8-42. 迎撃準備
私は、事態を軽く見ていた。少し特殊なはぐれ魔獣が来たのだろうくらいにしか考えていなかった。だから、菜緒さんが現地に行って対応すれば良いのだろうと。
しかし、どうも違ったらしい。私が感知した物への対応指示が来たから皆で話がしたいと柚葉ちゃんから連絡が来たのだ。
今日は木曜日、私は夏休みに入っていたし、柚葉ちゃんも同じだ。けれど、ロゼマリの二人は仕事。話し合いは夜にやるしかない。大学に入って以降、帰宅時間は五月蝿く言われなくなったが、それでも夜中の帰宅になるのは気が引ける。自室から異空間に転移しても良いが、家の誰かが気付いて、家にいる筈の私がいないとなれば、騒ぎになりそうで避けたかった。
どうするのが良いかと悩んだ結果、姫愛さんの家にお泊まりすることにした。
「それで、お師匠様、私達がやることは、目標を時空の狭間の中で迎撃するってこと?」
「正確には、目標が時空の狭間から出ないうちに、です。私たちは、この世界から迎え撃つのであって、時空の狭間には入らないので」
私達は、チームの異空間に集まり、テーブルを囲んでいた。
「この世界から時空の狭間にいるものを攻撃できるの?」
陽夏さんが疑問を呈する。尤もだ。
「私達なら出来るそうですよ。灯里さん次第ですが」
「え?私?」
「時空間の認識ができるのは灯里さんだけですから。私達が選ばれたのもそれが理由ですし。本部の巫女で時空認識ができる人はいないのだそうです」
そういう風に言われてしまうと、自分が特別な存在になったような気がする。でも、私は時空間の認識はできても、時空活性化領域の認識はできない。珠恵ちゃんはできるし、聞いた話からは藍寧さんもできそうだ。それに、珠恵ちゃんは他にも心当たりがいると言うことだから、私以上に出来る人は何人もいるのだ。
「そう言って貰えるのは嬉しいけど、時空認識が出来る人は私以外にもいるよね?その人達は?」
「今回の件が陽動かも知れないので、別途この世界に接近してくるものがないかの警戒にあたるそうです」
「そっかー」
「それって、今度来るのははぐれ魔獣じゃないってことだよね」
「ええ、陽夏さん、そうみたいです」
柚葉ちゃんの答えを聞いて、考え込む私達。
「どういう相手なんだろう?」
「今は情報が無いので分かりません。ですが、私達はこの世界を護る巫女なのですから、どんな相手でも戦うだけです」
柚葉ちゃんが格好いい。でも、そうか。私達巫女が相手にするのは魔獣だけではないのだ。巫女の力が通用するかも分からない相手と戦うこともあると思うと不安な気持ちになる。とは言え、巫女になった以上は覚悟を決めなければならない。
「そうだね、戦わないとだね」
「うん、陽夏、一緒に戦おう。私達は正義の味方だから」
「いえ、姫愛さん、それを言うなら、世界の守護者ですよ。どの道、戦うことには違いは無いですけど」
私達がそれぞれ戦う意思を表明すると、柚葉ちゃんが嬉しそうに頷いた。
「それでは、皆で力を合わせて戦いましょう。それでなんですが、戦いの前にやることが二つあります」
私達の目が、すべて柚葉ちゃんの顔に集まる。
その柚葉ちゃんは、右手を上げ、人差し指を立てた。
「一つ目。灯里さんのアバターの用意。灯里さん、アバターのことはこれまでにも話していますが、いよいよ決心して貰わないといけません」
柚葉ちゃんのチームに入って以降、柚葉ちゃん達からアバターの身体の良いところと悪いところの両方を聞いて来た。そして自分自身でも考えてきた。だから心の準備は出来ている。
「うん、分かってる。だけど、私のアバターを創るには許可が必要じゃなかった?」
「今回のことで灯里さんの能力が必要になったので、灯里さんが欲しければアバターは創って良いことになりました」
「そうなんだ。後は私の決心だけってことか。分かったよ、柚葉ちゃん」
私が頷くと、柚葉ちゃんは頷き返してから、中指を立てる。
「二つ目。時空結界を全員で使えるようになること。時空の狭間にいる相手を私達の時空結界に取り込めば、攻撃できるようになります」
「それで、お師匠様、戦うのは何時?」
「目標がこの世界に到達する前の日、来週の月曜日です」
あと四日か。さっさとアバターを創った方が良さそうだ。ただ、心はほぼ決まっているとはいえ、今すぐでは急すぎだ。少し時間が欲しい。
私は姫愛さんを見た。
「姫愛さん、明日のお仕事は夕方からでしたよね?」
「そうだよ」
「だったら、明日の午前中に私のアバターを創りませんか?」
「オッケー、良いよ。灯里ちゃん、今夜は私の家にお泊りだし、丁度良かったね。それとも、ここで寝る?」
姫愛さんの目が輝いている。もしかして、この異空間で寝たいのだろうか。
「いえ、姫愛さんの部屋で寝たいです」
姫愛さんには悪いが、何となく、一旦、この異空間から離れたかった。彼女にとって期待通りの答えではなかったかもしれないが、姫愛さんは笑顔で頷き、了解してくれた。
その夜。
姫愛さんの部屋で、私は布団に入ったものの眠れずにいた。姫愛さんは軽くエアコンを入れてくれていたので、暑さによる寝苦しさはない。無意識にだが興奮してしまっているらしい。
図らずも巫女の力を得て、そして今度はアバターの身体を得る。憧れに近い想いを持っていた本部の巫女と同じだけの能力を手にするのだ。そう考えれば、寧ろ興奮するなと言う方が難しいくらいか。アバターの身体を手に入れることは嬉しいことだけではない。巫女としての戦いから逃げることはできないし、戦いの場に立つからには、多くの悲しみも見ることになるだろう。だが、もう、既に私は黎明殿の巫女になってしまっている。毒を食らわば皿まで。毒とは例えが悪いかも知れないが、毒だって使い方次第では薬になるのだ。毒と薬は裏と表。巫女としての私が、この世界にとっての毒になってしまうのか、薬になるのか。それは私の振る舞い次第。せいぜい毒にはならないよう、心掛けよう。
それに、アバターを得て、巫女として生きていれば、いずれ生みの母親にも会えるかも知れない。
隣のベッドから、姫愛さんの寝息が聞こえてくる。姫愛さんはいつも明るい。巫女として悩んだり辛いことがあったのか、無かったのかは分からない。若干、能天気に過ぎる気がする時もあるが、それくらいの方が良いのかも知れない。あのひたすらに前向きな姿勢には、見習うべきところもある。
コラボ撮影の時の姫愛さんの弾けっぷりを思い出して和んでいたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
朝。
カーテン越しに差し込む陽の光の明るさで目が覚める。隣のベッドを見ると、もぬけの殻だった。部屋の中に人がいないのは探知で知れた。と、外の通路をこの部屋に近付いて来る人がいる。
玄関の鍵を開ける音がして、扉が開くと姫愛さんの顔が見えた。
「あ、おはよう。灯里ちゃん、起きてたんだね。ベーコンエッグ作ろうと思ったんだけど、卵が切れてたから買ってきた」
「おはようございます。私は今起きたばかりで。何かお手伝いします」
「それじゃあ、布団、畳んでおいてくれる?ちゃっちゃと朝ごはん作っちゃうから」
「はい」
姫愛さんが朝食の支度をしてくれている間に、私は服を着替えて、布団を畳んで仕舞い、食事を並べられるようテーブルの上を拭いたりした。献立は、トーストにベーコンエッグにサラダに牛乳。これだけあれば、朝には十分だ。家の朝はお米なので、偶にはパンも良い。
一緒にいただきますをして食べ始める。
食事を口に運びながら姫愛さんと話をする。目玉焼きの焼き加減に、ゆで卵の茹で加減、姫愛さんは黄身を固くしたものが好みらしい。私は半熟。少しとろみがかったものが良い。目玉焼きの味付けは、姫愛さんは塩コショウ、私はお米と一緒なら醤油だが、今朝みたくパンなら塩コショウの方が合うと思う。そこからマヨネーズ好きの話になった。姫愛さんの高校時代の彼氏がマヨネーズ好きで、目玉焼きにもマヨネーズを掛けていたとか、それ以外でも姫愛さんの手料理にマヨネーズを掛けまくって食べるので、作り甲斐が無かったとボヤいていた。そう言えば、鴻神研究室にもマヨネーズ好きの先輩がいる。彼もおかずにマヨネーズを良く掛けていた。マヨラーは何処にでもいるよね、と姫愛さんと意気投合した。
そうか、姫愛さんは恋愛歴があるのか。羨ましい。しかし姫愛さんは、マヨネーズ好きの彼氏とは、高三になって直ぐ分かれたのだそうだ。勿体無いと言ったら、そう思わなくも無いけど、少し鬱陶しくなっちゃったんだよね、との反応が返って来た。それならば仕方が無いか。女心と秋の空、いや、付き合ってみて初めて見えて来る物もあるだろうし、単にそりが合わなかっただけかも知れない。
私達は、食事が終わってもお茶を飲みながら話をしていた。そんな時、ふと壁掛け時計を見た姫愛さんから「そろそろにしようか」と水を向けられたので、同意して立ち上がる。
食事の後片付けは、二人一緒にやり、直ぐに終わらせる。アバターに着せる服は、コッソリ自室に転移して取って来た。
準備が整ったところで、姫愛さんと二人で部屋の真ん中に立つ。
「よーし、灯里ちゃんのアバターを創りにいくぞぉっ!」
姫愛さんが右手と共に気勢を上げる。
「き、姫愛さん、そんな大声出すと、隣に聞こえちゃいますよ」
私が慌てて姫愛さんを宥めようとすると、姫愛さんにポカンとされた。
「灯里ちゃん、大丈夫だよ。この部屋、ちゃんと結界張ってあるから」
「そうなんですか?あー、いやー、それでも」
「恥ずかしがっている場合じゃないって。折角なんだから、ここは景気よくいこうよ」
熱意に満ちた姫愛さんの表情を見て、姫愛さんの言う通りかも知れないと思い直す。
「分かりました。元気よく行きましょう」
「そうこなくっちゃね」
姫愛さんは私にウィンクをすると、右手の拳を握り、振り上げる前の勢になる。
「じゃあ、改めて。灯里ちゃんのアバターを創りにいくぞぉっ!」
「おーっ!」
灯里ちゃんと一緒に右手の拳を高く上げる。そして、そのままチームの異空間へと転移した。
後に残ったのは、誰もいない姫愛さんの部屋。誰かが見ていれば笑い声がしたかも知れないが、人影はなく、ただ静かな空間がそこにあった。




