8-49. 夏の旅行
「わぁっ、海の色が全然違うわね。対岸の海岸線も凄く素敵」
「足下の砂が真っ白だよ。あ、サンゴが落ちてる。綺麗だなぁ。これ、持って帰っても良いのかな?」
「こら、トモ。海岸に落ちている物は、サンゴの欠片でも砂でも持ち帰り禁止だ。手に取って眺めるのは構わないが、見終わったら元の場所に戻すように」
初めて見る南国の海に浮かれている由縁と私に、冴佳の冷静な突っ込みが入る。
私達三人は今、石垣島に来ている。
約束していた旅行は、最初の冴佳の提案通りに沖縄になった。由縁と私は初めての沖縄の海に感動ひとしおだ。冴佳は何度か来ているらしく、騒ぐことは無かったが、はしゃぐ私達を楽しそうに眺めている。
私達が今いるのは川平湾。飛行機で石垣空港に到着したあと、レンタカーを借りてドライブしてきた。運転したのは、由縁だ。冴佳も私も運転免許は持っていたが、ペーパードライバーで、運転に自信がなかったため、家の車を何度か動かしたことがあると言う由縁に任せてしまった。運転をすると性格が変わる人もいると聞くが、由縁は安全運転で、安心して任せられた。
「これからどうする?私、グラスボートに乗りたいな」
手にしていたサンゴを浜に戻した私が提案すると、二人とも頷いて賛成してくれたので、乗り場に向かう。
浜からの景色も素晴らしいものだが、グラスボートの中から見る海の中も見応えがあった。
「わあっ、サンゴ礁だぁ」
「魚が沢山いるわね、あれはクマノミ?」
「そうだな、カクレクマノミだ。横のがチョウチョウウオ」
グラスボートのガラス面を通して見える海中の景色の素晴らしさに盛り上がり、口数が多くなる。同乗している他のグループもお喋りしているので、私達だけが喧しいのではない。
湾内の周遊が終わり、グラスボートから降りると、周囲を散策する。展望台から眺める光景もまた素敵なものだった。
景色を十分堪能して満足した後は、再び車に乗り、由縁の運転で石垣港を目指す。
石垣港で車を乗り捨てると、冴佳が予約してくれていたホテルにチェックイン。部屋で荷物を下ろしてホッとする。
「疲れたわね。悪いけれど、少し休憩したいわ」
「朝から飛行機で移動した上に、ユカには運転まで頼んでしまったからな。私も草臥れたから、一緒に休もう。トモはどうする?」
「私は、まだまだ元気だよ」
元気であることをアピールするようにニカッと笑って見せる。もっとも、疲れていないのは事実だ。別に治癒は使っていないが、巫女になってから疲れ難くなった気がする。打ち合いの練習も、前より長く続けても疲れの度合いは減った。
「トモは、意外とタフだな」
「まあね、最近鍛えているし。ねえ、外に出て散歩してきても良いかな?」
「私は構わないが」
「夕飯食べた後に、一人で先に寝たりしないでよ」
「うん、それはしないから」
その返事で安心してくれたのか、由縁は微笑んだ。そして私は、二人を部屋に残して一人で街中に出る。
もう夕方の時間だが、まだ十分明るい。暫く歩き回ったとしても暗くなる前にホテルに戻れるだろう。私は道の両脇の家並みを眺めながらノンビリ歩いて行く。高い建物もあるが、都会のような圧迫感はなく、空が良く見える。川平湾の浜ほどではないにせよ、視界の中に白い部分が多く、明るい街という印象だ。
私は日常とは異なる景色を楽しみながら歩いていたが、単に散歩したい訳ではなかった。ある程度ホテルから遠くに来たので、そろそろ行動を起こそうかと考える。だが、その前にスマホを取り出して電話を一つ掛けてから、電源を落とす。
それから、私は歩きながら認識阻害を起動する。そして、路地を右に、左にと曲がって行く。認識阻害は、起動する前から私を見続けている人には通じない。しかし、一度見失ってしまうと再度見付けることはできない。だから例え、誰かが私を付けていたとしても、認識阻害を起動してから、相手の視界から消えるように、右に左にと路地を曲がって行けば、誰も私を認識出来なくなるのだ。
そうして誰も私を見ていないところで、島の中を探知で調べ、使えそうな空き地を見付けて、転移する。
そこは森の中の草地だった。最近、人が入った形跡もない。ここなら多少荒らしても迷惑にはならないだろう。私は、アバターの身体に切り替えると、アバターの左手に着けていたブレスレット状の結界魔道具に力を籠めて、結界を起動する。すると、私を中心にした半球状の結界が現れた。これで、ここに魔獣が現れても逃げられることは無い。
私が今やろうとしているのは、はぐれ魔獣の討伐だ。飛行機でこの島に到達したときに、私の時空間認識に引っ掛かるものがあったのだが、それがはぐれ魔獣だった。どうやらこの島に出現しそうではあるものの、それまでにはあと二日か三日は掛かると私の勘が告げていた。はぐれ魔獣の一体くらいは地元の討伐隊に任せても構わないのだが、試したいことがあったので、冴佳達と離れて一人で行動できるタイミングを見計らっていたのだ。
準備が整ったところで、実験を始める。
まず、頭の上に時空結界陣を描いて、時空の狭間に結界のトンネルを延ばしていく。目標は、この世界に近付いているはぐれ魔獣だ。私の時空認識で捉えているはぐれ魔獣は、その存在位置が靄っとした三角形の形に拡がっている。なので、その全体を囲むように時空結界のトンネルを形作っていく。そして、はぐれ魔獣より先に進んだところでトンネルを閉じて袋小路にした。それでトンネルの完成だ。
時空結界のトンネルが完成すると、はぐれ魔獣の存在が一点に絞られた。はぐれ魔獣は、時空の狭間の中では存在が不確定であり、だからこそ到達予定地点が三箇所存在するのだと母から聞いた。だた、時空結界のトンネルの中は、この世界から観察できる。物体は物体として、つまり、その存在は確定したものとなる。もっとも、はぐれ魔獣は孤立異空間の中なので、時空結界のトンネルに見えているのは孤立異空間の殻だ。
今、私の頭上にある時空結界のトンネルの先には、球状の殻が見えている。はぐれ魔獣はその殻の中だ。殻を破るにはどうしたら良いのか。答えは簡単、孤立異空間をこの世界にぶつければ良い。そうすれば、殻は消え、はぐれ魔獣が現れる。
孤立異空間を世界にぶつけると言えば、大層なことをやるように聞こえるが、それだけであれば、どの巫女でもできる。
私はトンネルの入口となっている時空結界陣をそのままに、数メートル後ろに下がる。その位置からだと角度の都合でトンネルは入口付近しか見えず、はぐれ魔獣を含む孤立異空間は視界から外れるが、頭の中の時空認識の空間地図の中ではハッキリ視えている。
その状態で、時空結界陣の真下の地面に召喚陣を描くと、孤立異空間は頭の中に視えている時空間地図の端へと移動して消える。それと同時に、召喚陣の上にはぐれ魔獣が出現していた。
「やった」
思惑通りとなり、思わずガッツポーズを取ってしまった。先日の戦いで時空結界のトンネルを使ったときから、このトンネルではぐれ魔獣を誘導し、狙ったところに呼び出せるのではと考えていたが、その通りのことができた。まあ、普通のはぐれ魔獣相手に、わざわざこの技を使うことはないだろう。しかし、やれることは一つでも多い方が良いのだ。
召喚陣は珠恵ちゃんに教わった。今回の実験の構想を話したら、「やってみようか?」とその場で始めようとしたので、大慌てで止めた。自分で考えたことは、自分でやってみたい。そうお願いしたら素直に止めてくれた。
さて、実験は成功裏に終わったが、目の前にはその成果が残っている。はぐれ魔獣だ。
忘れていたわけではない。喜びに浸りながらも、魔獣にも注意は向けていた。黒いキツネの姿をした魔獣だった。そう言えば、北海道で叶和さんに出会ったときの魔獣も黒キツネの姿をしていたと思い出す。北海道でキツネは分かるが、石垣島にキツネはいたか?いや、魔獣とその土地に生息している動物との間に関係性はないのだ。気にしても仕方が無い。
私は右手に転移陣を描いて、手元に剣を呼び出す。魔獣はピクリとなったが動きはしなかった。なので、私の方から魔獣に向けて片足を踏み出す。その動きに反応して魔獣が私に飛び掛かって来た。私は目を逸らさずに魔獣の体の動きを観察する。私の方に伸びて来た前足を躱して避けつつ剣に巫女の力を乗せ、横から魔獣の首筋目掛けて剣を突き出す。ガシッとした手応えを感じ、深くまで突き刺さったが、剣を引くとあっさりと抜けた。そして魔獣は目の前で力尽きる。
私は剣を振り、剣に付着していた魔獣の体液を振り落とす。剣に乗せた巫女の力がコーティングの役目も果たし、剣を汚れ難くしているので助かる。左手で刃先を持ち、剣を横にして刃こぼれの有無を確認する。母から貰ったばかりの剣だし、綺麗にしておかねばと思う。柚葉ちゃん達が、皆自分で呼び出せる剣を持っていることを母に伝えたら、どう手を回したのか、直ぐに私にと用意してくれた。柚葉ちゃん達の剣と同様に転移陣で呼び出したり送還できるが、見比べると、私の剣の方が上等そうだと言う結論になった。母は何処でこの剣を手に入れたのか。私が母に尋ねても、「さあね」と微笑むだけで教えてくれなかった。
剣に異常が無いと判断すると、私は剣を送還する。それから斃した魔獣も予め依頼していた引き取り屋に向けて転送しておく。
時空結界陣を解除し、ブレスレット状の魔道具も停止させると、辺りはただの森の中の草地に戻った。生えている草に付着していた魔獣の体液が気になったので、作動陣を起動して軽く洗浄しておく。
「うん、これで良いや」
後片付けの仕上がり具合に満足すると、元の身体に戻り、認識阻害を起動し、街中の路地へと転移。それから何事もなかったかのように、散歩を再開し、海の方へと針路を取る。
海沿いの道に出て、どちらに行こうかと少し考えたのち、港の方に向かうことにする。海を眺めて歩きながら、写真でも撮ろうかとスマホを取り出したところで、電源を落としていたことを思い出し、スマホを起動させた。すると、画面上に着信があったとの通知が現れる。
発信者を見て「ああ」と思ったが、折り返し発信を選択し、スマホを耳に当てる。相手は直ぐに出た。
『はい、時空建設でございます』
「もしもし、灯里だけど。お母さん?」
『あら、トモちゃんね。どうだった?はぐれ魔獣を呼び出せたのは分かったんだけど、その後が分からなかったから心配したのよ』
「大丈夫だよ、お母さん。何ともなかったって。実験は上手くいったし、魔獣も斃したんだから」
『そう?なら良った。まあ、トモちゃんはしっかりしているから問題ないとは思うんだけど、どうしても心配になっちゃうのよね。知らせが無いのは良い知らせとは言うけど、やっぱり連絡は欲しいわ』
「うん、分かった。今度からそうする」
『それで、どう?石垣島は。冴佳さんや由縁さんには迷惑かけてない?』
話が本題から逸れた。しかし、特に急ぐ用事も無いため、石垣島に来てからの様子をひとしきり話してから電話を切った。
それから少し歩いたところで離島ターミナルの建物が目の前に見えるところに出る。明日も来ることになるだろうと思いながら、ターミナルを抜けて、船着き場へと足を向ける。
船着き場に着くと、そこからぶらぶらと海沿いの歩道を進んだ。観光客だろう、スーツケースを引きながら子供と一緒に歩いている親子の姿を見かけ、微笑ましいと思う。以前は、そうした光景に出会うと、時たま自分は親も分からず一人きりだと寂しくなっていた。でも、それは私の勘違いだと分かった。それ以降、楽しそうな親子連れを見ても、心が痛むことは無くなった。
巫女になった私と、巫女であった母。経緯は違えど、今や二人とも黎明殿の巫女としてアバターを持つ身となった。母の私への優しさは、以前も今も変わってはいないが、血の繋がり以上の強い絆ができたようで嬉しかった。




