジサンの小屋です。
調査に向かったのは紅葉さんと真治さん、それに父と私の四人です。時間短縮のために行けるところまでは車でと、軽のワンボックスに乗って東の小道の入口まで行きましたけど、結局、そこから先を車で進むのは難しく、諦めて歩くことにしました。
オジサンの小屋は、外から見る限りは変わったところはありません。玄関の扉をノッカーで叩いても返事はなく、鍵も掛かっていなかったのでそのまま中に入ります。小屋の中は静かで人の気配がなく、ソファの置いてあるリビングがいつも以上に広く感じます。
そうした部屋の中を見回したところで、ソファの前のテーブルの上に置かれている物が目に入りました。少し膨らみのある封筒のようです。近付いてみると、表書きに「南森瑞希様」と私の名前が書いてあるのが見えました。封筒の中に入っていたのは、「この家の管理をあなたに託します」とだけ記された一枚の紙と、鍵の付いたキーホルダー。キーホルダーには金属製のスケルトンリーフのような飾りがあり、鍵が二つ付いています。
私がキーホルダーをしげしげと眺めている時、上から紅葉さんを呼ぶ声が聞こえて来ました。真治さんです。その声色から何を発見したのかは容易に想像が付きました。真治さんからは、「見に来なくて良い」と言われましたけど、私は首を振って階段を登り、ロフトへと上がりました。そして、ロフトにあるベッドの上に横たわっている影武者のオジサンの亡骸を見付けたのでした。
私達は、オジサンの身体を会館の慰安室まで運びました。そのまま直ぐに葬儀をするのかと思っていたのですけど、紅葉さんは人を待たないといけないから、と急ぐ素振りを見せずにいました。
そして、その二日後に紅葉さんの待ち人が来ました。誰かと思えば山野さんと古永さん。いえ、もう一人、眼鏡をした男性が一緒です。男性は三枝さんと言い、科捜研の所属とのことでした。でも何故警察が、と戸惑いながら山野さん達に挨拶をしていたら、顔に出ていたようで山野さんに指摘されてしまいました。
「俺達がどうして来たのかって顔をしているな。いいか、これは必要なことなんだ、世の中にこの人が亡くなったことを分からせるためにな」
山野さんは説明してくれました。オジサンの動静を気にしている人達がいること、その人達は黎明殿を信じていないこと、だから警察が呼ばれたことを。
そして三枝さんの肩を叩きながら、言葉を付け加えました。
「警察と言っても俺達だけだと信用されないからな。こいつは堅物だが、まったく話が分からない奴でもない」
山野さんは自嘲気味に紹介したくれましたけど、その表情から三枝さんを信頼しているように感じました。でも、山野さん達は信用されていないって、それで良いのでしょうか。
ともあれ、山野さん達は、到着したあと、休む間もなく会館の慰安室に行ったり、小屋まで足を運んだり、調査をしていました。私は小屋の鍵を預かった都合上、小屋には同行して、山野さん達の仕事振りを見学していました。
そうして一通りの調査の結果、山野さん達は老衰による自然死との結論を出しました。
次の日、葬儀が行われました。参列したのは本家と、父と私を含む分家の代表者と、それに山野さん達だけの小ぢんまりとした式でした。
葬儀の後は火葬場へ。これまで葬儀には参加したことはあっても、火葬場には行っていなかったので、初めての経験です。火葬場は島の西北西の辺り、周回道路から少し海側に入った、遠くに海が良く見える場所に建つ白い建物だと言うことを知りました。
遺骨は、遺書に従って、海に散骨しました。遺書は随分と前に作られたもので、本家に預けられていたそうです。書かれていたのは、もしもの時は海洋散骨を希望することと、財産の処分は南森の本家に一任、しかし、小屋はそのままの状態で管理して欲しいと言うことだけでした。小屋の鍵を渡されたのが私だったことから、小屋の管理は私の担当になりました。
それからは、またいつもの日常に戻りました。ただ、少しだけ変わったことがあり、それは、私が毎朝、封印の間に行った帰りに小屋の隣の畑に水やりに行くようになったことと、週末の土日の何れか、大抵は土曜日の午前中に、畑仕事や小屋の掃除をするようになったことです。
今日も転移して来てから荷物を小屋に置くと、一通り畑の面倒を見て回りました。人参、四角豆、はんだまが採り頃です。畑の水やりと雑草取りをした後、それらをかご一杯に収穫して、小屋に入りました。
小屋の中はオジサンがいたときのままで、変わりありません。
私は手を洗ってからソファに座り、水筒に入れてきた冷たいお茶を飲みながら、ぼーっと部屋の中を眺めました。
「寂しいですね」
特に答えを求めたものではない呟きでしたけど、反応がありました。
『何が寂しい?それほど付き合いがあったわけでもないだろ?』
「それでも、いた人がいなくなれば寂しいですよ」
『今生の別れじゃないんだし、また会えるさ』
ツェッティが慰めてくれましたけど、それでも気分は晴れません。
「あれって、本当に抜け殻だったのですよね?」
『ミズキが最初に触って調べただろ?』
「まあ、そうですけど」
あの時、ベッドの上で動かないオジサンの身体に触れたのは、私の方が紅葉さんより前でしたし、注意深く調べましたけど何の異常も無かったのも事実です。最後に話をした時の影武者のオジサンの言葉が頭にあったために、誰よりも慎重に確認したにも関わらず。
「私は人間ではないのですから」
あの時のオジサンの言葉です。その告白には続きがありました。
「私は精霊なのですよ」
俄かには信じられない話でした。
詳しく尋ねると、身体は精霊の契約者が作ったもので、精霊が身体に乗り移って動かせるのだそうです。その身体には、精霊が存在し続けられるように巫女の力が埋め込まれている一方、精霊が抜け出てしまうと、身体は活動を停止してしまい、死体にしか見えないとのことでした。
身体の中に精霊がいる感じは、オジサンの身体に触らせて貰って把握していましたから、ベッドの上の身体の中に精霊がいなかったのは確かです。
「でも、もしかしたら、本物のオジサンの遺体だったのかも知れません」
『それならそれで天寿を全うしたってことだろ?警察の検死で毒物は見付からなかったし、不審な点も無かったって報告されていたよな?』
ツェッティの指摘ももっともです。
『そんなに気になるなら、影武者をやっていた精霊を探し出して聞いてみたら?』
「そうできれば良いですけど、もう、この島にはいませんよね?」
『まあ、そうだろうな。でも、ミズキには心当たりがあるだろ?』
精霊の指摘は、いちいちごもっともなものでしたので、少し嫌になります。この調子で日がな話し掛けられると鬱陶しいと思うところですけど、私が呼び掛けない限りは黙っていてくれるのが救いです。
私はソファから立ち上がり、そこから少しキッチン寄りの壁の前まで歩いていきました。そこには何もなく、ただ壁が見えているだけなのですけど、良く注意すると弱い魔力が感じられます。
その場で、巫女の力から多くの魔力を生成し蓄積した後、一気に放出します。すると、そこに掛けられていた隠蔽の魔法が解除され、壁に扉が現れました。この壁の裏側は小屋の外ですけど、この扉は小屋の外には通じていません。小屋の外側から、この扉の位置を探っても何もないのです。なので、この扉は何処か違う空間に通じる扉なのだと考えています。
扉には鍵が掛かっていて、ノブを動かそうとしても、そのままでは動きません。鍵穴らしきものはなく、その代わりにノブの上にスリットが開いてます。
私はポケットから小屋の鍵の付いているキーホルダーを取り出しました。付いている鍵は二つあるものの、それらは玄関の扉の鍵と、地下の出入口の鍵です。でも、キーホルダーの飾りとなっている金属製のスケルトンリーフが、丁度スリットに入りそうな厚みです。
『試さないの?』
珍しくツェッティの方から話し掛けて来ました。
この扉は、小屋を最初に掃除したときに見付けていて、これまでも何度か隠蔽の魔法を解いて、扉を眺めたことがあります。そして、このキーホルダーの飾りが扉の鍵なのだろうと殆ど確信していたにも拘らず、今まで一度もスリットに差し込んだことがありません。ツェッティから見ると、そうした私の行動が不可解に見えるのでしょう。
「今じゃないと思うから」
『今じゃない?』
不思議そうに聞き返す契約精霊。
「私はこの小屋の管理を託されました。その時、思ったんです。私の役目はここの門番なのではないかって。いつか誰かここを通る人が来る、その人のためにこの小屋とこの扉を護ること、それが求められているように思うんです。だから、この扉の鍵を開けるのは、その時までお預けです」
『ふーん、ミズキって面白いことを考えるね。何も考えずに扉を開けて、中を探検しても良さそうなものだけど』
「良いんですよ」
私は楽しみを大事に取っておく主義なのです。
開け放っていた窓から入ってきた風が、そんな私を応援するかのように、爽やかな草木の香りを私の元へと運んでくれていました。
第九章もこれで終わりです。
次はいよいよ第十章。長い道のりであったようにも思えますし、あっという間だったような気もします。
開始は、年明け1月6日(金)の予定です。皆様、よいお年を。




