8-28. 向陽家の昔話
諏訪の伯父に篠郷の場所を尋ねられた私。ここで知っていると答えてしまうと、何故かと問われてしまったときに言える理由が思いついていない。となると、知らないと言わなければならないが、嘘を吐いたものなのかどうなのか。頭の中で思考がグルグルと駆け巡り、私は答えを返せないでいた。
「篠郷はな、ここから大体真っ直ぐ西、岡谷の向こう側の山を越えた先に広がっていた」
私が答えないでいたのを、知らないと捉えたのか、伯父は勝手に話を進める。
「ご先祖様の家は、篠郷の中でも東側にあった。日頃は畑や山の管理をしていて、巫女達との交流は余り無かったんだ。しかし、ある日を境に変化した。一人の巫女がやってきて、ご先祖様の家の離れに住み始めた。どうしてそうなったのかの言い伝えは残っていないんだがな。ともかく、そうして巫女が住み始めると、そこへ他の巫女達もやってくるようになった。彼女達が、長とか里長とか呼んでいたことから、離れの巫女は、巫女の中でも偉い人のようだった。でも、彼女はご先祖様達に、いつも対等に接して、公正で、――」
「外面が良いだけよ」
「おしとやかに振舞っていたから、――」
「凄い猫かぶりよね」
「ご先祖様達は彼女を尊敬し、慕っていたんだ。――」
「物凄く美化されているわね。いや、記憶が改ざんされたのかな」
「って、おいっ」
伯父が、ブツブツと突っ込みを入れていた母の方を向く。
「ん?何?」
母はまったく邪気を感じさせない微笑みを伯父に向ける。
「何でご先祖様の話にケチを付けるんだ?」
「あら、ごめんなさい。悪気は無かったんだけど、聞いてたら何だかムカっと来ちゃって、つい」
伯父は、そんな母に向けて口を開けようとするが、母のまったく悪びれない様子に押し黙り、溜息を吐いた。
「黙って聞いていて貰えると嬉しいんだが」
「そうね、努力するわ」
その答えを得て、伯父は取り敢えず矛を収めることにしたらしい。コップの酒を飲むと、再び私の方を向いた。
「ともかく、ご先祖様達は、離れに住んでいる巫女と上手くやっていた。それから一年半くらいすると、巫女は子供を産んだ。女の子だった。ご先祖様達の間では、父親が誰かと話題になったらしいが、巫女は微笑みながら篠郷の人間ではないとだけ言ったそうだ。子供の名前は確か、つく、ん?つくし?つくね?」
「津久世だよ、兄貴」
訂正したのは父だった。いつの間にか母の隣に座り、話を聞いていたらしい。
「そ、そうだった、津久世だ。その子は大層な器量良しで優しい娘に育っていった。そして、その子が生まれて二年ほど経った時に、もう一人、子供が生まれた。しかし、巫女はその子を全然表に出さずに、ずっと家の中で育てていた。下の子も女の子だとご先祖様達が知ったのは、津久世から妹が家に居ると聞いたからだった」
「昔の人も結構無関心よねぇ。子供の姿が見えなければお節介を焼くものだと思うんだけど」
相変わらず母はブツブツ言っているが、伯父は華麗にスルーして話を先に進める。
「それから暫くは何事も無く時が過ぎていった。何事も無くとは言ったが、当時はダンジョンが出来始めた時期で、あちこちにダンジョンが出来ては、魔獣が溢れ出したりしていて大変だったらしい。それで巫女達は手分けして各地に散らばって、魔獣を斃したりダンジョンを消したりしてくれていた。離れに住んでいた巫女も、子育てをしていたから遠出はしていなかったが、それでも魔獣やダンジョンの対処には参加していた。そんな毎日が続いていた時代だった」
伯父は言葉を切ると、母の方をちらりと見る。母はこの部分には異論がないらしく、黙っていた。伯父は、コップの酒を継ぎ足すと、一口飲んでから先を続けた。
「そして、離れの巫女の下の子が生まれてから15年ほど過ぎたある日、事件が起きた。ご先祖様の家の近くに突然ダンジョンが出来たんだ。ご先祖様達はそのことに気付いていなくてな、離れにいた津久世が教えてくれた。何でも姉妹揃ってダンジョンがあると分かるんだそうな。ただ、離れの巫女は生憎なことに不在だった。で、だ。トモちゃん知っているか?出来たばかりのダンジョンは、魔獣が溢れ出し易いんだ」
「そんなの知らないよ」
私は首を横に振る。出来たばかりのダンジョンなんて見たことが無い。
「だよな。正直な話、俺も見たことが無いんだ」
伯父は、肘を付いてない右手側だけ肩を竦めてみせる。
「何にしても、出来たばかりのダンジョンは危険だから、ご先祖様達は巫女を呼ぶことにした。そして、一人を使いに出すと、巫女が来るまでの間、入口を塞いで時間を稼ごうと卓袱台やら手押し車やら、穴を塞ぐのに使えそうなものを携えて、津久世の案内でダンジョンに向かったんだ」
「津久世って子は巫女じゃなかったってこと?」
伯父の話の中で気になったことを尋ねてみる。
「ああ、違ったらしいな」
「ふーん」
津久世は巫女の娘だ。織江さんが言っていた、胎児の時に巫女の力に触れていた子は、この世界の外のモノを知覚できることがあると。津久世もそうなのかも知れない。だとすると、ダンジョンはこの世界の外のモノと言うことになるのか。
「何か気になるのか?」
「ううん、大丈夫」
私は首を横に振った後、伯父を安心させるように微笑んでみせた。
「よし、じゃあ、その先の話しだが。ダンジョンに向かった津久世とご先祖様達は、魔獣に遭遇することなくダンジョンの入口まで到達できた。しかし、そこで問題が起きた。ダンジョンの入口の穴が想定より余程大きかったんだ。携えていった物では穴を塞ぎ切ることができなかった。それに、その穴は家から追加の資材を持って来ても尚、塞ぎ切れそうもないくらい大きかったし、何より穴の奥に光るものが見え始めていた。もう、魔獣が出てこようとしていたんだ。ご先祖様達は、仕方なく持って行った手押し車などを防御壁の代わりにして魔獣の群れを迎え撃つことにした」
伯父は、そこで一息吐くと、コップの酒を飲む。そしてコップを目の前にかざして残り少ないことを確認すると、一升瓶から継ぎ足す。
「それでどうなったの?」
酒は良いから、話の続きをして欲しかったのだが、伯父は、そんな私の様子を意に介さず、もう一口飲んだ。
「最初のうちは、何とかなっていた。中型魔獣ばかりだったからな。だが、程なくして大型魔獣が出て来た。その大型魔獣は大きなオオカミの姿をしていたそうだ。そいつには、津久世が中心になって相手をした。津久世は結構な腕利きだったそうだからな。そうは言っても、力の差が大きく、苦戦していた。そこへもう一体、大型魔獣が現れた。今度は大きなクマの魔獣だった。一体目の大型魔獣を斃せないうちに二体目が出て来て、流石に津久世とご先祖様達は窮した。大きなオオカミに攻撃をした津久世が、その攻撃を弾かれてよろけたところに、大きなクマの魔獣が前脚を振り落とそうとしたんだ。誰もが津久世の死を覚悟した。その瞬間、白く輝く何かがクマの魔獣にぶつかった。その衝撃で魔獣は後ろへと仰け反り、そのまま背中から地面に倒れた。一方、その白く輝く何かは、魔獣にぶつかった反動で空中に飛び上り、ある高さまで昇ったところで反転して降下し、白い刃が見えたかと思うとクマの魔獣を突き刺して斃した。そいつの動きはそこで止まらず、大きなオオカミの方に向かうと間髪を入れずにその魔獣の首を打ち落とし、今度は中型魔獣を片っ端から斃していった。それもすべて片付けると、ダンジョンの中へと入っていき、外に出てこようとしていた魔獣も次々と討伐していった。余りに速い動きに、誰も身動きが取れず、ただ眺めているしかなかったそうだ」
伯父が口を閉じると、静寂が辺りを包んだ。いつの間にか全員が伯父の話を聞いていた。
「それから少しして、ダンジョンの穴の奥から白く輝く姿が見えた。その姿はゆっくりとダンジョンの入口に近付いて来た。そして近付くに連れ、人の姿だとはっきりと分かるようになった。それは一人の少女だった。輝く白銀の髪を頭の後ろでまとめ、そこに簪を二本交わるように挿していた。そして、その身体のすべてを薄い銀色の膜が覆っていた。その膜のお蔭か、あれだけの魔獣を斃しながら、その体液が一滴も身体に付着しておらず、綺麗な姿のままだった。ただ、少女は無表情でご先祖様達は近寄り難いものを感じていたそうだ。ところが津久世は嬉しそうにその少女に近付いて、抱き付きながら『時、来てくれたんだね。ありがとう』と言った。それで漸く、ご先祖様達は、その少女が津久世の妹で、時という名前なのだと思い至ったんだ。時は姉に抱き付かれても表情を変えることなく、後ろを振り返って手をかざし、その掌を白銀に光らせた。すると、ダンジョンの入口がどんどん小さくなっていき、遂には見えなくなって、消えた。そうして、ダンジョン騒動は終わりとなった」
「その後の話とかは無いの?」
私は尋ねてみる。
「それからも暫くは巫女達は離れに住んでいたが、ある時出て行ったそうだ。更にその後、篠郷から巫女の大半が出ていくことになり、ご先祖様達も住まいを移した。その時、篠郷の関係者であることを隠すために姓を向陽に変えたらしい。ご先祖様達が篠郷のときに住んでいたところは、今はもう建物は何も無くて、ただの野っぱらでしかない。だけど、その土地は今でも向陽家の所有地のままになっている」
「へーえ、行ってみたいかも」
私が興味を持ったのが嬉しかったのか伯父が微笑んだ。
「涼次に連れて行って貰ったらどうだ?涼次はこの話が好きだったし、その土地へも何度も行っているぞ。涼次が今の仕事に就いたのも、この話に感動して、巫女との繋がりを持ちたいと考えたからだしな」
ほほう、父にそんな動機があったのか。
「兄さん、あまり子供たちにバラさないで欲しいんだけど」
父が照れている。
「あら、良いじゃない。お父さんのロマンチックなところはキチンとアピールしなくちゃ」
母が優しい目つきで父を見詰めている。父も母のことを見て微笑む。いや、親戚もいる中で、二人だけの世界を作らないで欲しいのだが。子供として恥ずかしい。
「ウチの両親は、相変わらずラブラブだね」
玲次のその意見には私も完全に同意だが、玲次がどうしてそんなに他人事のように言っていられるのか、私には信じられなかった。




