9-30. 作戦終了
「兎も角、作戦は終わりだね」
「失敗ですか?」
声のした右後ろに振り向くと、論子さんは肩を竦めてみせました。
「それは珠恵さん次第かも」
「珠恵さん次第?」
論子さんの言いたいことが分からずポカンとしている私を置いておいて、論子さんは土の壁まで進みました。
そして、壁の根元に手を突いて作動陣を起動すると、壁は地面に吸い込まれるように低くなっていきます。そうして見えて来た壁の向こう側には、凍った草原の上に三体の氷像が立っていました。
「一番弱い凍結の魔法を使ったのに」
精霊の書庫には凍結の魔法の本が幾つかあって、その中で一番弱いものを選んでつもりでした。それでもこんな結果になるとは、困ったことです。
「瑞希さんが使えたのは水の魔法だけではなかったのですか?」
呆気に取られていたのは私だけではなく、千景さんもだったようです。
「はい、私もそう思っていたのですけど、どうも氷魔法が本当だったみたいで」
「氷魔法が本当ってどういう意味?」
これは説明が必要ですね。
「私が魔法を使えたのは私の中に精霊がいたからで、その精霊は氷の精霊だったんです。最初は本当に弱い魔法しか使えなかったから水の魔法でしたけど、契約したら本来の氷の魔法が使えるようになりました」
「はあ、どれだけ聞いても分からないことだらけね」
まったく千景さんの言う通りです。実際、私も良く分かっていないのですから。
「うーん、この状況をどうしようか。珠恵さん、そろそろ戻ってこないかなぁ」
論子さんは腕組みをして唸っています。
そんな時、氷像の横に転移陣が現れました。その次の瞬間には、転移陣の上に珠恵さんがいました。珠恵さんは脇に緑の服の人を抱えています。
その転移陣が消えた瞬間、珠恵さんは滑ってバランスを崩しました。
「うわっ、何?」
珠恵さんは抱えていた人を放り出して体勢を立て直そうとしていましたけど、失敗して尻餅をつきました。
「氷?ああ、瑞希ちゃんか。これはまた派手にやったわね」
辺りを一度見回しただけで、珠恵さんは状況を把握したようです。
「私、やり過ぎてしまいました。水だけ凍らせようと思ったんですけど、こんなことになってしまって」
言い訳交じりに話す私に、珠恵さんは屈託のない笑顔を向けてくれました。
「ぶっつけ本番で失敗しない方がおかしいから。これから沢山練習すれば良いよ」
「でも、できれば生け捕りにしてって言われていました」
珠恵さんに慰めて貰えて嬉しいものの、失敗は失敗です。
そう考えて気を落としている私の肩に、珠恵さんが手を乗せます。
「生け捕りだったら私がして来たから、問題ないって」
「え?」
先程から全然動かないのでうっかりしていましたけど、確かに一番からは生きている反応があります。
「どうやって」
「いやもう、闇に飲まれた直後は錯乱状態で散々手を焼かされたよ。捕まえるより、落ち着かせる方がずっと大変で。それで大人しくさせてから力を封じて、それでようやく戻って来られた」
「良くここに戻れましたね」
「これがあったからね」
珠恵さんがミニスカートのポケットから出したのは、ビー玉くらいの大きさの透明な緑色の珠でした。
「これ、先日山で見付けた被害者が飲み込んでいた珠と同じモノですか?」
「そう。皆一つずつ飲み込んでいたモノ。それが互いに引き合っていて、その繋がりを通じてここの場所が分かったってこと。もっとも、これが無くても他にも方法はあったけれど」
「はぁ」
まったくの余裕の表情を見て、闇に飲まれる時の珠恵さんのウィンクははったりでも何でもなかったのだと納得しました。
「珠恵さんが生け捕りしてくれたから、作戦は成功だね」
論子さんの言う通りではあるものの、浮かれた気持ちにはなれません。
「ねえ、瑞希ちゃん。自分の失敗を悔やむ気持ちも分かるけど、しっかりと反省したら、あとはこれからに向けて気持ちを切り替えた方が良いと思うよ」
「そうですよ、瑞希さんは十分役割を果たしたと思いますよ」
論子さんだけでなく、千景さんも優しく声を掛けてくれました。
「そうそう、二人の言う通り。それに、瑞希ちゃんにはまだやって貰うことがあるんだから」
「はい、何ですか?」
皆から同じように言って貰えたことで、少し気が楽になりました。私にやれることがあるのなら、積極的にやりましょうと前向きな気持ちになって、珠恵さんの依頼を尋ねます。
「ここの氷を融かせる?できれば、氷像には触らないで欲しいんだけど」
「はい、できると思います」
精霊の知識によれば、体温までは温められるとあります。その方法は、凍結のときと同じです。
「融解」
凍った地面に手を突いて魔法を発動させると、私の手を起点に氷がどんどん融けていきます。氷像も融けて、固定するものが無くなったので、次々と横に倒れました。そして、倒れた人の内、二番と四番の身体が淡い緑色の光に包まれたかと思うと、身体の上でその光が集まり、透明な緑色の石となりました。その石は、相変わらず淡い緑色の光を放っています。
「この緑色の石ってもしかして?」
千景さんが確認するように言葉を投げ掛けると、珠恵さんは頷きました。
「そう、翠の力の欠片だよ。翠の力に汚染されると面倒だから、触らないで貰えるかな。もし、どうしても触らないといけないときは、防護障壁か結界で包んでね。あ、瑞希ちゃんは氷で包んでも良いよ。普通の人が触るときは軍手かゴム手袋か、何も無ければビニール袋越しに掴むとか」
「え?それで良いのですか?」
この欠片は危険なものではなかったのでしょうか。
「直接肌に触れない限りは大丈夫だって話。でも、ともかくここの二つは私の闇の結界で厳重に封印しておくから」
そして珠恵さんは、二つの翠の力の欠片に順番に手をかざして封印すると、スカートのポケットへと無造作に突っ込みました。封印したとは言え、危ない欠片をただ単にポケットに入れておくので良いのでしょうか。ポケットに穴が開いて落ちたらと心配になってしまいます。
そんな私の視線に珠恵さんが気付きました。
「瑞希ちゃん、欠片のことが気になるの?」
「いえ、あの、うっかり落としてしまわないかなって」
私がもじもじしながら考えていたことを正直に伝えると、珠恵さんは笑いました。
「大丈夫だって。このスカート、闇の力で作った物だから見た目以上に丈夫なんだよ。デザインは恥ずかしいけど、機能的には優れているから」
「そうだったんですね」
欠片をスカートのポケットに入れておくのが問題ないことは分かりましたけど、わざわざ闇の力を使ってまで自分で恥ずかしいと思うスカートを作らなければならなかったなんて、珠恵さんも苦労しているのですね、と思いました。
「さて、と。残りが厄介なんだよね」
両手を腰に当てて、珠恵さんは大きく息を吐きました。
「そう言えば、どうして三番は翠の力の欠片が現れないのですか?」
珠恵さんの視線が三番を向いたのを捉えた論子さんが疑問を口にします。
「瑞希ちゃんなら分かるんじゃない?」
「え?私が?」
話を振られるとは予想していなくて、焦ってしまいました。
「前にも同じものを見たことがあるでしょう?」
そう言われてもなお、何のことか思い至ることができずにキョトンとした表情でいると、珠恵さんがヒントを追加します。
「山の北側で」
そこで、漸く珠恵さんが仄めかしたものが何かは分かりました。
「私達が見付けた被害者ですか?」
「そうそう」
「あの時、私達が見付ける前に誰かが欠片を持って行ってしまった可能性は無いのですか?」
「無いよ。あれ?瑞希ちゃんは分かっていないんだ」
「何がですか?」
首を傾げて尋ねます。そんな私に珠恵さんは優しく微笑みました。
「瑞希ちゃんが最初にその被害者に触ったんだよね」
「はい」
「その時、何か起きなかった?」
特に何も無かったように思うのですけど。
私に心当たりがないことを察したのか、珠恵さんは腕を組んで悩ましげな顔をしました。
「瑞希ちゃんは気が付かなかったのかも知れないけど、瑞希ちゃんが倒れていた人に触ったとき、その人の中にいた精霊が瑞希ちゃんに移動したんだよ」
あー、なるほど。だから私が精霊に会えたのですね。でも、と思います。
「精霊って普通、身体の中にいるんですか?」
私の疑問に珠恵さんは首を横に振って答えました。
「そうじゃないんだけど、精霊は魔素の濃いところにしかいられないんだよ。そして、この世界には大気中に魔素が無いから、結局、魔法使いの体内にしか居場所がないってこと。それでその魔法使いが死んでしまうと、後は魔法使いの身体に残った魔素に頼るしかなくなるし、そこに瑞希ちゃんが来れば、精霊は当然瑞希ちゃんの方に移動したくなるよね」
この世界では、身体の外に出たくても出られないのですね。何だか可哀想な気がします。
「と言うことで、瑞希ちゃん、分かったよね。欠片が出て来ないのは、契約精霊が翠の力を取り込んでいるから。下手をすれば精霊を宿した巫女も翠の力に汚染される可能性もあるんだけど、瑞希ちゃんの場合は精霊がそうするより前に私が気付いて結界を張ったから、翠の力に汚染されずに済ませられたんだ」
その指摘を受けて、えっと思いました。
「もしかして、私はもの凄く危険な状況にあったということですか?」
「まあね。もっとも、瑞希ちゃんの場合は、被害者が亡くなってからある程度時間が経っていたお蔭で精霊が翠の力をかなり消費していて、瑞希ちゃんに与えられる状況じゃなかったから助かっていたんだよ。三番の場合はそうではないから、注意しないといけないんだよね。皆悪いけど、離れていてくれる?」
珠恵さんは三番の傍らに跪くと、紅い闇の力を纏わらせた右手を伸ばして三番の喉元に触れました。そこから力を広げて三番を包み込み、そこから先は闇が三番の身体の中に吸い込まれるように消えたのでどうしていたのか分かりませんでしたけど、暫くして三番から手を離し、立ち上がった珠恵さんは満足そうに微笑んでいました。
「どうしたのですか?」
「三番の中にいた精霊を封じて私の中に取り込んだ。もうこれで安心だよ」
フムンと鼻息荒く、珠恵さんが説明してくれました。
「その精霊はどうするのです?」
「翠の力を使い切るまで放置してから、元の世界に帰すつもりだよ」
「珠恵さんは契約しないのですか?」
「え?あー、精霊との契約は、一人一体までって制限があるんだよね。それで実のところ、私は既に別の精霊と契約しててさ。だから、もう契約できないんだ」
「はぁ」
珠恵さんの意外な告白に、私の目は点になってしまいました。




