8-35. 事情聴取
月曜日になって、痛みは大分引いた。それでも体を動かすと痛みはするが、少しチクチクするくらいで、特段我慢しなければならないほどのものでもない。お蔭で食事も自分で出来るようになった。先生の見立て通りだ。
私の回復を確認した母は、火曜日以降は朝食の時間の後に来るようになった。私はもう仕事に戻って貰っても良いと言ったのだが、退院までは仕事を休むと決めているからと断られた。勿論、私としては母がいてくれた方が助かるし嬉しいのだが、大体のことが自分で出来るようになってきたので、私に付き合って貰うことに対して申し訳ない気持ちが膨らみつつある。
早速大学にも連絡した。事情を説明したら、事務室の方でそれぞれの講義の先生と調整をしてくれた。今週テストのある講義は、先生によりレポートになったり、追試になったりしたが、どちらにしても単位は落とさずに済みそうで、助かった。
包帯も月曜日に取れた。勿論、手足は傷だらけだが、ここから先は傷口を乾かした方が良いだろうとのことだ。綺麗な刺し傷なので、傷痕も目立たなくなるだろうと言って貰えた。そうなってくれると、私も嬉しい。
その診察の時に先生に言われた。
「君の退院だが、経過も順調だし、予定通り金曜日にするぞ。それで君は学生だったな。病院への支払いはご両親にになると思うが、ご両親にはこちらから連絡した方が良いか?」
「いえ、自分で知らせます」
「よし、頼む。分からないことがあれば、ナースステーションに尋ねて欲しいと伝えておいてくれ」
「はい」
口調は少し堅い気もするが、優しい目をした先生だ。だが、その先生の目付きが少し厳しくなった。
「それから、警察の事情聴取がある。木曜日だ」
「ここでですか?家に帰る前に?」
「そうだ。これまでも打診を受けていたが、断っておいた。君も断ろうと思えば断れる。だが、ここで応じておいた方が良いことがある」
「何ですか?」
「担当者が違うんだ。ここで会えば話の通じる人間が来る。まあ、警察の話だから、詳しいことは警察に聞いてくれ」
理由の部分が良く分からないが、経験を積んでいる先生のアドバイスには従っておいた方が良いだろう。私は首を縦に振った。
「それから、事情聴取の際に注意して欲しいことがある。身体の状態については、感じる通りに答えて良い。だが、それ以上のことについては自分では分からないから儂に聞くようにと言いなさい」
「それ以上のこと?」
「治りが早いんじゃないかとか、傷はそれほど深くなかったのではとかな。医学的な見地に立った説明は儂がするから、君は分からないと言っていれば良い」
「そうします」
こちらは被害者なのだが、嫌らしい質問が来る可能性があると言うことか。公正であるためには必要なことかも知れないが、面倒そうだ。
「それからな、質問されそうなことが一つある。警察の前に、儂から尋ねておこう」
「何でしょう?」
事件のことについて、回答に注意しないといけないことがあるのだろうか。そんな疑問を持ちながら、先生の問いを待つ。
「君は黎明殿の巫女か?」
「え?」
想定外の問いに、一瞬返事を考えてしまう。でも、少しでも考えてみれば、答えは決まっている。
「いえ、違います」
その答えに、先生は頷いた。
「そうだ。だが、顔色を変えるんじゃないぞ」
先生の言葉に、私は少し動揺した。先生はどこまで知っているのか。私はどんな表情をしていたのだろうか。
「儂は黎明殿については何も知らん。知りたいとも思わん。そして、君は儂の患者であり、それ以上でもそれ以下でもない。儂は患者の秘密は守る。だが、病気以外の厄介事に関わるのは御免だ」
そう言い残すと、先生は席を立ち、病室から出て行った。
黎明殿について知らないと言うのは嘘だろう。そうでなければ、巫女であるかという質問が出てくる筈もない。先生は私を戒めてくれたのだ。その戒めを、きちんと心の中に刻んでおこう。
そして木曜日。
母は、いつも通りお昼の病院食が用意されたところで家に帰っていった。
私は警察の事情聴取のことを母に言わなかった。言えば同席するという話になるだろうが、そうすると探偵に頼もうとしていた内容を問われたときに困るのだ。実のところ、私は犯人が扮していた探偵への依頼内容について、尋ねられないのを良いことに、まだ家族に伝えていなかった。警察と一緒のところで、それを母に知らせることになるのは避けたかった。それに一応私も成人だ。いつまでも親に甘えてもいられない。
事情聴取の時間は、病院を通じて予め決めてあった。時間になると、看護師の花井さんがやってきて、警察の来訪を私に告げる。その言葉に私が頷くと、花井さんは病室の扉を開けて、警察の人を招き入れた。
入ってきたのはボサボサ頭の壮年の男性と、ショートウルフの髪型の若い女性の二人だった。
二人とも警察手帳を取り出して、私に示す。そして男性の方が先に口を開いた。
「警視庁特殊案件対策課の山野です。こちらは同僚の古永になります」
「こんにちは、古永です」
「よろしくお願いします」
二人と挨拶を交わす。それにしても、所轄の警察ではなくて特殊案件対策課とは、この事件は特殊なものだったようだ。
「向陽灯里さん、ですね。この度はトンだ災難に遭われてしまったようで、お見舞い申し上げます」
「あ、はい」
「事件のことは思い出したくも無いかも知れませんが、捜査にご協力いただけないかと思いまして」
山野さんは、身なりから想像してもう少し礼儀知らずな態度を取るのかと思えたが、中々丁寧な物言いだ。
「大丈夫です。お話しできます」
「ありがとうございます。では、池梨容疑者に最初に会った時のことから、お話いただけると助かります」
山野さんに促され、私は新宿のオープンテラスのカフェで犯人に出会った時のことから、呼び出されて会いに行き、倉庫に連れて行かれて刺された時のことまで順を追って話した。話の途中で、山野さんや古永さんから質問されることもあり、それらにも可能な限り返事をした。勿論、死にそうになった時に力を貰ったことや、頭の中で聞こえた声の話は省いている。
二人は、私の話を聞きながら、盛んにメモを取っていた。
私が一通り話し終えると、山野さんはメモを見返してから顔を上げて私の顔を見た。
「お話ありがとうございます。追加で幾つかお尋ねしたいのですが」
「はい」
「先程、容疑者に依頼しようとしたのが人探しだと言われましたよね。差し支えなければ、具体的に誰かを教えて貰えませんか」
「それ、言わないといけないですか?」
「いえ、今は良いです。直接事件に関係していると決まってはいないので」
私はホッとする。出来ることなら、母親探しをしようとしていたとは言いたくない。
「次の質問ですが、貴女のお父様は探偵社にお勤めのようですが、何故お父様に依頼しようとしなかったのですか?」
「それは――」
それも説明しようとすると、結局依頼内容の話になってしまう。私が言おうかどうしようか迷っていると、山野さんは何事も無かったかのように話を進めた。
「話題を変えましょう」
「え?答えなくて良いんですか?」
「義務ではないですから。悩むなら黙っていれば良いです」
「分かりました」
そうだった、私は被害者なんだから、何を言うのも言わないのも私の自由だ。
「一つ良く考えてお答えいただきたいのですが、容疑者に刺されていた時、貴女は死ぬかと思いましたか?」
「思いました」
「どうしてそう思ったんです?」
「どうしてって、血が沢山流れて意識が朦朧として、耳も聞こえなくなっていたし」
「そのまま意識を失ったと言うことですか?」
「そうですね。気が付いた病院のベッドの上でした」
「なるほど、分かりました」
実際には気を失ったのではなくて、眠ってしまったのだった。だから、今の説明に、他の人の証言と食い違いが生じないか不安になったが、その時はその時だ。
「あと念のための確認ですが、この病院への搬送を指示したのは貴女ですか?」
「いいえ。倉庫からここまで、どうやって運ばれたかも知りません」
「まあ、そうですよね。私からは以上ですが、古村君からは何かある?」
話を振られた古村さんは首を横に振る。
「いえ、私からはありません」
「では今日のところはここまでですね。すみませんが、またお尋ねするかも知れませんので、その際はお願いします。あと、貴女に連絡するのは私か古村の担当です。もし所轄の警察から話が行ったら手違いですので、私達に教えてください」
そう言うと、二人とも私に名刺をくれた。
「お二人が私の担当?」
「そうです。検察の方からもお尋ねすることもあるかと思いますが、そちらも特殊案件の担当部署になる筈です」
「今回の事件が特殊だってことですか?」
山野さんは苦笑いした。
「特殊なのは貴女なんですよ。もしかしてご存知なかったのかも知れませんが、この病院は黎明殿関連の施設なんです。黎明殿に無関係の人は入院できませんし、警察でここに入れるのは特殊案件担当課だけです。今回の事件ではなく、黎明殿が特殊案件の対象なんですよ」
そんな話は初めて聞いた。この病院のことを両親は知っているのだろうか。いや、東護院の探偵社に努めている父が知らないとは考え難い。もっとも、私に伝える程の話ではないと言えなくもないが。
それに私をここに運び込んだのは、確か博多矢内の人達だ。彼らは意図的に私をここに連れて来たとしか思えない。誰かに指示されたのだろうか。姫愛さん達なら知っているのか。
様々な疑問が頭の中を駆け巡った。




