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黎明殿の巫女 ~Archemistic Maiden (創られし巫女)編~  作者: 蔵河 志樹
第8章 繋がりを求めて (灯里視点)
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8-30. 命の危機

辺りを見回す。広い倉庫の中のようだった。私が寝かされているベッドは、入って右の壁の近くに設置されている。私から見て、その壁は左側にあり、倉庫の入口が足元の方に見えている。そして、壁の反対側、右の向こうには私が乗せて貰った車があった。しかし、車の中に人影はない。

「漸く起きましたか。待ちくたびれました」

頭の上から声がした。声色からすると池梨さんだ。若干仰け反り気味に目を上の方に向けると、その池梨さんが立っているのが見えた。笑顔で私を見下ろしている。縛っている縄をほどいてくれそうな気配はまったくない。そうだろうなとは予想していたが、彼が私を縛ったんだ。

これから、私は何をされるのだろうか?今のところ、着衣に乱れはない。寝ている間に何かをされたと言うのは無さそうだった。でも、彼は私を縛っている。これまで何も無かったと言うことは、これから何かがあることだろう。

「うーうー」

何をするつもり、と言いたかったが猿ぐつわのせいで唸り声にしかならない。今、私に出来ることと言えば、睨み付けることだけだった。

「へえ、こんな状況でそういう目が出来るとは、貴女は強いんですね。これからどういう顔を見せてくれるのか、楽しみです」

彼は、私を弄ぶつもりなのか。嫌だ、こんな奴の慰み者にはなりたくない。望みは薄かったが、拘束具を外せないか手足に力を入れて引っ張ってみる。全然ビクともせず、残念なことに拘束具は外れそうもない。でも、最後まで諦めてなるものか。

ベッドの上でジタバタともがく私を眺めながら、彼はベッドの横を移動していた。そして、私の足の横に立つ。

彼の左手が私の右ひざに触れる。ぞわっと背筋に悪寒が走った。駄目だ、生理的に受け付けられない。嫌だ、こんな奴に触られたくない。

だが、嫌だと口にしたくとも猿ぐつわが邪魔をする。身をよじらせて避けることもできない。彼の左手は、私の脚から離れず、ひざから太股に向けて移動しながらスカートを捲くり、太股の付け根に至る。とは言え、まだパンツもストッキングも脱がされはいない。肌に直接触れられていないだけましと言えばましだが、時間の問題だと思うと何の慰めにもならない。

「さて、そろそろ始めましょうか」

左手はそのままに、彼が右手を振り上げる。その手には小さな果物ナイフが握られているのが見えた。そのナイフでパンツを切るつもりなのだろうか。私は違和感を覚えたが、それも一瞬だった。

「おうっ」

余りの痛さに叫ばずにはいられなかった。あろうことか、彼は果物ナイフを私の太股に突き立てていた。いや、私の想像力が足りなかっただけで、彼にとっては予定の行動なのだろう。彼が欲していたのは、私の純潔を破ることではなく、私を傷付けることなのだと漸く認識できた。

「おうっ、おうっ」

ナイフを突き立てられるごとに、呻き声が出てしまう。

痛みに屈して、もう駄目だと思いそうになる。指先が冷たく感じ、段々と感覚が薄れていくような気がする。刺し傷から血が流れ出ているためだろう。不安な気持ちがムクムクと湧いて来る。

しかし、諦めてしまったらそれまでだ。諦めるのは最後の最後で良い。私は懸命に不安を心の奥底に閉じ込めようとする。

「凄いですね。ここもまでやっても、まだ気力が衰えていないとは。これまでの人達は、皆な泣いて救いを求める目をしてきましたよ。死の間際にそんな目をされてもね、遅すぎです。私のことなんて全然気にも留めていなかった癖に、都合が悪くなった時だけ色目を使うとか。だから、女性は信じられないんです」

何だ?女性に持てなくて女嫌いになったとか?どう考えても頭がおかしい。私なんて、無関係の話じゃないか。ただの八つ当たりにもほどがある。大きな迷惑だ。こんな奴の手で私の人生が終わらされてしまうなんて、死んでも死にきれない。

「まあ、ともかく、もう暫く付き合っていただきましょうか。安心してください、動脈は傷つけないようにしますから。あれを切ってしまうと、あっという間に血が減ってしまうのですよね。大丈夫、私も経験を詰んだので、間違えません」

そんな言葉を聞いても安心できる訳がないだろうに。「これまでの人達」とか「経験を積んだ」と言っていることから、私が初めてではないことは分かった。そう言えば、テレビのニュース番組で女性の滅多刺し事件のことが報道されていたっけ。そうか、彼がその犯人に違いない。もっとも、それが分かったとて、今更私の行く末に変化があるものでもない。

それからも、彼は私の腕や脚に果物ナイフを突き立てていた。私は気力を萎えさせないようにと努力していたが、段々と眠くなってきた。体内の血が減って、血圧が下がってきているのだ。

どうしてこんなことになってしまった?今更後悔しても始まらないが、考えずにもいられない。

なぜ彼を信用してしまったのだろう。車に乗ったのが迂闊だった。いや、そもそも体調がおかしくなったのも変だ。お茶の中に睡眠薬が混ぜられていたのかも知れない。

珠恵ちゃんの都合が悪くなった時に、延期すれば良かったのか。あるいは、誰か一緒に行って貰えば良かったか。雪希ちゃんはバイトがあったから無理だった。由縁や冴佳に同行して貰うことも考えられたが、彼女達には養子のことは話していなかった。でも、珠恵ちゃん達に話しているのだ、今更由縁や冴佳に秘密にしておくようなことでもなかった。あと、姫愛さんに陽夏さん。あの二人にも養子のことは明かしていた。もっとも、あの二人は今日は仕事だから同行は無理だったが。

私が焦って調査を急ごうとしたのが問題だったのだ。いつもなら、怪しいと思えば父に調べて貰っていたのに、両親に発覚することを恐れたがために、今回はそれが出来なかった。そう考えると、最初から両親と話をするべきだったのか。今の関係が壊れるのを恐れるあまり、養子のことについて両親に尋ねることができなかったのが悪かった?壊れた関係は、再び作り直せば良いと第三者なら気軽に言うだろうが、両親との関係が切れてしまうと、私は一人だ。どうしたって怖いと思ってしまう。

不味い、思考がどんどん後ろ向きになってしまっている。だけど、ここまで来てしまって、私に何かできることがあるのだろうか。

段々と視界が霞みがかって来る。音も聞こえなくなってきた。果物ナイフであちこち刺されて身体中が痛いことすらも、どうでも良くなりつつある。こんな形で死んで、私は天国に行けるのだろうか。二年前に亡くなった祖父に会えたりするのか。

最早、意識は朦朧としていた。周りで何が起きているのかもまったく分からない。しかし、左手に暖かい何かが触れたことは知覚できた。今度は果物ナイフとは違うもので、私を痛めつけようと言うのか。勝手にすれば良い、と半ば投げやりな気持ちになっていた。

その左手から、何かが体の中に入って来る感じがする。何だろう。

「―――」

誰かが何かを言っているようだが、何を言っているのか聞き取れない。

「―――」

まただ。前より激しい音がする。叫んでいるのだろうか。

暖かいものに触れている左手に、冷たい水のようなものが落ちて来た感触があった。一つだけではない、幾つも続いてくる。

どうも様子が変わったような、そんな感覚だが、その変化すらもうどうでも良いことだった。そんな時、私の頭の中に声が響いた。

――灯里ちゃん、生きたいと思うなら、左手から入ってきた力の糸を心臓に繋げて――

何故急に頭の中に声がしたのだろうか。天に召される前兆なのか。でも、その声は生きるためと言っていた。

――灯里ちゃん、もう時間が無いから早く――

まただ。どうやら幻聴ではないらしい。何もしなければ死ぬのは確実だと感じていた。生きられると言うのであれば、試してみよう。

私は左手から入って来ていた糸を掴もうと思うと、良く分からないが掴めた気がした。それを急いで心臓まで持って来る。考えてみれば、心臓は身体の中にあり、自分の手で届くものでもない。だから、どうしてそれが出来たのかは分からなかったが、糸は確かに私の心臓に繋がった。

すると、そこから私の身体中に暖かいものが拡がっていく。

――ああ、良かった。間に合った。もう大丈夫だから、暫く休んでいて――

ホッとしたような声が頭の中に聞こえ、何となくだが助かったのだと思えた。そして、その声に従うまま、私は眠りに就いた。


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