8-15. 不自然に次ぐ不自然
警告と共に現れた地形図を確認する。位置関係から、光っている三点は、新宿と池袋と四谷だった。今は水曜日のお昼だから、魔獣が出現するのは来週水曜日のお昼頃だろう。
それにしても、はぐれ魔獣の出現感覚がこれまでになく短い。これまで二ヶ月を切ることは無かったのに、警告通りなら三月下旬の出現からほぼ一ヶ月しか経たずに出現することになる。
三ヶ所のうち、何処に出現するのだろうか。そう考えながら、ネットの裏アカウントではぐれ魔獣の出現予測について呟いた。そして三月のことを思い出す。前回は秋葉原だった。あの時は、光点は秋葉原の駅の南側だったのだが、実際にはぐれ魔獣が現れたのは駅の北西だ。少し離れている。これまでも、光点から離れていることは良くあったが、その中でも離れている方ではなかったか。その上で、姫愛さんの目の前だったと言うのは、単なる偶然なのか。もっとも、その場には他の人も大勢いたようなので、何かを断言するには確証が足りない。
ただ、次のには新宿が含まれている。確か姫愛さん達が水曜日に使っているのは新宿のスタジオではなかったか。しかも、お昼過ぎから。
「まさかね」
いや、いくら何でも私の気にし過ぎだ。私はその考えを頭から追い出した。
しかし、一週間後、それが再び頭をよぎる。
『私、今日また巫女様を見ちゃったよ』
姫愛さんからのメッセージだった。
『何処でですか?』
『新宿東口』
『何時くらいに?』
『丁度お昼ごろ』
時間は警告通りだったが、場所は西口から東口にずれている。その結果、姫愛さんの目の前に。果たしてこれも偶然なのか。
二度だけでは何とも言えない。しかし、二度あることは三度あると諺にもある。或いは、三度目の正直とも。
新宿の時でも、ただ見ただけなのか。もしかしたら、それ以上のことがあったかも知れないが、流石にメッセージだけでは分からない。だったら、また土屋さんにコラボでも企画して貰って会ってみるか。
いや、これで終わりとも限らないし、何かあるたびにコラボを持ち掛けるのも変だから、もう少し様子をみよう。
そうして、その件は暫く棚上げになった。
元々私は暇ではない。大学で入ったテニスサークルは、それなりに活発だった。運動部とは異なるサークルなので、毎日テニス漬けではないが、週に何日かは大学のテニスコートを借りてテニスをしているし、テニス以外の活動もあるので楽しい。高校時代に同じ軟式テニス部に入っていた由縁も参加していて、一緒にテニスをしたり、サークルの仲間たちも加えて一緒にカラオケに行ったりしている。時にはサークルメンバーではない冴佳も誘って、一緒に遊び、お喋りをする。
そしてアルバイト。撮影だけでなく、どんなネタをやるかも一緒に考える。マンネリ化は避けたいところなので、新しいネタを探し出す、あるいはひねり出す。以前にやった弾き語りが好評なのを良いことに、土屋さんは今度は新曲で弾き語りをやろうと言い出した。それで、ピアノや歌の練習もすることになる。
それらに加えて講義のレポートの課題をこなし、偶には研究室に顔を出し。珠恵ちゃんや雪希ちゃんとは毎日講義で顔を合わせ、休憩時間に話したり、お昼を一緒に食べたりするくらいだったが、一緒にいる時間は他の誰よりも長い。もっとも、半分以上は講義を聞いている時間だが。兎も角、熱を出して寝込む暇もなく、慌しい日々が過ぎていく。
だから三週間なんて、あっという間に経ってしまう。
そして、次の警告が来る。家に夕方早めに帰り、レポートに取り組んでいる時だった。はぐれ魔獣の出現予定の場所は、渋谷か目黒か半蔵門。今度は木曜日だ。はぐれ魔獣の出現間隔が大体一ヶ月。不自然な現象が続いているが、何となくそうなりそうな予感はあった。さて前回までが偶然だったのか、それとも意図的なものか。今度でハッキリさせたい。そのために、当日見物に行くつもりだ。何処へ行くのかは考える必要もない。木曜日、姫愛さんは渋谷のスタジオを使っていると聞いていた。だから行くのは渋谷。後は時間。今はもう夕方と言うより暗くなっているが、姫愛さんがスタジオに入るのはこんなに遅いのだろうか。
姫愛さんの行動については、姫愛さんに聞くのが一番早い。しかし、私が何故それを知りたがるのか、不思議に思われてしまうに違いない。それは避けたかった。
どうしようか悩んだ挙句、父に相談することにした。
「お父さん、来週はぐれ魔獣が出るみたいだよ」
両親の部屋で、父は自分の机の前に座り、私は隣の平机の椅子に腰かけて父と向き合っていた。お願いごとの前に、はぐれ魔獣の出現予測について報告しておく。
「どうした?いつもはお母さんに話していたじゃないか」
「お父さんに頼みたいことがあって」
上目遣いに父を見る。
「頼みたいことって何?」
「あのう、ある人の行動パターンを知りたいんだけど」
父は、私の言葉を聞いた後、しばし目線を下げていたが、再び私を見詰め直した。
「その人を特定する情報と、知りたいことについて、詳しく話してくれないか?」
父は理由を聞かなかった。だから私も背景の事情は説明せずに、姫愛さんの名前と所属先、それに木曜日のスタジオ入りの時間が知りたいことだけを伝えた。
「それで、何時までに必要なんだ?」
話の流れから想像付いていると思うのだが、わざわざ尋ねてきた。はぐれ魔獣の話とは無関係と思っているのだろうか。いや、そんなことは無いだろう。
「来週の水曜日」
意を決して父を見詰めながら答えた私に、父は表情を崩さなかった。
「そうか。何か分かったら、伝える。それで良いか?」
「うん、お願い」
父が頷いたので、私は席を立った。両親の部屋を出、自室に戻り、ベッドに寝転がってホッとする。少し緊張していたようだ。父は他人にプレッシャーを与える人ではないが、調査と言えば父の仕事だし、仕事モードが入っていたのだろうか。前に蒔瀬バーチャル企画のことを調べて貰ったときはそうでもなかった。私の心の中に後ろめたさがあるからかも知れない。頼まれてもいないのに、人のことをコソコソ調べるのは、褒められることではないと自覚している。でも、はぐれ魔獣や巫女も絡んでいるようで気になってしまうのだ。
ともあれ、次の火曜日の夜、父は約束を果たしてくれた。
「灯里に頼まれていた話な、木曜の15時半頃に渋谷ハチ公前のスクランブル交差点だそうだ」
私が父に呼ばれて両親の部屋に入ったところで、父が伝えて来た。
「分かった。ありがとう、お父さん」
「ああ。あと、余計なことかも知れないけど」
父の視線が私から逸れる。
「あのロゼマリのプロジェクトは」
父が言葉を切ったので、私が引き継いだ。
「蒔瀬バーチャル企画を立ち上げるきっかけになった、本命のプロジェクトなんでしょう?」
「何だ、灯里は気付いてたのか」
父に驚かれた。
「まあ、何となく。前に私達のプロジェクトにいた人を見かけたし」
「そうか。だったら分かっているよな」
余り深入りしないようにと言いたいのだろう。
「うん」
私は頷いた。
そして二日後の木曜日、私は午前の講義が終わると渋谷に移動した。
ハチ公の銅像が立っている辺りは、待ち合わせ場所として使われている。立ち止まっている人が多いから、私がそこで立ち止まっていても誰からも不思議に思われることも無く好都合だった。
父から聞いていた時間になる。それまでは普段通り人の流れだったが、突然「魔獣だ」と言う声が聞こえ、交差点から逃げるように人が離れていった。人がいなくなってしまい、そのまま立っていると目立つようになってしまったので、物陰に隠れて交差点の方を伺う。
交差点の真ん中には魔獣がいた。その視線の先には、膝を突いて女の子を立ち上がらせようとしていた女性と、その二人を護るように魔獣の前に立ちはだかっている女性がいた。
「姫愛さん」
姫愛さんは魔獣の前で、ポーチを振り回している。しかし、それでは魔獣の攻撃には耐えられそうにない。
その時、何か光るものが魔獣の鼻先を掠めた。見ると小刀が魔獣の前の地面に落ちている。その小刀を追うように、銀髪で白と銀の巫女の衣装に身を包んだ女性が飛び降りてきた。彼女は地面に着地すると、そのまま魔獣に向けて走り始める。そして右手に持った剣を魔獣の首筋に突き刺し、一撃で斃してしまった。それから彼女は魔獣から剣を引き抜くと、傍に落ちていた小刀を拾い、振り返って姫愛さんに目を向けた後、交差点の向こう側のビルに飛び乗る。そこでも女性は辺りを見回していたが、程なくビル伝いに原宿方面に向かって行って消えた。
話に聞いた通りではあったが、本当にビルに飛び乗ってしまうとは。私はしばし呆然として女性の消えた方向を眺めていたが、ふと姫愛さんのことが気になって交差点に目を移す。すると交差点の向こう側、巫女姿の女性が消えた方向に走っている姫愛さんの後ろ姿があり、それも直ぐに見えなくなった。
これから姫愛さんを追い掛けても見付けられそうな気がしなかったし、目立つ行動もとりたくなかったので、私は諦めてその場を離れることにした。丁度バイトの予定もあり、時間は早いがそのまま会社に向かう。
その後、姫愛さんからのメッセージは無かった。前回はメッセージが来たことから考えると、隠したいことがあるからだろうか。姫愛さんの場合、思い付きで行動しているようなので、単に思いつかなかったのかも知れない。まあ、姫愛さんにはいずれは会えるだろうし、その時に何か分かるかも知れない。急がば回れとも言うよねと、早く知りたいと言う心の衝動を抑え、気長に待つことにする。
それから一ヶ月近く経った時、ロゼマリとのコラボ企画が実施されると連絡を受けた。私は漸く姫愛さんに会えるとワクワクしながらその日を待ったが、その直前に気が重くなる事態が発生した。
それは、はぐれ魔獣の出現の警告だった。これまでにも何度も警告は受けているのに気が重くなったのは、今回の警告が今までとは何かが違うと感じさせられるものだったからだ。




