9-21. 巫女の役目
夕方、私は紅葉さんと母屋の台所に立っていました。夜、千景さんと御園さんと一緒の夕飯に誘われたので、お手伝いしようと思ったからです。それに、珠恵さんの試験のことも話ができればと考えていました。
「今夜のおかずは何にするのですか?」
台所のシンクで手を洗いながら、紅葉さんに尋ねます。
「鳥の唐揚げ、ゴーヤチャンプルーに海ぶどうのサラダかな。後は、お漬物にお味噌汁。瑞希ちゃん、最初にご飯を炊いて貰っても良い?私は唐揚げの肉の下拵えをしちゃうから」
「お米は何合にしますか?」
「そうね。女の人が多いから、そんなには要らないかな。瑞希ちゃんは食べ盛り?」
「いえ、ご飯は一膳あれば十分です」
「そう、なら三合にして」
「はい」
私は指示されるままにお米三合を炊飯器の内釜に入れ、水で研いでから炊飯器に掛けます。その間に、紅葉さんは金属製のボールの中で唐揚げ用の浸けタレを作り、鶏肉を切ってタレと混ぜ合わせていました。
「瑞希ちゃん、そしたらゴーヤ切って塩しておいて貰える?それからキャベツの千切りもお願い。私はお味噌汁作るから」
「はい」
紅葉さんの指示を受けながら、順番に野菜を切っていきます。一方の紅葉さんは、ちぎった豆腐の水を切っている間に、お味噌汁を作っていました。そして、お味噌汁が完成すると、豚肉の薄切りを小さく切り、フライパンを出して先程ちぎった豆腐を炒め始めました。
「あ、終わったのね。だったら次はサラダをお願い」
「はい」
食事の準備の手伝いをしながら試験の話ができないかと思ったのですけど、紅葉さんがテキパキと動いていて、なかなか切っ掛けが掴めないでいます。そのうち紅葉さんの手が空くときが来るだろうから慌てるまいと考えつつ、サラダの準備を始めました。
紅葉さんは、焦げ目が付いた豆腐をお皿にあけてから、豚肉を炒め、次にゴーヤも加えていきます。それからダシを加えて暫く火を通してから豆腐にオカカ、醤油を入れ、最後に溶き卵を掛けて、卵が固まるまで軽くかき混ぜます。
「ゴーヤチャンプルーできましたね。美味しそうです」
「あとは唐揚げね。あともう少し」
紅葉さんはコンロの火を止めて、フライパンに蓋をしました。それから空いているコンロに揚げ物鍋を置いて、そこにサラダ油を入れてからコンロの火を点けました。そうして油を温めている間に、金属製のボールに卵と肉の漬けダレを入れて混ぜ合わせ、片栗粉を入れて唐揚げの衣を作って、そこに漬けていた鶏肉を移して衣を絡めていきます。
肉の下拵えが終わり、さらに網付きのバットにキッチンペーパーを敷いて、揚がった肉を取り上げる準備もできたところで、油の温度も十分に上がって、紅葉さんは衣を付けた肉を揚げ物鍋の中に投入しました。
「この量だと三回に分けてやらないと駄目かしらね」
ボールに残った肉の量を見ていた紅葉さんの声は、呟きよりは大きいものでしたけど、特に私に同意を求めているようではなく、一人で納得していました。
「瑞希ちゃん、揚げ物を見ておいてくれる?私、洗えるもの洗ってしまうから」
私にコンロの前を任せると、紅葉さんは使った調理道具を洗い、それが終わると濯いだ台布巾を持って食事のテーブルを拭きに行っていました。私は菜箸で時たま肉をひっくり返しながら、中まで火が通るのを待ちます。なのですけど、実のところ、火の通り加減が分からないので、どうしようかと考えていました。
そこへ紅葉さんが戻ってきます。
「どう、瑞希ちゃん。揚がった?」
「すみません、良く分からなくて」
私は素直に白状します。
「あら、そう?んー、もう少しかな」
「どうして分かるのですか?」
「うーんと。音の高さとか、泡の出方とか。あと一分くらいしたら上げて良いわよ」
私は心の中でゆっくり60数えると、出来た唐揚げを油から取り出し、バットに乗せていきました。すべて取り出し終わると、紅葉さんが新しい肉を油に入れていきます。肉を油に入れた瞬間、ジュワっと音がして泡が沢山出て来ます。確かに入れたばかりと出すときとでは、泡の出方も音も違うなと思いました。
二回目の分の肉を入れ終わると、紅葉さんもやることが無くなったようで、私と一緒に鍋の中を見ていました。漸く話ができそうです。
「紅葉さん、聞きたいことがあるのですけど」
鍋の中の鶏肉を菜箸でひっくり返しながら、紅葉さんに話し掛けます。
「何?」
「紅葉さん、前に教えてくれましたよね。黎明殿の巫女の役目はこの世界を護ること、そして封印の地の巫女は、封印の地を魔獣や他の外敵から封印の地を護ることだって」
「ええ、そうね。それがどうかしたの?」
そう尋ねる紅葉さんの声色には、私が何を話したいのか分かない戸惑いの感情が含まれていました。私がそんな紅葉さんの方に目を向けると、紅葉さんと目が合ってしまいました。
私は視線を鍋の中に戻すと、話を続けます。
「私は外敵って、この島を攻めようとするこの世界の人のことだと思っていたんです。でも、違ったんですね。外敵って異世界の人達なんだって。今回のことが終わっても、また異世界の人達と戦うかも知れないのですよね」
言いたいことを言ってから、私はまた紅葉さんを見ました。紅葉さんは私の視線に気付かず、目は鍋の方を向いていましたけど、何かを考えているようです。
「瑞希ちゃんは、異世界の人のすべてが敵だと思ってる?」
「それは違うと思います」
「どうして?」
紅葉さんの目が私を見ました。優しい目です。
「この世界もそうですけど、良い人だっているでしょうし、そもそも自分の住んでいる以外の世界があるとは知らない人も多いでしょうから」
「私もそう思うわ。それに、例え魔法のある世界であっても、その魔法が通用するのはその世界の中だけで、別の世界には行けませんからね。世界を渡れるのは三色の御柱の力を得た人だけ、特に自力で世界を超えられるのは翠の力を与えられた者に限られる。でも、存在すら知らなかったのに何のために別の世界に行くのか。それは御柱に何かを吹き込まれたから。結局は、その人達だって御柱に踊らされているだけなのよ」
「でも、その人達は自分が踊らされているとは考えていませんよね。少なくとも、今度来る人達は目的を持ってここに向かっているように思えるのですけど」
私は話す声に自然と力が入り、紅葉さんも真剣な眼差しになっています。
「そうね。そして、山で見付かった人の様子からすると、あまり友好的ではなさそうね。でも、先入観だけで決めつける訳にもいかないし、きちんと見極めたいところなのだけど」
紅葉さんの言葉に、試験の時のことを思い出しました。
「そう、見極めないとですよね。御柱の力を持っているからと言って、直ぐに排除する必要はないですよね?」
「それは必要無いと思うけど、いつ何をするか分からないから、力だけでも封じたいところね」
「私達の力で、御柱の力を封印できるのですか?」
紅葉さんは悲しげに首を横に振りました。
「私には分からない。でも、例え封じることができなくても、それで諦めるのは駄目ではないかしら。やれるだけのことはやらないと」
「そうですね」
今の私にできることは何でしょうか。夜の間に考えようと決心したところで、それまでとは口調が違う紅葉さんの声が聞こえました。
「瑞希ちゃん、そろそろ揚がって来たみたいよ。バットに上げて貰える?」
揚げ物のことをうっかりしていました。私が急いで唐揚げを油から上げると、紅葉さんがボールに残っていた肉のすべてを鍋に入れました。
「あとはこれが揚がるのを待つだけね。本当は、軟骨もあれば良かったのだけれど」
「軟骨唐揚げですか?そう言えば、軟骨唐揚げって柚葉さんが好きでしたよね」
「そうそう。だけどこの島では普通には手に入らないのよね。だから唐揚げをする時には前もって軟骨を取り寄せていたのよ。あと、柚葉が高校に通うようになってからは、あの子が学校帰りに自分で買ってきてたりもしたわね。兎も角もまあ、今日は無くても問題ないかしら」
「はい、おかずは十分ありますし」
それに今日は柚葉さんもいませんから、と口にしようかとも考えましたけど、いちいち言うことでもないなと思い、差し控えました。




