9-17. 珠恵の試験
「瑞希ちゃん、準備は良い?」
今、珠恵さんと私の二人は、珠恵さんのプライベート異空間に来ています。遊びに来たのではなくて、珠恵さんの試験を受けるためです。
珠恵さんが母屋に来て紅葉さん達と話をした後、そのままお昼を一緒に食べてから、珠恵さんにこの異空間へと連れてきて貰いました。
転移して来たところは大きな部屋の中でした。その一角には、ソファなどが置いてあったものの、何も物が置いていないところも道場くらいの広さがあって、そこでも十分訓練ができそうです。
しかし、珠恵さんはそこには留まらず、扉を開けて出ていきました。それを見て私も慌てて後を付いていきました。
扉を抜けると、建物の外に出ました。そこは、見渡す限りの草原。珠恵さんが少し先まで転移するからと言って消え、確かに少し先に珠恵さんの反応があったので、私もそちらへと転移しました。そこではもう出て来た建物も見えず、辺り一面草原だけです。いえ、ある方向にだけ遠くに山が見えています。
「あの山のある方が北。ここからじゃ見えないけど、南には海があって、西に行けば川がある。その川の向こうには荒れ地があって、技の練習をするときはそこまで行くことにしてる」
「はぁ、異空間ってこんなに広いのですか」
私は広大な光景を呆然として眺めながら、素直な感想を口にしました。
「そうだね。用途を限定した異空間だともっと狭いのも見たことあるけど、普通はこれくらいじゃないかな」
この草原だけでも島より広く、私は凄く狭いところにいるのだと感じずにはいられません。
「瑞希ちゃん、どうかした?」
「思っていたよりもずっと広くて圧倒されました」
「そう?私達の世界は、こんな異空間よりもずっと広いじゃない」
「それはそうですけど」
珠恵さんは事もなげに言い切っていますけど、それができるのは、これだけの広い空間を自由に使えるからこそなのではと思うのです。そうした不満が顔に出てしまったのか、珠恵さんは私の顔を見て苦笑しました。
「瑞希ちゃんがこの空間を必要とするときが来たら、その時は相談に乗ってあげる」
「はい、お願いします」
珠恵さんの約束が嬉しくて、私は笑顔になりました。そんな私を見て、珠恵さんはホッとした表情を見せました。
「それじゃあ、試験を始めようか」
「はい。でも、何をするのですか?」
「これから瑞希ちゃんに幾つかの光景を見せるから、瑞希ちゃんは黎明殿の巫女としてやるべきことをやって。実際のやり方は何でも良いから。それが正しく出来たら合格」
何かクイズみたいなものなのでしょうか。
「分かりました」
「ここなら、どんなことをやっても、誰にも迷惑掛からないから」
「え?」
私には珠恵さんの言おうとしていることが分からずにいましたけど、珠恵さんはそれ以上は説明しようとしませんでした。そして、冒頭の珠恵さんの発言に至ります。
「瑞希ちゃん、準備は良い?」
どんな試験か分からないことへの不安と、私なりに頑張れば合格できると自分に言い聞かせる気持ちとが心の中で入り混じった状態でしたけど、ともかく前に進むんだと決心して珠恵さんに向き合いました。
「始めてください」
私の言葉に、珠恵さんは目尻を少し下げ、笑みを浮かべて頷きます。でも、次の瞬間、何かを思い出したような表情をして、私に近付きました。
「ごめん、試験の前にやることがあったんだ。悪いけど、触るよ。じっとしてて貰えるかな」
「はい」
珠恵さんが左手を私の右肩に置いた状態で、右手を私の胸元に当てて来ました。そのまま珠恵さんは動かずにいましたけど、何か力を使っているような感覚があります。それは私を不安にするものではないものの、巫女の力にしては若干の違和感を覚えました。
でも、それも長い時間ではなく、珠恵さんは手を離すと後ろに下がり、少し離れたところに立って私を見詰めました。
「それじゃ、頑張ってね」
目の前の珠恵さんの瞳が紅くなったかと思うと、次の瞬間、それまでとは違う景色が目に入ってきました。
* * *
そこは段丘と呼ぶべきか、周囲から一段上がった高台でした。
その高台の端に立つと、眼下に見えるのは大きな森。広葉樹がびっしりと並んでいます。ただ、崖下に近い部分だけは木は生えておらず、一本の道が崖沿いに伸びています。
その道の右手方向、遠くの位置に動くものがありました。視力強化をして観察すると、荷馬車を中央に配置したキャラバンだと分かりました。荷馬車の前後には、馬に乗った人が見えます。荷馬車の前方に二人、後方にも二人。荷馬車を護るように隊列を組んでいることから、護衛でしょうか。全員が皮製とおぼしき防具で身を包んでいます。小説に出て来る冒険者のような出で立ちが、何となく、中世の時代を基にしたファンタジー世界のような印象を与えています。
その一行は、真っ直ぐ伸びた道に従い、段々と私の方に近づいて来ていました。
と、そこへ森の中から一行目掛けて何かが飛び出して来ました。緑色の肌で、子供くらいの大きさですが、頭髪はなく棍棒を持った生き物。
「ゴブリン?」
私は本当にファンタジーの世界に入り込んでしまったのでしょうか?
ゴブリンは一体だけではなく、森の中から次々と湧き出てきます。一行の前にも後ろにも。獲物が通り掛かるのを待ち伏せていたのか、全部で三十体近くのゴブリン達が一行を囲みました。どのゴブリンも武器を手にしています。棍棒だけでなく、剣や斧を手にしているものもいます。それらが、馬に乗った護衛や荷馬車に向けて、襲い掛かっていきました。
「助けないといけないかな?」
襲われている人達を放ってはおけず、転移陣で自分の剣を呼び出すと、急斜面を駆け下り始めました。
私が斜面を下っている間にも、戦況は進んでいきます。四人の護衛のうち、右手前の人が攻撃で傷付けられた馬が暴れて振り落とされそうになっています。荷馬車の御者も盾と剣でゴブリンに応戦していますが、御者台の上で背後を護りながらでは戦い難そうです。
私は道まで降りると、まずは御者台に上がろうとしているゴブリンを二体、背後から攻撃して斃すと、荷馬車の後ろへと移動しました。そして、馬から落ちかけて一番危ない状態になっている護衛を助けるべく、そこに群がっているゴブリン達に身体強化しながら近付いて斬り付けていきます。私の参戦にゴブリン達が混乱したこともあって、姿勢を崩して危なかったその人も、馬から降りて体勢を建て直すことができました。それによって形勢が大きく傾き、二人で手分けをして片端からゴブリンに相対していくことで、時間を掛けずに片付けることができました。
「助けてくれてありがとう」
「お礼はあとで良いです。早くお仲間を助けに」
私に促され、その人はすぐ近くの護衛の応援に入りました。それを確認した私は、馬車の前方の支援へと向かいます。先程とは荷馬車の反対側を通って御者台の傍にいたゴブリンを通りすがりに斃すと、前方にいた二人の護衛達の様子を確認し、二人の間に踏み入ります。
前方の二人は後ろの人達より腕が上で、既にそれぞれ何体かゴブリンを倒していました。そこに私が加わったので、ゴブリンにとっては弱り目に祟り目とも言うべき状況です。私が二人の護衛の間にいたゴブリン達を相手にすることで、二人は外側のゴブリンに専念できるようになり、危なげなくゴブリンを斃していきます。私も負けじと剣を振り回し、周りにいたゴブリン達に致命傷を与えていきました。そうして無心で戦い抜いた結果、荷馬車に襲い掛かったすべてのゴブリンを斃し終えました。
戦い終えて、私は地面のあちこちに横たわっているゴブリン達を眺めつつ、探知も使って生き残りがいないかを調べます。周囲を含めてゴブリンの反応が無いことを確認すると、私は漸く警戒を解いて剣を送還しました。
ゴブリンは人型のモンスターで、これまで戦った中でも、ゴリラに似た魔獣よりも更に人に近かったですけど、それでも私にはモンスターにしか見えませんでした。
これは私を戦いに慣れさせようとする訓練なのだろうかと思いながら、荷馬車の方を見ると、馬から下りた護衛の一人が私に向かって来ました。荷馬車の前方にいた二人のうちの一人です。
「助太刀してくれて助かった。でも、どうしてこんなところにいたんだ?一人旅か?」
「はい、そうです」
正直、自分がどんな状況なのか分からないので、適当に答えるしかありません。
「まあ、女の子が一人旅なんて、勇ましいのね」
護衛の人の後ろから声が聞こえました。そこには女の人が立っていました。戦いの最中は荷馬車の中にいたようです。荷馬車で商品を運んでいる商人かと思っていましたが、身なりからすると違うような気がします。着ている服は一般の人に見えるものの、綺麗に整えられた長い髪からは、何となく上品そうな雰囲気が漂っています。何処かのお嬢様がお忍びで旅をしているような、そんな感じです。
「貴女のお蔭で私達は無傷で済みました。何かお礼をさせてはいただけませんか?」
女性にニッコリと微笑まれて、私はどうしようかと迷いました。
そんなとき、突然、目の前の女性達や森が消え、まったく違う光景が目に入って来ました。
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