表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎明殿の巫女 ~Archemistic Maiden (創られし巫女)編~  作者: 蔵河 志樹
第8章 繋がりを求めて (灯里視点)
290/393

8-31. 入院

目が覚めたら、それまでとは違う天井が見えた。手足は包帯がグルグル巻きになっていて、左手には点滴の針が刺さっていた。点滴の容器が紅いので、輸血されているらしい。どうやら、病室のベッドに寝かされているようだ。

「トモちゃん、気が付いたのね。先生が鎮痛剤を打ったから、暫くは起きないって言ってたんだけど」

声のした方を見ようとするが、手足に力を入れようとすると傷が痛む。なので、なるべく身体を動かさないようにして、顔だけ横に向ける。そこには、母の姿があった。

「お母さん、ここは?」

「新宿の卯月クリニックよ。トモちゃんは救出された後、救急車でここに運び込まれたの」

ああ、そうか。私は救出されたんだ。あの悪夢のような場所で人生の最期を迎えずに済んだのだと、母を見て、漸く実感が湧いて来た。

「私、助かったんだね。もう本当に駄目だと思った」

「そうなの?私には何があったのか分からないのだけど、見付け出された時のトモちゃんは、怪我は酷かったけど意識不明ではなくて、スヤスヤ眠っていたって聞いたのよ。だからまさかこんなにあちこち刺されているとは思っていなくて、貴女のことを最初に見た時は本当に吃驚(びっくり)したわ。でも、良くこんな傷で呑気に寝ていられるわね。痛くは無いの?」

「体を動かそうとしなければ、我慢できるくらいの痛みかな。あれ?お母さん。仕事は?」

母が帰ってくるのは、金曜日の夜か土曜日の朝だ。今日はまだ木曜日なのだと思うが、丸一日寝てしまったのか。

「トモちゃんがこんなことになって、仕事どころじゃないでしょう?お願いして他の人に代わって貰ったわよ。暫くはトモちゃんに付きっ切りでお世話をしますから、何でも私に言いなさいな」

母は心配そうな表情ではあったが、微笑んでいた。私が目を覚まして安心したのだろう。

「ねえ、お母さん、今何時?私、どれくらい寝てた?」

「そうね、ここに運び込まれてから四時間くらいかしら。今は夜中の0時過ぎよ」

四時間か。と言うことは、金曜日になったばかりだ。

「お父さんは?」

「さっき、外の空気を吸ってくるって出て行いったわ。まったくあの人は落ち着きが無いんだから。もう大丈夫って先生に言われているのに、トモちゃんの目が覚めなくて、ずっとソワソワしていたのよ。もっとどっしりと構えていれば良いのに」

母は不満気な顔を見せた。

「そうそう、玲くんも来ていたんだけど、明日学校があるから家に返したわ。まだ起きているかも知れないからメッセージで知らせておきましょうか」

言うが早いか、母は脇に置いてあったバッグからスマホを取り出し、何やら書き込んでいた。すると、母とは違う方向から着信音が聞こえた。

「私のスマホが鳴ったの?」

「ええ、そう。私が家族のグループチャットにメッセージを送ったからよ。トモちゃんのものは、全部現場から引き上げたから。あ、そうだ、矢内の人達にも連絡しなくちゃだわ。でも、こんな時間では迷惑ね。朝になってから連絡しましょう」

母の言葉を聞いていて、疑問が生じた。

「矢内の人達?」

「トモちゃんを見付けてくれた人達。貴女を探すように依頼を受けいたのですって。だけど、誰が依頼したのかは教えてくれなかったわ。あと、珠恵ちゃんが貴女に連絡を取れないって心配していたのよね。珠恵ちゃんにも貴女が無事に見付かったことを伝えておくわね」

母は再びスマホを取り上げる。何時の間に母と珠恵ちゃんは連絡を取り合うようになったのだろうか。珠恵ちゃんが私に連絡を取れなくて、他の連絡先を探してくれたのかも知れない。

「おお、灯里、目が覚めたか」

父が病室に入ってきた。先程母のメッセージを読んだようだ。

「お父さん、心配かけてごめんね」

父は急ぎ足でベッドの角を回り込むと母の隣に座り、私の左手を握った。

「何を言ってるんだ。灯里は被害者なんだから、謝る必要なんてない」

その口調から、父の優しさを感じ取れた。

「犯人は捕まったの?」

「ああ、博多矢内の人達が現場で犯人を抑えて、そのまま警察に引き渡した。現行犯逮捕だよ」

「そう。前に女の人達が殺されていた事件も、その人が犯人?」

父は首を横に振る。

「いや、分からない。それはまだ捜査中だ」

あの時の言動からすれば彼が犯人に思えるが、証拠が無いのだろう。だが、私のことで現行犯逮捕されれば、家宅捜査も行われるだろうし、それで、警察が何か証拠を見付けてくれれば良い。

「そんなことより、気分はどうだ?」

心配そうな父の目が私に向けられる。

「刺されたところは痛いけど、それだけだよ。安心して、お父さん」

「ああ、灯里がそう言うのなら。だが、本当に大丈夫なんだよな」

言葉で伝えるだけでは、不十分なようだったが、痛くて手足を動かせないので、身体を動かしての元気アピールは無理だ。せめて今できることをと、精一杯の笑顔を見せてみる。

「しかし、どうしてこんなことになったんだ?お父さんに話を――」

「お父さん」

母が怖い顔で父の言葉を遮った。

「トモちゃんは怖い目に遭ったばかりなんだから、その話はまだ早いですよ。もう少し落ち着いてからにしませんか?」

「あ、ああ」

父は母に気圧され気味だ。私もあの事は思い出したくも無いし、母の心配りが嬉しい。

「お父さん、今日はそろそろ家に戻りましょう?トモちゃんは休ませた方が良いですし」

「ああ、そうだな」

母の提案はやや強引ではあったが、父は同意し、二人して帰り支度を始めた。

「トモちゃん、明日も10時くらいには来ますから、先生のお話があるなら私が来てからでお願いしますって伝えておいて貰える?」

「うん、分かった」

二人は、それじゃお休みと、病室の灯りを消して出て行った。

身動きも取れず、無防備な状態で一人きりとなってしまったが、不思議と怖くは無かった。身体の中心、胸の辺りで暖かいモノを感じる。頭の中に声がした時、左手に感じていたのと同じモノだと直感が告げている。あの時は身体中に拡がっていたのに、今は一箇所に集まって拡がる気配がない。でも、それを感じるだけで不思議と大丈夫だと思えた。

それにしても、私を導いてくれたあの声は誰だったのだろう。頭の中で声を聞いたのは勿論初めてのことだったし、あの時は意識も朦朧としていてそれどころではなかったから、誰なのかを気にする余裕も何も無かった。ただ、あの声が無ければ、私は今こうして生きてもいなかっただろう。

だから、あの声の主にお礼がしたい。でも、探しようがない。あの口ぶりからは、私の知り合いのようにも思えるが、知り合いに片っ端から尋ねる訳にもいかず、尋ねたところで名乗ってくれるとも限らない。何か良い策がないものか。

そんなことをつらつら考えているうちに、私は眠りに落ちた。

翌朝。

病室の窓から差し込む陽の光で目が覚めた。

既にすっかり明るくなっていたが、時間は分からない。

相変わらず手足を動かそうとすると痛いので、じっとしているしかない。しかし、話し相手はおらず、一人きりで退屈だ。

目を瞑って、もうひと眠りする。

それからどれくらいの時間が過ぎたのか。人の気配がしたので目を開ける。

「あら、おはよう、トモちゃん。良く寝られた?身体の調子はどう?」

ベッドの脇に母がいた。

「筋肉に力を入れると痛くて身体を動かせない。でも、寝るのには問題なかったから、ちゃんと寝られたよ」

「そう、寝られたのなら良いってことからしらね」

私が眠れたと聞いて、母は少し安心したような表情になる。

「あとどれくらいで動けるようになるんだろう?」

「さあねぇ。それは先生に聞かないと。診察はあったの?」

「ううん、まだ」

「食事もまだなのよね?お腹空いた?」

「うーん、まだそれほどでもないかな。それよりも――」

話を続けようとしたところで、病室の扉がノックされた。

母が応じると、扉が横にスライドして開き、人が入ってきた。

「先生、おはようございます」

母が立ち上がってお辞儀をする。そして、そのまま私の足元の方に移動して席を空けた。入れ替わりに白衣を着た先生が私の横に来て座る。先生は、頭のてっぺんの毛が薄く白髪交じりの頭髪の男性だった。

「このクリニックの副院長をやっている薮内だ。名前は藪だが、医者の腕は藪ではないからな」

先生はあっはっはと笑っている。ここは笑わなければいけないところなのか。私は曖昧な笑みを浮かべる。

「さて、身体を診させて貰おうか」

先生は聴診器を私の身体のあちこちに当てて音を聞いた後、私の血圧を測った。血圧計は腕に巻き付ける上腕式ではなくて、手首に巻く手首式のものだった。腕は傷だらけで、測定用のカフを巻き付ける場所が無いことに気を使ってくれたのだろう。

「ふむ」

血圧計の数値を確認すると、先生は顔を上げ私を見た。その表情には戸惑いの色が浮かんでいる。どうかしたのだろうか。私は先生に尋ねたい気持ちもあったが、悪いことを言われるかも知れないと思うと勇気が出ず、黙って先生が口を開くのを待った。

「夜は良く眠れたのか?」

「はい、途中で二度目が覚めましたけど、良く寝られたと思います」

「そうか」

先生は私の返事を聞くと、肩を落として溜息を吐いた。

「君の状態なんだが、一言で言えば異常だ」

異常。やっぱり良くなかったのか。折角助かったと思ったのに、残念な話だ。でも、もう、腹は決まった。とことん聞くしかない。

「何処が悪いのですか?」

先生を見詰める。先生は、私の視線に怯むことなく真っ直ぐに私を見て口を開いた。

「刺し傷があること以外に悪いところが無い。それが異常なのだよ」

「え?」

私は一瞬、何を言われているのか分からなかった。

「そもそも最初からおかしかった。君がここに運び込まれた時、既に血圧は正常値の範囲だった。現場には沢山の血溜まりが出来ていたと聞いていたのに、血圧が下限ギリギリとは言え正常の範囲だと?そんなのはあり得ん。そのまま報告すると変な目で見られるやも知れんと考え、仕方が無いから血圧をカルテに記録するのは止めて、輸血をしたんだ。本当は輸血は不要だったんだが、カモフラージュのためだ。それに鎮痛剤もな。大体が、運び込まれた時に寝ていたこともおかしい。普通、身体中の痛みで寝てなんていられない筈なんだ。それでも鎮痛剤を打っておいた。そして鎮痛剤を打てば、朝までは起きないものだ。それなのに、夜中に目を覚ましたそうだな。だと言うことは鎮痛剤が効いていないことを意味している。すべてが異常だ、と言うか非常識なんだ。儂の言いたいことが分かるか?」

自分自身、何故そうなっているのかは分からないが、先生の言いたいことは理解できた。

「異常が無いことが異常なんですね」

「そうだ」

先生はゆっくりと頷く。

「どうしてそんなことに――」

なったのかと問おうとしたが、先生の目付きが厳しくなったので、途中で諦めた。

「それを儂に聞こうとするな。世の中口にしない方が良いこともあるんだ。儂は君がどうして異常なのかは知らないし、知りたいとも思わない。どうせ、そのうち、然るべき人物が君に事情を説明してくれるだろう。それを気長に待つんだな」

「そうします」

先生は、口では知らないと言っている割には、アドバイスをくれた。であれば、大人しくそれに従おう。

「ところで、先生。私の傷はどれくらいで治るんでしょうか?」

「今回は、腱はどこも切れていないし、普通なら、取り敢えず動けるようになるまでに一~二週間、全治三~四週間と言うところか。だが、君の場合はもっと早いだろう。週明けには動けるようになるのではないか?筋肉は使わないと衰えるから、動けるようになったら動き回っても良いが、儂が良いと言うまでは、動き回るのはこの病室の中だけにしておきなさい。奇異の目が向けられないためには、退院するのは来週末くらいにした方が良いだろう」

「はぁ」

今後の見通しは分かったが、先程からの先生の言い回しが気になる。ただ、今しがたのやり取りから、それを尋ねても良いのかの判断がつかない。

「どうした?何やら聞きたそうな顔をしているが、質問があるのか?」

どうやら顔に出ていたようで、先生に指摘されてしまった。

「先生は私の世間体を気にして、退院の日を考えてくれたのですよね?」

「ああ、そうだ。君は警察に被害届を出すのだろう?違うか?」

「え、ええ、そうですね。出すと思います」

「被害届を出せば、警察の事情聴取だけでなく、君の容態なども事件の証拠として提出しないといけないかも知れない。そこに非常識なことが書かれていると証拠能力を問われるか、君が別の意味で疑われるかだ。君だって痛くもない腹を探られるのは嫌だろう?いや、実際には痛いところはあるのだが、それを明かす訳にはいかないからな。だからなるべく普通を装う必要があると儂は考えた。分かったか?」

「はい、良く分かりました。それに、色々と気を使っていただいてありがとうございます」

被害届を出さないという選択肢も無いわけでもない。だが、もし私が被害届を出さなければ、警察は私が今回のことを公にはしたくないのだと考えて立件しない可能性もある。あの犯人は逃すべきではない、となれば私が被害届を出さないで済ますことは出来ないということになる。

「気にするな。それも儂の仕事の内だ」

気難しそうな先生だと思ったが、素直に感謝の気持ちを伝えたら、微笑みを浮かべた。

「さて、今回の診察はこれで終わりだが、何か他に訊きたいことはあるか?」

「ええと、一つだけ」

私は、もじもじしながら切り出した。本当は体を使って表現したかったが、動けないので顔だけだが。

「何だ?」

「お花を摘みたいのですけど」

私は訴えを聞いた先生の顔にはハテナマークが浮かんでいた。

「先生、よろしいですか?」

私達のやり取りを見ていた母が、先生の耳元で囁いてくれた。

「ああ、排便のことですか」

先生は納得したようだが、あからさまに言われた私は顔を赤くする。もう少しデリカシーを持って貰えませんか、先生。

「花井君、尿瓶を持って来てくれないか?」

「はい、先生」

先生と一緒に病室に入って来ていた看護師のお姉さんが急いで病室を出て行った。

まあ、身体を動かせない以上、尿瓶のお世話になるしかないのは分かる。でも、そうなると、例の場所を他人に見せないといけない訳で、途方もなく恥ずかしい。

如何に周囲から奇異の目が向けられようとも、一日でも早く動けるようになって、一人でトイレに行きたいと思うのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ