8-19. 戦いの見学
「おはようございます」
私達が待ち合わせ場所の新宿駅の改札を入ったところで立ったまま話をしているところに、一人の女性が声を掛けて来た。ウェーブの掛かったセミロングの髪を項の辺りで束ねている落ち着いた感じの人だ。
「あ、琴音さん、おはようございます」
声のした方を振り向いた清華ちゃんが、きちんと琴音さんの方に向き直ってお辞儀をする。柚葉ちゃんもおはようございますと挨拶していた。
「あの、初めまして、向陽灯里です」
「北杉琴音です。琴音で良いですよ。これから行く蹟森には北杉の者が沢山いますから」
琴音さんは優雅に微笑む。
ここの集合するのは柚葉ちゃんに清華ちゃん、琴音さん、そして私の四人で全員だ。私達はこれから蹟森に向かう。
私が柚葉ちゃんの家に行ったあの日。柚葉ちゃんは私達と別れてから一人で琴音さんに会いに行き、上手く話を通してくれた。お蔭でこうして一緒に蹟森に行けることになった。念願の封印の地へ行けると言うことで、昨晩、私は興奮して中々寝付けず、朝も早くに目が覚めるとそのまま起きてしまい、この場所に来たのも私が一番だった。
今日一緒に移動する四人の中で、気合が入っているのは私だけ。他の三人はそれぞれの封印の地に住んでいたことがあるので当然と言えば当然ではある。
私達は東京で乗り換えて、一気に一ノ関へ。三人とお喋りしていたら、直ぐに着いてしまった。いや、ただ話をしていただけではない。東京駅で買い込んだお弁当も電車の中で食べている。一ノ関の駅からは、迎えに来てくれていた琴音さんのお父さんの車に乗り、蹟森へ。
北の封印の地、蹟森。そこにある黎明殿の北御殿。車が蹟森に到着して直ぐに見学して周りたかったのだが、柚葉ちゃんに止められた。しっかり者の柚葉ちゃんは、年上にも容赦がない。姫愛さんがお師匠様と慕う気持ちが少し分かった。
母屋のリビングで、北杉家の皆さんとご挨拶。琴音さんのお母さんの奏音さん、奏音さんのお母さんの天音さん、天音さんのお母さんの碧音さん、四代の巫女がいるとは凄い。碧音さんはもうすぐ百歳とのことだが、まだまだ元気そうだった。ただ、体力は落ちていて無理もできないので、当主は既に引退して天音さんに譲っている。流石の巫女でも寄る年波には勝てないようだ。
挨拶が終わると柚葉ちゃんの許可が下りたので、琴音さんに封印の地の中を案内して貰う。柚葉ちゃん、清華ちゃんも一緒に見て回っていた。建物の配置は東御殿や南御殿と同じらしい。柚葉ちゃんは既に南と東の封印の地を見ているので、これで三箇所目、封印の地は残り西だけだ。御殿の方は、中央御殿もあるらしいのだけど、場所がまったく分からない。篠郷あたりにありそうなものだが、あそこには何も無いと言われた。
北御殿を見た後は、その周囲も見せて貰った。御殿の前の集落。そしてそれらを囲むように広がる森。時たま魔獣が現れるので、奏音さん達が交代で巡回しているらしい。琴音さんも東京に来る前は、森の中を魔獣がいないか点検して回っていたそうだ。
見学をしている間に辺りが暗くなってきた。考えたら、明日は大型の魔獣が現れるのだった。魔獣との戦いの前なのに、調子に乗って琴音さんに色々と案内させてしまった。今更ながら申し訳ない気持ちになる。
「琴音さん、ゴメンなさい。私、はしゃいで沢山案内させてしまって」
母屋に戻る途中、琴音さんの隣を歩きながら話し掛ける。琴音さんは私を見て、薄く笑みを浮かべる。
「問題ないですよ。大型魔獣と戦うのは初めてでも無いですし、増援も来てくれることになっていますから。それよりも、灯里さんは大丈夫なのですか?大きな魔獣を見て怖いと思うかも知れませんよ」
そう言われて、上野のことを思い出した。あの時は、大型魔獣を目の前で見て、腰を抜かしてしまったのだった。あれの二の舞いだけは避けたい。
「余り自信が無いですけど、気合いで頑張ります」
私は両手でガッツポーズをとる。いや、今ここで気合を入れても仕方が無かったか。でも、観戦できないのは嫌だ。
「無理しなくても良いのですよ」
「ありがとうございます。でも、戦いを見たいので」
少々ムキになってしまった。だけど、私の想いが伝わったのか、琴音さんはそれ以上言葉を重ねなかった。
そして、その夜、私は翌日の魔獣の出現のことを考えて興奮気味だった。だから簡単には寝られないと思っていたのだが、疲れていたのか布団に入ったらすぐに寝入ってしまった。
翌朝。
気持ちよく目が覚める。同じ部屋で寝ていた柚葉ちゃんと清華ちゃんは既に起きていて、私が一番後だった。もっとも、二人とも起きてからそれほど時間は経っておらず、朝食もまだとのことだったのでセーフだろう。私も布団から出て身支度を始める。
朝食後、話し合いが持たれた。出現が予測されているはぐれ魔獣への対応についてだ。話し合いは母屋のリビングで、北杉家の全員に柚葉ちゃん、清華ちゃん、私が加わった形だ。
まず、はぐれ魔獣と戦うのは、天音さん、奏音さん、琴音さんの三人であることが確認された。北の封印の地のことなので、冬の巫女で対処すると言うことだ。碧音さんも冬の巫女ではあるが、体力的に戦うのは厳しいので、北御殿の護りに。清華ちゃんと柚葉ちゃんは、私の護衛兼見届け役だ。琴音さんのお父さんとお爺さんは、万が一に備えて集落の人を会館に集めて待機していることになった。
そうして準備が始まったが、予定外のことが起きた。集落の男の人達が手伝うと北御殿前の広場に集まって来たのだ。彼らは隙があれば盾で魔獣を抑え込むと意気込んでいた。天音さんはその申し出を受け入れたが、危なければ直ぐ逃げるようにとも申し付けていた。
昼過ぎ、皆が配置に着くと、奏音さんが広場の中央ではぐれ魔獣を呼び出した。その時私は柚葉ちゃん達に挟まれる形で母屋の前に立っていたが、予想以上に大きい魔獣の姿に驚いてしまった。上野で見た大型魔獣も大きかったが、今度のは更にその倍以上の大きさだ。こんな魔獣が街中に出たらと思うと、冷や汗が出る。
その超大型魔獣を前にしながらも、琴音さん達は果敢に立ち向かっていた。ただ、攻撃しても魔獣にさほどダメージを与えているようには見えない。
「琴音さん達、頑張っていますけど、攻撃力が足りないようですね」
清華ちゃんが心配そうな声を上げる。
「うん。封印の地の巫女は、出せる力に限界があるから、こんな堅くて再生能力もある魔獣相手では辛いね」
柚葉ちゃんは冷静に分析しています。
「柚葉ちゃん、力の限界って?」
戦っている琴音さん達から目が離せませんが、気になる言葉だったので尋ねてしまいました。
「封印の地の巫女の身体は、通せる力の量に制限があるんです。無理にそれ以上力を流すと、体を傷付けてしまいます」
封印の地の巫女は、か。父が本部の巫女の方が強いと言っていた理由は、そこにありそうだが。
「それじゃ、本部の巫女はどうなの?」
「本部の巫女の身体は巫女の力で作った物だから、制限が無いんです」
「巫女の力で作った身体?」
「そうですよ。私達はアバターって呼んでいますけど」
アバターと聞くと、バーチャルアイドルの3Dアバターを思い浮かべてしまう。でも、本部の巫女の場合、3Dではなくてリアルのアバター、何にせよ、作り物の身体なのか。
琴音さん達が魔獣を攻めあぐねているのをハラハラ見ているところに、急に新しい人影が見えた。その数は二つ。二人ともロゼマリのキャラクターTシャツを着ている。片方にはロゼ、もう一方にはマリの絵柄が描いてある。
「愛花さん達が来ましたね」
清華ちゃんの声がした。
「まんまロゼマリじゃない。隠す気無いの?あの二人」
私はいい加減、見て見ぬふりに限界を感じて溜息が出た。
「二人のペアでの初陣ですし。封印の地の中でなら情報が漏れないと考えたのかも」
柚葉ちゃんは相変わらず冷静だ。
「いや、だから私は?」
「灯里さんは今までも気付いてないように振舞ってたから、今回も誤魔化せると考えているんじゃないですか?」
一方で柚葉ちゃんは私の見て見ぬふりに気付いていたんだ。まあ、良いけど。なお、盾を持った男の人達は、魔獣の攻撃を見てとても敵わないと判断したようで、ロゼマリが登場するより前に広場の外に逃げ出していた。
「それで、柚葉ちゃん、あの二人でも攻め切れていないように見えるんだけど、大丈夫なの?」
ロゼマリ、ではなくて愛花さんと摩莉さんの二人が参戦してから、二人で攻撃を仕掛けているのだが、今一つ決め手に欠くような状況が続いている。冬の巫女達よりは確実にダメージは与えているものの、このまま斃せるかと言うと微妙そうなのだ。
「愛花さんはいつも通りなので仕方が無いですけど、摩莉さんは気負い過ぎかも知れません。動きが堅いです」
柚葉ちゃんの摩莉さんへの評価が厳しい。
「手伝わないと駄目かもですね。清華、悪いけど私が出たらここをお願い」
「はい、任せてください」
あれ?本部の巫女で攻め切れていないところに、封印の地の巫女が行ってどうにかなる話なの?私の頭の中で疑問が渦巻いていたが、柚葉ちゃんの様子からして考えがあるようなので黙っていた。
「灯里さん、気付かない振りは継続でお願い――あっ」
魔獣の攻撃が奏音さん達の方に向いた。彼女達を護るように摩莉さんが覆い被さる形で魔獣の前に現れたが、体勢を崩したままで危なっかしい。そして、私の隣で話していた柚葉ちゃんの言葉が途切れたと思うと、摩莉さんと魔獣の間に柚葉ちゃんが現れ、バリアのようなものを張って、後ろの人達を魔獣の黒い弾の攻撃から護った。
そこからは、割りと短時間で片が付いた。柚葉ちゃんと愛花さんが連携して魔獣の動きを止め、摩莉さんが上空から大掛かりな模様を描いて魔獣に光線を浴びせ掛けると、その光線が当たった魔獣の身体は蒸発し、欠けた部分が再生することなく魔獣は斃れた。
最後の摩莉さんの攻撃は凄かった。戦いの途中で奏音さんも似たような攻撃をしていたが、摩莉さんの攻撃の方が桁違いに強い。あれが以前の冴佳の話にあった巫女の真の実力と言うものなのか。
目の前では、巫女達が斃れた魔獣の前に集まっていた。
「灯里さん、私達もあそこに行きますか?」
清華ちゃんが私を見る。
「いや、行きたいんだけどね、もう少し待って貰って良いかな?」
今回は腰を抜かすまいと頑張ったのだ。ただ、座り込みはしなかったものの、がくがくする足を踏ん張って立っているのがようやくで、暫くは前に歩けそうにない。




