閑話1-8. 瑞希ちゃんと別離
今日も良い天気です。
空には雲がちらほら浮かんでいて、少し暑くなってきたものの、海を渡る風の涼しさが気持ち良い陽気の中、春の波の上を船が進んでいきます。
私は、中学校の春休みに入ってから、ダンジョン探索ライセンス講習会の指導員の資格を得るために、那覇に行っていました。本当は石垣島辺りでやってもらえると助かるのですが、それほど多くない指導員の養成は、この辺りでは那覇でしかやっていなかったので、仕方がありません。巫女の力があるものの、中学一年生の一人旅は危ないと考えたのか、母が同行してくれました。指導員の資格を得るには、A級ライセンスを持っている人が、三日間の講習を受け、修了試験に合格しないといけません。私は年末にA級ライセンスを得ましたが、那覇での指導員の講習は半年に一回で、ちょうど春の講習は学校のお休みに重なっていたこともあって、受講することにしました。前後の移動日を入れて、四泊五日の行程で那覇に行き、講習を受けて無事に修了試験に合格して、島に戻る途中です。
石垣島から乗った船は、もうすぐ島に着こうというところです。私は船のデッキに出て、そこから島を眺めていました。私はあまり島から出ることがないので、こうして船から島を眺めるのは新鮮な感覚です。私も高校生になったら、柚葉さんみたいに島から船で学校に通うことになると思いますし、そうなったら当たり前の光景になってしまうのでしょうが、いまはたまにしか見られない景色に見とれています。
私がそうして風景を眺めているうちに、船は速度を落として、港の防波堤の内側に入っていきました。船はゆっくりと桟橋に向けて進んでいって、前方が桟橋に接すると、もやい綱で留められました。船の後ろ側も綱で固定されると、船と桟橋の間に渡り板が掛けられ、乗客が降り始めます。私も母とともに渡り板を渡って、島に降り立ちました。
「瑞希ちゃん、若葉叔母さん、お帰りなさい」
声の方を見ると、柚葉さんが待っていました。
「あら、柚葉ちゃん、ありがとう。誰かが迎えに来てくれるとは思っていなかったわ」
「柚葉さん、ただいま。でも、どうかしたのですか?」
「いや、しばらく瑞希ちゃんに会っていなかったし、私、明日島を出るでしょう?それで瑞希ちゃんに会いたいなって思っていたら、帰ってくるのが分かったから迎えに来ちゃった」
え、それ、探知で気が付いたってことですよね。柚葉さん、いったいどこまで探知できるようになっているのでしょうか。いや、気にしないことにしましょう。
「お迎えに来ていただいて嬉しいです」
「私も早く会えて嬉しい」
柚葉さんは自転車で来ていたので、荷物を柚葉さんの自転車に乗せてもらいました。私たちは島を出るときは車で送ってもらっていたので、港からは歩きです。柚葉さんも自転車を押しながら歩いています。三人並んでおしゃべりしながら帰ったら、あっと言う間に家に着いてしまいました。
家に着いてからも、しばらくは柚葉さんとお話ししていましたが、夕食のときに柚葉さんは家に帰りました。明日島を出るので、島を出る前最後の夕食は家族と食べることにしていたとのことです。
夕食のあと、そろそろ寝ようかと思ってお風呂に入っているときに、来客があったのが探知で知らされました。お風呂から出て、パジャマに着替えていたら、母からリビングに来るよう呼ばれました。リビングに行ってみると、紅葉さんがソファーに座っていました。そう、私の探知でも、家にきたのは紅葉さんだったのは分かっていました。
「夜遅くにごめんなさいね、瑞希ちゃん」
「いえ、大丈夫ですけれど、どうかしたのですか?」
「今まで言えてなかったのだけど、瑞希ちゃんに話さなければならないことがあって来たの」
「それって、聞かなければいけないのですか?私、聞きたくないです。だってそのお話って、柚葉さんのことですよね?」
紅葉さんは、一瞬驚いたような顔をしましたが、すぐに納得したような表情になりました。
「瑞希ちゃんは柚葉とはずっと一緒だったものね、気付いていたのね」
「私、何があったかは知らないのですが、でも何かがあったのだろうとは思っていました。きっと、良くないことがあったのではないかって」
「そうね。だから私もあなたに言えなかったのだから」
紅葉さんは、苦虫を飲み込むような顔で言いました。
「瑞希ちゃん、本当に聞かなくて良い?柚葉と別れる前にお話ししておいた方が良いのではないかと思って、決心してきたのだけど」
そう、私は嫌なことは聞きたくないのです。でも、大好きな柚葉さんのことを知らずに済ませることもできないのです。矛盾した気持ちが胸の中を渦巻いて、少し悩みましたが、やっぱり好きな人のことは知りたい。
「そうですね、紅葉さん。私、聞きたくないのですけど、でも、大好きな柚葉さんのことだったら聞いておかないと後悔しそうだから、聞きます」
「ええ、じゃあお話するわね」
それから紅葉さんは話してくれました。昨年の夏の火竜との戦いのあと、紅葉さんたちが封印の間に行って見つけたもののことを。それを聞いて、私は頭が真っ白になりました。
「え、そ、そんなの…嘘ですよね?」
「嘘ではないの、写真にも撮ってあるわ」
紅葉さんは、持ってきていた鞄から封筒を取り出し、中の写真を見せてくれました。私がその写真を見た瞬間、涙が溢れてきました。
「そんなことって…柚葉さんが…」
もう何が何だか分かりません。止めどもなく、涙が流れていきます。
「じゃあ、いまの柚葉さんは何だって言うのですか?」
「分からないの。でも、いまの柚葉も確かに柚葉、それは間違いないわ。私の目は確かだから」
紅葉さんはうっすら微笑んでいましたが、その笑みには憔悴の色が見えています。私は一瞬どうしたものか悩みましたけど、今日まで一緒に過ごしてきた柚葉さんは、やっぱり柚葉さんでしたし、紅葉さんの言う通りだと思いました。
「紅葉さん達が見つけたもののことを柚葉さんにはお話したのですか?」
「いいえ、とてもではないけど、話をする勇気が湧かなかったの」
「そうですよね」
そう、私にも無理です。
「柚葉が何かを知っているのか、聞いてみれば話してくれるかもしれないけれど、でも、何となく、いまはまだ柚葉も正確なことは知らないのではないかしら」
「そうなのですか?」
「あの子、そんなに黙っていられる子じゃないから。何が起きたのか分かっていれば、私たちにも話してくれていると思うわ」
「そうですね、そうかも知れません」
何が起きたのかは分からないですけれど、いまはその言葉に縋ろうと思いました。そう思えば、心も落ち着いてきます。
「こんな話を聞いてしまって辛いと思うのだけど、明日は柚葉を見送ってあげてね。あの子、あなたのことが大好きだから」
「はい、大丈夫です。きっと、見送りに行きます」
そうして紅葉さんは、家に帰って行きました。
私も部屋に戻ってベッドに入ったのですが、柚葉さんの境遇を想うと涙が出てしまい、結局泣きながら寝てしまいました。
そして翌日、まだ気持ちの整理がつき切れてはいなかったのですけど、柚葉さんのお見送りに港まで行きました。南森家の人は、分家も含めて皆揃っていました。それから中学生も全員が集まっていました。
港に着いて、柚葉さんがそれぞれと別れの挨拶を交わしています。私は泣きはらした顔を見せたくなくて、家から港への道中からずっと俯いたままで黙っていました。
そんな私の前に立った時、柚葉さんは言いました。
「瑞希ちゃん、昨日の夜、お母さんから聞いたんだね。火竜との戦いのあとに見つかったものの話」
「え?どうして?」
私はそれまで俯いていた顔を上げ、柚葉さんを見て尋ねました。
「そりゃ分かるでしょう。昨日の夜お母さんが瑞希ちゃんの家に行っていたし、今日の瑞希ちゃんの顔を見れば」
柚葉さんはお見通しですね。
「柚葉さん、私、柚葉さんのことが大好きですから。いままでも、そしてこれからもずっと」
駄目です。柚葉さんのことを想うと、涙が出てきてしまいます。
そんな私の頭を、柚葉さんは、その大きな胸で抱きしめてくれました。
「瑞希ちゃん、私も瑞希ちゃんのことが大好きだから。だから大丈夫だよ、私はここにいる。消えたりしないよ」
「はい」
柚葉さんの温かさを感じながら、心を落ち着かせていった。
「ところで、あの、柚葉さん」
「何かな?」
「この胸の大きさって?」
「そうだよね、酷いよね。私の許可なく体のサイズいじるとかあり得ないよね。必ず見つけ出して、顔に拳固で一発お見舞いしてやるんだ」
「やっぱりあのときに?」
「そうだよ」
「ふふ。柚葉さんらしいですね」
そう、この人は、正真正銘柚葉さんだ。
「私、この島を柚葉さんの代わりに護りますね。だから、柚葉さんは柚葉さんの目標に向けてまっしぐらに突き進んでください」
「ありがとう、瑞希ちゃん。私、いつかきっとこの島に帰ってくるよ。そのときまで、この島をよろしくね」
「はい、任せてください」
柚葉さんは、私の頭を撫でてから、身体を離して鞄を持ち、船に向かって歩き始めました。
いつものように頭の後ろで髪を巻いて簪を一本挿していて、半そでのブラウスに薄黄色の薄手のカーディガンを羽織り、ベージュの膝丈のスカートを履いた姿は、女の子らしいものでしたが、でも、その歩き方から来るのか、格好いいって思えました。
「じゃあ、皆、元気でね」
手を振りながら渡り板を歩き、柚葉さんは、船室に入っていきました。
そして、船は出港し、ゆっくり向きを変えると、前進して防波堤の入り口から外に出ていきます。
私たちは、船が見えなくなるまで、手を振り続けました。
閑話も含めて第一章はこれで終わりです。一週間から十日程度お休みしてから第二章を開始する予定です。第二章から舞台は東京になります。




