9-13. 警察の撤収
「山野さん、何故今その名前を持ち出したのですか?」
紅葉さんの落ち着いた話し方の中に、若干強い口調が混じっていて、山野さんを責めているような印象です。
「すみません。でも、出任せで言っているのではないと示した方が良いかと思いましてね」
山野さんは頭をポリポリと掻いています。
「まあ確かに、冗談ではないことは十分伝わりました。とは言っても、仮に黎明殿の巫女があの傷を付けられるとして、被害者をこの島に置いていくのは変ではないでしょうか?周りは海ですし、他人に見付かるようにしておく理由が分かりません」
紅葉さんは落ち着いて来たのか、鋭く指摘していきます。
「はい、そこは仰る通りです。ですので、その場合でも、被害者が傷つけられたのはこの島ではなかったのだろうと考えています。被害者がこの島に現れたのは、加害者側の何らかの意図に基づいていた可能性もありますが、加害者の意図とは関係しない何らかの理由があったかも知れません。と言うか、寧ろ後者の方がありそうな気がしています。ただ、それは俺の勘でしかなくて、加えて、そもそも黎明殿の巫女が傷付けたかどうかも仮定の話です。超常の力を行使できるものにしても黎明殿の巫女には限られませんから、例え被害者の傷が加害者の超常の力によるものだったとしても、だからと言って即座にその加害者が黎明殿の巫女だと決め付けることもできはしません」
そうした山野さんの発言に、紅葉さんは眉をピクリと動かしました。
「山野さんは随分と広く想定を捉えていらっしゃるのですね」
「そうでないと、重要なことを見落とすかも知れません。それと、想定と言う点では、もう一つありまして、被害者が単独行動をしていなかった可能性です」
「被害者の仲間が何か動きを見せるかも知れないと?」
「はい。或いは、第二の被害者が見付かるか。端的には、事件が続くかも知れないと言うことです」
「こんな事件は続いて欲しくありませんね。でも、アドバイスとして頭に留めておきましょう」
紅葉さんがそう告げると、山野さんは頭を下げました。
「恐縮です。それでは、我々はそろそろお暇して、港へ向かおうと思います」
「ご苦労様でした。港までお送りを、と思いましたが、お荷物をお持ちではないですね?」
ソファから立ち上がった山野さんの隣で、古永さんがノートパソコンをサイドバッグに仕舞っていますが、それ以外には山野さん達の荷物は無さそうです。
「はい、一旦宿に戻るつもりでしたので」
「それでは、先に宿に戻っていていただけますか?宿の前までこちらの車を持って行きますので」
「分かりました。そうさせて貰います」
山野さん達を一旦母屋の玄関で見送った後、紅葉さんは私を見ました。
「瑞希ちゃん、山野さん達のお見送り、私と一緒に来てくれる?」
「はい」
私はお行儀良く返事をしたものの、心の中では何故私なのかと戸惑っていました。これまでだと、紅葉さんと一緒に行くのは真治さんか父の役目でしたから。でも、思い返してみると、今回山野さん達と一番長く一緒にいたのは私ですし、私でも良いのかなと思うのでした。
「ねえ、瑞希ちゃん」
玄関で山野さん達と別れた後、自分の部屋からサイドバッグを持って来た紅葉さんと一緒に母屋を出たところで、紅葉さんが声を掛けてきました。
「はい、何ですか?」
「私に訊きたいことがあるのではないかと思って」
「教えて貰えるんですか?」
「私の知っている範囲ならね。同じ封印の地を護る巫女同士ですもの」
それって、私も一人前の巫女として認めて貰えたと言うことなのでしょうか。でも、あれ?何か変な感じです。これまで紅葉さんは、巫女のことは殆ど教えて貰えなかったと零していていて、それでも知っていることはすべて柚葉さんや私に教えてくれていた筈なのです。巫女の力の使い方、特に作動陣は一つも知らなくて、柚葉さんが浮遊陣や転移陣を発見したときは、本当に驚いていました。なのに今、私が知らない新しいことを教えてくれると言うのです。私が不思議に思うのも仕方がないことではないでしょうか。
話がそれ以上進む前に、私体は紅葉さんの家の車に辿り着いてしまいました。車は濃いワインレッドのセダンです。駐車場には来客用も含めて六台は並べられそうな広さの屋根が設置されていて、その一番母屋側の端に停められています。
紅葉さんが運転席に、私が助手席に乗り込みます。屋根があるとは言え、車の中は暑く、紅葉さんは車のエンジンを掛けると、エアコンを回しつつ窓を開け、空気を入れ替えようとしました。
「瑞希ちゃん、どうかした?」
先程から私が黙ったままなことを気にしたのか、紅葉さんが尋ねてきました。私はこの際だからと意を決して、頭の中で考えていたことを言葉にしました。
「紅葉さんは、知っていることを全部教えてくれていると思ってました。でも、違うんだと分かったので」
「ええ、そうね。それは悪かったと思うわ。でも、私にも言えないことはあるのよ。貴女にはそのうちすべてを話すことになるでしょうけど、今はまだ、ね」
え?私に?柚葉さんにでは?そんな疑問が頭をよぎりましたけど、話を先に進めるために堪えます。
「それで、教えて貰っても良いですか?紅葉さんが話そうとしていることって、シングルナンバーズのことですよね?」
「ええ、そう。黎明殿の巫女の中で番号を割り当てられている人達はナンバー持ちとも呼ばれていて、その中でも1番から10番までの最初の十人がシングルナンバーズなの」
紅葉さんによれば、ナンバー持ち或いはナンバーズと呼ばれる人達は巫女の力で創った身体であるアバターを持っていて、別名アバター持ちとのこと。彼女達は封印の地の巫女よりも強く、特にシングルナンバーズは最初の十人だけあって巫女の力に精通していて非常に強いらしいのですけど、人前には姿を現さないのだそうです。
「紅葉さんは、その人達を知っているんですか?」
「一部の人だけね。悪いけど、誰だかは言えないわ」
どうやら、紅葉さんが話してくれるのはここまでのようです。
「山野さんも会ったことがあるのでしょうか?」
「そうとしか思えないわよね。それで何かを知ったのでしょうけど」
そこで紅葉さんの言葉が途切れました。私が何ともコメントできずにいると、紅葉さんは表情を変えて、車のシフトレバーを操作し、サイドブレーキを外しました。
「考えていても始まらないわね。そろそろ宿に行きましょう」
紅葉さんは車を出し、直ぐ近くの崎森荘の前まで移動させました。
車から宿の入口が見えていますけど、山野さん達の姿は見えません。探知で視ると、宿の部屋に人がいると分かりました。帰り支度の最中のようです。
「山野さん達は、まだですね」
「そうみたいね」
船の出航の時間まではまだ余裕がありますから、急ぐ必要はありません。山野さん達が出て来るのをゆっくり待つことにします。
コンコン。
ん?助手席の窓ガラスが叩かれた音が聞こえました。宿の入口は車の右側だったので、音は丁度反対側です。私が窓を見ると、そこには向陽さんの顔がありました。
「こんにちは、向陽さん。どうかしましたか?」
「いや、そんなに大したことじゃないんだけど。私、冴佳達と自転車で島を一周してきたところなんだ。で、ここに戻って来たら瑞希ちゃんが車に乗ってたから、これから何処に行くのかな、と思って」
「山野さん達を港まで送るんです」
「山野さん達?ああ、環さん達か。そうなんだ。折角だから私も港まで見送りに行こうかな。自転車もあるし。それで、瑞希ちゃんのお隣の人が柚葉ちゃんのお母さん?」
運転席に座っているのが、私の母ではなくて紅葉さんであると何故分かったのかとの疑問が頭を掠めたものの、二人の紹介を優先しました。
「はい、こちらは柚葉さんのお母さんの紅葉さんです。紅葉さん、こちらは冴佳さんの大学のお友達の向陽さんです」
「向陽灯里です。初めまして」
「ええ、南森紅葉です」
向陽さんがにこやかに挨拶したのに比べて、紅葉さんは心なしかぼうっとした感じです。
しかし、そのことを追及する間もなく、山野さん達が宿から出て来ました。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いえ、問題ありません。どうぞ後ろにお座りください。あ、荷物はトランクですね。今開けます」
紅葉さんはトランクの鍵を開けると、車から降りていきました。そして、荷物をトランクに納め、全員が車に乗り込むと、紅葉さんが港に向けて車のアクセルを踏み込みました。後ろから向陽さんが自転車で追い掛けて来ています。冴佳さんと五条さんも、自転車で向陽さんに付いて来ていました。
港まではそれほどの距離でもなく、下り坂なこともあって、車と自転車とでそう大きく到着時間が変わるものでもありません。紅葉さんが港の駐車スペースに車を停め、山野さん達が荷物を下ろしているところに、自転車を待合所の前に置いて来た向陽さん達がやって来ました。
「嬢ちゃん達にまで見送って貰えるなんて、嬉しいことだ」
「環さんとは一緒に遊んだ仲だからね」
「俺じゃなくて、古永の方か」
「山野さんにもお世話になってます」
山野さんの突っ込みに、向陽さんは敬礼しながら応えます。
そして、二人とも声を出して笑いました。周りも釣られて笑顔になります。
それから、皆で乗船口へと向かいました。
「それでは俺達はここで失礼します。お世話になりました。水の嬢ちゃんもありがとうな。水の旦那にもよろしく」
「こちらこそありがとうございました。道中お気を付けて」
「今度は遊びに来て下さい」
山野さんの挨拶に、紅葉さんと私がそれぞれ応じる形で別れをしました。
私達が手を振っている中、山野さん達は船に乗り込んでいきます。
暫く待つと、出航の時間が来ました。警笛の音と共に船は桟橋から離れ、回頭した後、港内から外海へと前進を始めます。私達は船が見えなくなるまで、手を振って見送っていました。
「船も行ってしまったし、私達は宿に戻って休もうか?」
「そうだね、冴佳」
そう話しながら、冴佳さん達は自転車を停めてある方へと歩き始めます。
「それにしても、良く似ているわね。でも、大学生よね。だとすると計算が合わないのよね」
冴佳さん達の後ろ姿を見ながら、紅葉さんはブツブツと呟いていました。もしかして、心の中で思っていることが、知らずに口から出てきてしまっているのでしょうか。




