9-34. 山の北側の小屋
「それでなんだけど、瑞希ちゃん」
「はい、何ですか?」
「印籠の魔道具を作るために開発した技術のことは兎も角として、作った理由なら想像が付くよね?」
私の心の中のモヤモヤしたものを置いておいて、珠恵さんが話を進めて来ました。私はそのことは諦めて、質問に返事をすることにします。
「そうですね。異世界からの脱出用でしょうか」
「そう、当たり。それで脱出してここに来た後、どうするように指示されているかは分かる?」
どうするように?わざわざこの島に出て来たのですから、南御殿に行くのが普通ではないでしょうか。
でも、だとしたら、こんな辺鄙な場所に転移先を設定する理由が無いですね。南御殿に行こうとすると、少し坂を登って使われていない道を進まないといけませんけど、ここだと道があるのも分かり難いです。
そう考えていた時に、ふと木の切り株が目に入りました。
「あぁ、このまま切り株伝いに坂を下りて小屋までに行くようにと言われているのですね」
小屋に住んでいるオジサンが意図的に言わなかったことがあるかも知れないと、警察の山野さんが話していたのを思い出しました。オジサンが言わなかったこととは、異世界から脱出した人を受け入れていることなのではないでしょうか。
「行って聞いてみる?」
「でも、珠恵さんはそのことを知っているのですよね?わざわざ聞きに行くのですか?」
「伝え聞きより直接自分の耳で聞いた方が良いんじゃない?それに、他に面白いことが分かるかも知れないし」
珠恵さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべています。何か企んでいるのかも知れません。少し揺さぶってみましょうか。
「行くのは私だけですか?黎明殿に関係することなら、紅葉さんも誘わないといけないような?」
「紅葉さんには断られたんだよね。会いたくないって」
私は紅葉さんとオジサンのことを話したことはありません。でも、この島を治める南森家の当主なら、オジサンのことは知っていて当たり前なのは分かります。その上で会いたくないと言うのは、以前に何かトラブルのようなものがあったのかも知れません。気にはなるものの、そのことを質問する相手はオジサンではなくて紅葉さんの方に思えます。
「珠恵さんは紅葉さんから会いたくない理由は聞いたのですか?」
すると、珠恵さんは首を横に振りました。
「何かしらの事情はあるらしかったけど、私が踏み込んで良い領域には思えなくて、聞かなかったよ」
「そうなんですね」
「だから、今回は瑞希ちゃんと二人で行こうと思って」
そう珠恵さんに笑顔で言われては、断り辛いです。
「分かりました。ご一緒します」
「そうこなくちゃね」
笑顔を見せた珠恵さんが飛び跳ねるように坂を下りていくのを見て、私も後ろから付いていきました。
山野さん達と一緒の時は、一つ一つ切り株を確認しながら進んでいましたけど、珠恵さんは切り株にはまったく目もくれずにいます。
「そう言えば、論子さん達は一緒じゃなかったのですね」
三人は宿の同じ部屋で寝泊まりしていた筈です。
珠恵さんは立ち止まって私を振り返りました。
「論子さんと千景さんは、灯里ちゃん達と出かけたよ。ダイビングに行くって。花蓮ちゃんって宿の子も一緒に。私も誘われたんだけど、用があるからって遠慮しちゃった」
「良いのですか、それで。皆と一緒にダイビングする方が楽しそうな気がしますけど」
「まあ、それは否定はしないけど、こっちはこっちで楽しめているから問題ないよ」
本心なのか気休めなのか、真実の目を持っていない私には判断つきませんけど、珠恵さんが嬉しそうにしているので良いことにします。
「分かりました。そう言うことにしておきましょう」
珠恵さんに向かって微笑むと、逆に珠恵さんが怪訝な表情になりました。
「瑞希ちゃん、信じていないでしょう?本当だからね、この真実の目に掛けて」
言葉と共に珠恵さんの瞳が赤みを帯びて光りました。
「そうかなとは思いましたけど、真実の目も使えるのですね」
「そう、使える。お蔭で見たくないものまで見えちゃうし、結構迷惑」
「便利じゃないのですか?」
「そりゃあさ、相手が本気で言っているのか嘘ついているのか知りたいときもあるけど、大抵の場合はどうでも良いことだったりもするんだよね。ほら、例えばショッピングに行ったときに店員さんに『お似合いですよ』とか言われるでしょう?本気でそう思っている時は良いんだけど、そうじゃないこともあるんだよね。で、普通なら嘘っぽいなって感じても、ちょっとは本気で言っているかもって信じられる部分があって、そんな風に曖昧なままでも構わないと思う訳。だけど、すべてが見えていると曖昧なところがなくなって、救いの余地が無いから相手の言葉の衝撃が大きかったりするのよ。だから洋服なんかの買い物は、なるべく店員さんが寄って来ないお店を選ぶようになっちゃった」
「大変なんですね」
心の底から気の毒に思えました。
「ありがとう。でも、同情は要らないからね」
きっぱり言い切る珠恵さんが格好良いです。
「私のことは良いから、先に行こう?」
珠恵さんは再び坂の下を向いて速足で歩き始め、私も隣に並んで進んでいきます。
そして切り株のところを超え、鎖場を通過し、小屋へと続く小道に入りました。その小道を暫く歩くと森の木々の向こうに小屋が見えてきます。
小屋の前まで来ると、珠恵さんは私より先に小屋の玄関に続く短い階段を上り、山野さんと同じように玄関の扉に付いていたノッカーを握って扉を叩きました。
暫くすると扉の向こう側で音がして、扉がこちら側に開き始めました。開いた扉の先に見えたのは、予想通りオジサンでしたけど、心なしか浮かない表情を浮かべています。
「貴女でしたか」
何とオジサンは、山野さんだけではなくて、珠恵さんとも面識があったのですね。
「瑞希ちゃんに教えてあげようと思うんだけど、良いでしょう?」
「仕方がありませんね。どうぞ中へ」
私には何の話をしているのか分かりませんけど、二人は分かり合っているようで、少しモヤモヤします。でも、このあと教えて貰えそうなので大人しく珠恵さんの後に続いて小屋の中へと脚を踏み入れました。
小屋の中は先日来た時のまま、変わりは無さそうです。私達はオジサンに促されてソファに座り、そこにオジサンが冷たいお茶の入ったグラスを持って来てくれました。
「それで、何についてお話すれば良いのでしょうか」
私達がお茶を飲んで一息ついたところで、オジサンの方から切り出して来ました。
「これが何だか知っているわよね?」
珠恵さんがポシェットから取り出して見せたのは、印籠の形をした魔道具です。
オジサンはそれを目にして首を縦に振りました。
「貴女も御存じなのですよね?」
「ええ、理亜さんが教えてくれたから。それに、これを使うと何処に出るのかもさっき試してきた。掘り返してはいないけど、あそこにはこれと対になる魔道具が埋められているのでしょう?」
「はい」
「それで、ここに下りてきた人を保護していたのね」
「そう言うことにはなっていましたが、実際には巫女の方々はこちらの世界に戻って来るとすぐに転移して行ってしまうので、異世界からここに避難して来たのはこれまでに一人でしたよ」
そう語るオジサンの目には、感情の色は現れてはいません。淡々と事実だけを口にしている、そんな雰囲気を感じました。
「あのう」
「何ですか?」
珠恵さんとの話に割り込むようで悪かなと思いながら声を上げた私に、オジサンの視線が向けられました。
「オジサンがここに住んでいる理由は何ですか?人との関わりを避けるためって聞いたように思うのですけど、それだと避難者の受け入れをしていることと合わない気がするんです。本当に他人との関わりを避けたければ、黎明殿との関係も持たないように思うので。それに山野さんや珠恵さんとも知り合いなのも変です。珠恵さんがこの島に来たのは初めてだって聞いたのに、それだったら知り合う機会なんてないですよね?この島にずっと住んでいると言うのも嘘かも知れないって思ったのですけど」
胸の中のモヤモヤを吐き出すように言いたいことを言いきった私はオジサンを見詰めます。そのオジサンの視線は私から珠恵に移り、珠恵さんがにこやかに沈黙しているのを確認すると今度は下を向いて溜息を吐いてから私を見直しました。
「実のところ、珠恵さんに会うのは今日が初めてです。珠恵さんのことは聞いていましたし、珠恵さんも私のことは聞いていたのだと思います」
珠恵さんの方を見ると、オジサンの言葉を裏付けるように頷いています。だとすると、私の勘違いだったのでしょうか。
「ですが、この島にずっと住んでいたのかと問われると、それについては違うと答えるしかないですね。珠恵さんの目に嘘は吐けませんから」
「別に私は、貴方が嘘を吐いたからと言って、『それは嘘だ』と暴露する気はないけどね」
珠恵さんが澄ました顔で、オジサンに反論しました。そんな珠恵さんを見詰めるオジサンは半ば諦め顔です。
「それでも貴女には分かってしまいますからね。それに貴女が瑞希ちゃんを連れて来た時点で覚悟を決めていましたので」
そして、オジサンは私を見ました。
「私はね、以前貴女に『オジサン』と名乗った人物の影武者なんですよ。あの人が他人との関わりを避けてこの島に来たのは本当です。それは昔にあったある出来事が原因でした。それから暫く、あの人はここでひっそりと暮らしていましたが、ほとぼりが冷めて来ると、時折、島を空けるようになりました。でも、対外的にはこの島に閉じこもっていることにしていたくて、島から出ている時には、ここに私のような影武者を置いていたのです」
「そんな大事なこと、私に教えてしまって良かったのですか?」
「ですから覚悟を決めたと言ったではないですか。どの道、珠恵さんには一目で偽物だと分かってしまいますし」
「いや、だから私はバラすとは言っていないんだけど」
珠恵さんは不満顔で頬を膨らませています。
「良く分からないのですけど、そんなに違うんですか?私にはまったく区別が付かなくて」
影武者だと言われても、私には見分けが付かないほど良く似ています。
「珠恵さんから見れば、魂の形が全然違うんですよ。何しろ――」
そこでオジサンはニッコリと微笑みました。
「私は人間ではないのですから」
影武者のオジサンの話は、私の想像の域を超えたものでした。




