9-32. 印籠
翌日の午前中、勉強机に向かっていると部屋の扉を叩く音がしました。そして、私が返事をする暇もなく、扉が開くと母の顔が見えました。
「瑞希、あなたにお客様よ。秋の巫女の珠恵さん。下に来る?それともここにお通しする?」
母屋の方から人がやって来るのは探知で感じられていたので紅葉さんかと思いましたけど、珠恵さんでしたか。そう言えば、暫く前に宿屋の方から御殿に人が入って行くのも感じ取っていたような。
さて、それは良いとして、どうしましょうか。私は部屋の中を見回しながら考えます。
部屋は特に散らかってもいませんし、ここでも構いません。でも、リビングの方が広いですし、ソファでゆったりできそうに思えますし。少し迷いながらも、心を決めると答えを口にしました。いや、そんな大層な決心ではありませんけど。
「リビングに行きます」
「分かった。お茶でも用意しておくわね」
母は用が済むと直ぐに顔を引っ込めました。私は椅子の座面を回転させて勉強机に向き直ると、手にしていたシャープペンシルを机上の筆箱に仕舞い、椅子から立ち上がりました。そして母が閉めていった扉を開けて部屋を出、廊下を歩いて階段を下りて階下へ。
私がリビングに入って行くと、ソファに座っていた珠恵さんが手を挙げて、にこやかな笑顔を私に向けました。
「瑞希ちゃん、おはよう。ごめんね、突然お邪魔して」
「いえ、おはようございます」
今日の珠恵さんは、シャツにハーフパンツと普通の装いです。昨日のフリルのミニスカートも良かったのにと思い出し笑いをすると、珠恵さんに見咎められてしまいました。
「どうかした?」
「昨日のようにミニスカートにはしなかったのですね」
「だから言ったじゃない。あれは闇の者として戦うときの衣装だから、いつもは着ないの」
そう言い訳しながら顔を赤くしている珠恵さんが可愛いです。
私が珠恵さんの向かいのソファに座ると、母が冷たい麦茶とクッキーを出してくれました。
そこへ、陽鞠がトコトコとやって来ました。でも、ソファに見知らぬ人が座っているのに気が付いて固まります。それから、珠恵さんと私を交互に見て、最後に私の方に来ました。
「お姉しゃん、この人、誰?」
陽鞠が指差しているのは、勿論、珠恵さんです。
「へえ、この子が瑞希ちゃんの妹の陽鞠ちゃん?可愛いっ」
陽鞠のことは珠恵さんや他の人達との雑談の中で話していました。だから珠恵さんには、陽鞠のことが直ぐに分かったのでしょう。
珠恵さんはニコニコ顔で、姿勢を低くして陽鞠の目線の高さに合わせます。
「こんにちは、と言うか、初めましてだね、陽鞠ちゃん。私は、西峰珠恵。陽鞠ちゃんのお姉さんのお友達だよ」
「お姉しゃんのお友達?お姉しゃんと遊ぶの?」
珠恵さんは、目を細めて陽鞠を見詰め、ゆっくりと右手を出すと陽鞠の頭を撫で始めました。
「そうそう、遊ぶの。お姉さんとお外にお出掛けしようかなって」
「だったら、陽鞠もお出掛けする」
「いやぁ、陽鞠ちゃんが行くには大変なところかなぁ」
笑顔を絶やさないようにしていますけど、明らかに珠恵さんの表情に困惑の色が混じっています。
「こら、陽鞠。二人は貴方には行くのが大変なところに向かおうとしているみたいだから、止めておきなさい。お出掛けなら、お母さんと行かない?丁度お買い物に行くつもりだったから。一緒に行ってくれたら、かき氷を買ってあげるわ」
どうやら珠恵さんの様子を見かねた母が気を利かせて陽鞠に声を掛けてくれました。
「分かった。陽鞠、お母さんとお出掛けする。でも、陽鞠、かき氷よりアイスがいい」
「はいはい、アイスでも構いませんよ。それじゃあ、行きましょうか」
陽鞠の肩に手を置いて扉の方へと促しながら、母が珠恵さんに目を向けると、珠恵さんは母に目を伏せて感謝の気持ちを示していました。それを見た母はニッコリと微笑んで、陽鞠と一緒にリビングから出ていきます。
二人の後ろ姿を見送った珠恵さんは、姿勢を元に戻して麦茶のコップを手にしました。
「それでなんだけど」
麦茶を飲み、クッキーを食べた後にもう一口麦茶を飲んでから、珠恵さんが話を切り出して来ました。
「はい」
これからどんな話が始まるのでしょうか。先程、出掛ける話をしていましたけど。ともかく、話を聞く姿勢になって、珠恵さんの様子を伺います。
「あ、いや、そんなに畏まった話じゃないから、力を抜いてよ」
少し焦り気味に前置きをしながら、珠恵さんはポシェットに手を入れました。
「今日、話に来たのはこれのことなんだ」
ポシェットから引き抜いた手の上にあったのは、印籠みたいなものでした。
「これは、山で見付けた被害者の傍に落ちていたものですね?」
「そうだよ。これが何か分かったんだ」
珠恵さんは笑みを浮かべました。
「誰かに調べて貰ったのですか?」
すると、珠恵さんは首を横に振りました。
「そんな必要なかったよ。研究所に持ち込んだら、見ただけで分かってた。と言うか、研究所で作った物なんだって」
「研究所?」
知らない名前が出て来ました。
私が困惑した表情をすると、珠恵さんも困ったような顔になりました。
「えーと、どこから説明したら良いんだろう?瑞希ちゃん、研究って分かるよね?夏休みの自由研究とか」
「調べたり発見したりすることですよね?と言うか、研究所が何かまでは分かりますよ。ただ、珠恵さんが口にした研究所が何処が分からなかっただけで」
その説明で、珠恵さんも納得したようです。
「そういうことね。私達がただ『研究所』と言う時は、黎明殿の研究所のことを指しているんだよ」
「黎明殿の中に研究所があるのですか?」
「あるよ。昔は三ノ里と呼ばれていて、未だにその名前で呼ぶ人もいるけどね」
「三ノ里ですか」
また知らない名前です。
「その昔のことだけど、ナンバー持ちのグループが五つあって、それぞれが里に分かれて暮らしていた時代があったんだよ。順番に一ノ里から五ノ里までの五つね。それで三ノ里は、巫女の三番目のグループで、研究を担当しているところだったってこと」
「三ノ里が研究担当ってことは、他のグループにも役割があるのですか?」
「厳密には決まっていないらしいけど、大体の分担としては、一ノ里は戦闘、二ノ里は調査、三ノ里が研究、四ノ里が総務、五ノ里が渉外なんだって。今だと、二ノ里は全員異世界に行っているそうだし、本部の巫女として登録しているのは四ノ里か五ノ里の所属の巫女だよ」
「そういう情報はどうやったら手に入るのでしょう?紅、いえ、闇の力を持っているからですか?」
私の問いに、珠恵さんは腕組みをして考え始めました。
「うーん、どうなんだろう?雑用係に必要な知識だから教えてくれているんじゃない?」
「珠恵さんに雑用を頼むのは誰なのです?」
すると、珠恵さんは腕組みをほどいて、右手の人差し指を立てました。
「依頼人のことは言えません。それが私のポリシーです。何てね、言ってみたかったんだよね、これ」
珠恵さんは嬉しそうに微笑んでいます。
どうやらこの状況を楽しんでいるらしく見える珠恵さんを相手に、どうしたものかと思わずにはいられません。
なので、珠恵さんに対して目を細めてみます。
「やだなぁ、半分くらい冗談だから。そんな目で見ないでよ」
「半分は本気で私をからかっているのでしょう?」
「まーた、そういうことを言うんだから。瑞希ちゃんもずるいなぁ」
若干引きつった笑顔を見せていますけど、ここで甘やかすと調子に乗るのでジト目を続けます。それを見た珠恵さんは、諦めたように肩を落としました。
「ごめん、瑞希ちゃん。分かったから、その眼を止めてくれないかな?話すから」
珠恵さんは、自分から語り始めました。
「前に瑞希ちゃん、シングルナンバーズのことを口にしていたけど、誤解があるんじゃないかと思うんだ。シングルナンバーズは重要な部分にいるのは確かだけど、今の黎明殿の中心にいるのは、必ずしもシングルナンバーズではないんだよね」
「そうなんですか?」
珠恵さんは私の相槌に頷くと、先を続けました。
「シングルナンバーズだけど、1番は始まりの巫女で、彼女は単独行動が基本。2番から6番が、さっき話した五つの里というかグループのリーダーね。残りはどんな人達かわかる?」
「7番から10番ですか?」
時間稼ぎに確認をしながら頭を捻ってみましたけど、答えが思いつきません。
「分かりません」
諦めて首を横に振ります。
「四人は元々参謀の役目だったらしいんだけど、後になって別の役目が割り当てられたんだ」
そこで珠恵さんは一呼吸入れました。
「その四人の新しい役目と言うのが、封印の地を治めることだった。つまり、四人がそれぞれの封印の地の初代巫女ってこと。7番から順番に春夏秋冬の初代だから、この島の初代巫女は8番」
「その8番が初代一葉様なのですね」
「そういうこと」
私の理解が正しいことを珠恵さんは頷いて教えてくれました。
「でも、それなら十人が十人とも重要な位置にいますよね?」
「まあ、それはそうなんだけど、十人の合議制で上手くいくと思う?物事を決めるのに十人って少し多過ぎなんだよ。『船頭多くして船山に登る』って諺もある通りで」
確かにそれは分かる気がします。
「実際には、始まりの巫女は決めることには参加しないし、一ノ里の里長は、自分が脳筋だって分かっているから考えることには近付かないし、そうやって自然と数は絞られているんだけどね。その一方で、最近は私の師匠の季さんの発言力が増しているんだって」
「どうしてですか?」
「季さんて、昔は口数少なくて大人しく従うタイプだったそうなんだけど、子供を産んで世の中を知るようになってからはお喋りになるし、親とも良く言い合うようになったんだって。あー、季さんの親って三ノ里長の理亜さんのことね。で、理亜さんは頭が良く切れて状況判断は的確なんだけど、やることに過激なところがあるから周りが引いちゃっていて、直接理亜さんに物申す人がいないらしくてね。でも、季さんはそんなことお構いなしに理亜さんに言い返せるから他の巫女から頼りにされるようになったみたい」
黎明殿の上層部では想像していたより、ずっと低レベルの話し合いをしているように聞こえてきました。それで大丈夫なのでしょうか。
私の不安な気持ちを表情から読み取ったのかは分かりませんけど、珠恵さんがフォローするように付け足します。
「いや、その二人で決めているんじゃないから。季さんが理亜さんの過激な発言を抑えてくれるから、周りの人達が常識的な結論を出せるようになっているってことだからね」
「分かりました。それで、珠恵さんは季さんから色々と話が聞けるのですね」
「まあね。だけど、要点を知りたいと思ったら理亜さんに聞いた方が確実だよ。季さんは話が長くてどこが要点か分からないことが良くあるから」
話を聞いて様子が大体分かってきました。珠恵さんは季さんとも理亜さんとも交流があって、二人から話を聞いたり雑用を言いつかったりしているのですね。
さて、そろそろ話を戻しましょうか。
「それで、その印籠のことは理亜さんに聞いたということですか?」
「うん、そう。この印籠は研究所の人が作った汎用魔道具なんだって。あ、汎用魔道具って、普通の人でも使える魔道具ってことね。普通の魔道具は黎明殿の巫女しか使えないけど、それを誰でも使えるようにしたものが汎用魔道具ね」
「はい」
そこまでは分かりましたけど、もう一声欲しいところです。私は前屈みになって、珠恵さんの説明の続きを待ちます。
「この汎用魔道具で何ができるかなんだけど」
勿体ぶった珠恵さんの態度が少し腹立たしく思えて来ます。そんな私がジッと珠恵さんの顔を見詰める中、珠恵さんは嬉しそうに口を開きました。
「瑞希ちゃん、実際にやってみない?」
おっと、そう来ましたか。




