9-8. 旧登山道
「おお、これは」
「素敵な眺めですね、ボス」
今、私達は山頂にいます。
昨日、義之小父さんの船で島を一周した後は、車で周回道路を走り、海岸線沿いの幾つかの場所を見て回りました。
そして今日は現場を見たいとのことで、山に来ています。けれど、まずは山の全貌を知りたいと、現場のある旧道には入らずに登山道を真っ直ぐ山頂までやって来ました。山野さんも古永さんもカジュアルな服装に身を包んでいます。現場には沢山草が生えていると伝えていたので、暑い中ですけど、きちんと長ズボンを履いています。
崎森島は今日も晴天で、遠くの水平線まで良く見えています。
「南御殿も良く見えるな。すると、こっちが南向きか。北は反対側だな」
山野さんは一人で納得して、山頂の反対側へと歩いていきました。それを古永さんと追いかけます。
「うむ、こっちも絶景だ」
とても満足そうな声に聞こえます。
「確かに素晴らしい景色ですが、ただ眺めを見に山頂まで来たのではないのですよね?ボス」
「ああ、位置関係を確認しようと思ってな。ここからだと現場はどの辺りだ?」
それまで遠くを眺めていた山野さんは、眼下に広がる森の方に目を向けました。
「現場の標高は約350mとのことでしたから、ここから直線距離で200m程度でしょうか。とすると、あそこの木が疎らになっている辺りではないかと」
古永さんが指で指し示しました。
「嬢ちゃん、そこで合っているか?」
そう山野さんに問われる前から、私は古永さんが示した先を見ていました。探知を使うと、私が現場に付けておいたマーキングがそこに視えます。なので、そこが現場なのは確かですが、ここから見下ろすと微妙に不自然な印象があります。
「はい、あの木の無い空間の一番手前のところです」
現場にいるときには気づきませんでしたけど、ここから眺めると現場から北の方、つまり山裾に向かって直線的に木の無い空間があるように見えるのです。それは、以前と変わらぬ光景のようにも思います。これまでは何の気なしに見ていたところなのに、被害者が発見されて意識したからでしょうか。
「現場の下の方が気になるな」
「はい、人の手が入っているように見えますね」
「後で調べてみるか」
山野さんは腕を組み、右手で顎をさすっています。どうやら、私と同じように感じたようです。
「何はともあれ、まずは腹ごしらえだな」
それまで真剣な表情で現場方面を見ていた山野さんでしたけど、急に緩んだ表情となりその場に座り、背負っていたリュックから弁当箱を取り出しました。
「ん?お前たちも食べたらどうだ?現場に行ってからでも構わなかったが、ここの方が景色が良いだろう?」
「まあ、そうですね」
古永さんも座ったので、私と同じように座ってお弁当を食べ始めました。山野さんの言う通り、山頂からの景色を楽しみながらの昼食は、とても美味しく感じられます。
「なあ、古永。酒は持ってきたか?」
「ボス、何を言っているんですか。持って来る筈がないでしょう。仕事中ですよ」
「ほら、昼食の時に普通にワインを飲むところもあるじゃないか、ビールくらいなら構わないんじゃないか?」
「どこの国の話をしているんです。ここでは駄目です。喉が渇いたのなら、さんぴん茶をどうぞ」
古永さんはリュックからペットボトルを取り出して、山野さんに手渡しました。
「古永、ありがとう。だが、この景色を眺めながら酒が飲めないのは残念だったな」
「まだ言いますか」
古永さんに冷めた目で見られていますけど、山野さんは気にしていないようです。山野さんはペットボトルの蓋を開けると、口を付けてお茶をごくごくと飲みました。そして、蓋をして私の方に「いるか?」と差し出してきました。
え?それって間接キスになってしまうのでは?とは口にせず、ふるふると首を横に振り、「自分のがあります」と、ナップサックからお茶のペットボトルを取り出して見せました。
それで私が必要としていないことを理解した山野さんは、手にしていたペットボトルを古永さんの方へと差し出し、古永さんはそれを無造作に受け取ると、蓋を取って口にしました。私は古永さんが口にしたものを返してくれるなと苦言を呈するものとばかり予測していたので、目を丸くしてしまいました。いつも山野さんに厳しいことを言っている古永さんですけど、別に嫌っているのではないのですね。
食事を終えると、元来た道を戻って下山していきます。
私は旧道との分岐点まで下りるつもりで進んでいたのですけど、山野さんが途中で立ち止まりました。
「済まない。待って貰えないか?」
そこは山の東側、丁度坂が折り返している地点で、そのまま登山道を進めば、次の折り返しが旧道との分岐点です。私は山野さんより先に進んでいたので、声を掛けられると山野さんのところまで戻りました。
山野さんは、折り返している登山道とは反対の方向を見ています。
「なあ、こっちに行ってみたいんだが?」
指し示されたのは、それまで山野さんが見ていた方角です。
「そちらに道は無さそうですけど」
ここの折り返しは、少し山を抉った形になっていて、道が分岐しているようには見えません。
「一見したところではな。随分と時間が経ってしまっているだろうから確信は無いが、何となくここの折り返しは人の手が加わっているような気がする。古永、どう思う?」
「そうですね。ここのことは何とも言えませんが、ボスの見立て通りなら、この先に道の跡がある筈です。少し探して道の跡が見付かれば、それを進むと言うことでは?」
私達は登山道を外れて山の中へと入って行きました。そこは斜面に沢山の草が生い茂り、土が見えているところがありません。足場が悪く、進む方向も見定められない状況の中、古永さんは、ひょいひょいと身軽に先に進んでいきます。山野さんは歩き難そうにしていて、私の後ろを、汗を掻きながら付いて来ていました。
「ボス、道の跡らしきものがありました」
古永さんのところへ行くと、草の葉に隠れているものの、山の傾斜に対して水平になっている部分が帯のように続いているように見えました。
「良く見付けてくれたな、古永。下り坂になっているし、きっと古い登山道だろう。先に進もうか」
そこからも私達は古永さんを先頭に歩きました。草だらけで分かり難かったものの、道の跡を見失うことなく進むことができ、そして、暫く歩くと見覚えのある場所に出ました。
「瑞希さん、ここが現場ですね?」
道の跡から外れた下の方に、被害者が見付かった位置を示した白いペンキも見えていたので、古永さんにも現場に到着したことは分かっていたと思います。
なので、質問というより確認の言葉に、私は頷いて答えを返しました。
「使われなくなった登山道か、興味深いな。だが今は、現場を確認しよう」
山野さんは斜面を下っていき、古永さんも後を追います。現場を確認すると言っても、既に多人数で調査していたので草はあちこち踏まれていましたし、新しく見つかるものはないと考えていました。
しかし、山野さんは違うことを考えていたようです。
「古永、これ」
「何です?ボス」
山野さんは、被害者が発見された場所の少し横の方に立っています。古永さんと一緒に私もそこに行ったのですけど、山野さんが何を見付けたのか分かりませんでした。
「切り株ですか」
「ああ」
「でも、山野さん、これ、古いものですよね?事件に関係があるのですか?」
古永さんは、山野さんが見付けたものを的確に言い当てましたけど、私にはそれが納得できませんでした。
「嬢ちゃん、これはな、事件に直接は関係ないだろうが、事件の背景を知る手掛かりになるかも知れないんだ」
「手掛かりですか?」
「そうだ。嬢ちゃん、可笑しいとは思わないか?何故こんな誰も来ない山の北側に切り株があるのか。こんな綺麗な断面の切り株、人が伐ったとしか思えないだろう?」
確かに山野さんの言い分にも、一理あります。でも、切り株が何の手掛かりになるのでしょうか。私は穴の開くまで切り株を睨み付けましたけど、何も思い付けないでいました。
「ここにもあります、ボス」
斜面の下の方から古永さんの声がしました。古永さんは、山野さんが切り株を気にしていると分かると、他にも無いかと探していたようです。
「北に向かっているな。予想通りと言えばその通りだが。まだ、この先にもあるんじゃないか?」
山野さんの指摘を受けて、古永さんはさらに下へと向かいます。そう言うことなら、と、私も斜面を下っていきました。
「ボス、これもですね」
古永さんが指し示した切り株を横目に見ながら、私は先に下へ降りていきます。
「あっ、ここにもありました」
「二人とも、分かったから少しゆっくり降りて貰えないか?」
山野さんも私達に付いて斜面を降りて来ましたけど、息が上がっていて辛そうです。それからは、古永さんも私もペースを落として切り株探しを続けました。
そして、見付けた切り株が15個を過ぎた辺りのこと。
「ボス、この切り株、鎖が付いています」
古永さんの言葉通り、太い鎖が大きなボルトで切り株に固定されていました。鎖は斜面の下の方へと伸びています。
「そうか、なるほどな」
私達に追い付いて来た山野さんは、鎖を取り上げると、その伸びた先を見ながら呟きました。
「なあ、古永」
山野さんの表情がいつになく真剣です。
「お前、ここに残れ」
「え?」
古永さんは、どうして、と言う顔をしていました。勿論、私にも山野さんの考えは分かりませんでした。




